第十四話 忍び寄る悪魔
下町へ向かう船着き場。
地下水路の水が運河に合流したせせらぎの中、ボートにのる。
淑女教育で多忙を極めていたので、下町に行くのも兵の帰還日以来だ。
普段は気さくな水夫のおじさんも言葉が少なく、オールを漕ぐ水音だけが続く。
空はこの上ないほどに晴れているのに、私の目には世界が違って見えていた。
船着き場で町に降り立ってみても以前とは雰囲気が違う。
大人たちの本心がどうであれ、遠征中は希望を残した明るい活気があった。
なのに今は灯りの消えた暖炉のよう。
大好きな露店通りを歩いていても、何となく視線もさがってしまう。
雑踏の中、小さく呼びかけられた。
「ロゼちゃん、前を向いて歩かないと危ないよ。あとロゼちゃんに対する良くない噂があって……」
「私の噂?」
「とにかく、物騒になっているから気をつけて」
物騒になっていることはグレッチャーからの手紙で知っていた。
あまりに死傷者が多く、貴族に対する不信感が高まっていて、謀反の疑いも出てきているそうだ。
貴族側も責任の所在と押しつけあいで騒がしくなっている。
私の噂については心当たりがない。
ざわつく心を抑えて女将さんの店へ辿りつき、スイングドアを押し開けた。
「女将さん、いるー? ランプはつけちゃうね」
血相を変えた女将さんが店奥からこちらへ駆け寄ってきた。
「ロゼ! 今日からしばらくお前さんは店に来ちゃダメだよ!」
「え? どうして?」
「ロゼが貴族じゃないかなんて根も葉もない噂が出回っているんだよ。それで貴族に反発している過激派連中がロゼを探し回っているのさ」
胸が締めつけられ、思わず唾を飲みこむ。
女将さんが私の頭にスカーフを巻きつけてくれた。
「これはあたいが仕入れのときに使っているスカーフだよ。少しでも変装しておきな。それにこの店のスタッフとお客は皆ロゼの味方だからね」
「……女将さんは私を疑わないんですか?」
「馬鹿言うんじゃないよ! これまでの仕事ぶりを見てれば、ロゼが嘘をつくような子じゃないことくらい分かるから。それに、貴族のお嬢様があんなにお尻を触られて平気な訳ないだろう?」
信じてもらえたことは素直に嬉しい。
刺さる罪悪感は乾いた笑みで誤魔化した。
「アハハ、別に平気じゃないし」
「そうかい? でも、ロゼの安全が第一だからね。落ちついてから戻っておいで」
女将さんから優しくハグをしてもらい、私は店を後にした。
そのままシュトが働いていた大工職人の集まりの方へ向かう。
ロイゼルが見習いとして働き始めているらしく、私としては心配だったから顔を見ておきたい。
親方に挨拶を済ませると裏口へ案内され、荷運びをするロイゼルと再会した。
「ロイゼル、元気してた? 無理しちゃダメだよ?」
返事の代わりに返ってきたのは軽蔑の眼差し。
肩を震わせ歯軋りもしていて、あまりに変わってしまったロイゼルに当惑する。
「ロイゼル?」
「うるさい黙れ。貴族の女が何しにきた!?」
噂にふり回されているのだろう。
私はロイゼルの頭を撫でようと手を伸ばした。
けれど強く叩き落とされてしまう。
「触るな!」
「痛いよロイゼル……噂を信じちゃったの?」
「・・・・」
よく聞き取れなかったので少し屈んで視線をあわせた先には、殺意すら孕んだような、憎しみの色に染まった瞳がそこにはあった。
「……俺が噂を流した!」
私は後頭部をハンマーで殴られたような感覚に陥り、何も言えずに呼吸だけが荒くなっていく。
代わりに親方がロイゼルを叱責し、ロイゼルは逃げるようにどこかへ走り去ってしまった。
背中に温かい手が添えられる。
