↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人事考課で異世界を立て直す~倒すより守る方が高査定!?業務改善スキルで人間嫌いの鉱山村を再建します~  作者: 月神世一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/35

EP 22

「カレーの匂いで起きる男」

 集会所の薄暗い板敷きの上、目を覚ました熊獣人の巨躯から、針を研ぎ澄ませたような殺気が吹き上がっていた。

 全身に巻かれた包帯を軋ませ、血走った琥珀色の双眸が、すぐ傍らに座るマコトを射貫くように睨み据えている。

「……ねぇ……俺の大槌は、どこだ……」

 地鳴りのような重低音が、張り詰めた室内の空気を震わせた。

 男は身を起こそうと太い腕に力を込めたが、脇腹に走った激痛に顔を歪め、ドサリと枕元へ倒れ込んだ。荒い息が漏れ、額に脂汗が滲む。

 マコトは動じることなく、腰掛けていた木製スツールの上で静かに背筋を伸ばした。

「確認ですが、今のあなたが大槌を振るえる状態に見えますか?」

「あ……? んだと、小僧……」

「まず、現状を把握しましょう。あなたは雪解けの激流に呑まれ、低体温症で心停止寸前だったところを、このロッカ村の住人に救助されました。全身の打撲、切り傷、極度の脱水。今無理に動けば、せっかく塞がりかけた血管が再び破裂して、今度こそ失血死します」

 淡々とした、しかし有無を言わせぬ論理的な指摘に、男は喉を詰まらせた。

「……ここは、どこだ。お前は誰だ」

「ロッカ村の集会所です。俺の名は相沢誠、マコトと呼んでください。あなたの武器らしきものは、川から引き上げたときには見当たりませんでした。流されたか、あるいは川に落ちる前に奪われたか……心当たりはありませんか?」

「奪われた……」

 男の表情が苦渋に歪み、分厚い拳が悔しげに床の板を軋ませた。

 マコトはそれ以上深く追及せず、手元の木皿を取り上げた。

(衰弱しきった遭難者に、いきなり硬い肉や大量の固形物を食わせるのは厳禁だ。消化管が機能停止している状態へ急激に栄養を流し込めば、『リフィーディング症候群』や腸閉塞を引き起こして命を落とす。まずは水分と電解質、そして糖分の補給からだ)

 先ほど【社内購買カタログ】から取り寄せた『経口補水液パウダー』を、清潔な白湯に溶かした特製ドリンクだ。

・経口補水液パウダー(10包入り):1 KP

 残高は959KP。

「喉が渇いているはずです。少しずつ、ゆっくり飲んでください。水だけを飲むと体内の塩分濃度が薄まって痙攣を起こしますから、身体に必要な塩分とブドウ糖を最適なバランスで溶かしてあります」

 差し出された椀を、男は警戒を解かないまま睨みつけた。だが、カラカラに干からびた喉の渇きには抗えなかったのか、震える手で受け取り、そろりと唇をつけた。

「……っ、なんだこれ……ほんのりしょっぱくて、甘ぇな……」

「細胞に素早く吸収される浸透圧に調整してあります。一気に煽らず、一口ずつ時間をかけて胃に落としてください」

 男は言われた通り、一口、また一口と慎重に飲み干した。

 空になった椀を置く頃には、青白く乾ききっていた唇に血色が戻り、浅かった呼吸が深く穏やかなものへと変わっていた。

「……ふぅ……生き返ったぜ……。俺の名はグラドだ。熊獣人の……元傭兵隊長ってところだな」

 男――グラドは太い首を回し、少しだけ毒気の抜けた顔で名乗った。

「グラドさんですね。体内の水分バランスが整うまで、あと一時間は横になっていてください。消化器の血流が戻るのを待ちます」

「……へっ、いちいち理屈っぽい小僧だ。だが、悪くねえ手際だ」

 グラドはそう呟くと、重い瞼を閉じて静かに横たわった。

 それから一時間半ほどが経過した頃。

 集会所の土間に据えられた鉄鍋で、グラドの胃腸の目覚めを確認したマコトは、いよいよ本格的な栄養補給の準備に取り掛かっていた。

(さすがは熊獣人の頑強な体躯だ。脈拍も平温に戻り、腸蠕動音もしっかり聞こえる。これなら炭水化物と脂質を消化できるはずだ)

 マコトは視界の端のカタログを呼び出した。

・レトルトビーフカレー(辛口・業務用大盛り300g):1 KP × 2袋 = 2 KP

・レンジ用パックご飯(大盛り300g):1 KP × 2食 = 2 KP

 合計4KPを消費。残高は955KP。

 ポン。

 手元に現れた銀色のレトルトパウチと四角いパックを、沸騰した鉄鍋の湯の中へと沈める。

 数分後、熱湯から引き上げたパックのフィルムを剥がすと、立ち上る湯気とともに、ふっくらと炊き上がった純白の米が顔を出した。それを深めの素焼きの大皿へ豪快に盛り付ける。

 そして、熱々に温まった銀色のアルミパウチの封を、ピッと手で裂いた。

 ジュワッ、と微かな熱気とともに、その封じ目から解き放たれたのは――

 このアナステシア世界には存在しない、暴力的とすら言える濃厚なスパイスの奔流だった。

 数十種類のスパイスが複雑に絡み合った熱い刺激臭。じっくり炒められた飴色玉ねぎの甘やかな芳香、煮込まれた牛肉の重厚な脂の旨味、そしてガラムマサラの鋭い香気が、集会所の板敷き一面を一瞬にして支配する。

