EP 28
「算盤を弾く蜥蜴」
二頭の走竜が荒い鼻息を吐き、荷車の車輪が止まった。
御者台から軽やかに飛び下りてきたのは、艶やかな深緑色の鱗と鋭い縦瞳を持つ、背丈の低い蜥蜴人の男だった。
背中には、使い込まれて角の丸くなった巨大な木製の算盤を背負っている。
突如現れた見慣れぬ行商人に、広場にいた山羊人族の男たちが咄嗟に身構えた。
だが、蜥蜴人の商人は怯むどころか、黄色い瞳をキョロキョロと巡らせ、村の入口に新設された頑丈な外柵と見張り台の投光器を見上げて、細い舌をチロチロと伸ばした。
「おやおや……? 全滅寸前の危険地帯と聞いて命がけで登ってきてみれば、なんですかここは。王都の関所も顔負けの防衛設備じゃないですか」
「確認ですが、どなた様でしょうか」
マコトが進み出て、営業時代に培った完璧な角度の会釈を向けた。
すると商人は驚いたように目を丸くし、背中の大きな算盤をチャラリと揺らしながら、恭しく右手を胸に当てた。
「これは失礼。あっしは麓の町で商人組合に身を置いております、行商人のザイルと申します。……あなたが、あのお手紙を書かれた相沢誠さんですね?」
「届いていましたか」
「ええ、届いたどころの騒ぎじゃありませんよ!」
ザイルは懐から、マコトが旅人に託したあの上質な手紙を取り出し、興奮気味に振ってみせた。
「麓の組合会館に持ち込まれたこの書状を見て、役員連中がひっくり返りましてね。頭語から結尾まで寸分の狂いもない格式高い礼状に、明確な納入品目と数量の試算、おまけに極上の薬草と鉱石の現物サンプル付きだ! こんな隙のない商談書面を突如山奥から送りつけてくる相手がどんな大商人か確かめたくて、あっしが一番乗りで走竜を走らせてきたんでさぁ」
(前職で飛び込み営業用に何百通と書いてきた新規開拓DMの手法だが、この世界でも商人相手ならしっかり通じるものだな)
マコトが胸中で安堵の息を吐いていると、後ろからダンが怪訝そうに眉をひそめて割り込んできた。
「おい、ザイルとやら。さっき『全滅寸前』とか言ってただろ。ありゃどういう意味だ?」
「ああ、それですか」
ザイルはあからさまに呆れたように肩をすくめた。
「麓の市場じゃあ、仲介商人のヤーコフが吹聴して回ってたんですよ。『ロッカ村は狂暴な牙猿の群れに包囲されて壊滅寸前だ、人間を憎む山羊人族が狂乱して余所者を皆殺しにしているから絶対に近寄るな』ってね」
「なんだと……!? あのクソ野郎、そこまで吹き込みやがったのか!」
ダンが太い腕を振り上げて激怒した。
他国や他の商人を村から遠ざけ、孤立させて物資の流通を完全に独占するための悪質な風評被害工作だ。
「ヤーコフの親父がこの山を独占したがる理由は、組合の者なら薄々感づいてましたからね。だからこそあっしは、この手紙の真偽を確かめに来たんでさ。……さあ相沢の旦那、挨拶はこのくらいにして、手紙にあった品物を見せてもらえませんか?」
「分かりました。集会所へどうぞ」
マコトはザイルを案内し、村人たちが保管していた採取物資を土間に並べさせた。
セルマが選別・乾燥させた上質な薬草の束。
そして、ゴッサや村の男たちが廃坑の周辺で細々と拾い集めていた、黒ずんだ「鉱石くず」の山である。
品物を前にした瞬間、ザイルの雰囲気がガラリと変わった。
背中から外した巨大な算盤を膝の上に据え、細い指先で珠を弾き始める。
パチ、パチパチパチッ――!
