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人事考課で異世界を立て直す~倒すより守る方が高査定!?業務改善スキルで人間嫌いの鉱山村を再建します~  作者: 月神世一


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EP 13

坑道の奥の声

 群れの王『白牙』が率いる牙猿の大群が、山を降りてきている。

 若者の悲鳴のような報告を受け、ロッカ村の空気は一瞬にして戦時下の張り詰めた緊張へと塗り潰された。

 完成したばかりの樫の杖を強く握り締め、マコトは戦士頭ダンの背中を追って村の上段へと駆け上がった。

「群れが本当に動いているなら、どの谷を通ってくるかを掴むのが先決だ」

 ダンは大股で坂道を登りながら、腰の山刀の柄に手をかけて低く唸った。

「この村へ降りる道は二つある。一つは正面の沢沿い、もう一つは廃坑の裏を回る北の尾根筋だ。……おい、マコト。お前も付いてこれるか?」

「もちろんです。敵の侵入動線を特定しなければ、防衛計画の立てようがありません」

 前職の現場改善でも同じだった。問題が発生した際、現場を見ずに推測だけで対策を打つのは最大の愚策だ。まずは現地現物で現状を把握し、ボトルネックとなる侵入経路を特定しなければならなかった。

 二人は村の裏手、切り立った崖沿いに掘られた古い廃坑の周辺へと分け入った。

 第8話でマコトが立入禁止にした崩落現場の本坑口を迂回し、さらに上流へと続く険しい獣道を進む。かつて人間が探鉱のために掘り散らかした試掘坑の穴が、岩肌に無数に黒い口を開けていた。

 木々のざわめきと、遠くで風が鳴る音だけが響く。

 二人が北の尾根を見上げる小高い岩棚に差し掛かった、そのときだった。

「……待ってください」

 マコトは立ち止まり、ダンを手で制した。

「どうした?」

「何か……聞こえませんか」

 耳を澄ます。

 足元の崩れかけた岩壁の隙間――土砂で半分ほど埋没した、小さな横穴の奥からだった。

 風の音に混じって、途切れ途切れの、微かな掠れた呻き声が地下から漏れ聞こえていた。

『……だ、れか…………たす……け……』

「人だ!」

 ダンが目を剥き、山羊人族の跳躍力で岩壁の窪みへと駆け寄った。

「おい、誰かいるのか!? 今助けてやるぞ!」

 ダンは迷うことなく、土砂が崩れかけている狭い穴の入口へ上半身を突っ込もうとした。

「止まってくださいッ!!」

 マコトは背後から飛びつき、ダンの太い毛皮の腰帯を力任せに引き戻した。

 合気道の腰の落とし方で引かれた大男は、たたらを踏んで地面に引き倒された。

「な、何すんだマコト! 中に誰か閉じ込められてるんだぞ!」

 ダンが怒声を上げかけたが、マコトの表情の厳しさに呑まれて言葉を詰まらせた。

(二次災害の教本を読んだことがないのか!? 狭小空間の事故現場に丸腰で飛び込むのは自殺志願者だけだ!)

「確認ですが、ダンさん。あなたは死にたいんですか?」

 マコトは胸ポケットの手帳を叩くようにして、鋭く問い詰めた。

「ここは数十年放置された廃坑の脇道で、しかも土砂崩れで塞がれかけているんです。通気が完全に遮断されています」

「つ、通気……?」

「酸素ですよ! 空気が澱んで、酸素濃度が極端に低下している危険性が極めて高いんです。下手をすれば一酸化炭素や地底の有毒ガスが充満している。そんな穴に無防備に飛び込めば、二呼吸吸い込んだだけで脳の酸素が断たれ、意識を失って即死します!」

 前職の建材メーカー時代、地下ピットやタンク内の清掃作業における酸欠事故の講習を嫌というほど受けてきた。

 酸素濃度が十六パーセントを下回れば呼吸が乱れ、十パーセントを下回れば昏睡、六パーセント以下では即座に心肺停止に陥る。そしてもっとも恐ろしいのは、倒れた仲間を助けようとして飛び込んだ救助者が、次々と折り重なるように倒れて死ぬ『二次災害の連鎖』だった。

