No.49 決断
空気が固まる。全員の表情が固まる。その場が、固まる。
俺の言葉で。俺の言葉が信じられないと、聞き間違いかと。全員の動きが止まり、時が凍ったように固まった。
今の今まで明るかった皆の表情が、笑っていた顔が……消えた。
「え……咲月先輩、えっ……?」
沙姫は信じられないと戸惑い、上手く言葉も出せないでいる。
沙姫だけじゃない。沙夜先輩と深雪さんも笑みは無くなり、白羽さんとエドは無表情で俺に視線を向けてくる。
「なん、で……なんでですか咲月先輩!? さっき言ったじゃないですか、モユちゃんに会いたいって! 会いたくて堪らないって! なのになんで! どうしてですか!?」
沙姫の表情は一変。困惑と混乱、二つが混ざる。
「あんなに一緒だったじゃないですか、あんなに懐いていたじゃないですか! 大好きだったんじゃないんですか!?」
「沙姫君」
「ッ、白羽さん……!」
少し混乱気味に大声で叫ぶ沙姫を、白羽さん一声だけで抑止する。
「落ち着いて、ソファに座るんだ。まず、咲月君の話を聞こう」
「……は、い」
白羽さんに言われ、沙姫は落ち着きを取り戻しソファに座る。
「さて、咲月君。訳を聞こうか。君がそう頼み、そう言い切るという事は……それなりの理由があるのだろう?」
ぎぃ、と軋むソファ。
白羽さんは肘を膝の上にやり、身を出して前屈みになる。
「俺だって会いたいさ。またどっか楽しい所に連れていってやったり、色んな物を見せてあげたり……もっとアイスを食べさせたりさ」
思い出す。思い出を、モユとの思い出を……思い出す。色々あった。色々やった。色々行った。沢山の思い出がある。
けど、もっとしてやれた。もっと楽しませてやれた。もっと、喜ばせてあげれた。
いつまでも続くと思っていた日常は幻想で、現実はもっと残酷で残忍だった。
二週間。少女と過ごした日々は短いようで長く感じ……そして、短過ぎた。
「俺も生き返らせたいさ。生き返らせて、腹を壊しちまう位にアイスを食わせてやりたいよ」
俺は言った。皆に、言った。モユを生き返らせないでくれ、と。
「けど、だけどよ……あいつの願いなんだよ」
それが、俺が決意した意思で、交わした約束。
進むと決めた、道。
「モユの、願いなんだ」
あぁ、わかってるよ。約束したからな。もう、決意してるよ。
心の中でそう呟き、右手首のリボンに語り掛ける。
「彼女が……モユ君がそう、君に言ったのかい?」
「……いや」
ジッと、真っ直ぐ見つめてくる白羽さんに、否定の言葉で返す。
「白羽さん、沙姫と沙夜先輩にモユの事を話したって言ってたよな? 全部……話したのか?」
「あぁ、彼女達には全てを話した。モユ君の出世、過去、身体の事……私が知り、聞いた事は全部話したよ」
言って、白羽さんは沙姫と沙夜先輩の方に視線を向ける。
釣られるように俺も見ると、二人は視線を落とし顔には影が掛かっていた。
内容が内容だ。衝撃を受けるのは不可避だろう。この二人の反応だけで、それが分かる。
「沙姫、沙夜先輩。モユの事は白羽さんから聞いた話の通りだ」
返事は無い。だが、ゆっくりと顔を上げて俺を見る。
「あいつさ……言ったんだよ、いつもの無愛想な顔を変えないでさ。自分は造られたんだって、それが当たり前のように言ったんだよ」
「え……?」
「俺、それが凄い腹が立ってさ。そんな馬鹿な事があるか、って。平然としてるモユが、そういう生き方を……価値観を与えた奴等が、本当に腹立たしかった」
これも、数少ないモユとの思い出だ。
確か、冷静だったエドに八つ当たり紛いの事もしたっけ。
「それからモユと住むようになって……本当に何も知らなくて、アイスすら知らなくてよ。沙夜先輩も居ただろ? アイスが色んな種類があるって知ったら驚いてさ」
「……うん、あった。咲月君のカップラーメンを間違えたりしてたわね」
これも思い出。数少ない思い出。けど、大きな思い出。
沙夜先輩は頷いて、小さく笑って。少し、涙ぐんで。
「それからだよ、俺がモユに色んな事教えてやろうと思ったのは」
色んなアイスがあって、様々な種類があって。沢山食べれると。
無表情で喜んで、何を食べようか迷ってさ。
「ヒトして造り出され、モノとして扱われ、人として生きれないなんて……」
手に力が入る。肉が爪にめり込む位に。
