EP 20
「灯りのある村」
山あいの朝露が、草木の青い匂いとともにロッカ村を包み込んでいた。
ミラの家の納屋で目を覚ましたマコトは、板壁の隙間から差し込む朝の光に目を細め、静かに上体を起こした。
昨夜の夢――あの薄暗いオフィスで、くたびれた神がぼそりと漏らした「無災害は、久しぶりに見たよ」という呟きが、まだ耳の奥に微かに残っている。
(夢の中でまで昇格面談を受けさせられた割には、妙に頭が冴えているな)
マコトは胸ポケットの手帳とボールペンを確かめ、小さく息を吐いた。
牙猿の襲撃を退け、村の防衛戦は死者ゼロという最高の結果で終わった。だが、戦いが終わったからといって現場の仕事が完了したわけではない。
破損した外柵の復旧、防衛ラインの再構築、そして村が二度と同じ危機に怯えずに済むための恒久対策。
倒すことより守ること。そして守ることよりも、共同体を「立て直す」ことこそが、最も重要で価値のある仕事なのだ。
広場へ出ると、すでにダンやゴッサ、狩猟隊の若者たちが集まっていた。宴の片付けを終え、誰もがこれからの作業に向けて顔を引き締めている。
「おはようございます、皆さん」
「よう、マコト! 朝から元気そうだな」
ダンが太い腕を組み、白い息を吐きながら笑いかけてきた。
「昨夜はいい酒だったが、今日からまた大工仕事だ。猿どもに薙ぎ倒された外柵を直さねえとな」
「ええ。ですが、ただ元通りに直すだけでは不十分です」
マコトは手帳を開き、いつもの言葉を落ち着いた声で口にした。
「まず、現状を把握しましょう」
マコトは広場の中央に立てた木の板に、木炭で村の略図をさらさらと描き出した。
「課題は大きく分けて三つあります。第一に、破壊された外周柵の物理的な強度向上。第二に、夜間の見張り環境の改善。昨夜のように闇に乗じた奇襲を許さないための照明設備の配備です。そして第三に、万が一の事態に備えた、避難所――あの穀物貯蔵庫への非常用備蓄の配備です」
「備蓄……? あそこには普段の雑穀が入ってるが、それじゃ足りねえのか?」
ダンの問いに、マコトは頷いた。
「火が使えず、水も限られた籠城戦になった場合、硬い雑穀だけでは子どもや高齢者の体力が持ちません。調理不要で長期保存できる食料、清潔な水、防寒用の毛布、そして救急用品をあらかじめ常備しておく必要があります」
(主任に昇格して【防災用品・工具・照明】が解放されたんだ。資材の出し惜しみをしている場合じゃない)
マコトは視界の端の【社内購買カタログ】を呼び出し、必要な資材を高速で選定した。
・充電式ソーラー大型LED投光器セット(架台・ソーラーパネル付き):15 KP × 2基 = 30 KP
・プロ仕様万能大工工具セット(高耐久ノコギリ、金槌、バール、水平器、クランプ):10 KP
・高耐候性ブルーシート&頑丈結束バンドセット:5 KP
・防災非常用備蓄セット(保存水、高カロリー乾パン、アルミ保温シート、大型救急箱):20 KP
合計65KPを消費。残高は927KPとなった。
ポン。
重厚な決裁印の音が響き、淡い光とともに広場の土間に黒い頑丈なツールボックスと資材の山が実体化した。
「うおっ……! またマコトの不思議な取り寄せか!」
若者たちがどよめき、片腕の老職人ゴッサがのっそりと前に進み出た。
ゴッサはツールボックスから、一本のノコギリを手に取った。刃先を指の腹でそっとなぞり、片目を細める。
「……なんだこの刃は。刃先だけが異常に硬く焼き入れされてやがる。目立ての狂いが一切ねえ。それにこの枠金……水平を測る器具か? 中の気泡で傾きを見るのか……職人の勘を完全に数値化してやがるな」
「ゴッサさん、木材の加工と柵の組み直しは、あなたの腕が頼りです。この道具を使って、斜面の土圧に耐えられる筋交いを入れた頑丈な防護柵を組んでいただけますか」