「ば、馬鹿な……空気なんてどこにでもあるだろ!」

「見ていてください」

 マコトは足元から小枝を拾い、常備薬の缶から取り出した擦り薬の火種を移して小さな炎を灯した。

 その火のついた枝を、横穴の隙間へとゆっくり差し込む。

 地上ではパチパチと力強く燃えていたオレンジ色の炎が、穴の奥へ数メートル入った瞬間――フッと、何かに吹き消されたかのように呆気なく掻き消えた。

「……っ!?」

 ダンの喉が引き攣ったような音を立てた。

「ひ、火が……消えた……?」

「燃えるための酸素すら残っていないということです。中にいる人間が掠れた声しか出せないのも、意識が朦朧として酸欠の初期症状を起こしているからだ。飛び込めば、あなたも一歩で倒れますよ」

 ダンの顔から血の気がサーッと引いていくのが分かった。戦士頭は冷や汗を流しながら、自らの太い拳を握りしめた。

「す、すまねえ……俺が無知だった。だが、どうすりゃいい! このままじゃ中の奴が死んじまうぞ!」

「まず、現状を把握しましょう」

 マコトはいつもの言葉で自らの呼吸を整え、脳内の段取り表を組み上げた。

【目的】遭難者の救出、および救助者の完全な無災害。

【リスク】酸欠空間への曝露、落盤、時間制限(遭難者の生命維持限界)。

【手順】

ステップ1:現場への強制換気(新鮮な空気の送り込み)。

ステップ2:救助者の単独進入禁止、および命綱の展張。

ステップ3:進入時間は最大三十秒。遭難者を確保し、外から力任せに引き抜く。

「ダンさん! 大至急、ゴッサさんの鍛冶工房へ走ってください!」

 マコトは振り返り、迷いのない指示を飛ばした。

「工房にある一番大きな『ふいご』と、皮でできた長い送風管、それから一番太くて丈夫な麻縄を二本、持ってきてくれ! 急いで!」

「わ、分かった! すぐ戻る!」

 ダンは山羊人族の驚異的な脚力で、飛ぶように坂道を駆け下りていった。

 待つ間の数分間、マコトは手帳の白紙に救出の手順を殴り書きし、穴の周囲の浮石を慎重に手で取り除いて崩落のリスクを減らした。

 奥からは、相変わらず力のない呻きが途切れ途切れに届いている。一刻の猶予もなかった。

「持ってきたぞッ!」

 数分と経たずに、ダンが肩に巨大な木製のふいごと、何重にも巻かれた長い革管、太い麻縄を抱えて戻ってきた。息を切らし、全身から湯気を立ち上らせている。

「見事な足だ! 手順通りに行きます!」

 マコトは革管の先端を、崩れた土砂の隙間から横穴の最深部めがけて深く差し込ませた。

「ダンさん、ふいごを全力で煽って外の空気を送り込み続けてください! 絶対に手を止めるな!」

「任せろッ!」

 ダンが太い腕でふいごのレバーを力いっぱい押し引きし始める。

 フシュウッ、フシュウッ、と澄んだ外気が、革管を通じて淀んだ洞窟の奥へと猛烈な勢いで圧送されていく。奥から吹き戻る風の中に、腐った土の臭いと埃が混ざり始めた。換気が始まっている証拠だ。

「よし……次は俺が入る」

 マコトは太い麻縄を自分の腰に回し、しっかりと解けないもやい結びで固めた。

「ダンさん、この命綱の端をその手首に巻きつけておいてください。俺が中に入って、ロープを強く二回引いたら、ふいごを捨てて俺ごと中の人間を一気に引っ張り出すんだ。もし俺が三十秒経っても合図をしなかったら、何があってもその場でロープを全力で引き戻してください。いいですね?」

