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人事考課で異世界を立て直す~倒すより守る方が高査定!?業務改善スキルで人間嫌いの鉱山村を再建します~  作者: 月神世一


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32/35

EP 32

「中和」

 ジュウウウッ! と、肉と毛皮が激しく焼け爛れる凄惨な音が地下空洞に響き渡った。

 超強酸の濁流を背中に浴びたグラドが、声にならない絶叫を漏らし、前のめりに膝を折る。

「グラドさんッ!!」

 庇われたミラの悲鳴が岩壁に木霊した。

 グラドの背中から立ち上る猛烈な白煙と、鼻を突く異臭。

 仲間が目の前で溶かされていく光景に、マコトの視界が一瞬、真っ白に染まりかけた。心臓が早鐘を打ち、呼吸が凍りつく。

(落ち着け、パニックを起こすな! 現場監督が取り乱せば全員死ぬぞ!)

 マコトは胸ポケットから手帳を引っこ抜き、震える指で後輩から借りたままのボールペンのノックを弾いた。白紙の頁に、殴り書きで叩きつける。

【目的:グラドの救命、鉄喰いの無力化】

【リスク:化学熱傷の悪化、超強酸の再噴射、全滅】

【手順:①流水洗浄、②酸の中和、③核の破壊】

「セルマさん! 綺麗な水を、出せる限りの大量の水をグラドさんの背中に浴びせ続けてください!」

「は、はいっ! でも、何か薬を塗らないと――」

「ダメです! 化学熱傷に中和剤や油を塗っては絶対にいけません!」

 マコトは怒号に近い鋭さで制止した。

「酸とアルカリが皮膚の上で反応すれば、激しい中和熱が発生して深部組織をさらに焼き尽くします! 化学熱傷の唯一の救命手順は、大量の清浄な流水で、酸を物理的に洗い流して希釈することだけです! 最低でも十五分、絶対に水を止めないでください!」

(安全衛生講習で叩き込まれた鉄則だ。良かれと思った素人の中和が、熱傷被害者をショック死させる!)

「大地より湧き出づる清冽なる水よ、尽きることなく注げ――『清流の奔流(アクア・トレント)』!」

 セルマが涙を拭い、必死の形相で杖を振るった。

 頭上から冷たく澄んだ水流が滝のように降り注ぎ、グラドの背中にこびりついた赤黒い酸を泥ごと激しく洗い流していく。

「ぐ……あ……熱ぃ……だが……生き、てるぞ……」

 大男が歯を食いしばり、岩肌を爪で削りながら耐え抜いていた。大量の流水による冷却と希釈が、辛うじて皮膚の完全壊死を食い止めていた。

 だが、猶予はない。

 毒の池の中央で、鉄喰いが鎌首をもたげ、再び喉袋を不気味に脈動させ始めていた。

 全身を覆う超強酸の外殻。触れる武器をバターのように溶かし尽くす怪物を、一体どうやって倒すのか。

(酸だ。相手の武器も、強固な防御も、すべては強酸の化学特性に依存している。……酸なら、アルカリで『中和』できる!)

 前職の建材メーカーで扱っていた知識が、電撃のように脳裏を駆け巡った。

 消石灰(水酸化カルシウム)。

 グラウンドの白線引きや漆喰、土壌改良に使われる強アルカリの粉末だ。あれを大量に浴びせれば、強酸の結合を中和熱とともに崩壊させ、怪物の外殻を脆い塩(えん)へと変質させられる。

 マコトは即座に【社内購買カタログ】を視界に展開した。

 だが――

(くそっ……! 『建材』カテゴリは、まだ鉛色のままだ!)

 現在の等級は【主任】。建材が解放されるのは、累計五千ポイントの【係長】からだ。カタログから消石灰を取り寄せることはできない。

(代わりの手は……今ある手持ちのカードで、どうやってアルカリを調達する!?)

