第一話 水の都で働くロゼ
「むふ、むふふ、むふふふ! 今日も撒いたときのあの顔ったら無かったわ!」
「どうしたロゼちゃん? 変な笑い方をしちゃってさ」
「何でもないよ! ちょっと思い出し笑い」
水夫のおじさんからこれ以上奇妙に思われないためにも、水面に映る顔を見て表情を引き締める。
「ロゼちゃん、くぐるよ」
「はーい!」
橋の下を船で通ると運河沿いの喧噪が少し遠のく。
見上げれば石畳には苔が見える。
暗さにようやく目が慣れたと思ったら石橋を抜け、鮮やかな景色と喧騒が飛び込んできて、水面が煌めきと眩しさを増す。
見回すと屋台が立ち並び、もう少し進めばいつも船を降りる運河の分岐点。
ざぁっと吹く風に少し体を預け、青空を見上げた。
「んー! 気持ちいい!」
頬を撫でる風に目を細めていると、あっという間に水夫ギルド館へ到着。
水夫ギルド館は運河の三叉路の手前にあって、建物の中に水路が繋がっているので、そのまま船着き場に乗り付けることができる。
動きやすい乗馬服だし、不安定な足場に注意しつつ思いきって桟橋に飛び移る。
「よっと!」
「ハハッ! 今日もロゼちゃんは元気だな!」
「おじさん、ありがとね! 今度料理をご馳走するから!」
後ろにいた水夫のおじさんからからかわれてしまい、火照る頬を隠すように背中越しに大きく手を振るだけにしておく。
ごった返す水夫ギルド館の中を足早に抜け、運河沿いの露店通りに出た。
大きく伸びをしつつ、陽の光を浴びる。
色んな露店からの美味しそうな香りが漂ってきて、否が応でも足取りが弾む。
鼻歌まじりに賑わう露店通りを歩いた。
私のことを知る人たちが明るい笑顔を見せ、声を掛けてくれる。
「ロゼちゃん、今日は新鮮な果物が入っているから持っていきなよ」
「んー? 帰りにもらおうかな。今だと荷物になっちゃうから」
店主が手に取って見せてきた果物は、瑞々しくて帰りが楽しみになってくる。
手をひらひらさせてやり過ごし、露店の脇を通って大通り手前まで辿り着いた。
雑多な喧噪から、聞きなれた声を耳が拾う。
「ロゼー!」
短めの二つのおさげを靡かせ、9歳年下のクーヘンが駆け寄ってくる。
「クーヘンたちは収獲の帰り?」
「うん! えへへー、ロゼいい匂いするー」
勢いよくクーヘンは私に抱きついてくる。
ブドウ狩りをしていたと思われるクーヘンを私は抱きとめた。
紫の染みが移ってしまうのには苦笑いを浮かべながら。
少し離れたところからシュトやロイゼルも同じような笑顔を浮かべていた。
「ごめんな、ロゼ。せっかく綺麗な服なのに」
「クーヘンは汚れてるんだからむやみに抱きつくなよな」
クーヘンは二人の方を振り向き、ふくれっ面を見せている。
私は甘えん坊な彼女を抱き寄せ、その頭を優しく撫でた。
「いいんだよ。どうせお仕事でいっぱい染みは作っちゃうんだから」
「だよねー。ロイゼルきらいー」
「はぁ? 俺は注意しただけだろ!」
そう言ってロイゼルがクーヘンを掴まえようと駆け寄ってきて、クーヘンは逃げるように私の周りを駆け回っている。
二人のやり取りに少し呆れて目を細めていたら、ふいにシュトと目が合った。
「ロゼ、今日の仕事は何時ごろに終わるんだ? できれば勉強を教えて欲しい」
勉強熱心なシュトらしく、意欲的な瞳。
すかさずロイゼルも割り込んでくる。
「あ、兄ちゃんずるい。俺も俺も! 俺も勉強したい!」
「クーヘンはねー、勉強よりもロゼのお料理が食べたいなー」
時間は取れそうだけど、問題は私の体力。
ランチタイムを終えた後に、教えるだけの気力が残っているか疑問に思う。
私は軽く頬をかく。
「うーん、不安だけど少しなら大丈夫かな?」
クーヘンが目を輝かせて飛び跳ねる。
「やったー! ベリージャムオムレツだー!」
「勉強が先だぞ、クーヘン! あ、俺の分もお願い」
「はいはい。皆の分も作るから大丈夫だよ」
特にメニューは決めていなかったけれど、クーヘンが勝手に決めてしまったからジャムオムレツにしよう。
甘味が少ない下町では、山芋と卵で嵩増ししたふわふわのジャムオムレツは代替スイーツとして人気だ。
仕事先でどう言って卵を分けてもらおうか考えていたら、申し訳なさそうに視線をおとしたシュトが視界に入った。
「ロゼ、すまない。稼ぎが入ったらちゃんと返すから」
私は笑顔で首を振る。
「いいの。皆が喜んでくれるなら作り甲斐があるよ!」
そうして話題を終え、ウキウキのクーヘンと手を繋いで仕事先へと向かった。
大通りに入ってすぐのところにあるパブリックハウスが私の働く店。
店に近づくとクーヘンは私から離れ、スイングドアを押し開けて突撃していく。
私もその背を追ってスイングドアを押し、まだ薄暗い店内を覗き込んだ。
「女将さんいるー? ランプは先に点けちゃっていい?」
「点けちゃって。忙しくなるからロゼも早めに着替えて来な」
「はーい」
私が奥の部屋に向かうのと同時にクーヘンが店を出ていく。
明るい大通りに居る三人へ手を振って、私は戦闘モードへと気持ちを切り替えた。
◇◆◇◆◇
「女将さん、オーダー! ケルシュ2つ、ミード2つ、豚とズッキーニ炒め、チーズフリッター、ザワークラウトです!」
