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人事考課で異世界を立て直す~倒すより守る方が高査定!?業務改善スキルで人間嫌いの鉱山村を再建します~  作者: 月神世一


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EP 6

人間お断りの村

 夕闇が山の稜線を藍色に塗りつぶす頃、木々の切れ間から不気味な黒い影が突き出していた。

 斜面に張り付くように群れをなす粗末な石積みの小屋と、その頭上にそびえ立つ巨大で朽ちかけた木組みの櫓。

 そこが、かつて鉱山として栄え、今は打ち捨てられた山羊人族の集落――ロッカ村だった。

「あそこが、私たちの村です」

 先頭を歩くミラが振り返り、ほっとしたように小声で言った。

 その背後で、幼い兄妹が小さな手をマコトのスーツの裾から離さない。泥まみれで見窄らしい格好の自分を、二人は完全に命の恩人として信じ切っているようだった。

 だが、村の境界を示す簡素な木の柵を越えた瞬間、大気の温度が一気に数度下がったような錯覚を覚えた。

 静まり返った広場のあちこちから、無数の気配が立ち上がったのだ。

 カチャリ、と硬い金属や石が擦れ合う音が闇に響く。

 石造りの家々の影から姿を現したのは、頭に大小さまざまな角を生やした山羊人族の男たちだった。

 ある者は錆びた鶴嘴(つるはし)を構え、ある者は毛羽立った投石紐を握りしめ、ある者は削り出された木の槍の穂先を一直線にマコトの喉元へと向けていた。

 全員の瞳に宿っているのは、客人を迎える困惑ではない。明らかな敵意と、底知れない警戒心だった。

(おいおい、歓迎ムードどころか、指名手配犯の包囲網じゃないか)

 マコトは胸中で鋭く呟きながらも、両手を胸の高さまでゆっくりと上げて敵意のない姿勢を示した。

 営業時代、怒り心頭の取引先の役員室に乗り込んだときと同じだ。ここで動揺して身構えたり、急な動作を見せれば、相手の防衛本能を刺激して事態は取り返しのつかない衝突へ発展する。

「待って! 槍を下げて! この人は敵じゃない!」

 ミラが咄嗟にマコトの前に割り込み、両手を広げて叫んだ。

「沢で牙猿の群れに襲われたところを、この人が助けてくれたの! 子どもたちを庇って、素手で魔物を追い払ってくれた命の恩人なのよ!」

 幼い兄妹も涙目になりながら、大人たちに向かって必死に叫ぶ。

「お兄ちゃん、わるい人じゃないもん!」

「わたしたちを守ってくれたの!」

 子どもたちの悲痛な声に、槍を構えていた男たちの眉がわずかに揺らいだ。

 しかし、武器を下ろす者は一人もいなかった。男たちの視線は、マコトの顔立ち、身につけている見知らぬ泥まみれのスーツ、そして角のない頭部を値踏みするように睨み据えて離さない。

「……どきな、ミラ」

 低く、ひび割れた老女の声が広場に木霊した。

 村人たちが左右に割れ、道を開ける。奥から進み出てきたのは、曲がりくねった木の杖を突いた小柄な老婆だった。

 白髪の混じった灰色の髪の間から、古木のように年輪を刻んだ立派な角が左右へ張り出している。深く刻まれた皺の奥にある瞳は、夜の山よりも暗く、研ぎ澄まされた刃物のように鋭かった。

 ロッカ村の長老であり、まじない師でもあるネル婆だ。

「ネル婆様……!」

 ミラがすがりつくように呼びかけたが、ネル婆はその視線を一瞥もせず、ただ冷酷にマコトだけを見据えていた。

 杖の先が、カツンと地面の敷石を叩く。

「その小僧が何をしたかは知らん」

 ネル婆は感情の抜け落ちた声で吐き捨てた。

「だが、人間だ。その事実だけで、この村に足を踏み入れる理由は粉微塵もない」

「でも、ネル婆様! 子どもたちが無事だったのはこの人のおかげ――」

「黙りなさい!」

 老女の怒声が広場を震わせた。ミラがびくりと肩を竦める。

「忘れたのかい、ミラ。かつてこの山にやってきた人間どもが何をしたか」

 ネル婆の瞳に、昏い怨嗟の炎が揺らめいた。

「甘い言葉で鉱山を開き、我が同胞を穴倉の奥へ追いやった。掘れるだけの鉱石を根こそぎ奪い尽くし、山が軋みを上げても止めることはなかった。そして――大きな落盤が起きて村の若者たちが生き埋めになったとき、奴らは何をした? 救助の道具も寄越さず、穴を塞いで金だけ持って逃げ出したんだよ!」

 ネル婆の言葉に、周囲の男たちの拳がわななき、握りしめた武器に力が入る。

「人間は山を食い荒らして捨てる害虫だ。恩を売って油断させ、最後に全てを奪っていくのが奴らの手口さ。……人間を村に入れるくらいなら、牙猿と暮らした方がまだマシだよ。今すぐその男を山へ追い出しな」

 容赦のない宣告だった。

 村人たちの殺気が再び膨れ上がり、槍の切っ先が一歩前へと進む。

「まず、現状を把握しましょう」

 マコトは胸ポケットの手帳に触れ、静かに息を吸い込んだ。

(拒絶の理由は理不尽な差別じゃない。過去の重大な労災隠しと、一方的な契約破棄による深いトラウマだ)