「違います! モユちゃんは……モユちゃんは、人です!」
声を荒げ、叫び。沙姫はソファから立ち上がる。
今にも零れそうな位、目に涙を溜めて。
「私と同じで、姉さんと同じで! 咲月先輩やエド先輩や白羽さんや深雪さんと同じ人です! 一緒に出掛けて、一緒に歩いて、一緒にご飯食べて……」
そして、溜めていた涙が一粒、頬を伝い流れ。
「一緒に、一緒に……遊、んだ、んです……! モユちゃん、は……ヒトでも、モノなんかでも無いです……!」
止めどなく涙が零れる。ポロポロ、ポロポロと。
まるで、雨のように。
「あぁ、俺も沙姫と同じだよ。モユは人だ。皆と同じ人で、何も変わらない。アイスが好きな一人の、ただの人間だ」
なんか、笑ってしまった。小さく、僅かにだけど……笑みが出た。
沙姫がそう言ってくれたのが、モユを人と言ってくれたのが……嬉しかった。
「前にモユが言った事があったんだ。自分はヒトだって、人にはなれないってさ。そん時は怒鳴っちまったよ、外でしかも夜だったのに関係無く」
モユが夜道で転び、俺が背負って歩いた遊園地の帰り道。
もう身体は限界近くで、目も殆んど見えていなくて。
「今思えば、身体の事もあったんだな。俺や沙姫、沙夜先輩。周りと、皆と違う事が。長く生きれなくて、薬がないと身体を保てなくて……そして、自分が生まれたんじゃなく、造られた事が」
それでもあいつは、モユは……皆と生きたいと、俺達を心配させたくないと。
小さい身体で、ボロボロの身体で。人よりも人らしく生きていた。
「それが、モユにとっては大きな壁だったんだ。人とヒトとの、埋められない違いだったんだよ」
「でも、私は……私達は……!」
「わかってるよ、沙姫。わかってる。」
沙姫は震えた鼻声で、言葉を詰まらせながらも言ってくれる。モユはヒトじゃない、人だと。
「醜いアヒルの子、か」
ぽつりと呟くように、漏らす。
「……え?」
「白羽さんとさ、前に話したんだ。醜いアヒルの子だってさ」
前に聞いた時は俺の事を比喩して、例え話をしてたんだと思った。
けど、今なら解る。いたい程、悔しくなる程。
白羽さんが話した、醜いアヒルの子の本当の意味を。あの時白羽さんが出来る限りの、優しさだったのが。
「知ってるか? 醜いアヒルの子っていう童話」
「はい、知ってます……毛色の違うアヒルが、本当は白鳥だったって話ですよね?」
いきなり童話の話が出てきて少し戸惑いながら答える沙姫。
「あぁ、毛の色が違う事を理由に周りから疎まれ……周りの子供と少し違うってだけで辛い扱いを受けながらも、アヒルの子は生きていく話だ」
白羽さんが話した内容を思い出しながら、今度は俺が同じ話をしていく。
「自分も同じアヒルだと思って一緒に居たくても、周りがそれを否定する。自分で認めた価値を、周りは認めてくれなかった。それでも毛色の違うアヒルの子は、自分を認めてもらおうとする。皆と同じ巣から生まれたという事から、自分も同じアヒルなんだと信じて」
「なんですか、それ……そのアヒルが、モユちゃんって言いたいんですか……? 私達がモユちゃんを人と認めてなかったって言うんですか!?」
「その逆もある、って事だ」
「逆……?」
「周りがどんなに認めようとしても、どんなに人だって言っても……モユ自身が自分を認められなかったんだ」
絡ませていた両手をほどき、その掌を見る。
あの時の事を……モユの最後を、思い出して。
「俺の腕の中で身体が冷たくなっていきながらさ、あいつ言ったんだよ……自分がヒトじゃなかったら、もっと一緒に居れたかなって……」
今も鮮明に覚えてる。
モユの身体は凄く軽くて、小さくて、冷たくなっていって……。
「次はちゃんとした人になりたいなぁって、さ……言ったんだ」
弱々しい声で、掠れた声で言った。死に逝く前に、名残惜しそうに。
もっと一緒に居たかった。もっと皆と生きたかったと。
「俺達がどんなに人だって、周りと変わらず同じ人間だって言っても、モユは自分を人だと認めなかった……人じゃなくヒトだから、人として生きる事を否定された“否人”で、だから皆と同じ時間を生きられないんだと……認められなかったんだ」
人の価値は、自分とその周りで決められる。
自分で価値は自分で否定出来、周りが決めた価値は周りにしか否定する事が出来ない。
