第二話 仮面だらけの鳥かご
エクラヴァーグ侯爵邸の一室。
今日はレッスン棟での実習が多く、下町に抜けだす余裕はなくて大人しく淑女教育に勤しんでいた。
連日の逃亡のせいか、侍女のメーアから蔑むような目を向けられる。
「レザンヌ様、いつも大人しく教育を受けてくださいませ。あまりに成績が悪いと私が解雇されてしまいます。これが貴族かと思うと嘆かわしい」
「ほほほ、ごめんあそばせ」
「フッ、嘘くさい。せめて抜けだした分の成績くらいはお願いしたいものです」
メーアだって私が不在の間に何か暗躍しているのだからお互い様だと思う。
以前、貴族街を抜けだすのを指摘されたとき、メーアがコソコソと情報を集めている件を持ちだしたら、互いに詮索しない協定を結ぶことになった。
恐らく他国のスパイか、現体制に不満を持つ層と手を組んでいるのだと思う。
でも、私の生活に関与しない限り、騒ぎにするつもりはない。
メーアが資料の束を机に置き、大きめの丸眼鏡を指で直した。
「では、本日のレッスン工程表と礼儀作法の資料をここにおいておきます。私は所用でしばらく外しますのでしっかり自習を」
私の目を見ずに言っているのだから返事は不要だろう。
今日はどこに行くのか知らないけど情報集めに熱心なことだ。
メーアが一瞥もくれずに部屋を退室し、積まれた大量の教材と私一人になる。
豪華すぎる照明を見上げながら愚痴を零した。
「あーもー、あの冷たい感じ嫌。それにコルセットがほんとキツイよ~。ロゼは楽でいいのに」
高い天井、部屋は広くて煌びやか。
なのに息が詰まる。
ロゼとして下町に行くときは窮屈なコルセットも外しているし、乗馬服というのもあって開放感が強い。
それがないだけでも辛いし、侯爵令嬢としての品格を求められる日々は陰鬱だ。
軽く頭をふり、両頬を手で叩く。
「よぉーっし、今日も笑顔をひきしめてこー!」
いつも塩対応のメーア。
だけど、彼女が侍女を辞めさせられるのは私が困る。
詰りつつも見逃してくれるのは有り難いし、彼女がクビにならない程度の成績は必須だと思った。
気合いを入れ直し、資料に目を通していく。
今日のレッスン予定は魔法実習、礼儀作法のようだ。
熟成の魔法しか使えない私は、家や周囲から落ちこぼれとして扱われている。
けれど、師匠の授業は少しだけ楽しみだった。
「ちょっとは相談できる時間あるかな?」
使い道が分からなかった私の魔法に、料理というアドバイスをくれたのは師匠だ。
それ以来、魔法改良の相談にのってもらっている。
今日こそ驚かせようと意気込み、レッスン棟にある魔法教室へ足を向けた。
◇◆◇◆◇
レッスン棟魔法教室。
広々とした教室内には穏やかで張りのあるバリトンボイスが響く。
「さぁ、終わった人は後ろにさがって、次のグループは詠唱に入ってください」
「キャーー! クレールクラフティー様!」
「わたくし、声をかけて頂きましたわ!」
相変わらず師匠の人気は凄い。
炎の魔法より、令嬢たちの入れこむ熱の方が熱いかも知れない。
令嬢たちの黄色い歓声で、詠唱の声がかき消されそうになる。
気持ち少しだけ声を張りあげて、詠唱を完成させた。
赤い光が手のひらに収束し始めたので、目標の的を強く見据え、呪文を紡ぐ。
「フレッシュドゥフラム!!」
同グループの令嬢たちも同時に魔法を放つ。
じゃがいもサイズの炎が尾をなびかせて飛翔し、的へ次々と着弾していく。
私の魔法はゴマ粒程度の大きさにしかならず、ヘロヘロと漂ってすぐに消えた。
七大属性のすべてに適性のない私の魔法なんてこんなものだ。
分かり切っていることだから落ちこみはない。
ないが、周囲の嘲りの声は不快だった。
「あらあら、名門エクラヴァーグなのにずいぶんと可愛らしい炎だこと」
「うふふっ、あれならマッチの方がマシですわね」
「レザンヌ様の魔法を見ると、わたくしは凄いと自覚出来て自信になりますわ!」
一先ず仮面の笑顔でやり過ごす。
でも腸は煮えくり返っていた。
私だって好きでエクラヴァーグ家の長女として生まれた訳じゃないし、必修科目の属性魔法が苦手なだけ。
基礎鍛錬を怠ったことは一度もないし、魔力量だって彼女たちとは比較にならない。
心の中ではたっぷりと反論しておく。
ただ、言葉にするかは別。
爵位は私が上だけど、陰口や騒ぎにもできない嫌がらせがひどくなるだけで、私に少しもメリットがないから。
涼しい顔を決めこんでいたら、背後から舌打ちが聞こえた。
笑顔を貼りつけたままふり向いて確認すると、赤を基調とした演習用の服が目に飛びこんでくる。
どうやら舌打ちの主はブリュヤント・デタイユボンサンス侯爵令嬢のようだ。
「これで殿下の婚約者なんて……恥をかかせてしまうわ」
面倒くさい。
絶対に反論してはいけない相手なので無視することにした。
彼女は一度喋りだすと「殿下に相応しくない」とか「未来の王妃なのに情けない」などと罵倒が止まらないのだ。
正論ではあるけど、正しければいくら言っても良いという訳ではないし、私は苦手だった。
ひたすらに存在感を薄め、空気に溶けこむつもりで気配を消す。
