花火②
1LDKの広い部屋は意外と物が少ない。
高校生1人が住むには広すぎる部屋だ。
「座っててください」
そう促され、リビングのソファに座る。
生活するための必要最低限の物のみがあるといった印象だ。テレビすら見当たらない。
その代わりというようにリビングの中央に置かれたガラステーブルの上に古びたラジオが置かれていた。
日に焼けていて長年大事に使い込まれているのが分かる。
「お待たせしました。何してるんです?」
祈がお茶を盆に乗せて運んできた。
「随分古いラジオだな」
「貰い物なんです。物寂しいときに、たまに使ってます」
お茶を置いたあと、祈は僕の隣に腰掛け大事そうにラジオを撫でた。
「1人だと意外と何気ないものが恋しくなるんですよね。人の話し声とかもその1つで」
そう言いながら祈は悲しげに微笑む。
「でも、最近は寂しくないですよ」
そう言い、ゆっくりと首を傾け微笑んだ。
ドキリと心臓が鳴る。
「祈...」
2人の間にある1人分の隙間をゆっくり詰めていく。
体重がかかってソファがギシッと音羽を立てた。
「透くん...そろそろ...やりませんか...?」
祈の声が耳を撫で、意識が飛びそうになった。
※
「んー...」
難問にぶち当たってペンが止まる。
まあ、分かってました。
分かってましたとも。
『透くん...そろそろ...やりませんか...?』
『やるって...』
『え?宿題ですけど...』
あああああっ!!恥ずかしい!!
めっちゃ変な期待した!!
元々集合時間を早めて花火を見る前に一緒に宿題をする予定だったのだ。
初めての彼女の家に舞い上がって、変な事を考えた自分が悪い。
チラリと視線を上げると祈はペンを一切止めることなく、スラスラと問題を解いていく。
さすが学年1桁。
僕も富永との勝負以降、出し惜しみせず何事にも取り組んで来てはいるが勉学ではまだまだ敵わない。
静かな空間にカチ、コチと時計の秒針の音が響く。
そして数学の問題集の第1章が終わったところでペンを置いた。
「んーっ」
大きく伸びをすると肩がバキッと音を鳴らす。
集中していたからかもう後10分もすれば花火が上がるという時間になっていた。
祈を見ると今もとんでもない集中力でペンを動かしている。
集中している所申し訳ないがさすがに声をかけないわけには行かない。
最大の目的を逃してしまう。
問題集を覗き込み、祈がキリのいい所まで解くのを待ってから僕は声をかけた。
「祈」
名を呼び、肩を揺するとやっと祈は顔を上げる。
「はい、なんです......あ、もうこんな時間ですね。ありがとうございます。教えてくれて」
祈は残っていたお茶を飲んで、立ち上がった。
「こっちです」
祈に促されリビングからベランダに出る。
部屋の電気が消し、祈は隣に並んだ。
パンッ。
僕たちの準備が整うのを待っていたかのように絶妙なタイミングで花火が打ち上がり始める。
確かに祈の言ったように小さいけどここからでも十分花火は見えた。
「綺麗...」
隣から小さな声が聞こえる。
祈はじっと花火に視線を注いでいた。
その横顔が星空に照らされる。
こうして改めて近くで見ると現実なのに、夢を見ているような、変な感じがした。
初めて祈を見たときの事を思い出す。
あれは、美化委員の先輩に言われてプリントを1年3組の美化委員の生徒の元に持って行ったときだった。
シルクのように流れるミディアムヘア。
白い肌に大きな目、スっと通った鼻筋、小さな唇。
そのどれもが模造品のように綺麗に整っていて、笑い方も品があって、そんな彼女に見とれた。
それから色々なことがあって、話すようになって、新たな面がたくさん見えてきて、そして惹かれていった。
本当に、僕の彼女なんだ、なんて改めて思ってしまう。
