第十六話 魔力喪失
碧い光がヴェールのように折り重なり、母親を包んでいく。浴室の籠ったような音が波紋のように響き合う。光と音が急速に収束していき、ピンと張った音を最後に静寂が訪れた。
私には絶対に真似できない、国家最高クラスの魔法が目の前で行われたのだ。ロイゼルやクーヘンも完全に言葉を失っている。
ベッドに横たわる母親の顔は血色が良くなり、寝息も穏やかになっていた。
額に汗を滲ませ、僅かにふらつくグレッチャー。
「これで大丈夫。あと少しで目覚めるだろう」
クーヘンが母親へ抱きつき、ロイゼルはグレッチャーへ向き直って涙を流した。
「グレッチャー、本当にありがとう! お前って神様だったのか?」
ロイゼルがお礼を述べた瞬間、グレッチャーが平手打ちをロイゼルへ浴びせた。
突然の行動に言葉が出ない。一拍の間を置いて私は叫んだ。
「子供に何するの!?」
グレッチャーは私を片手で制した後、頬に手を当てて放心しているロイゼルへと向き直る。
「私は神でも聖人君子でもない。ロイゼル、君が流布させた情報が元でロゼは下町で働けなくなっている」
グレッチャーは言葉を切って少し屈む。
「それは君の兄であるシュトが望んだことなのかい?」
ロイゼルの肩に手を置き、なおも続ける。
「私はロゼを働けなくしたことよりも、私の親友であるシュトの心を裏切ったことを許せないと思っている。意味は分かるか?」
碧く澄んだ声で静かに問われ、ロイゼルはハッとした表情を見せた。
「俺が間違ってた!」
ロイゼルの頬に涙が伝う。
「噂は事実じゃないって俺が絶対に広めるから!」
もう子供とは呼べない。責任と覚悟を宿す瞳がそこにはあった。
「ロゼ、本当にごめん」
「いいの。嘘をついていた私が悪いんだし」
「俺がぜってーもう一度働けるようにするから!」
ロイゼルはそう言って笑顔をみせてくれた。
クーヘンが歩み寄ってきて私とグレッチャーの手を取る。
「ロゼ、グレッチャー、お義母さんを救ってくれてありがとう」
私は万感の思いで胸が詰まってしまい、うまく言葉を返せなかったから、頷きを何度も返す。
(クーヘン、こちらこそありがとう)
母親の目覚めの兆しが見えたので、私とグレッチャーはお暇することにした。
「ロゼ、帰りに少し話さないか?」
「うん」
貴族街への地下水路へ向かう夜道の途中、人気の無いところで秘密の相談だ。
だけど、グレッチャーは先に足の治療をさせてくれと言って聞かない。
仕方なく、暗闇の中で足の治療を受けることになった。
グレッチャーの手が患部に触れて、彼の魔力が流れ込んでくる。思っていた以上に温かくて、肌を重ね合うような気持ち良さを感じた。そのことがシュトとのキスを思い出してしまい、鼓動が落ち着かなくなる。
「終わったよ、ロゼ」
「あ、ありがとう」
鎮まるように念じながら、私は平静を装う。
すると、暗くてハッキリとは見えないグレッチャーが声を沈めた。
「本当に良かったのか?」
「分からない。でも……」
魔力を失ったことはまだ戸惑いの方が大きい。
けれど救えた喜びはある。シュトの母親が救われたことで、シュトを愛した私自身も救われた気がした。
「シュトを好きになったことだけは間違いじゃないわ」
何も特別なことはない。ただ当たり前のように傍にいて、当たり前に好きになった。彼の笑顔を。
軽率な行動で魔力を失ったけれど、後悔だけはしない意志を込め、私は笑った。
◇◆◇◆◇
あの夜から数日が経った。
ロイゼルは、喧嘩をして腹いせに嘘を流したと証言して回っている。自分が狼少年の扱いをされたとしても私が再び働けるように尽力してくれた。
そのお陰で、私は今日も女将さんのところで働ける。
「いらっしゃいませー」
「ロゼちゃん、隙あり!」
「ひゃん!」
新しいお客に気を取られた瞬間、背後からお尻を触られた。スイングドアのこちら側には、今日もお客さんたちの快活な笑顔が舞う。
私も久々のランチタイムで感覚が鈍っているのかも知れない。常連のお客が、私の気を解すためにも以前以上に親しく接してくれているのは分かるけど、注文とか売り上げ貢献にして貰いたいものだ。
先輩であるヒェンからもからかわれる。
「ロゼ、なんであんた触られて笑顔なのよ。嬉しいの?」
「う、嬉しくはないよ!」
もう二度と働けないかも知れないと思っていただけに顔が緩んでしまうだけだ。触れられて嬉しいのは誰かを考えたとき、ふいに傷を治して貰ったグレッチャーとの時間が蘇る。
「ヒェンもからかい過ぎだよ。おや、ロゼは顔が赤いね? 恥ずかしかったのかい? あたいから客にお灸を据えようか?」
「あ、これは違くて……大丈夫です女将さん」
「そうかい?」
傷を治してくれるグレッチャーからの魔力が体内に流れ込んだとき、ここ最近失い続けた何かが満たされていくのを感じた。
だけどダメだ。
シュトが居なくなったことの心の飢えをグレッチャーに求めてはいけない、と自分の心に線を引く。
「ロゼちゃ~ん、こっちケルシュお代わり!」
「俺も! あとザワークラウト!」
「はーい!」
見習い世代がポッカリと空いてしまった下町。常連を始めとしたお客たちはガムシャラに働くことで隙間を埋めようとしている。それもあって店は満席だ。
例えカラ元気であっても、賑やかな店内には何度も陽気な乾杯の声が響く。