「……分かった。頼むぞ、マコト!」

「よし。呼吸、よし。命綱、よし。進入、開始」

 指差呼称を完了させ、マコトは深く息を吸い込むと、肺の中を満たしたまま狭い穴の中へと身を滑り込ませた。

 穴の中は、肌を刺すような冷気と粉塵に満ちていた。

 送風管の先から新鮮な空気が送り込まれているとはいえ、足元の地面は重い二酸化炭素が沈殿しているような独特の息苦しさがある。息を吸うのは最小限に留め、匍匐前進で五メートルほど進んだ。

 崩れ落ちた岩の陰に、青い布地が見えた。

 倒れていたのは、頭からすっぽりとフードを被った、泥まみれのローブ姿の人物だった。

 角はない。人間だ。女性の細い身体つきだった。顔色は土気色で、唇は紫色に変色し、完全に意識を失いかけている。その胸元には、ガラスや真鍮の針が組み合わされた、奇妙な円筒形の器具がしっかりと抱きしめられていた。

(確保!)

 マコトは迷わず女性の脇の下に両腕を差し入れ、抱え起こした。

 そして、腰の麻縄を左手で掴み――グン、グン、と二回、力任せに引いた。

 直後、腰に凄まじい牽引力がかかった。

 ダンの怪力による巻き上げだ。

 ズザザザッ、と背中を地面に擦りつけながら、マコトと女性の身体は猛烈な速度で坑道の入口へと引き戻されていく。

「うおおおおっ!!」

 ダンの咆哮とともに、二人の身体は穴の外の光の中へと一気に放り出された。

 ドサリと、冷たい外気の草むらの上に転がる。

「ゴホッ! ゲホッ、ハァ……ハァッ……!」

 マコトは喉の奥に溜まった埃を吐き出し、新鮮な空気を肺いっぱいに貪り食った。

「マコト! 無事か!?」

 ダンが駆け寄り、マコトの肩を揺さぶる。

「だ、大丈夫です……! それより、この人を……!」

 救い出された女性は、外の草むらに横たえられていた。

 乱れたフードの下からこぼれ落ちたのは、艶やかな藍色の短髪と、整っているが病的なまでに青ざめた白い肌だった。年齢は二十代半ば――二十七歳前後だろうか。身につけているローブには、魔術師特有の幾何学的な刺繍が施されている。

「気道を確保して、横向きに寝かせてください! 新鮮な空気を吸わせれば、自発呼吸が戻るはずです」

 マコトの指示通りにダンが女性の首元を緩め、頭を横に向けた。

 数秒後、女性の胸が大きく跳ね上がった。

「ヒュッ……! カハッ、ゴホッ、ゴホッ……!」

 激しい咳き込みとともに、女性の紫色だった唇に、少しずつ血色が戻り始めた。自発呼吸の回復だ。

「……助かったんだな」

 ダンがへたり込み、安堵の息を漏らした。

「すげえよ、マコト。あんな死の穴から、一人も倒れずに引きずり出しちまうなんて……お前の段取りってやつは、本当に魔法みたいだな」

 その瞬間だった。

 ポン。

 澄み渡るような、重厚な印鑑の音がマコトの頭蓋に心地よく響いた。

 視界の前面に、黄金色の枠を持つ考課票が静かに展開される。

――――――――――――――――

【考課】行動:危険下の救助/評価:A/+40KP(累計140)

――――――――――――――――

(危険下の救助で評価A、プラス40ポイント……!)

 マコトは胸中で深く息を吐いた。

 累計はこれで140KP。

 二次災害の危機を未然に防ぎ、手順に沿って確実に人命を救い出したことが、またしても正当に評価されたのだ。

 ふと、地面に横たわっていた女性の瞼が、かすかに震えた。

 長い睫毛が持ち上がり、夜空のように深い群青色の瞳が、おぼろげにマコトの姿を捉える。

 女性は弱々しく唇を動かし、胸元に抱え込んだ奇妙な器具をぎゅっと抱きしめ直した。

 そして、掠れた、しかし妙に理知的な声で呟いた。

「……私の測定器、無事ですか?」

読んでいただきありがとうございます。

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