助け舟をだしてくれたのか、私に向けて一つウインクをした師匠が魔法を披露することになり、皆の興味はそちらに釘付けとなっていく。
師匠が詠唱を始めると、周囲の令嬢たちは言葉を失っていった。
洗練された所作と詠唱。
この場にいる全員の魔力をかき集めても届かない圧倒的な魔力。
七大属性の精霊たちに愛された師匠が炎をその全身に纏う。
巨大カボチャサイズの炎の矢が的を粉々に粉砕する様子を、私はどこか他人事のように眺めていた。
◇◆◇◆◇
師匠に人集りができてしまい、新しい魔法の相談ができないまま授業を終える。
軽く目を伏せ、一息吐いてから次の授業へ向かうことにした。
礼儀作法の実習場所はレッスン棟ではなく本殿にあるティーサロン。
レッスン棟からそのまま繋がっている渡り廊下を歩きつつ、眼下に広がる草木を見下ろした。
人の身長より少し高い樹木たちは、淡い桃色の小さな花びらがモコモコと集まり、まるで積乱雲のように縦の層を成している。
空にも同様の雲が雄大に流れ、強い日差しが一際眩しく思えた。
「はぁ……」
思わずついた溜息。
わざわざ視線を外に向け、必要もないのにゆっくり歩いていたのに、彼女たちの目的は私のようだ。
いつもの三人が、私だけになった渡り廊下の先で道を塞いで待ち構えている。
意を決し、目をあわせずに脇を抜けようとそそくさと歩く。
しかし、ブリュヤントが許してはくれなかった。
「何をしれっと無視なさろうとしているのですか? すれ違うときに挨拶は貴族として当然でしょう?」
「あら? 強い近視でしたら良い眼鏡技師をご紹介しますわ」
「きっと陽射しが強かったから一時的なものでしょう。美しいフォンテーヌ様を見ないなんてあり得ませんもの」
回れ右をしたい衝動に駆られるけど、ここを渡らない限り本殿にはいけない。
私は観念して口を開いた。
「ごきげんよう。ブリュヤント様、フォンテーヌ様、ヴォワレット様。急がないと次の授業に遅れてしまいますわ。では私はこれで……」
「待ちなさい!」
あぁダメだ。
何かブリュヤントの気に入らない琴線に触れてしまったらしい。
赤系統の衣装に彼女の顔色がなじんでいく。
「挨拶をするときはフォンテーヌ様への声かけが先でしょう? どうしてその程度の礼儀もできないのですか!?」
……今日は順番だったか。
この中で最も爵位の高いフォンテーヌから声をかけなかったのは、確かに失敗だったかも知れない。
背中に冷や汗を感じていたら、当のフォンテーヌ自身がフォローしてくれた。
「あらあら? ブリュヤント様が目立ちすぎているからですし、不可抗力ではなくて?」
心の中で「いいよーいいよーそのまま言い負かしちゃって」と声援を送る。
するとヴォワレットも言葉を添えた。
「ブリュヤント様は衣装が特に華やかですから仕方ありませんわ。わたくしも清廉で気品のある衣装が似合うと良いのですけれど、人には向き不向きがありますし」
中々に痛烈な意見。
いつも賑やかな彼女たちの衣装は、家に代々伝わる色を基調としていて目にもうるさい。
せめて口は静かにして欲しいものだ。
改めて彼女たちを見やる。
艶やかな赤が印象的なブリュヤントは、とにかく礼節や貴族らしさについて口やかましい。
涼し気な青の衣装のフォンテーヌ・ラングドアンファン。
無邪気な彼女は色んな人に毒を吐く。公爵令嬢という立場で質が悪いけど、悪気はないのかスルーしても何も言われないから無視するに限る。
黄や橙に身を包むヴォワレット・エヴィテプロブレモは、二人の腰巾着のポジション。
ふわふわとしていて無害そうなのにチクりも多く、彼女の前でうかつな発言は厳禁だった。
恐る恐る私は真実だけを告げる。
「あの……そろそろいかないと本当に遅刻しますけど、よろしいのですか?」
表情を一変させたブリュヤントが踵を返したので、私たちも彼女に続いた。
◇◆◇◆◇
どうにか一日を乗り切り、侯爵邸に戻る。
疲れ切っているけれどすぐに休むことはできない。
「むふ、むふふふふ! クーヘンたち喜んでくれるかなぁ?」
明日、下町に持っていくためのクッキーを焼く準備をしながら、皆の笑顔を思い浮かべる。
料理長に「小麦粉を分けて欲しい」と懇願したら、理解不能な生物を見る目を向けられたが、手にいれるべきものは手にいれた。
祖母に無理いって譲ってもらった私専用のピザ窯に入れ、焼きあがりを待つ。
「どうか焦げませんように!」
匂いが部屋に充満し始めたので、吊りさげ窓を全開に持ちあげて換気した。
古びた木製サッシに組んだ両腕を預け、満天の星空を見上げる。
「どうしてこんなにも流れる時間が違うのかしら? 不思議……」
貴族令嬢たちと過ごす淑女教育の時間は退屈で苦痛だし、こうして明日を待ち望んでいる時間も中々進まないのに、下町で過ごす時間はあっという間。
私にとって一番大切な時間が最も短く感じてしまうことを少し残念にも思う。
「早く明日になって欲しいけど、明日はゆっくりになって欲しいな」
自由に動き回れる残り時間は少ない。
そのことに思いを馳せ、大切な皆との日々をより愛おしく思った。
そうした私を現実に引き戻したのは、わずかばかりの焦げた香り。
「やば!」
私は慌ててピザ窯へと駆け寄った。




