第十五話 命の水
私はロイヤルガーデンをひた走る。
「お待ちください、レザンヌ様。本日の教育も逃げだすおつもりですか?」
妃教育を放りだして下町へ向かおうとしたら、侍女のメーアに呼び止められた。
だが、ロイゼルの母親の容態が気になって何も手につかないし、今の状態で教育を受けても無駄だと思う。
「ごめんなさい。今だけは許して」
「奥方様にご報告致しますよ? よろしいのですか?」
背中に何度もメーアの苦言が突き刺さるのを無視し、橙のボックスウッド区画を駆け抜けた。
外壁崩れから地下水路へ入る途中、スカートが破れて足から血がでていることに気づく。
「どこかで引っかけたかな?」
夢中で逃げていたので痛みにも気づかなかった。
今はジンジンとした鈍い痛みがあるがそれほど大きい切り傷でもないし、手早く着替えをすませていく。
「うん、大丈夫そう」
身なりを整え、下町用の靴の脇にコッソリと折り畳まれていた紙を手にとる。
「手紙は……っと」
グレッチャーからの手紙を運河に向かいながら読み進める。
貴族の医者を手配するのは難しいようだ。
平民の医者に診せるようにという伝言と、そのためのお金が袋に入っていた。
「夜には合流できるのね。このお金で下町で一番の医者を探さなきゃ」
船着き場で船を待つ間、周囲に誰もいないことを確認して魔法を使った。
「フレッシュドゥフラム」
マッチ程度の炎しかだせないけど、手紙を焼く分には問題ない。
遠目に見えてきた水夫のおじさんに私は大きく手をふった。
◇◆◇◆◇
「ロゼさん、これは私の手には終えません。お貴族様の医者でも難しいかと」
「そ、そんな! なんとかなりませんか!?」
ベッドに横たわり、意識の戻らないロイゼルの母親。
クーヘンと私が見守る中、診察を終えた医者の第一声がそれだった。
下町を駆け回って一番の腕の医者を呼んだのに、匙を投げられてしまう。
「この病気は今の医学では難しいのです。私には延命治療くらいしかできません」
ため息をつく医者。ベッドの隣で不安そうに瞳を揺らすクーヘン。
私は諦めきれずに何度も食いさがった。
「でも、先生! 治った症例もあると聞きました!」
「ロゼさん、Un chat qui a traversé le désert(砂漠を横断する猫)という諺をご存じですか?」
夢物語と言われ、私はキッと医者を睨みつける。
「でも魔法が……」
「いいですか、ロゼさん。平民には魔法は使えませんし、私は見たことがありません。お貴族様の文献では治った症例があるとのことですが、魔法で治ったなどと言われても医学の専門家としては否定するしかないのですよ」
私と医者が平行線の会話を続けていたら、クーヘンがすすり泣き始めた。
「お医者様、正直に教えてください。お義母さんはもう起きないのですか?」
私は言わないで欲しい願いをこめ、医者に何度も首をふって見せる。
しかし、私のそれを見た上で、医者は沈痛な表情で告げた。
「目覚めません。私の診療所へ運んでも持たせられて二か月が限度だと思います」
医者が言い終えるのと同時に部屋のドアが大きな音と共に開かれる。
水を汲みに行っていたロイゼルがそこには立っていた。
「だったらでて行け! 母さんは最後までこの家にいたいはずだ! どこにもつれて行かせはしない」
「分かりました。自宅診療を希望されるということですね」
医者は栄養剤の入った注射器を渡し、使い方を説明してくれた。
そして説明を終えるとさっさと帰り支度を始めてしまう。
「では、これで引きあげます。追加の栄養剤は私の診療所へとりにきてください」
ロイゼルが医者への暴言を続ける中、私は家からでていく医者を追いかけた。
「あの! 魔法を信じてとは言いません。せめて子供たちに配慮した言い方はできなかったんですか!?」
しばらく歩きながら押し問答を続けていたら、観念したのか医者は路肩にあった大木へ背中を預け、聞く姿勢を見せた。
「私の診断結果に不服があるようですが、他にどのような言い方をすれば良かったのでしょう?」
「だって! 名医だって聞いたから……」
言いがかりなのは分かっている。
けれど、助からないという言葉を受け容れることはできない。
抗議を続けていたら、碧く澄んだ声が割りこんだ。
「ロゼ、一体何があったんだ? その女性は?」
「私は医者です。ロゼさんは私の診断に納得がいかないようで、困り果てていたのです」
グレッチャーと医者は病名と医学的な情報を交わしていて、私は蚊帳の外だ。
「長い時間拘束して悪かった。少ないがこれを……。それからこのことは他言無用で頼む」
「ええ、分かっていますよ」
グレッチャーが口止め料も兼ねた報酬を渡すと、医者はすぐに立ち去った。
私は納得がいかず、グレッチャーに少しキツい言い方をしてしまう。
「グレッチャーも男の子なんだね。相手が女医さんだからって簡単にお金を渡しちゃってさ。あの人、クーヘンの前で助からないってハッキリ言ったんだよ?」
「……家に向かおう。歩きながら説明する」
私は先行するグレッチャーに歩幅をあわせた。
「その病気ならば医者の見立ては正しい。そして強い言葉で助かる望みを切ったことは、間違いなく名医だからだろう」
「どうして?」