乾いた硬質な音が室内に響き渡るのと同時に、蜥蜴人の瞳が爛々と輝き、まるで別人のように淀みない言葉が機関銃のように飛び出した。
「ほうほう! この薬草、乾燥の手順が完璧だ! 天日干しの加減が絶妙で、葉のマナが一切抜けてねえ。陽薬草がこれだけの上物なら、麓の神殿や冒険者ギルドが喉から手が出るほど欲しがりますよ! 一束あたり……銀貨二枚! いや、この品質なら三枚で買い取りましょう!」
「ぎ、銀貨三枚……!?」
横で見ていたミラが信じられないように息を呑んだ。
「ヤーコフは……銅貨五枚しかくれませんでした……!」
「はぁ!? 銅貨五枚だぁ!?」
ザイルが素っ頓狂な声を上げて目を剥いた。
「相場の六十分の一じゃないですか! 買い叩くにも程がある、追いはぎも真っ青の暴利だ! あの守銭奴め、こんな極上品を二束三文で巻き上げて麓で大儲けしてやがったな……!」
(前職でもいたな、競合他社がいないのをいいことに下請けから法外な買いたたきをしていた元請け企業。独占市場の恐ろしいところは、現場が適正価格を知る手段すら奪われることだ)
パチパチパチッ、と再び算盤が激しく弾かれた。
「薬草は全部で銀貨四十五枚! そして次はこの鉱石くずですが……ん?」
ザイルの手が、黒ずんだ石の塊を弄んでいた途中でピタリと止まった。
蜥蜴人は懐から小さな金槌とルーペを取り出すと、石の角を軽く叩き割った。割れ目に現れた鈍い銀色の断面をルーペで覗き込み、ペロリと舌先で舐める。
一瞬の静寂の後、ザイルの背筋がピンと跳ね上がった。
「……ごくり。お、おい、ゴッサの親方……。あんた、この石をどこで拾ったんで?」
「あ? どこって……廃坑の入口の瓦礫の山だが。三十年前に人間の会社が掘り散らかして捨てていった、ただの屑石だぞ」
腕組みをしていた老鍛冶屋が素っ気なく答える。
だが、ザイルは首を激しく横に振った。その深緑色の鱗が興奮で微かに逆立っている。
「屑石なもんか! これは……『銀鉛鉱』の母岩だ! それも、ただの石じゃねえ、比重が異常に重い……この芯に入ってるのは、極めて純度の高い上質な銀の鉱脈の欠片ですよ!」
「な……ッ!?」
集会所にいた村人たち全員が凍りついた。
「銀だと……!? あの山は、鉄と鉛しか出ないからって人間どもに見捨てられたんだぞ!」
「昔の鉱山会社がどんな雑な掘り方をしたのかは知りませんがね!」
ザイルは割れた石を高く掲げ、熱弁を振るった。
「おそらく、当時の連中は手前の浅い層にある安価な鉄鉱石だけを乱暴に掘り尽くして、落盤事故を起こして逃げ出したんでしょう。だが、その奥――山が崩れて塞がれたさらに深部に、手付かずの真正の銀鉱脈が眠っていたんだ! この石は、大落盤の地圧で深部から押し出されてきた破片に違いねえ!」
マコトは手帳に目を落とし、思考を巡らせた。
(落盤で放棄された廃坑の奥……。セルマさんが異常な魔力の揺らぎを観測し、鉄鴉団が毒の廃液を不法投棄していたあの山域の地下深部か)
点と点が、急速に一本の線へと繋がり始めていた。
「ザイルさん、本日の取引はどうしますか?」
マコトが穏やかに問いかけると、ザイルは弾くように算盤を叩いた。
「もちろん、全品買い取らせていただきますとも! この鉱石くずも、サンプルとして組合へ持ち帰る分を含めて銀貨三十枚! 薬草と合わせて銀貨七十五枚だ! 代金は今すぐ、組合公認の純銀貨でお支払いしやす!」
ザイルは荷車から、ずっしりと重い革袋を下ろすと、机の上にジャラジャラと美しい銀貨の山を積み上げた。
さらに荷台から、純白の良質な塩の樽、上質な小麦粉の袋、そして刃物の手入れ用油などの生活物資を次々と降ろしていく。
「う、うわぁ……! 本物の塩が、こんなにいっぱい……!」
ピピとルゥが目を輝かせて歓声を上げた。
村人たちが銀貨の輝きと豊かな物資を取り囲み、手を取り合って涙ぐんでいる。
搾取され、脅され、飢えに怯えながら暮らしてきた山羊人族の村に、初めて「真っ当な商売の風」が吹き込んだ瞬間だった。
その光景を見届けたマコトの頭蓋に、澄み渡るような、重厚な印鑑の音が心地よく響いた。
ポン。
黄金色の縁取りを持つ考課票が、視界の前面に静かに展開される。
――――――――――――――――
【考課】行動:公正な交易路の開拓および地域経済の回復/評価:S/+300KP
(累計2,570KP/保有残高:1,995KP)
――――――――――――――――
(よし、累計2,500KPを突破した。物を横流しするだけじゃない、村の人たち自身が採ったものに正当な価値がつき、外の世界と対等に繋がったことが高く評価されたんだ)
自立への道筋が、確かに一段上がった手応えがあった。
荷車へ鉱石と薬草を積み込み終えたザイルは、巨大な算盤を背負い直すと、埃を払ってマコトと長老ネル婆の前に立った。
その黄色い瞳には、単なる物売りを超えた、一人の勝負師としての熱い光が宿っていた。
「相沢の旦那、そして長老さん。あっしから、一つでかい商談の提案がありやす」
ザイルは喉を鳴らし、広場の奥にそびえる荒れ果てた廃坑の櫓をビシッと指差した。
「この村、あの鉱山をもう一度開ける気はありませんかい? もし掘り出せるってんなら――うちの商人組合が、出た鉱石を全部買い取らせていただきやすよ!」
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




