第7章 別れ、そして出発 5
七都の前方に、町の門が現れた。
門は、いくつもの暖かみのあるオレンジ色の明かりでライトアップされている。
それは、濃い影のようになって町を囲んでいる城壁からは、独立しているように見えた。
前は、家に帰るためにこの門を通った。けれども今は、魔の領域に行くために、通り抜けようとしている。
門の向こうは、七都にとって未知の世界となる。
たとえ何が起ころうと、たった一人で切り抜けて行くしかないのだ。
「ナナトさま!」
突然名前を呼ばれて、七都は、立ち止まる。
あの声は……。
振り返ると、通りの真ん中に、セージが遠慮がちに立っていた。
彼女は、フード付きのマントをすっぽりとかぶっている。
フードからこぼれ出た金の髪と、フードの奥にきらめく特徴のある若葉色の目、そして少女らしい華奢な体のラインで、彼女であることがすぐにわかる。
「セージ……?」
セージは、七都に近づいた。
けれども、以前のように、気軽に至近距離まで来ようとはしない。
手を伸ばしても届かない位置で、彼女は止まってしまった。
「なぜ、あなたがこんな時間に、こんな所に?」
「ゼフィーアが教えてくれました。ナナトさまが今夜、この町から出て行かれるって。だから、来たんです」
セージが答える。
「ありがとう。とても嬉しいよ。もう、あなたには会えないと思っていたから」
七都が言うと、セージはうつむいた。
「ナナトさま、ごめんなさい。怖がってしまって」
セージが、おずおずと頭を下げる。
「謝ることなんかないよ。怖かったに決まってるものね。ごめんね。自分を抑えられなかった。あなたが無事で本当によかった」
その時七都は、セージの後ろに、一人の人物が控えめに立っているのを見つけた。
セージと同じように、マントで体を覆った女性。
フードのせいで顎から上は見えないが、セージの母親のティエラだった。
視線を向けると、ティエラは、七都に丁寧にお辞儀をする。
七都は彼女に頷き返したが、彼女がマントの中にその存在を消すように持っているものを、七都は見抜いてしまった。
ティエラが背中に隠し持っているもの。
冷たい感触の、滑らかな、すらりとした細い金属――。
剣だ。鞘に収めているものではなく、抜き身の剣。
彼女は、いつでも使えるようにその柄を握り、自分の背中に押し当てている。
七都の感覚の中に、ティエラの張り詰めた緊張感と、彼女が持つ剣の冷たさが、微かに混じりこんでくる。
もちろん、ティエラは知っているのだ。七都が自分の娘にしようとしたことを。
だから、娘を背後から守っている。もし七都がセージに何かしたら、直ちに対処出来るように。
ティエラには、七都と刺し違えても構わないという、切迫した覚悟さえ感じられた。
でも、ティエラ……。
わたしがあの状態になってしまったら、あなたはわたしに太刀打ち出来ないと思うよ。
ユードでさえ、手こずっていたもの。
伝わるはずはなかったが、七都はティエラに心の中で語りかけた。
わたしと刺し違えるどころか、あなたはわたしの餌食になってしまう。
第一、そのやわな剣では、わたしは倒せない。
ティエラは、沈黙したまま、フードの奥から七都を見つめ返す。
炎のような緑のきらめきが、七都の目に映った。
彼女が、剣をさらに強く握り直すのが、感じられる。
わかってる。あなたの大切な娘さんには、決して触れない。
だから、そんなに緊張しないで。
そんな憎悪のこもったような目で、わたしを見つめないで……。
無性に悲しかった。
息が出来ないくらいに、胸がしめつけられる。
だがこれは、七都がしでかしてしまったことの結果なのだ。
この状況を作り出したのは、他ならぬ自分……。自分の中の魔神を抑えられなかったせいだ。
七都は、出来れば二人の前から駆け出して、早くこの町から消え去りたかった。
「ナナトさま。これを付けて行ってください」
セージが、銀色がかった半透明の、ガラスの翼のようなものを差し出した。
「昔、もっと子供の頃、遺跡で見つけたんです。あの遺跡は、中を探してみると、いろんなものが出てくるんですよ」
七都は、それを受け取った。セージの手に触れぬよう、気をつけながら。
それは、B5のノートより少し大きいくらいの、鳥の翼をモチーフにしたデザインのものだった。
ガラスよりもはるかに軽いが、ガラスよりもずっと丈夫そうだ。ベルトのような紐が、端についている。
「これは何? 盾にしては小さいけど」
「それは、たぶん、胸当てだと思います。遺跡の壁に描かれていた魔王さまの絵の中のお一人が、それと同じものを胸につけておられたから。古いものですけど、魔神族がつくった武具だからとてもきれいだし、今でも十分使えると思いますよ」
セージが説明した。
「胸当て……。ありがとう。とても助かる」
グリアモスの傷の上には、ゼフィーアが布を巻いてくれていたが、その胸当てがあると、さらに傷口を保護出来るだろう。
