EP 31
「鉄を喰うもの」
坑道の奥底から響く、硬質な金属をすり潰すような不気味な咀嚼音。
夜明け前、土壁で固く閉ざされた廃坑の坑口前で、マコトはヘルメットの顎紐をぐっと引き締め直した。
村の中央井戸を汚染した毒の元凶を断たなければ、ロッカ村の明日はない。
急性中毒に倒れたピピは、取り寄せた薬用吸着炭と経口補水液の投与によって峠を越し、今はミラの家で穏やかな寝息を立てている。
だが、井戸水の濁りと金気臭は収まるどころか、刻一刻と濃度を増していた。大元の汚染源を叩かない限り、手遅れになるのは時間の問題だった。
「ダンさん、村の井戸は引き続き完全封鎖でお願いします。子どもや高齢者には、東の沢から汲んだ水を必ず沸騰させてから飲ませてください」
「ああ、任せておけ! 見張りも点検も絶対に怠らねえ」
ダンが太い胸を叩いて頷く。
出撃メンバーはマコト、グラド、ミラ、セルマの四名。
マコトは手帳を開き、ボールペンの切っ先を走らせた。
「まず、現状を把握しましょう。目的は『坑道最奥の汚染源の特定と排除』。リスクは『強酸性の有害廃液への曝露』『有毒ガスによる酸欠』『変異魔物との遭遇』、そして『二次落盤』です」
マコトは視界の端の【社内購買カタログ】を高速で呼び出した。
主任枠から、化学防護と救助の装備を迷いなくピックアップする。
・プロ仕様耐酸・耐薬品性ロングゴム手袋:2 KP × 4双 = 8 KP
・密閉型防塵・防毒セーフティゴーグル:2 KP × 4個 = 8 KP
・高強度クライミング救助ロープ(50m):5 KP
合計21KPを消費。残高は1,947KPとなった。
ポン。
控えめな印鑑の音とともに現れた資材を、全員に配る。
「手袋とゴーグルを必ず着用してください。強酸性の飛沫が一滴目に入るだけで失明します。命綱はお互いの腰をもやい結びで連結し、十メートルの間隔を保ちます。……指差呼称、装備よし、保護具よし、命綱よし!」
「「よしッ!!」」
「大地よ、我が導きに従いて道を開け――」
セルマの詠唱とともに、坑口を塞いでいた分厚い土壁が左右へと割れ、暗黒の口を開けた。
ヘッドライトの鋭い白光が、湿り気を帯びた闇を一直線に切り裂く。
一歩踏み込んだ瞬間、ツンとした強烈な酸臭が鼻腔を突き刺した。
ゴッサたちが丁寧に補強してくれた真新しい坑木の間を進む。手前の整備区間を越え、昨日変異鼠を撃退した換気口の掘削点へと到達した。
そこから先は、三十年前に落盤事故が起きて以来、誰も足を踏み入れていない未踏の旧坑道だ。
進むにつれて、周囲の光景は異様さを極めていった。
かつて人間の鉱山会社が設置した頑丈な鋼鉄製の支柱が、あちこちで飴細工のようにぐにゃりとへし折れている。
いや、折れているだけではない。
親指ほどの厚みがある鋼鉄の梁が、何者かの巨大な歯によって無残に食いちぎられ、バリバリと削り取られていたのだ。
「……おいマコト、見ろよこれ。鉄が……喰われてやがるぞ」
大槌を握るグラドが、琥珀色の瞳を険しく細めて囁いた。
(鉄を主食にする生物なんて地球には存在しないぞ。廃棄された劇薬の廃液を吸い上げて、生態系そのものが完全に狂わされているんだ)
足元の傾斜が下りになり、岩肌から赤黒い粘液が滝のように滴り落ちる区画へと入った。
チリチリチリッ、とセルマの測定器が耳障りな悲鳴を上げ続ける。
やがて通路が唐突に開け、四人は広大な地下空洞の縁へと辿り着いた。
「これは……ッ!」
ミラが息を呑んだ。
空洞の底には、天井の亀裂から流れ込んだ精錬廃液が、巨大な赤黒い池となってドロドロと波打っていた。
液面からは白い刺激性のガスが立ち上り、岩盤の割れ目を伝って村の地下水脈へと毒が染み出しているのが一目で分かった。ここがすべての汚染の発生源、元凶の溜まり場だ。
そして――その毒の池の中央に、そびえ立つ鉄鉱石の巨岩に巻き付くようにして、それはいた。
ギチギチギチ、バリバリバリッ!
