No.48 決意
シャワーを浴び終え、タオルで濡れた頭を拭く。数日間の溜まった垢を落とし、頭も洗ってすっきりした。
さっきまで着ていた服は洗濯機に入れて、ジャージに着替えた。
洗面台の鏡を見る。水で冷やしたお陰か、頬の腫れはいくらか引いた。それでも腫れているのは見てすぐ解るが、タオルを首に掛け大きく息を吐く。
こうして風呂場を使ったのは、あの日以来か。モユの死から逃げるように生きた死人になった、あの日。
あの時は自分の非力さ、無力さに絶望し、文字通り望みを絶った。
けど、今は違う。また同じ過ちを犯し、同じ事を繰り返し、道に躓いたままになりそうになった所を。背中を押され、道を正され、皆に助けられた。
もう逃げない。もう諦めない。もう……捨てない。何があっても俺は、二度と願望いを失くさない。
そう、約束したから。彼女を守れなかった。少女も、守れなかった。
だから、だからこそ……。
「約束は、約束だけは守る」
シャワーを浴びる前に深雪さんから貰った湿布を、腫れた左頬に貼る。
ひやりと頬に冷たい感触と、湿布独特の匂い。大き過ぎず小さ過ぎず。大きさは調度良い。
「ん」
鏡でズレずにしっかり貼れたのを確認し、棚に置いておいた形見の一つ。水晶のネックレスを首に掛け、紫色の水晶は淡く光を放つ。
そして、もう一つ。もう一つの形見。赤茶い眼髪の少女の形見。
モユが愛用していた布地の黒いリボン。それを右手に巻いて結ぶ。
水晶とリボン。二つの形見。二人の形見。
思想いと願望いを受け止め、もう一度道を進む事を決めた。
この二つの形見に誓う。願望いを叶えると、約束は守ると。
「よし……!」
右手首に巻いたリボンを見て、ゆっくりと手を握る。
俺はもう、離さない。思想いも願望いも、約束も。全てを――――。
「最後まで全力で走るだけだ」
バチンッ、と両手で強く顔を叩く。頬に走る痛み。
あぁ、生きてる。こうして痛みを感じているって事は、確かに今、生きている。
惨めでも、格好悪くても、俺は生きている。生きていく。
願望いを叶える為に、約束を守る為に。
「俺は、生きる」
決意し、誓い、道を進む。
自身の願望いを叶え、少女との約束を守り、彼女の笑顔をもう一度見る為に。
「うっし、行くか!」
首に掛けていたタオルを洗濯籠に投げ入れ、脱衣所から出る。
話があると、広間に皆を待たせている。今までの事、これからの事。沢山話すべき事がある。
早く広間に行かないと。
「数日振りのシャワーはどうだったかな?」
突然掛けられた声。
両手をポケットに入れ、廊下に立っていた黒づくめの男性。
「ずっとそこに?」
「うん? いや、車に携帯電話を忘れてしまってね、取りに行っていたんだ」
白羽さんはポケットから手を出し、携帯電話を見せてきた。
「そいや、前に風呂場を使った時も廊下で会ったな」
「そうだったね。だが、あの時よりも良い顔になった。吹っ切れたかい?」
「まさか……今も引き摺ってるし、モユを守れなかった自分に腹が立ってしょうがねぇよ。これは一生背負って行くし、一生忘れない。忘れられる訳がない」
視線を落とし、拳を握り、眉を顰めて。
「けど……守りたかった人が死んで、居なくなって……でも、それでも。守れるものがある。守らなきゃならない事が、ある」
右手首。そこに巻いた黒いリボン。俺が守れなかった人が残していったもの。
「……そうか。咲月君、君は強いね」
「そんな事ねぇよ。俺は弱くて弱くて、情けなく泣ないちまう位に、弱ぇよ」
自身を戒め、自虐し、嘲笑する。自分が弱い事に、情けない事が、惨めな事を。
「けど、だからって……もう泣く訳にはいかないからさ。アイツと交わした約束も、守らないといけない」
「……モユ君との約束かい?」
「あぁ。そして、アイツの願望いも」
必ず守る。交わした約束を。必ず叶える。アイツの願望いを。
「その為に、話さないといけない。これからの事を」
今も自分に腹が立つ。今も罪悪感に苛まれている。今も後悔ばかりしている。
そして、これからもずっと、ずっとずっと。忘れる事無く、消える事無く。
俺は――――生きていく。
「行こう、白羽さん。皆を待たせてる」
踏み出す一歩。
俺は弱い。泣いて、叫んで、いじけて、八つ当たりする、弱っちい人間だ。
これからも昔を思い出したり、過去を後悔したり、後ろを振り向く事が何度もあるだろう。
けど、逃げ出す事は。投げ出す事だけは、もうしない。してたまるか。