「あいよ。ロゼはこのミードとプレッツェルを運んだら空いたテーブル片付けちゃって」
「はーい!」
ランチタイムは満席で回転率も極めて高い。
今も空いたテーブルに座って「早く片付けろ」と新規の客が騒いでいる。
私はミードのジョッキを手に2つずつ持って、腕の腹で器用にプレッツェルの乗った皿を挟んで歩く。
混むと狭い店内で、どさくさに紛れてお尻を触ろうとしたお客の手を華麗なターンで躱す。
危うくプレッツェルを落っことしそうになりながら、どうにか運び終えた。
「ちぇ、今日は触れそうだったのになぁ~」
「残念でした! 私のお尻は簡単には触らせませんよ? それに触ったら慰謝料を請求しますからね!」
常連のお客も冗談半分だけれど、酔っぱらっているから遠慮が無くて困る。
適当にあしらいつつ、急いでテーブルの皿を積み上げて、さっと拭いていった。
「お待たせしました~。次のお客さんどうぞ!」
私が新規客を迎え入れると隣のテーブルの客がジョッキを掲げた。
「ロゼちゃ~ん、お代わり!」
「ケルシュとザワークラウトでいいですか?」
「そうそう。大盛りね」
「はーい」
今日は旅人が多いからか昼間から飲む客が多い。
通常のランチ客も居るから洗い物が熾烈なことになりそうだ。
バランスに気を付けて大量に積み上げた皿を持ち上げた。
すると最短ルートでニヤニヤしている常連客が何人も視界に入る。
「えっと、今は忙しいし、お尻を触ろうとした人にはお料理を運びませんからね」
「マジかよ?」
「じゃあやめとく~。ロゼちゃんが運んでくれたら三倍は美味しくなるからな~」
「だよな~。まるで魔法みたいに旨くなるんだよ」
現金なものだ。
ここで働き始めたときは何度もお尻を触られてしまい、そのたびに顔を真っ赤にして恥じらったことを思い出す。
「もう、お世辞盛りすぎですよ? あと、いつも触らないようにしてくださいね」
「触らないからお代わり! 愛情も大盛りでよろしく!」
聞き流して洗い物を運び、手早く皿を洗っていく。
あまりの量に目眩がするけど、手を止めずに無心で洗い続けた。
終えて間もなく次の料理を運ぶ。
運ぶ際に少しだけ手のひらに魔力を籠める。
周囲から見えないくらいの小さな光が料理に灯った。
さっきの客が「まるで魔法みたい」と言ったけれど、実際に使っているから当たっている。
私の魔法は【熟成の魔法】なので、料理の旨味を引き出すくらいしか使い道が無い。
皆の笑顔が見たくて内緒で使っているけど、バレたらここには居られなくなるからあくまでコッソリと。
「お待たせしました~。愛情盛り盛りのお代わりです!」
「結婚してくれー!」
「俺もロゼちゃんとしたい! 働く姿はまるで妖精のようだよ!」
「ロゼちゃんマジ天使!」
「ダメです。私にはフィアンセがいますから!」
妖精、天使と、どれだけ褒められても本当に婚約者がいるから困るだけなのだ。
けど誰も信じてはくれない。
「まーたロゼちゃんの脳内設定のフィアンセ様?」
「そろそろ妄想相手のお名前は決まった?」
「もう! そういうのじゃありませんから!」
私はジト目で常連客たちを睨みつける。
相手がこの国の王子だなんて口が割けても言えない訳で、名前を出せずにいたらホラ話にさせられてしまった。
言い合いをしていたら女将さんが厨房から顔を出す。
「あんたたち! あんまりロゼをからかうんじゃないよ! あ、ロゼは賄い入っちゃって」
助け舟と待望の賄いだ。
ついでに卵も確保しておきたい。
「女将さーん、賄いは卵多めに使ってもいい?」
◇◆◇◆◇
本当にくたびれた。
気持ち的にはもう帰ってしまいたいけれど、クーヘンとの約束のためにどうにか気力を絞りだす。
「ははっ、膝が笑っちゃってるよ」
ふらついて折角確保した卵をダメにしては大変なので、なるべく人を避け、距離を取って大通りを歩いていた。
まだ夕暮れには早いが、ちらほらと郊外の方に帰る子供たちも増えている。
郊外へ向かう坂道を上るときの子供たちの笑顔が私は好きだ。
家に帰るという安心感がある。
町に向かうときの高揚感に溢れる笑顔も無邪気で好きだけど、帰るときの「ここが私の居場所。素敵でしょ?」という笑顔が私は大好きだった。
そんな中、一際異彩を放つ少年が通りの真ん中に居た。
同い年くらいだろうか。
整った容姿、下町では高価で綺麗すぎる服装、凛とした佇まい。
どれをとってもここでは異質だ。
その少年は、物珍しそうに周囲を眺めては溜息をついていた。
あまりに浮いた彼が気になり、私は近づいて声をかける。
「こんにちは。この町は初めて?」
すると少年は目を見開いて固まった。
驚かせてしまっただろうか。
言葉が返ってこなさそうだったので、私は軽く会釈をして立ち去ろうとした。
「ま、待ってくれ!」
「ひゃい! 待ちます!」
突然の大声に、緊張して変な返し方をしてしまう。
「私は孤児院を訪問したいのだが、どこに行けば良いのか分からない」
「あ、それなら私も向かうから一緒にどう? 私はロゼ。貴方のお名前は?」
ただの自己紹介なのに少年は眉間に皺を寄せ、険しい顔をした。
暫くして彼が口を開く。
「私の名はグレッチャーだ」