ヘッドライトの光が照らし出したのは、体長十メートルを超える、禍々しい鋼鉄色の巨大な百足だった。
無数の鋭利な節足が岩盤に深く突き刺さり、甲殻の表面には吸い上げた赤黒い廃液が血管のように脈打っている。
巨大な鎌のような二本の大顎が、廃坑の古いレールをやすやすと噛み砕き、火花とともに咀嚼していた。
鉱山に捨てられた毒の廃液を浴び、鉄を喰らって異常変異を遂げた魔物――『鉄喰い』。
カチリ、と足元の小石が跳ねた。
その微かな音に、怪物の無数の節足が一斉に静止した。
ギチイッ!
百足の頭部が跳ね上がり、赤黒く濁った複眼が侵入者たちを捉える。
「下がって! 来ます!」
マコトが叫んだ瞬間、鉄喰いの巨躯が地響きとともに跳弾のように突進してきた。
「大地よ、泥濘となりて絡め取れ――『泥の枷』!」
セルマが即座に杖を突き出し、怪物の足元を深い泥沼へと変えた。
白牙の足を止めた強力な泥魔法。だが――
ジュウウウッ!
怪物の全身の節々から滲み出た赤黒い体液が触れた瞬間、泥が一瞬にして沸騰し、炭化してボロボロと崩れ去った。強酸が魔力の結合そのものを焼き切ったのだ。
「私の魔法が……酸で溶かされた!?」
「食らいなさいッ!」
上空からミラの投石が放たれた。唸りを上げた硬質の弾丸が頭部を直撃するが、鉄を喰らって硬質化した分厚い外殻に火花を散らして弾き返された。有効打にならない。
「オラァッ、木偶の坊!」
グラドが正面から大槌を振り抜き、突進してくる怪物の大顎を横から強打した。
ガギィィンッ! と鼓膜を劈く金属音が轟き、鉄喰いの頭部がわずかに逸れる。
その隙を見逃さず、マコトが踏み込んだ。
狙うは、大顎の根元にある関節の隙間。
ゴッサが削り出し、重心を最適化させた樫の杖。先端に備えられた鉄の石突きを、合気道の体重移動に乗せて一点へと突き刺した。
――だが、その瞬間だった。
ジュワッ……!
杖の先端が怪物の体表に触れた刹那、激しい白煙が吹き上がった。
「なっ……!?」
マコトの目の前で、何年もの試練に耐えるはずだった頑丈な鉄の石突きが、まるで熱したフライパンの上のバターのように、ドロドロに溶けて形を失っていったのだ。
鼻を突く猛烈な刺激臭。樫の木肌にまで酸が浸食し、シュルシュルと黒く焼け焦げていく。
(ゴッサさんの打った鉄が一瞬で溶けた……!? 濃硫酸や王水すら遥かに超える、桁外れの超強酸だ!)
武器による物理打撃が成立しない。触れるものすべてを瞬時に溶かし尽くす歩く化学災害だ。
マコトは間一髪で杖を引き、後ろへと飛び退いた。
ギチギチギチッ!
獲物を逃した鉄喰いが、激昂したように鎌首を高く持ち上げた。
その胸元、赤黒く脈打つ蛇腹状の喉袋が、風船のようにボコボコと大きく膨れ上がっていく。
体内に溜め込んだ超強酸の廃液を、一気に噴射する前兆だ。
「全員、岩陰へ退避――」
マコトの警告が叫び終わるより早く、背後で小石の崩れる音が響いた。
「あ……っ!」
後退しようとしたミラが、酸で脆くなった足場の崩落に巻き込まれ、バランスを崩して膝をついていた。
怪物の濁った複眼が、倒れた少女を正確に捉える。
逃げ場のない一直線の射線。
――グオオオオオッッ!!
鉄喰いの大顎が裂けるように開き、赤黒い酸の奔流が、滝のような濁流となって放たれた。
「ミラ、伏せろおおおおッ!!」
叫んだのはグラドだった。
熊獣人の巨体が、手にした大槌を放り出し、弾丸のように地を蹴った。
倒れたミラの身体の上に、覆いかぶさるようにして割り込む。
ドシャアアアアッッ!!
容赦なく降り注いだドロドロの酸の奔流が、仲間を庇ったグラドの分厚い背中を、真正面から直撃した。
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