皆に幸せを届けられることに、私は小さな幸せを見出していた。
「お待たせしましたー!」
私はテーブルにささやかな幸せを運ぶ。
「お、来た来た。ここの鳥のグリルは絶品なんだぜ。この照りが溜まんねぇ」
「こっちの煮込みの香りも最高だよ。でもなぁ、ロゼちゃんが運んでくれたらもっと最高の味だったのになぁ……」
「だな、俺も思ったぜ。何か味を変えたのかな? 旨いは旨いが物足りねぇな」
常連たちの会話が棘となって胸に突き刺さる。彼らに悪気はないし、味が落ちたのも事実だろう。
私が魔法を使えなくなったのだから。
誰もそんなことを言っていないのに、私自身がダメになったように聞こえる。
私が唯一、人に誇れたものが無くなったことに、手足が小刻みに震えていく。
「や、やだなぁ皆。私が運ぶ料理が美味しくないの?」
どうしても硬くなってしまう笑顔を向け、必死に強がってみた。
「だってよぉ、味がかなり落ちてるし。ロゼちゃんの愛情があればなんだって美味しいはずなのにな! ロゼちゃんが恋人なら……」
「おい、馬鹿! やめろ!」
表情を急変させた常連が慌てて口を噤む。今ので私でも流石に気付いた。私の前でシュトの話をしないよう皆が気を遣っていたことを。
この店の元気が萎むのは本意じゃない。私はさらに強がった。
「大丈夫ですぅ! 私には将来供になるフィアンセがいますからお気遣いなく!」
背後のお客たちがわざとらしいほど明るく乾杯をした。
「へーい! とことん飲もうぜ!」
「まだ昼だけど俺も飲むわ。ロゼちゃん、俺ミードで」
「ロゼちゃんはフィアンセ様に夜を慰めて貰うんだなぁ……隙あり!」
「ありません!」
伸ばされた手をヒラリと躱す。軽やかにターンをしたら、尋常では無い圧の女将さんのヒンヤリ笑顔が見えた。
「あんたら、あたいの料理の味が悪くなったって? 上等だよ。味覚音痴な舌を切り刻んでタンシチューにしてやるから!」
女将さんがフライパンとお玉を打ち鳴らし、常連は一目散に逃げ出していった。
「ったく、ロゼ、無理に復帰しなくて暫く休んでいいんだよ? 味が変わったなんてアイツらも変なこと言うよねぇ」
「アハハ……」
味が落ちたとお客から言われ続けている女将さんは不機嫌で、ちょっと怖い。
私は曖昧な笑みで色んなことを誤魔化した。
「ロゼ、やっぱ少し変だよアンタ。今日は早上がりしな」
大丈夫と繰り返しても取り付く島もなく、早上がりをさせられてしまう。
賄いすら食べ損ねてしまったのでお腹はペコペコだ。
たまには屋台にでもと、露店通りへ向かった。
最も混雑する時間は過ぎているからか、人気店でも比較的に空いている。
「久しぶりにヌーデルンにしよっかな」
人混みを縫って目的の屋台の前へ行くと、ちょうどロイゼルが同世代の子供たちと一緒に居た。それぞれがガレットに包まれたゲブラテネ・ヌーデルンを両手に持って齧りつき、口周りをソースでベタベタにしている。
「ロイゼルたちも遅めのランチ?」
「お、ロゼがこの時間に露店通りに居るの珍しいな」
「こんにちはー、ロゼお姉ちゃん」
ロイゼルがシュトの代わりに子供たちの先生をしている。
今やちょっとした人気者だ。
「ロイゼルのお母さんが助かって良かったよね」
「だよな。容体が良くなってから、ロイゼルも以前のように明るくなったし」
皆から持て囃され、ロイゼル自身も満更ではなさそう。ロイゼルは目を輝かせ、身振りや声を大きくする。
「だからさ、俺の母さんが助かったとき、本当に凄かったんだよ!」
「またその話ー? いいかげんにしろよ」
「あたしまだ聞いてない。聞かせてー!」
「いいか? 部屋の中がさ、ぱぁ~と光に包まれて碧い水の中にいるような感じで、でなでな、光の小さい粒がグルグル回るんだ! 神様が助けてくれたんだ!」
魔法という単語を使わず、助かったときの光景を自慢げに語るロイゼル。その瞳にはグレッチャーへの純粋な憧れと尊敬の念があるように思えた。
「ま~た、ロイゼルの大袈裟な嘘が始まった」
「え!? これも嘘なの?」
「しらける~」
嘘つき悪童としての名も馳せたロイゼルは、中々話を信用して貰えないようだ。
ロイゼルの声が大きくなるほど、何人かの子供たちは一歩、また一歩とロイゼルから距離を取る。
他の子供たちとの距離感が悲しい。
私はロイゼルへ近づき、彼の背後から両肩に手を置いた。
「その神様の奇跡は、私もロイゼルと一緒に見たんだから! だから皆も信じてあげて!」
私がフォローを入れると、ロイゼルは自信を得たのか余計なことまで語り出す。
「そうだぜ、ロゼも居たし、凄かったんだ! めちゃくちゃ強い光が溢れてさ! でも、それで料理がダメになっちゃったんだ……」
結構ギリギリのところを話し始めたロイゼル。
私は焦り、ロイゼルの肩を強く揺さぶった。けれど時は既に遅し、子供たちの興味は私の料理へと移っていく。
「あー、確かにロゼの料理は美味しくなくなったよね」
「あのちょっとだけ手が光るのも最近やらないよな」
すると、周辺にいた身なりの良い男が、突如子供たちの会話に割り込んできた。
「おい、君たち! それは本当か! 私は貴族とやり取りをすることも多い商いをしているが、それはまるで魔法を使っているときの様子じゃないか!」