「無能な医者ならば、可能性をチラつかせてさらにお金を取ろうとするはずだし、助からないと家族の前で言うことはとても勇気がいるからね」
一度言葉を切ったグレッチャーが私を見る。
「それに、ロゼが踏みこみすぎていて危うかった」
「私が?」
「助かった症例は王家の秘術に当たる魔法で、知り得るのは高位貴族の中でも限られた者だけだ。あの医者は公然の秘密に踏みこまないよう、敢えて夢物語の例えをだしている」
私は急に煽られた気分になって憤っていたけど、踏みこむな、子供に聞かせるな、というサインだったようだ。
「……貴族社会の社交で学ばなかったのかい? あの医者はロゼが貴族だと気づいてヒントをだしていたのに」
「面目ない」
貴族の腹の探りあいは苦手なのだ。
下町で不意打ちテストされても困る。
肩をおとす間もなく、ロイゼルの家についた。
「ロイゼル、クーヘン、入るね」
「勝手に入るな! 母さんはもう長くないんだ! 俺たち家族だけにさせてくれ」
ロイゼルの瞳には絶望しか映っていないのだろう。手を差し伸べたいけれど、私が手をのばしてもロイゼルは不快なだけかも知れない。
部屋の入口で足が竦んでしまった私とは異なり、グレッチャーはお構いなしにベッドの方へ歩いていく。
「グレッチャーには悪いけど帰って……」
「私が知る限り、助けられる方法は一つだけある」
さっきまで言っていたこととあべこべ過ぎて、私は目を丸くした。
「だが、私一人の魔力では届かないんだ」
今度はロイゼルが目を丸くする。
「……なんだよ。グレッチャーも貴族だったのか」
私よりも貴族である身分を上手に隠していたし、ここまであっさり暴露するとは思わなかった。
グレッチャーは懐からペンダントをとりだす。
「この魔道具の力を借りれば魔力は足りるかも知れないのだが、それには魔力持ちの協力者が必要だし、何より代償も伴う」
言い終える前に、私はグレッチャーからそのペンダントを奪った。
「私が協力者よ。どうすれば魔力を譲渡できるの?」
「代償が大きすぎてダメだ。ロゼには使わせられない」
「いいから教えて!」
「できない」
ロイゼルが顔を背ける。
そして即座に顔を蒼白なものに変えた。
「ロゼ! その足は一体どうしたんだ!?」
太股を見ると下町用のズボンが赤く染まっていた。
「今朝怪我をしたの。思っていたより傷が深かったのか開いちゃったみたい」
「それに触れないようにペンダントを返してくれ」
珍しく動揺を見せたグレッチャーの様子から私でも勘付くことができた。
「こう?」
「ダメだ! 血を触れさせないでくれ!」
グレッチャーの制止の声も聞かず、私は血をペンダントの宝石部分につけた。
すると宝石が眩い光を放ち、部屋の中には太陽が現れたかのような温かい光が溢れていく。
光が増すにつれて私の中から魔力が引きだされていくのが分かった。
「ん……んんっ! ま、魔力が!」
中位魔法を一日中使ったときのような疲労感を覚える。
なのに魔力の流出は止まらず、今の季節は初夏であるのに私だけは真冬のように凍えていた。
怖い。
ここまで魔力が失くなったのは初めてだ。
体内をうごめく魔力はさらに加速し、息もあがっていく。
「ロゼ、今すぐペンダントを手放せ!」
私も手放さなければと思ったのに、体はなぜか反射的により強く握ってしまう。
突如、魔力の流出が止まり、光も宝石を仄かに照らすだけの輝きにおちついた。
「ロゼ!」
「ロゼー!」
私がその場にへたりこむと、グレッチャーとクーヘンが慌てて駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫。今は落ちついたから。グレッチャー、これで魔力は足りる?」
グレッチャーから強く抱きしめられる。
「君は馬鹿だ。大馬鹿だ」
「良く言われる」
私にしか聞こえない声量で、グレッチャーは囁いた。
「魔力を失ったことは誰にも言うな」
さっきの魔力の奔流で薄々は分かっていた。
これは一時的な譲渡ではなく完全に魔力を奪い去るものだと。
このことが貴族にもれたら、私は家から追放されてしまうだろう。
「シュトとの約束を守るためにも、ロイゼルのお母さんを救ってあげて」
「私の命に代えても必ず」
ペンダントを手渡すと、グレッチャーは立ちあがってベッドの方に向き直る。
母親に寄り添っていたロイゼルは、私とグレッチャーを交互に見ていた。
「グレッチャー、本当に母さんを救えるのか?」
「あぁ」
「頼む! 俺、兄ちゃんに続いて母さんまで失いたくない!」
グレッチャーは一つ頷き、長い、とても長い詠唱を始めた。
詠唱の節が変わるごとにグレッチャーをとり囲む色が増え、層を成していく。
「綺麗……」
「すっげぇ」
ペンダントの強烈な光とは違い、軽やかで淡い光はまるで楽譜のように紡がれていき、部屋の中に小さな流星群を描いていた。
最後の節に差しかかると彩り豊かだった光の粒子は碧い色へ変わり、澄んだ碧の世界は海の底に放りこまれたかの錯覚に包まれる。
ペンダントが宙に浮かびあがり、碧の色彩が最も濃くなった瞬間、グレッチャーが両手を天に翳した。
「レォウドラヴィ」
魔法の発動キーを聞いて私は耳を疑う。
グレッチャーが使った魔法は、王家にしか使えないはずの「生命の水」だった。