 純白の大盛りご飯の隣へ、艶やかな漆黒に近い濃褐色のルーが、ゴロゴロとした牛肉の塊とともにドロリと注ぎ込まれた。

「……ん……っ!?」

 その瞬間だった。

 寝台の上で完全に昏睡していたはずのグラドの鼻腔が、ピクピクと激しく蠢いた。

 獣人特有の鋭敏な嗅覚が、未知にして強烈極まるスパイスの香りをダイレクトに捉えたのだ。

「ガバッ!!」

 包帯を巻かれた巨体が、まるでスプリングでも仕込まれていたかのように跳ね起きた。

「な、なんだこの匂いはッ!? 肉か!? 香辛料か!? 胃袋が喉から飛び出そうなくらい腹が減ってきたぞッ!!」

(匂いだけで重傷者を跳ね起きさせるレトルトカレーの魔力、恐るべしだな。日本の食品加工技術は異世界でも最強の劇薬だ)

「起きましたね、グラドさん。消化機能の回復を確認しましたので、エネルギー補給です。カレーライスという料理ですよ」

 マコトが湯気の立つ大皿と大きな木製スプーンを差し出すと、グラドは獣のような飢えた瞳で皿を凝視した。

「カ……カレーだと……!? こんな黒くてトロりとした汁、見たこともねえぞ……!」

「騙されたと思って、スプーンですくってご飯と一緒に食べてみてください」

 グラドは待ちきれないとばかりに太い指でスプーンを握り、山盛りのご飯とルーを一気にすくい上げ、口の中へと放り込んだ。

 直後、熊獣人の眼球が限界まで見開かれた。

「ッ……!!!?」

 口内に広がったのは、ガツンと脳を殴りつけるような鮮烈な辛味とスパイスの刺激。

 だが、ただ辛いだけではない。その奥から押し寄せてくるのは、舌の上でとろけるような牛脂のコクと、野菜の極上の甘み。そしてそれらをすべて受け止める、粒立ちの良い純白の米の圧倒的な包容力。

「う……うめええええええっ!!! なんだこれ、辛ぇのに甘くて、肉の旨味が爆発してやがる!! 舌が痺れるのに、スプーンが止まらねえッ!!」

 ガツガツ、ガツガツッ!

 グラドは猛烈な勢いでスプーンを動かし、皿を抱え込むようにしてカレーを喉へと流し込んでいった。

 大盛り六百グラムのカレーライスが、瞬く間に胃袋の中へと消え去っていく。最後には皿についたルーの一滴までスプーンで掬い取り、息を荒げながら皿を突き出した。

「マコト! 頼む、もう一杯だ! まだ食える、腹の底から力が湧いてきやがるんだッ!!」

「はい、おかわりは最初から温めてありますよ」

 マコトが苦笑しながらもう一皿を差し出すと、グラドは咆哮のような歓喜の声を上げ、二皿目もあっという間に平らげてしまった。

 空になった二つの大皿を置き、グラドは分厚い胸を大きく反らせて、ふうーっと熱い吐息を漏らした。

 その顔には、先ほどまでの陰鬱な影は微塵もなく、琥珀色の瞳には歴戦の戦士らしい力強い光が満ち満ちていた。

 ポン。

 頭蓋の奥で、澄んだ印鑑の音が心地よく鳴り響いた。

――――――――――――――――

【考課】行動:適切な栄養管理および他種族との信頼関係構築/評価:B/+20KP

(累計1,510KP/保有残高:975KP)

――――――――――――――――

(よし、考課もプラスだ。胃袋を掴むのは、現場の人間関係を円滑にする一番の近道だな)

「……すげえ飯だった」

 グラドは静かに息を整え、改まった表情でマコトの正面に向き直った。

「川から拾い上げてもらい、傷を手当てされ、こんな途方もねえご馳走まで食わせてもらった。……マコト、俺は熊獣人だ。受けた恩をそのままにしておくような生き方はできねえ。この借りは必ず返す。俺のこの命、傭兵としてお前の好きに使ってくれ」

 真剣な眼差しで頭を下げようとする大男に対し、マコトは静かに首を横に振った。

「借りは返さなくていいですよ、グラドさん」

「あ……? なんでだ。俺の腕っぷしが信じられねえってのか?」

「違います。俺たちは雇用契約を結んだ雇い主と傭兵じゃない。助けたのは、目の前に倒れている人がいたから当たり前の安全措置をとっただけです。だから――借りじゃなくて、友達になれたら十分ですよ」

「と、友達……?」

 グラドは目を丸くし、呆気に取られたようにマコトの顔を見つめた。

 そして数秒後――

「ぶっ……! わはははははッ!!」

 集会所の屋根を揺るがすような、豪快な大笑いが響き渡った。

「友達、だとよ! 人間が、この薄汚ねえ傭兵崩れの熊に『友達になろう』だと!? 違いねえ、お前は本当にイカれたお人好しだ!」

 グラドは口元を拭い、太い毛並みに覆われた右の拳を、力強く突き出してきた。

「気に入ったぜ、マコト! 俺のダチ公になってくれ!」

「ええ、喜んで」

 マコトも笑みを浮かべ、自らの拳を突き出し、グラドの巨大な拳とゴツンと突き合わせた。

 拳を合わせた感触を確かめ合うように引いた後、グラドの琥珀色の瞳からすっと笑みが消えた。

 その顔に、暗く燃え盛るような冷たい怒りが戻ってくる。

「……ダチになったお前にだからこそ、話さなきゃならねえことがある」

 グラドは包帯の巻かれた胸元を押さえ、軋むような低い声で語り始めた。

「俺が川へ叩き落とされ、命より重い大槌を奪われた理由……。そして、俺の背中を切り裂いた裏切り者どもの話だ」

読んでいただきありがとうございます。

面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。