「フン、言われなくてもやってやるよ。これだけの道具を揃えられて、半端な仕事ができるかってんだ」
老職人は隻腕で器用に道具を掴むと、口元に不敵な笑みを浮かべた。
作業は驚くほどの速さで進んだ。
セルマが土魔法で柵の基礎となる地面を固め、ゴッサの指導のもとで男たちが太い丸太を組み上げていく。斜面には土のうとブルーシートを用いた土砂崩れ防止の補強が施された。
村の見張り台の最上部には、太陽光で自動蓄電する大型LED投光器が据え付けられた。昼の間に光を蓄え、夜間になれば谷底まで真っ白な光線で照らし出す防犯の要だ。
穀物貯蔵庫の頑丈な石扉の奥には、清潔な保存水と乾パン、アルミシートが整然と棚に並べられた。
だが、マコトの仕事は資材を配るだけで終わらなかった。
「ダンさん、これを見てください」
作業の合間、マコトは平らな木の板に見取り図と格子状の表を書き込み、見張り台の柱へ括り付けた。
「これは……表か?」
「『日常点検表』です。見張りに就いた者は、交代の際に四つの項目を確認します。一、外柵の緩みや破損の有無。二、投光器の蓄電ランプの確認。三、貯蔵庫の施錠確認。四、鳴子ロープの展張状態。異常がなければ、ここに炭でチェックを入れ、自分の名前を書く」
「自分たちで、毎回確かめるのか……?」
「そうです。安全は、誰か一人が気を張って守るものではありません。仕組みにして、全員で毎日確認し続けることで初めて維持できるんです」
(ひとりの天才や英雄に依存した現場は、その人間がいなくなった瞬間に破綻する。大事なのは、誰が担当しても同じ安全水準を維持できる『自走する組織』を作ることだ)
ダンは表に刻まれた項目を指先でなぞり、深く頷いた。
「なるほどな……。これなら、新米の若者が見張りに立っても、何を点検すりゃいいか一目で分かる。……よし、今日の夕方の交代から、俺が先頭を切って書くぞ!」
男たちの間に、自分たちの手で村を守り、維持していくのだという誇りと責任感が芽生え始めていた。
昼下がり、復旧作業の汗を拭っていたマコトの視界に、村の入口の坂道を下りてくる人影が入った。
背中に大きな革袋を背負い、杖をついて歩く初老の男だ。
「旅人……?」
山を越えて麓の町へ向かう途中の旅人だった。山羊人族の村が外の人間を受け入れることは滅多にないが、村の入口で息を切らしていた旅人に、ミラが竹筒の清潔な水を差し出していた。
その光景を見ていたマコトの脳裏に、鋭い思考が走った。
(麓の町へ向かう旅人……好機だ)
ロッカ村は長年、悪徳仲介商人のヤーコフに鉱石くずや薬草を二束三文で買い叩かれ、生命線である塩を法外な高値で売りつけられてきた。ヤーコフは「この村に物を売りに来るのは自分だけだ」と脅していたが、それは流通を独占して搾取するための出鱈目だ。
村が自立して立ち直るためには、真っ当な取引相手――新たな販路の開拓が絶対に欠かせない。
マコトは作業着の胸ポケットから手帳と、辞めた後輩から借りたままのボールペンを取り出した。
手帳から破り取った上質な白紙の上で、ペンの切っ先を滑らせる。
(建材メーカーの営業時代、新規開拓のために何百通と書いてきたDMの手法を応用する。感情論や泣き落としは通用しない。相手の商売にとって、どんな明確なメリットがあるかを論理的に提示するんだ)
宛先は『麓の町の商人組合 御中』。
頭語と時候の挨拶から端正に書き起こし、村の現状と提案を簡潔に箇条書きでまとめた。
――ロッカ村周辺で採取される高純度な薬草類、および廃坑周辺から産出する鉱石資材の定期供給の提案。
――適正相場に基づく公正な取引条件の提示。