* * *
場所は広間。
横長のソファに沙姫と沙夜先輩が並んで座り、その横に深雪さんは立ち、一番奥の一人用ソファに白羽さん。エドは立ったまま背中を壁に寄り掛かけていた。
そして、俺がテーブルを挟んで白羽さんと対面になる形で、ソファに座っている。
沙姫、沙夜先輩、エド、深雪さん、白羽さん。全員揃っている。
これで全員。そう、哀しい事に……これで全員なんだ。
奥歯を噛み締め、込み上がる感情を抑え込む。鼻腔から息をゆっくり吸って、出して。
最後に口から一息だけ深く熱を吐く。
「こうして全員に集まって貰ったのは、さっきも言った通り、話さなきゃならない事がある」
全員が広間に揃い、全員の視線が俺に集中していた。
重い空気が漂い、無音が響く広間。その静寂を終わらせたのは、俺だった。
「まずは改めて、皆に心配と迷惑を掛けた事を謝らせてくれ」
座ったまま、頭を下げる。
「だ、だから咲月先輩……」
「分かってるよ、沙姫。でも、白羽さんと深雪さんには謝らないといけないだろ?」
沙姫には謝らなくていいって言われたけど、白羽さんと深雪さんは別だからな。
「おい、俺には謝らないのかよ?」
「人の顔をしこたま殴ってきた奴になんで謝らないといけねぇんだよ」
目を半目にし顎をしゃくれて、エドに返す。
誰がお前なんかに謝るか。
「気にしなくていい、咲月君。君がこうして立ち直ってくれたのなら、それで十分さ」
「そうよ、気にしなくていいわ」
白羽さんはいつものように微笑み、深雪さんは腕を組んで笑って言う。
「そう言ってくれると助かるよ」
そんな二人に感謝しながら、俺は苦笑する。
「早速……って言い方も何だけど、本題に入ろうと思う」
苦笑を浮かべていた顔は真顔になって、声のトーンも下げる。
両肘を膝の上に置き、両手を合わせて握り。周りを、皆を見回す。
「モユの……事でだ」
名前を口にすると、胸が痛くなる。ここに居ない事に、辛くなる。かつて、彼女を亡くした時を思い出す。彼女が死んだ頃の記憶が、甦る。
けど、同じ事は繰り返さない。次からは二度と同じ過ちは犯さない。次こそは、前に進む。
モユの名前を出して、場の空気は重くなった。
ただ、当然か。皆は予想はしていたようで、驚いた顔をする人は一人も居なかった。
しかし、全員の表情は少し強張り、空気は張り詰める。
「前に話をしたよな。SDCで願いを叶えて、モユを生き返らせようって……」
目を細め、握る両手を見つめる。右手首に巻いた黒いリボンを、見る。
「俺も、ずっと考えてた。部屋に閉じ籠っていた時も、眠ってしまえばまた……モユがいつものように起こしてくるんじゃないかって」
静かな広間に、俺の声だけが聞こえる。それを、周りは黙って聞いてくていた。
「でもやっぱり夢は夢で、現実に現実だと突き付けられて。ずっと思っていた、モユに会いたいと。ひたすら悩んでいた、どうすればいいか」
両手を握る力が、強まる。
「そして、決めた。どうしたらいいか、どうするべきか。自分は何を望んで、何を叶えたくて、何をすべきだったのか……今までを振り返って、考えて、悩んで。やっぱり俺は、モユと会いたい。会いたくて、堪らない」
「じゃあ咲月先輩、モユちゃんを……!」
沙姫は笑顔を浮かばせ、隣に座る沙夜先輩と見合わせる。
白羽さんは静かに微笑み、深雪さんは沙姫と沙夜先輩を見て笑い。エドは目を瞑ったまま、微かに唇の端を上げていた。
「散々泣いて、いじけて、望みを絶ったけど……今までの事、歩いてきた道を振り返ってさ、思い出したんだ。そして、決意して誓った。約束したんだよ、俺。モユと」
皆はそれぞれ、明るい表情を見せている。
モユとまた会える。そんな希望が見えて、喜ぶ。
「だから、皆に頼みがある」
鼻から空気を吸い、口から息を吐く。落ち着かせようと間を空け、全員に聞こえるように話す。
落ち着かせようとしたのは、希望の光が見え、中には涙ぐみながら話している皆をじゃない。
自分を、だ。
「わかってますよ、咲月先輩! 私はなんだって、いつだって協力しますよ! ねっ、姉さん!」
「えぇ。可能な限り、力を貸すわ。咲月君」
沙姫と沙夜先輩の二人は盛り上がり、沙姫は立ち上がって力強く拳を構えていた。
次に口にする言葉は、重い。思いが籠っていて、凄く重い。けど、俺は決めた。決意したんだ。誓ったんだろ。
皆への頼み。それは――――。
「モユは、生き返らせないでくれ」