七都がそれを胸に置いてみると、ベルトが伸び、微妙な調節をひとりでに行って、七都の体にしっかりと固定させた。
「とてもお似合いですよ、ナナトさま」
セージが嬉しそうに言った。
「遺跡には、魔神族のものが、まだたくさん眠ってるんです。いつか、ナナトさま、一緒に探しに行ってくださいますか? 前におっしゃっていた、『ピクニック』とかを兼ねて、お弁当を持って」
「そうだね。いつか、そう出来ればいいね」
七都は、明るく答える。
でも、やっぱり、あなたは前みたいに、わたしの目を真っ直ぐには見てはくれない。
魔神の真っ黒な目になっちゃったんだから、仕方ないね。
あなたがわたしの目をちゃんと見て、話してくれる日がくるのだろうか。
そしてわたしも、何の抵抗もなくあなたをハグできるようになるには、まだまだ時間がかかると思う。
もしかしたら、永遠に出来ないかもしれない。
「じゃあ、わたしは行くね。胸当て、ありがとう。大事にする。早くお母さんと一緒に、家に戻りなさい。こんな時間に外に出ていちゃだめだよ」
七都はセージに言って、くるりと向きを変えた。
「ごきげんよう、ナナトさま」
セージが叫ぶ。
ありがとう、セージ。『魔神さま』じゃなく、ちゃんと名前で呼んでくれて。
七都は胸当てを抱きしめ、微笑んだ。
そのまま七都は振り向かなかったが、背後でティエラがセージの隣に立ち、緊張を解いて、ゼフィーアに負けないくらいの丁寧さと優雅さで、頭を下げるのが感じられた。
七都は、門の前に立った。
門番が小さな窓を開けて、顔を出す。
「おや。ゼフィーアさんとこの、きれいなお嬢ちゃん。もう怪我は大丈夫なのかい?」
門番が七都に話しかけた。
「ええ、ありがとう。門を開けていただけますか? これから旅に出ます」
「まだ闇は深い。気をつけてお行き。まあ、アヌヴィムの魔女さんなら、心配することないかな」
門番は、七都の額の銀の輪をちらりと見た。
「わたし、またこの町に戻ってきます。ゼフィーアやセレウスたちに会うために。門番さんも、お元気で」
「ああ。あんたなら、いつでも大歓迎だよ」
門が開く。
七都は、ゆっくりと通り抜けた。
七都が町の外に出ると、背後で門はそれまでどおり、ぴったりと閉まる。
七都は、しばらくそこに立ち尽くした。
ここから先、知っている人は皆無だ。
もう、あの魔法使いの姉弟はいない。
何かと七都に忠告して、世話を焼いてくれるゼフィーアも。そして、七都を守り、迎えにきてくれるセレウスも。
全部自分で考え、自分で決め、自分で自分を守っていかなければならない。
七都は、そこからうねうねと続いている道の果てを眺めた。
道は山に向かって伸び、先は見えない。
山の向こうは、魔の領域。七つの魔神族が住む七つの都。そしてその中には、目的地である風の城がある。
心を押し包んで行く、途方もない不安感……。
だけど……。
魔の領域には、ナイジェルがいる。母も、そのどこかにいるかもしれない。
そして、ナチグロ=ロビンが風の都の入り口で、待っている。
リュシフィンも、たぶん、七都が風の城に到着するのを待っていてくれているはずだ。決して、一人じゃない。
七都は、首にかけていた金色の猫の目形のナビを手のひらに乗せ、目の前にかざした。
「魔の領域は、どこ?」
七都が訪ねると、ナビは山のはるか向こうに、赤い線を飛ばす。
「地の都の入り口は?」
ナビの上に、ぼうっとした立体映像が浮かび上がった。
それは、セレウスが描いてくれた魔の領域の絵をそのまま三次元化したような、半球の集まり。六つのドームが連なって並び、輪になっている。どこか、花の紋章のようにも見える大きな都市だった。
半球の一つの側面に、赤い印が浮かんだ。
七都の無意識の希望に反応したように、その部分の映像が拡大され、シンプルで黒っぽい、背の高い扉、もしくは門のようなものが現れる。
「これが、地の都の入り口……。取りあえず、ここにたどりつかなきゃならない」
七都は、深く呼吸をする。
月の光に満ちた青い空気を、体の中いっぱいに取り込むように。
それから七都は、魔の領域がある山の向こうをワインレッドの透明な目で見据えた。
顔を上げて、堂々と進んで行こう。
わたしは、決してうつむかない。
自分と自分の能力を信じる。
たとえ自信がなくなっても。
どんなに不安になったとしても。
これから起こるさまざまなことに、臆することなく臨もう。毅然とした態度で。
わたしは、風の魔神の姫君なのかもしれないのだから。
そして、七都は歩き始めた。
七都に関わった人々が七都に言ったさまざまなことを、心の中で大切に、何度も思い返しながら。
<ダーク七都Ⅱ・魔神の姫君 【完】>
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
シリーズ第3話「赤い眼のアヌヴィム <ダーク七都Ⅲ> 」 http://ncode.syosetu.com/n3629bs/ に続きます。




