車内教育
朝七時。
まだ、朝靄の残る頃である。
遠くで農夫が軽トラを止めて、作業をしている。
ここは上毛平野の穀倉地帯である。
よく整備された農面道路が、遥か先まで続いている。
そこに不釣り合いな黒塗りの大型のワンボックスカーが走って来る。
恋三が会館から乗り付けた公用車である。
・・・道路の先に信号が見えて来る。
信号は赤に変わり車は停止する。
青に変わり車は走り出す。
暫く走るとまた信号が黄色から赤へと変わる。
車は停車する。
ごく自然な『交通の法則』である。
先生は後部座席で鼻糞をホジりながら新聞を見ている。
そして優しく、
先生「恋サン、ニュースをかけてくれる」
恋三「はい!」
恋三はカーラジオのボタンを押す。
停車する車内からNHKのニュースが流れる。
先生は前方の景色を一瞥して、
先生「何してるの?」
恋三「はい! 信号で停まっています」
農道には車は全く走っていない。
すると先生が、
先生「・・・行きなさい」
恋三「は? あの信号が」
先生は苛立ち、
先生「早く行きなさい」
恋三「え? あッ! 変わりました」
車はゆっくりと走り出す。
すると先生がまた一言。
先生「ちょっと停まりなさい」
恋三はルームミラーで先生を見て、
恋三「あッ、はい」
漆黒の公用車が静かな農道の端に停車する。
先生は後部座席から両手で運転席を包み、
先生「恋サン。あなた大学で何を専攻して来たの?」
恋三「はい。法律です」
先生「そう。よく卒業出来たね」
恋三「は? ・・・はい。授業料を払ってましたから」
先生「??、 君ねえ。私は政治家以外に何をやってるか知ってるよね」
恋三「ハイ! 弁護士と医師です」
先生「そう。じゃ、君に、簡単な質問をしよう。法律は誰が作ったの?」
恋三「えッ? ダレ?? あ、はい! 確か・・・モンテスキュー? うん? あれ? あッ! 人間?」
先生「そうッ! 人間だねえ。じゃあ、人間と云う字はどう書くの?」
恋三「ニンゲン? 人間は・・・人と間です」
先生「そうね。人が二人居る事が『絶対条件』だ。じゃあ、ここに居るのは?」
恋三「? 先生と私です」
先生「で、周りには?」
恋三「誰も居ません」
先生「でしょう。そうしたら法律は誰が作るの」
恋三「あ~あ、なるほど。先生です」
先生「その通りッ! 」
先生は運転席のヘッドレストを力強く叩く。
そしてまた優しい言葉で、
先生「あなたは後ろで新聞を読んでなさい。アナタの力では時間に間に合わない」
恋三「え? ・・・あッ、はい! すいません」
恋三は顔を赤らめ運転席のドアーを開け、急いで車を降りる。
先生は後部座席から降りて、運転席にゆっくりと移動する。
そして運転席に着き、座席を自分の位置に調整、ハンドルを握りフットブレーキを解除する。
途端にタイヤを鳴らし猛スピードで田園を走りぬけて行く。
『信号は総て無視!』。
恋三は硬直した身体で新聞を広げ、飛んで行く景色を見ている。
先生は片手でカーラジオのボリュームを調整しながら、
先生「恋サン。新聞を読みなさい」
恋三「え? あッ、はい!」
恋三は上毛新聞を必死に見詰める。
先生は大声で、
先生「新聞を読みなさーいッ!」
恋三も大声で、
恋三「ハイッ! 読んでまーすッ!」
先生は更に大声で、
先生「バカ者ーッ! 俺に運転させといて秘書が後で新聞見てるヤツが何処にいる~かッ!」
恋三は全身の血が氷付いてしまう。
そして開き直って大声で、
恋三「先生のおっしゃってる言葉が理解で来ませんッ!」
先生は更に大声で、
先生「オマエは日本人かッ! 声を出して読むんだーッ! バカ者がーッ!」