「ロゼちゃん、俺らは噂を信じていないから。それにロイゼルを許してやって欲しい。悪い奴じゃないことは知ってるだろ?」
乾く唇を震わせ、親方の方を向いてしっかりと頷く。
「今はロイゼルも誰かを恨まなければ自分の悲しみと向きあえないんだ。いつかきっと分かってくれるさ」
そう言ってニッと笑う親方。
私は力ない笑顔でしか応えられなかった。
沈む足どりで大通りへ向かう。
謀反の件についてブロートに沈静化を依頼するべく、総合ギルド館へ。
受付で手続きを済ませ、番号の書かれた木片を受け取り長椅子に腰かける。
すると待合の順番を数人抜かして私が呼ばれた。
──コン、コン。
「どうぞ」
「失礼します」
返された硬い声に引っかかりを覚えつつ、部屋に入る。
組合長室は何度か訪問しているが、やけに緊張感が漂う。
ブロートの目を見たときに、その理由を察した。
先ほどのロイゼルの瞳とそっくりでデジャヴを覚えたから。
「ブロートさん……いえ、ブロート組合長。貴族に対する謀反の噂を聞いたのですが、本当ですか?」
ブロートは組合長の椅子から立ちあがって移動し、無言のまま来客用ソファーへ腰をおろした。
私も彼に倣い、対面にある革張りの来客用ソファーへ腰をおろす。
貴族が使うソファーにくらべればかなり劣悪な手触りだが、平民が使うには最高級の代物だった。
しかし気は休まらず、革が軋む音にあわせて場が張りつめていくように思えた。
しばらくの沈黙が続き、ふいにブロートが視線を反らす。
「事実だ。レジスタンス結成の動きがある」
「止めましょう! 無謀です!」
魔法が使える貴族に歯向かうことが如何に危険か、ブロートならば分かってくれるはずだ。
これまでの歴史や魔法の凄さを語り、レジスタンスを止める協力を求めた。
「そのレジスタンスのリーダーは何も分かっていないのです。貴族に弓引くことがどれほど恐ろしいことなのかを。リーダーへ思いとどまるよう、ブロートさんからどうか説得してはくれませんか?」
私は真剣に言葉を重ねた。
なのに、再び私に視線を戻したブロートの瞳には訣別の色が見えた。
「それはできない」
「どうしてですか?」
「俺がレジスタンスのリーダーだからだ」
一瞬で血の気が引いた。
貴族と接する機会もある組合長の立場で、下町では人格者とされるブロート。
そのような愚行に走ることが信じられない。
「ブロート組合長、気は確かですか!? レジスタンスのリーダーとしてのブロートさんに忠告しておきます。無駄です。今すぐ解散してください!」
睨み返すブロートが、テーブルを強く打ちつけた。
「貴女にリーダーと呼ばれる謂れはない!」
「でも!」
「……どうか引きとってくれ。レザンヌ・エクラヴァール様」
心臓が凍りつくような錯覚。
手も震え、歯の根もあわなくなっていく。
いつから知っていたのだろうか。
しかも家名まで調べてあるとは思わなかった。
ブロートは立ちあがって窓辺の方へ歩き、私に背を向けたまま溜息をついた。
「最初から知っていた。俺は組合長だ。この町に出入りする者の素性を調べるのは当然だろう? 当時は一時的なお忍びの息抜きだと思って黙認したんだが、ここまで深い関わりあいになるとは思わなかった」
軽蔑の眼差しを向けられたことにも納得できた。
私が平民のフリをして語れば語るほど、彼には不審の塊に映ったことだろう。
「騙していたことは謝ります。ごめんなさい。でも、私が貴方たちのことを心配しているのは本当です。それは信じて頂けませんか?」
ブロートは深く一礼した。
「こちらこそお詫びします。侯爵令嬢閣下。どうかお引き取りを」