 安全管理を怠って現場を崩壊させ、責任を取らずに逃げ去った元請け企業。そんなものを憎むのは、現場を預かる人間として当然の感情だった。彼女たちの怒りは、極めて筋が通っている。

 マコトはミラを一歩後ろへ下がらせ、ネル婆の前に進み出た。

 そして、建材メーカーの営業時代に何千回と頭を下げてきた、完璧な角度の礼を取った。腰を四十五度折り曲げ、頭を垂れる。

「突然の無礼を、心よりお詫び申し上げます。長老様」

 通る、しかし決して威圧的ではない穏やかな声でマコトは切り出した。

「皆様が人間に対して深い不信と怒りを抱かれるのは、当然のことと存じます。過去の過ちを弁明する言葉は、私には何一つございません」

 ネル婆が怪訝そうに眉をひそめた。喚き散らすでもなく、言い訳をするでもなく、ただ静かに非を受け止めた人間の男など見たことがないのだろう。

「確認ですが、私はこの村に居座るつもりも、皆様の暮らしを侵す意図もございません」

 マコトは頭を上げ、ネル婆の目を真っ直ぐに見つめた。

「山中で遭難し、日没を迎えて体力の限界に達しております。勝手なお願いであることは重々承知の上で、今夜一晩、雨風をしのげる軒先の隅をお貸しいただけないでしょうか。明朝、太陽が昇り次第、速やかにこの村を立ち去ります。それまでの間、村の皆様の掟には一切背きません」

 広場に、重苦しい沈黙が落ちた。

 ネル婆は細められた目で、マコトの全身を観察していた。泥にまみれた奇妙な衣服、傷だらけの手、そして一切の武器を持たない丸腰の姿。

 その足元で、幼い兄妹が必死にネル婆を見上げている。

「ばあちゃん、お願い……! お兄ちゃん、お外で寝たら死んじゃうよ……!」

 長い、息の詰まるような沈黙の末、ネル婆は深いため息を吐き出した。

「……恩人を野垂れ死にさせたとなれば、山の神に顔向けができん。それだけだ」

 ネル婆は杖を翻し、背中を向けた。

「一晩だけだ。ミラの家の土間にでも転がしておきな。夜が明けたら、一刻も早く村の外へ叩き出すんだよ」

 村人たちがざわめきながらも、長老の言葉に従ってゆっくりと武器を下ろしていった。

「……よかった」

 ミラがその場にへたり込みそうになりながら、安堵の息を漏らした。

「すみません、マコトさん。あんなひどい言われ方をさせてしまって……」

「いいえ。泊めていただけるだけで十分ですよ。行きましょう」

 マコトは苦笑いを浮かべ、子どもたちの頭を軽く撫でた。

 ◇

 ミラの家は、村の端にある小さな石造りの平屋だった。

 家具は少なく、簡素極まりない部屋だったが、床は掃き清められ、狩りの道具が丁寧に手入れされて壁に掛けられている。

「狭くて何もありませんけど、座ってください」

 ミラは暖炉の火を熾すと、古びた鉄鍋を火にかけ、手早く食事の用意を始めた。

 兄妹はすっかりマコトに懐き、土間に置かれた木箱に腰掛けるマコトの左右にちょこんと並んで座り、不思議そうに泥だらけのスーツを触っている。

「粗末なものしかなくてごめんなさい。これしか出せなくて……」

 やがて木製の椀に盛られて差し出されたのは、粒の硬い黒い麦を煮込んだ粥と、素焼きのコップに注がれた白い液体だった。

「いただきます」

 マコトはコップを受け取り、口をつけた。

 人肌に温められた、独特の青臭さと濃厚なコクのある山羊の乳だった。温かい液体が喉を通り、冷え切っていた胃袋へと落ちていく。

 続いて木のスプーンで麦粥を口に運んだ。

 ボソボソとしていてお世辞にも柔らかいとは言えず、味付けは極めて薄い。麦そのものの野性味のある甘みと苦味が舌に残るだけだ。

 だが――その熱が、身体の奥底まで染み渡っていった。

「…………っ」

 不意に、視界が歪んだ。

 終電のホームで電車に轢かれ、見知らぬ役所で辞令を突きつけられ、見渡す限りの原生林に放り出されて、怪物の命を奪い、走って、逃げて、必死で命を繋ぎ止めてきた。

 いつ途切れてもおかしくなかった張り詰めた緊張の糸が、温かい粥の熱によって、ふつりと解けていくのを感じた。

「……おいしいです。本当に」

 マコトは俯き、こぼれそうになる熱いものを誤魔化すように、懸命にスプーンを動かした。

 ミラは驚いたように目を丸くし、それからふわりと優しい笑みを浮かべた。

「お口に合ってよかったです。もっとたくさん炊けばよかったですね」

 食べ終えた椀を置き、マコトはふと台所の片隅に目をやった。

 土間の隅に置かれた、素焼きの調味料用の甕(かめ)。

 ミラが粥をよそう際、蓋を開けてスプーンを差し込んでいた場所だ。

 何気なく覗き込んだその甕の底に、マコトは目を見張った。

(……これっぽっちしか、ないのか?)

 直径三十センチほどある大きな甕の底に、わずかに指先でひとすくいできる程度の、灰色に濁った粗い塩の結晶がへばりついているだけだった。

 これでは、明日の食事に使う分すら足りない。

 過酷な山岳地帯で、狩りと肉体労働をして生きる者たちにとって、塩分の欠乏は即座に生命の維持に関わる致命的な問題のはずだった。

読んでいただきありがとうございます。

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