自分自身が認めた事を、周りが認めない事だってある。そして、周りが認める事を……自分だけが認めない、認められない事も。
モユが自分で決めた自分の価値……それが、ヒトだった。
毛色違いのアヒルを、周りが仲間だと言っても。同じ生き物だと寄り添っても。
アヒルは最後まで、毛色の違う自分が認められなかった。自分から、認めなかった。
そう、逆の話。有名な童話の、逆。醜いアヒルの子は白鳥になる事は無く、醜いアヒルの子のまま飛び去ってしまった。
遠い遠い、凛と同じ場所に……行ってしまった。
「だから、だからこそ……あいつの願いは叶えてやりたいんだよ……!」
一度、一度だけ口にした……モユの望み、願い。
もう身体が限界で、残った命は長くなく……いや、長くないからこそ、望んだ願い。
「それが、モユ君を生き返らせないで欲しいと言った理由かい?」
「……あぁ、そうだ」
静かに息を吸って、答える。
「遊園地に行った帰り道で聞いたんだ。お前に何か願いとか無いのか、って。そしたらあいつさ、『今度はヒトじゃなくて人に生まれたい』って答えたんだ」
あの遊園地に行った楽しかった日。その帰り道に、モユは確かに言った。
切実に、切望して。
「もし俺達の誰かがS.D.C.で最後まで残って、モユを生き返らせたとしても……それじゃ駄目なんだ」
「モユ君の願いに反するから、だね?」
「あぁ。モユは最後まで自分を人と認めないで、ヒトとして死んでいった。なのに、モユを生き返らせたら……モユはまた、ヒトとして生きなきゃならない」
それは駄目だ。酷過ぎる。
生き返らせたモユに、また俺達が人なんだと言ってあいつが受け入れるか?
無理だろう。死ぬ間際までモユは、自分を人だと認められなかった。
「モユは、次は人に生まれる事を願った。なら、モユは生き返らせちゃいけない。生き返らせたらそれは、モユの願いを裏切る」
生き返らせたなら、モユはまた、ずっと自分が人でない事を悩み、苦しみ、引き摺る。
そんなの、酷以外の何物でもない。
「だから、モユは生き返らせないでくれ。あいつが、人として生まれ変われるように」
ぎちりと両手を握って沸き立つ感情を押し殺し、頭は項垂れ。頭の中で思い出が駆け巡り、ぐるぐる回る。
つい数日前までは一緒だったのに、もう懐かしくて、切なくて、哀しくて……でも、楽しかった。
そして、次は……次こそは。あいつが心から喜べて、楽しめて。
悩まず、苦しまず、隠さず。人である事が当たり前で、人としての幸せを感じれるように。
人を夢見て憧れた少女の願いを、叶えてやりたいから。
「今度こそ、人になれるように」
俺の声が消えると、無音で静かな広間。誰も話さず、返事も無い。ただ沈黙が流れる。
決断の迷いと、希望を手放す躊躇い。その二つを決めかねている……沈黙。
白羽さんとエドは目を瞑り、口を閉ざしたまま。深雪さんは気まずそうに二人を見る。
そして、沙姫と沙夜先輩は。表情は陰りを見せ俯き、黙りこくる。恐らく二人は、俺がモユを生き返らせようと言うと思っていたんだろう。
逆の立場だったなら、俺もそう思っている。
希望が見えたところで、その希望を手離せと言われれば……二人の反応も当然だ。
辛い決断だってのは解っている。けどそれが、モユの望みで願い。
最初で最後の、唯一で小さな願望。
「沙姫、沙夜先輩」
二人を呼ぶと、無言のまま顔を上げる。
「俺、モユと約束したんだ。匕は願い叶えてね、ってさ……約束だって。俺はそれに、約束だって答えたんだ。そう言っちまった以上、守らなきゃならない」
二人を……沙姫と沙夜先輩を真っ直ぐ見て、言う。
「前にも一度、俺は大切な人を守れず死んでしまって……そして今度は、モユを守れなかった」
歯を噛み締め、両手を握り締め、心を引き締め。
「だけど…いや、だからこそ。守らなきゃいけない約束だけは」
――――思い出を、抱き締め。
「それに、二人にも願いがあるんだろ?」
「願、い……?」
少し言葉に詰まるように、沙夜先輩が返してきた。
「SDCです。初めはただ倒すか倒されるか。それで最後の一人に残っていた者が願いを叶えられる……」
けどそれは、前の話。一ヶ月前まではそうだった。
人の生死、スキル、禁器、ヒト、人体実験……そんなのは知らず、そんな非現実的で非日常的なモノが存在するなんて。