 マコトの思考が限界を超えて加速する。

 建材としての石灰。この村で、石灰が使われている場所はどこだ?

「……村の、家の壁だ!」

 山羊人族の家々は、雨風を防ぐために白い漆喰――石灰を練り込んだ泥で壁を塗り固めていた。補修用の生石灰や消石灰の粉末が、村の倉庫に必ず眠っているはずだ。

 そして、手元のカタログの【日用品】枠。

(重曹(炭酸水素ナトリウム)だ! 油汚れ落としや掃除用の弱アルカリ粉末なら、今すぐ取り寄せられる!)

・業務用重曹粉末(25kg大袋):2 KP × 10袋 = 20 KP

 即座に決裁を下す。残高は1,927KP。

 ポン、と音が鳴り、背後の岩陰にずっしりと重い白い紙袋が十袋、山となって実体化した。

「ミラさん!」

「は、はいっ!」

 震える手で投石紐を握り直した少女へ、マコトは迷いのない瞳を向けた。

「あなたの脚が必要です! 坑道を駆け上がって村へ走り、ダンさんとゴッサさんに伝えてください!『壁の補修用の石灰を、村中からかき集めて大至急運んでくれ』と!」

「せ、石灰を……!?」

「急いでください! あなたにしか頼めない、全員の命を繋ぐ最重要工程です!」

「……わかりました! 死ぬ気で走ってきます!」

 ミラは崖を駆ける狩人の脚力で跳躍し、弾丸のように坑道の闇へと消えていった。

 怪物が動いた。

 ギチギチギチッ! と無数の節足を蠢かせ、鉄喰いが水飛沫を上げて突進してくる。

「セルマさん、重曹の袋を破って水流に混ぜてください! 俺が引きつけます!」

 マコトは先端の鉄を溶かされ、短くなった樫の杖を両手で構え直した。

 突進してくる巨躯。振り下ろされる大顎を、半身を引いて紙一重でかわす。

 酸がかすめただけで作業着の袖がジュッと炭化するが、マコトは怯まない。合気道の転換で怪物の頭部の慣性を横へと受け流し、足場を滑らせて壁面へと衝突させた。

「大地よ、重曹の粉を抱きて吹き荒れよ――!」

 セルマが水流に白い粉末を溶かし、濁った激流を怪物の側頭部へと浴びせかける。

 シュウウウッ!

 弱アルカリの重曹水が触れた部分から激しい泡が吹き上がり、怪物が嫌がるように身悶えした。だが、弱アルカリの重曹だけでは、十メートルの巨躯を覆う超強酸を完全に中和し切るには濃度が足りない。

(耐えろ……! 現場を信じて、時間を稼ぐんだ!)

 ドスン、ドスン、と坑道の入口から地鳴りのような足音が響いたのは、マコトの呼吸が限界に達しかけたその時だった。

「間に合ったぞッ! どきやがれええええッ!!」

 暗闇を突き破って現れたのは、巨大な麻袋を両肩に担いだダンだった。

 その後ろから、片腕のゴッサ、そして村の若者たち十数名が、荷車いっぱいに積んだ補修用の石灰袋を抱えて雪崩れ込んできた。

「マコト! 村中の石灰を全部持ってきたぞ!」

「よくやってくれました! 袋の口を切り、水の中へ全部ぶちまけてください!」

 ドサッ、ドサッ!

 大量の白い粉末が、セルマの放つ清流へと一気に投入された。

 重曹と消石灰が飽和状態まで溶け込んだ、高濃度の強アルカリ白濁水。

「セルマさん、全出力で浴びせかけてください!」

「いっけえええええええッ!!」

 セルマが両手で杖を突き出し、叫んだ。

 太い奔流となった純白の石灰重曹水が、津波のような勢いで鉄喰いの巨躯を丸ごと飲み込んだ。

 ――ジュワアアアアアアアアッッ!!

