プロローグ~血の湖に住まう龍~
第二章開幕です。
先刻まで、この地に響き渡っていた怒号と叫びが、嘘のように消え去る。
空は暗く淀み、地は流血に紅く染まっている。
永年血に染まったその大地は、未来永劫元の姿を取り戻すことはない。
そして、血に染まった大地にの中心に、一際目を引く巨大な血溜まりがあった。
周囲と同化したそれは、一見、ただの窪みに見えるだろう。
それは湖。
幾度も、この湖の主に挑んだ者達の流した血で生まれた湖。
つまり、昔ここはただの窪みだったのだ。ただのひたすら大きな大地の窪み。
その窪みが何故存在するのかは、巨人の足跡という説や古代文明が栄えていたという説、ただの偶然という説があるが、いずれも確かなものではない。
そして、その巨大な窪みが血で満たされ湖を形成するほど、この地の主は人を殺し、人は挑み続けた。
主は、その巨体を満たす憎悪と憤怒に身を任せ、人は脅威を排除するべく戦った。
だが、ただの一度として、人の攻撃が主に届くことはなかった。
それ程までに、主の力は強大だった。
何千年もの間、この戦いは繰り返され、多くの命が散っていった。
それ故か、その湖周辺の地域では、霊を見たという話が跡を断たない。
その大地と全く同じ色に染まった湖に、不意に巨大な影がかかる。
それは、龍。
この世の生命の頂点であり、究極の存在。
一部の大陸や国では信仰の対象となる程、その存在は強大だった。
巨体を血と怒りで染め、翼と腕が同化したような腕を持ち、その尾は胴体よりもさらに長い。額には巨大な一本の角を持ち、深紅の光を放つ瞳が、既に理性が存在していないことを物語っている。
ここ、ニヴル湖に土地神として、さらには畏怖の象徴として君臨する古代の龍。
"天龍リンドヴルム"だ。
◇ ◇ ◇
リンドヴルムは、当初二体で一体の龍であった。
雄と雌の二体のリンドヴルムは戦闘時、固有の"融合魔法"で同体となり、最強の存在へと到るのだ。
だが、その二体が子を成すことはない。
リンドヴルムは二体しか存在してはならないと神が定めたのか、生殖器も存在せず、子を成すことは不可能だと本能的に理解していた。
それは神がリンドヴルムを己の敵たり得る存在だということを認めたからに他ならない。
たった二体が融合することでこの星で最強へと到るのだから、それが百体も融合してしまえば流石の神もただでは済まないだろう。
そういう理由もあり、リンドヴルムは行動を制限されていた。
そんな時、自分達に話し掛けてきた者が居た。
それが、"人間"だ。
人間は、自分達の属する国が戦争で敗北しかけており、何卒助太刀してほしいという意向を示してきた。
リンドヴルムは、他種族とは友好な関係を結びたいと考えていた。
本来は温厚で、平和を一番に望む平和主義者だったのだ。
その平和主義者が戦争に参加するなど言語道断だが、リンドヴルムは人間に興味を持った。持ってしまった。
それはただの好奇心。
リンドヴルムは知らなかった。
かつて、その狡猾さと残酷さを以て、女神の一柱を滅ぼした人間を、知らなかった。
それが、自分達を破滅へと導く第一歩となってしまった。
だが、人間もまた知らなかった。
自分達が女神を滅ぼすことが出来たのは、ただの偶然でその確率は億万分の一も無かったこと。
本当の龍の怒りを、人間は知らなかった――。
◇ ◇ ◇
その日、大国リードベルは、一夜にして滅亡した。
怒れる龍の進撃を受けて、成すすべもなく滅んだ。
リードベルは、リンドヴルムに使者を送った国である。
龍の怒りを買ったリードベルが一番に滅ぶのは自明の理であった。
――あのリードベルが一夜にして滅んだ。
その報告を受けて人間は慌てふためいた。
大国リードベルの軍事力は、この世界で一、二を争うほど高かったのだ。
事実、リードベルが戦争で敗北しかけていたのは十ヶ国もの国を相手していたからであり、その連合軍もリードベルの最後の砦である"遠距離魔核融合砲"と、"近距離魔核融合波"を前に、足踏みをしていた。
そのリードベルの誇る二つの砦は、龍を容易く滅ぼす程のエネルギーが込められていると言われていた。
それが一夜にして龍に滅ぼされてしまったのだ。
人間達が慌てふためくのも無理はない。
だが、女神を滅ぼしたという実績を持つ人間は、すぐに形勢を立て直した。
リンドヴルムの生息地周辺の国々で一時的に同盟を結び、リンドヴルムを滅ぼす事のみに集中したのだ。
これで人間の勝利は揺るがない。
何しろ、同盟国の中にはリードベルと双璧を成す軍事国家エヴァライズも名を連ねており、同盟国全ての最大火力を同時に放ってしまえば、龍も簡単に滅ぼすことが出来ると考えていたのだろう。
だが、現実は違った。
人間の攻撃が、リンドヴルムに届くことは無かった。
人間は慢心していたのだ。
最初から最後まで、己の勝利を疑っていなかったのだ。
そのせいか、人間は気付いていなかった。
この世の最強存在の一つに、喧嘩を売っているなどとは夢にも思っていなかった。
そして、この戦争は同盟国の全滅により、幕を閉じた。
軍事的用語ではなく、文字通りの全滅。皆殺し。
その何百万の人間の血が、ニヴル湖を形成した。
リンドヴルムの咆哮が、怒りと悲しみの入り混ざった慟哭のように、戦場に響き渡った。
◇ ◇ ◇
今日も、己を討伐するべく派遣されてきた冒険者や、出所の知らない謎の組織の人間共をリンドヴルムは蹂躙する。
日を重ねるごとに、ニヴル湖の嵩は増え続けている。
ニヴル湖には異名がある。
血で紅く染まった大地に、周辺で頻繁に目撃される亡霊にちなみ、この世で最も死に近い場所という意味を込められて付けられた名。
"現世黄泉ニヴル湖"
一体のリンドヴルムは殺戮を続ける。
怒りが身を滅ぼすその時まで――
勢いで第二章始まってしまいましたが、一章の最後に随時"おまけ話"を追加していく予定です。
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