「でも、今は違う。いきなり黒い手紙の内容が変わって、人の生き死にが……命が関わってる」
人がヒトを実験し、ヒトが人を壊し、殺し……願いという名の欲望が渦巻き、互いに奪い合う。
ヒトという実験体が、人だったヒト達が、ヒトという“人格”が……。
人を殺し、モノを壊し、命を奪う。
「それでもSDCに参加しているのは……それ相応の決意と、それだけの願望いがあるって事だろ?」
「……!」
「っ!」
沙夜先輩は微かに眉を中央に寄せ、沙姫は思い詰めるように俯く。
俺も凛を生き返らせる為に、SDCに参加し続けている。
死ぬ可能性があっても、命の危険があっても。それでも叶えたい願望いだから。
自分の命を賭しても、退けない程の思いがあるから。
「俺もそうさ、どうしても叶えたい願望いがある。譲れない願望いがある」
その為に俺は生きてきた。それだけの為に、生きていた。
これからも、生きていく。
「そして、“人になりたい”ってのが……モユにとっての、どうしても叶えたい願望いだった。叶えたくて堪らない、願いだったんだ」
俺達にとっては気にもせず、思いもせず、浮かびもしない。
人になりたいなんて、当たり前だから。すでになっていて、当然の事だから。願いなんてしない。
そして、思う。モユは、その当たり前が欲しかったんじゃないかと。
誰かと遊び、皆と話し、一緒に出掛ける。俺達にとって当たり前だったのが、モユにとっては新鮮で、新発見だった。
人にとって当たり前が、モユには当たり前じゃない。だから、自分は人じゃない。
人になれば、当たり前が当たり前になってくれると。そう思ったんじゃないだろうか。
「辛い決断なのは解ってる。けど、頼むよ。モユを……モユの願いを」
気付けば、頭を下げていた。今日だけで何度目か。
モユの願い。それが、俺の願いでもあった。いや、願いになった。
小さな少女の、小さな願望い。
モユは精一杯生きた。自分を人と認められず、それでもヒトとして一生懸命生きた。短い命で、ぼろぼろの身体で。
だったらもう、いいだろ。いい加減、いいだろう。
小さな願望いの一つくらい、叶ったって――――。
「……わかり、ました」
小さな声。無理矢理絞り出したような、沙姫の声。
「モユちゃんを生き返らせるのは、諦めます」
「沙姫……?」
沙夜先輩は沙姫を見て、意外だという表情をする。
それは俺もだった。一番首を縦に振らなそうだった沙姫が、最初に聞き入れてくれたのだから。
「いいの?」
「本当は会いたいよ! けど、だけど……モユちゃんの願望いも叶えてあげたいから……叶って、欲し、から……!」
沙姫はまた泣いて。泣いてくれて。力が抜けるようにソファに座る。
隣の沙夜先輩が沙姫の肩を擦り、身体を寄せる。
「うん、そうね……モユちゃんの願望いを、私達が壊す訳にはいかないわよね」
一度、沙夜先輩は唇を噛む。哀しみを堪え、自分は涙を流すまいと。
「解ったわ、咲月君。モユちゃんは生き返らせない。私もモユちゃんの願望いを、叶えてあげたいもの」
目を赤く潤ませて、沙夜先輩もそう言ってくれた。
「……本当に、ありがとう」
また、俺は頭を下げた。感謝と、申し訳なさで。
ぐす。そんな沙姫の啜り泣く声がする。
泣いて、悩んで、悔やんで、思い出して。二人に納得してもらい、決断してもらった。
沙姫と沙夜先輩に決断してもらった。これでもう、撤回は出来ない。取り消しは、出来ない。
進むだけだ。あとは進んで、突っ走って、出来る事をするだけ。
そして、モユとの約束を――――願望いを叶える。
「白羽さん、勝手に話して勝手に決めちまったけど……いいか?」
「構わないよ。君が決めた道ならば、私は何も言わないさ。それに、それがモユ君との約束なんだろう?」
「……あぁ」
右手首の黒いリボンを、左手でぎゅっと握り締める。
「エドと、深雪さんは?」
俺を挟むように立つ二人を、交互に見る。
「前にも言っただろ。元々はお前と組んでいたんだ、お前がそう望むなら、俺は協力する」
「私はどうこう言える立場じゃないし、ね。辛み哀しみはあるけれど、悩んで考え抜いた末に決めたのなら……最後まで進みなさい」
エドはいつも通りクールを気取ったような態度で、深雪さんは凛々しさも感じる真面目な表情で……二人も、受け入れてくれた。
「あぁ、ありがとう」