少しでも目を背けたら全てが本当に夢になって、無くなってしまいそうな気さえして―――
僕は数日前から考えていた事を実行する決心をした。
降ろされた祈の華奢な手に向かってゆっくり左手を伸ばし、触れる。
ビクッと祈が震えた。
一瞬、2人の視線が交差したがすぐに逸らされる。
その様子を見て、『やっぱり、いきなりはまずかったかな』と後悔と不安が膨らんで来た時。
祈が僕の左手の5本指を遠慮がちに掴んだ。
「...っ」
驚いて祈を見ると花火に視線を向けたまま祈は耳まで真っ赤にして唇を噛んでいた。
その様子が可愛くて、愛しくて、溢れそうになる想いを必死に押し留めながらしっかりと、握り直した。
「は、花火、綺麗ですね」
「あ、う、うん。そう、だな」
2人して言葉を詰まらせる。
恥ずかしくて、身悶えそうで、でも不思議と居心地悪くない温かさが心を満たした。
※
花火はもう終盤を迎えていた。
次に上がるのが最後か、それともその次の次か。
祈もそれを感じているのか食い入るように花火を見ていた。
そして一際大きい花火が打ち上がり、辺りは急にシンとなった。
「終わっちゃいましたね」
少し寂しそうに祈は言う。
「まあ、仕方ないよな。準備時間とか結構かかったのに打ち上げたら一瞬だし」
「ふふ、花火職人目線ですか」
真面目に答えたのに祈はくすくす笑う。
さっき言ったのは本音だ。
冗談ではなく。
準備時間が長い程、終わった時は達成感と寂寥感が大きい。
だが、もう1つ、祈も感じているであろう寂しさを僕も感じていた。
花火でテンションが上がった分、終わった今は夢から一気に現実に引き戻されたような気分になる。
終わらせたくなかった。
花火じゃない。
この時間を。
「透くん?」
手を握る手を少し強めると祈は怪訝そうな顔で首を傾げた。
ああ...、もう。
心臓の音がうるさいな。
「祈...」
「ふぇっ!?」
聞いた事のない戸惑いの声を祈は上げた。
いきなり僕が両肩を掴んだからだろう。
僕は祈の目をじっと見つめ、『その時』を待つ。
だが―――
「ま、待ってください!!」
祈は身を捩った。
その反応が思いの外ショックで咄嗟に手を離す。
「ご、ごめん!嫌、だったよな...」
やっぱりいきなりは良くなかったか。
手を握ることを許されただけで舞い上がって―――
「ち、違います!」
落ち込んでいると祈はそう声を荒らげた。
え...
「違うって...」
「順番、あると思うんです。は、ハグもしてないのにいきなりそれは...」
顔を赤く染めながら普段はあまりしない身振り手振りをして拒んだ理由を説明する祈を見て―――
僕の理性はぶっ飛んだ。
ギュッと 祈の体に手を回す。
祈の体温がダイレクトに伝わってくる。
「ん......」
耳元を祈の漏らす声が撫でる。
やば...これ心音伝わってるんじゃないかな。
体もあつっ。
理性はとっくに蕩けきって留まらない。
「祈...」
「透...くん」
互いの名前を呼びながら至近距離で視線が合う。
まつ毛も唇も震えさせながら、祈はゆっくり目を閉じた。
嬉しかった。
嫌なことも、苦しいことも、辛いことも。全てが溶けて無くなっていって許されたような気がした。
ここ大1番で外さないよう、薄目でギリギリまで近づいて目を閉じる。
ここまで近づけばさすがに外さない。
ピクんッと手を添えた祈の肩が大きく跳ねた。
息が続かなくなってゆっくり祈から離れる。
目を開けるととろんとした目の祈と至近距離で目が合う。
「...ッ」
2人の間の僅か数センチが今度は祈から詰められる。
そしてゆっくりと祈が離れた。
スルンと胸元を掴んでいた手が離される。
そのまま祈は窓に手をかけた。
「冷えますし、入りましょう」
背を向けたまま中に入る祈の耳は真っ赤なままだった。