――現在、村の防衛インフラが整備され、外敵の脅威が完全に排除された安全な荷車搬入環境の保証。
手紙の文末には、セルマが選別した高品質な薬草の小枝と、ゴッサが叩いて割った光沢のある鉱石の小片を、布袋に詰めてサンプルとして同封した。
「すまないが、旅の方」
マコトは旅人に歩み寄り、封蝋の代わりにしっかりと紐で結んだ手紙と、カタログから取り寄せた塩むすび二個を手渡した。
「麓の町に着いたら、商人組合の会館へこの手紙を届けていただけませんか。これは旅の足しにしてください」
「おや……手紙の配達かい? 組合の窓口なら立ち寄る予定があるから、お安い御用だが……お前さん、こんな上等な飯をいいのかい?」
純白の米と塩の香りに、旅人が驚きで目を丸くする。
「ええ、確実に届けていただけるなら、十分に釣り合います。よろしく頼みます」
「分かったよ、旦那。組合の会頭の机へ直接届けてやるから、安心しな」
旅人は手紙を大事そうに懐へ収め、一礼して坂道を下りていった。
夕暮れが過ぎ、夜の帳が降りた頃、ロッカ村の風景は昨日までと完全に一変していた。
パッ――!
高い見張り台の上で、二基のソーラー投光器が静かに点灯した。
鋭く澄んだ昼白色の光条が、村の正面斜面と新たに組まれた頑丈な外柵、そして谷へ続く道をどこまでも明るく照らし出している。
死角はどこにもない。物陰に潜もうとする魔物の影すら、一目で判別できる圧倒的な視界だった。
「すげえ……。昼間みたいだ」
見張り台に立った若い戦士が、手にした山刀をぎゅっと握り直した。
「これなら、夜の見張りも怖くねえぞ。遠くの草の揺れまで全部見える!」
広場では、子どもたちが明るい光の輪の中で笑い声を上げて駆け回り、家の前では母親たちが安心して夜の針仕事をしている。
暗闇に怯え、息を殺して夜をやり過ごすだけだった山あいの貧しい村に、確かな「光」が灯っていた。
「……いい景色だね」
いつの間にか、長老のネル婆が杖を突いてマコトの隣に立っていた。
老女は眩しそうに目を細め、白光に照らされる村を見つめている。
「昔、鉱山会社がいた頃も、夜の山は松明で明るかったよ。だがね……あの光は、男たちを夜通し働かせて山を削るための、血の匂いがする灯りだった。……この灯りは違うね。人を休ませて、安心させるための光だ」
「村を守るための光ですから」
マコトが穏やかに応えると、ネル婆は深く頷き、皺の刻まれた顔に柔らかな笑みを浮かべた。
その瞬間だった。
マコトの頭蓋の奥で、澄み渡るような、これまでで最も重厚な印鑑の音が響いた。
ポン。
黄金色の縁取りを持つ考課票が、夜の光の中に静かに展開される。
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【考課】行動:共同体の再建および安全管理システムの構築/評価:S/+300KP
(累計1,450KP/保有残高:1,227KP)
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(共同体の再建でプラス300ポイント……。やはり、倒すことよりも人を守ること、そして守ることよりも『その人たちが自分の力で立ち上がれるように立て直すこと』が、このスキルでは最も高く評価されるんだ)
マコトの確信は、揺るぎないものとなっていた。
ふと、考課票の隅に視線を走らせたマコトは、息を呑んで足を止めた。
画面の右下。
これまで完全に鉛色に沈み、沈黙していた灰色の項目――
『チーム』と記された文字が、朝露を弾くように、ごく微かな淡い光を帯びて明滅を始めていた。
読んでいただきありがとうございます。
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