貴族として対応されてしまい、これ以上にない拒絶の意志を示された。
何も考えられなくなり、私は総合ギルド館を離れる。
今まで築きあげたものが砂の城のようにくずれ去り、立って歩けているのかすら分からないまま、覚束ない足どりで歩く。
強い目眩。
下町で初めて感じる孤独に耐え切れず、倒れかけたところを背後から掴まれた。
「ロゼ、どうしたんだ? ずいぶんとフラついているじゃないか?」
聞きなれた碧く澄んだ声が聞こえ、私は勢いよくふり返って抱きつく。
「グレッチャー!」
普段は照れて拒否するグレッチャーが、私のハグを受け止めてくれる。
「ロゼに言っても聞かないから仕方ないけど、こんな衆目の前で男性に抱きついてはダメだよ?」
「じゃあなんで言うのよ。でも、仕方ないのならもう少しだけこのままで……」
しばらくの間だけ甘えた後、今までのことをグレッチャーに洗いざらい話した。
「……ブロート組合長は危険だな。もう少し具体的に止めるプランを相談したいけど、ここじゃ人目につきすぎるし、例の場所に移動しないか?」
グレッチャーの提案に黙ってコクリと頷き、人目を避けるように移動を始める。
石畳の階段を降り、運河脇の錆びれた遊歩道を抜け、シュトと三人で最後に過ごしたあの場所へ向かう。
あのときと同じように石橋の下は薄暗く、静寂に包まれていた。
「では、貴族としてどうアプローチするかを詰めよう」
「うん。私にできることがあれば何でもするから」
グレッチャーの口からは、騒動への政治的なアプローチがスラスラと語られる。
こうして下町にいるときには気づかなかったけれど、貴族社会の裏の裏まで知り尽くしているとさえ思えた。
でも、グレッチャーの役割ばかりで、私の行動方針については語られなかった。
「ねぇ、グレッチャー。私はどう動けばいいの? 下町でも貴族街でも動くから」
グレッチャーは目を伏せ、首を緩くふる。
「ロゼは休むべきだ」
「私は大丈夫だから」
再び開いたグレッチャーの瞳は、どこまでも真剣な色を帯びていた。
「ダメだ。ここにいるのはロゼじゃないから」
言っている意味が分からない。だけどグレッチャーは言葉を続ける。
「ロゼは……あれから一度でも泣いたのか?」
泣いていない。訃報を知ったときから私は一度も涙を流していなかった。
ふいに私はグレッチャーの胸元に引き寄せられ、頭を優しく抱きしめられる。
「……よく頑張った。これ以上、心に仮面をつけてはいけない。泣いていいんだ」
受け容れられなかった真実。
子供たちを元気づけようと作った笑顔。
グレッチャーの胸に顔を埋めて体温を感じたとき、作っていた心の氷壁が砕け散った。
「うわぁぁぁぁぁぁぁシュトーー!!」
何日も何日も溜めこんだ涙が、津波のように止めどなく続く。
私が泣きくずれる間、グレッチャーはただ黙って強く抱きしめてくれていた。
「ありがとうグレッチャー」
「おかえりロゼ。さぁ、二人でロイゼルと仲直りをしに行こう。これはロゼにしかできないことだから」
互いに泣き腫らした顔で笑顔を見せあい、頷きあった。
涙を拭き終えた私たちは、ロイゼルとの仲直りをするため郊外へ向かう。
一人だと怖くてロイゼルに会いに行けなかったかもしれない。
でも、今は隣にグレッチャーがいてくれるから、誰にだって会いに行ける。
辿りついた家の前には、表情をくもらせて今にも泣きだしそうなクーヘンがいた。
「クーヘン、何があったの?」
「ロゼ! グレ! お義母さんが……」
泣きだして嗚咽まじりのクーヘンから、ロイゼルの母が倒れたことを聞く。
シュトが守りたいと願った家族。
絶対に救うと決意し、私は駆けだした。