 凄まじい轟音とともに、地下空洞が真っ白な湯気で覆い尽くされた。

 大気中の酸が急速に中和され、猛烈な中和熱が怪物の外殻を包み込む。

 酸の粘液によって維持されていた魔力の結合が一瞬で崩壊し、ダイヤモンド並みだった鋼鉄の甲殻が、見る見るうちに白く濁り、ボロボロの石膏のようにひび割れていった。

「ギャチチチチッ……!?」

 外殻の防御力を完全に奪われ、怪物が激痛にのたうち回る。

 ひび割れた胸部装甲の隙間から、ドクドクと脈動する赤黒い核が、剥き出しになって露出した。

「今です、ミラさん!」

「はいっ!!」

 駆け戻ってきたミラが、渾身の力で投石紐を振り抜いた。

 バツンッ!

 放たれた硬質な石が、脆くなった怪物の胸部装甲の亀裂を正確無比に撃ち抜き、粉々に砕き割る。

 核の防御が、完全に失われた。

「これで……仕舞いだッ!」

 マコトは地面を蹴った。

 短くなった樫の杖を両手で握り込み、全身の体重を載せて、露出した核の中央へ切っ先を突き立てる。

 ドスゥッ!

 核に突き刺さった杖から、マコトの鋭い踏み込みの衝撃が一点へと叩き込まれた。

 ピシリ……と亀裂が走り、次の瞬間、赤黒い核がガラスのように弾け飛んで粉々に四散した。

 ギチィ……と細い鳴き声を最後に、鉄喰いの巨躯が硬直した。

 そして結合を失った無数の節足がバラバラと崩れ落ち、ただの白化した抜け殻となって石畳の上へと崩落した。

 静寂が、湯気立ち込める地下空洞を包み込んだ。

「た……倒した……のか?」

 石灰袋を投げ出したダンが、信じられないように立ち尽くす。

「やった……! 勝ったんだ……!」

 村の男たちが歓声を上げ、互いに抱き合って涙を流した。

 マコトは短くなった杖を地面に突き、荒い息を吐きながら、岩陰のグラドのもとへ駆け寄った。

「グラドさん!」

「へへ……すげえな、マコト……。本当に、誰も死なずに……勝っちまいやがった……」

 背中を流水で清浄に洗い流されたグラドは、激痛に顔を歪めながらも、力強く口元を歪めて笑ってみせた。

 重度の熱傷ではあるが、即座の大量流水洗浄によって深部組織の破壊とショック死は完全に防がれていた。命に別状はない。

 その瞬間だった。

 マコトの頭蓋の奥で、かつてないほど高く澄んだ、重厚な印鑑の音が鳴り響いた。

 ポン。

 ポン。

 視界の前面に、眩い黄金色の枠を持つ考課票が展開される。

――――――――――――――――

【考課】行動:化学災害の鎮圧および環境汚染源の完全排除/評価:S/+300KP

【考課】行動:迅速な救急処置による人命救助/評価:S/+70KP

【考課】行動:チーム考課(村人総力連携による無災害防衛達成)/特別評価:特A/+2,100KP

(累計5,080KP/保有残高:4,097KP)

――――――――――――――――

『累計考課ポイントが5,000KPを突破しました。』

『等級が【係長】へ昇格します。』

『【社内購買カタログ】に「建材・農業資材」カテゴリが解放されました。』

 連続して響く重厚な音に、マコトは目を見張った。

 村人たちが運んでくれた石灰、ミラの全力疾走、セルマの水、ダンの統率――その全員の善行が【チーム考課】として合算され、一気に係長への昇格を果たしたのだ。

 視界の端のカタログを開くと、ずっと鉛色だった分厚いタブが、鮮やかな光を帯びて開いた。

 灰色が消え、新しく解放された「建材・農業資材」のページ。

 その一番上に誇らしげに並んでいた最初の品目名は――

 『消石灰(20kg袋・高純度)』だった。

読んでいただきありがとうございます。

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