恋三は冷静に納得して、
恋三「あ~あ。ハイ」
恋三は新聞の一面から大声で読み始めた。
すると先生が強い口調でまた一喝、
先生「コラッ! そんな所から読むな。日が暮れてしまうぞッ! 俺の選挙区に関係ある所だけ読むんだ! バカ者ッ!」
恋三「あッ、ハイッ!」
先生はため息を吐き、
先生「君~、そんなんじゃ一流の秘書に成れんぞ」
恋三「はい! 勉強に成ります」
・・・しばらく走ると農道脇に長い看板が見えて来る。
『Gunma Milk Producers Association(群馬県酪農農業協同組合連合会)』
酪農牧場である。
恋三は車内で相変わらず大声で新聞を読んでいる。
すると先生が、
先生「もういい。うるさい。後でスクラップを読む」
恋三「え? スクラップ? ・・・はい!」
先生はハンドルを右に切り、静かに牧場の正門に入って行く。
すると前方に一頭の『ホルスタイン(乳牛)』が道を塞ぐ。
先生は怪訝な顔で、
先生「何だ? アレは・・・」
恋三「アレ? あれは・・・牛の様です」
先生「君はバカか? 私は君と漫才をやってるんじゃないぞ。早く退かしなさい!」
恋三「えッ! あッ・・・はい」
先生「何をグズグズしてるんだッ! 早く出て押して来いッ!」
恋三「え?・・・ハイッ!」
恋三は渋々車から降りてホルスタインに近づいて行く。
先生がパワーウインドーを下ろし、キツイ目で恋三を睨んで、
先生「早くしろッ! 時間がないぞ」
恋三はホルスタインの真横に近付き、指で腹を一突きする。
思わず、
恋三「暖け~!」
腹を突かれたホルスタインは尻尾を一振りして、
「モ~~~~!」
と高らかに鳴いた。
そこに白いツナギを着た男が異変を感じて牛舎から出て来る。
先生は焦って、
先生「おい! バカッ、早く戻れ」
恋三「ア、ハイッ!」
恋三が急いで車に戻る。
先生が、
先生「早く俺と変われ」
車内で恋三と先生が入れ換わる。
先生は新聞を広げ、顔に載せて『寝たふり』。
ツナギの男は愛牛のホルスタインをどかし、親しみ深い笑みを浮かべて車に近づいて来た。
運転席のウインドウを優しく叩く男。
恋三はウインドウを下げる。
ツナギの男はニッコリと笑い、ゆったりとした口調で、
男 「・・・ワリ~ネ~。牛だからよ~」
と言いながら後部座席を覗く。
男は驚いて、
男 「アンレ? まあ~! 大木戸先生? 先生でないの?」
先生は新聞を顔からずらし片眼を開け、わざとらしく、
先生「うん? 恋サン、着いたの?」
先生は窓越しにツナギの男を見て、後部座席のパワーウインドウを下げる。
先生「アンレ~? 耕ちゃん(山田耕三・酪農組合会長)でないの~? ここは私の強い支持者だから寄らなくても良いと言ってあったのに、バカな秘書だよ。あッ、そうだ! 丁度いい。今度、勉強会(旧パーティー)が有るんだ~。来てよ~お。あと二つ貴賓席が余ってんのよ~」
ニッコリ、笑って催促する先生。
耕三が、
耕三「分かった。じゃ、二人連れて行く。ちょっと寄って牛乳でも飲んでいけや。話しでもすんべえ」
先生「それが、これから急いで東京に戻って三役との打ち合わせが有るんだよ~お。俺は裏金の証人喚問には呼ばれてないから忙しいんだ。ハーハハハ」
先生は高笑いをする。
そして先生はピカピカのマレリーの革靴に履き替え、車から降りて来て耕三と両手で熱い握手を交わす。
先生は恋三を見て、
先生「恋サン。君も名刺を」
恋三「はい」
先生は耕三を見て、
先生「じゃ、勉強会の会場で楽しみに待ってるからね。頼むよ」
急いで車に乗り退散する、先生と恋三。
つづく




