65 バイバイ
富永たちと別れた後、ダッシュで更衣室で着替えた後教室に向かう。
『彼女』にきちんと結果を報告するために。
校舎の中はシーンとしていて、どこか遠くから聞こえる運動部や楽器の音が届いていた。
パタパタと内履きのスリッパを鳴らし階段を駆け上がると若干息が上がる。
途中すれ違った女子生徒が自分の名を挙げたのが耳に届き、落ち着かない気分になった。
自分が知らないところで自分のことを話題にされているのが居心地悪い。
祈はこんな気分を常に感じていたのかな、なんてふと思った。
祈...
心の中でその名を呼びながら足が自然と早まる。
早く話したい。
会いたい。
触れたい。
気持ちが溢れて溢れて、堪らない。
2年フロアの1番端、2年1組の後ろの入口から中に入る。
中にいたのはたった1人。
『窓側の』席に座った彼女はびっくりした様子でこちらを向いていた。
「...透」
詠子は再び机に視線を戻しゆっくり立ち上がった。
「おつかれさま」
「あ...ああ。ありがとう。それで...えっと...」
「那須さんならついさっき帰ったよ」
僕の心情を察したように詠子は先回りしてそう言った。
今にも泣きそうな顔で、それでも微笑んで。
「詠子...?」
初めて見るその姿に戸惑う。
先程グラウンドで見かけた時はいつも通りに見えたのに。
何かあった?
「透」
僕が聞く前に詠子が口を開く。
下ろされた手が小刻みに震えていた。
それだけでただ事ではないことは分かる。
「もうすぐ...雨が降りそうだね」
「...え?」
「もう帰った方がいいよ」
絶対無理やりに、詠子は笑顔を作る。
「でも...」
「それに今なら那須さんに追いつけると思うから」
祈との関係も、僕の想いも。
詠子は全て気づいている...?
だからこそ、友人として背中を押してくれようとしているのだろうか。
だが、それの解釈はあまりにも都合が良い。
全てを察してもらって、僕は楽をして。
相手任せだ。
優しい人たちに助けられて嫌なことから、本当のことを晒すことから僕はこれからも逃げ続けるのか?
僕だけが、優しさのベールに守られて。
「あのさ...」
言わなくていい事、なんだと思う。
詠子を傷つけるだけだって。
でも。目の前の泣きそうな、傷ついている詠子を見て見ぬふりして去れるほど僕は鈍くない。
「僕、好きな人がいるんだ」
詠子は目を見開く。
そして
「私も、いたよ」
そう答えた。
「分かってる」
詠子はそう続けて俯く。
前髪に隠れて顔の半分が見えなくなった。
「『あんなの』見たら...透の好きな人、分かっちゃった。あーあ、...友達なんだからいつでも恋愛相談乗ったのにー」
いつも通りを装っているのだろうが後半の言葉は明らかに震えていた。
「ごめん」
「謝らないでよ」
詠子は顔を上げた。
「...あやまら...ないで、よ」
目に涙を貯めてそれを落とすまいと堪えながら。
「だい...じょうぶ。那須、さん。待ってるよ。行ってあげて」
これ以上何も聞かないでと言うように詠子は優しい言葉で僕を拒絶した。
何も言葉が出てこない。
何も言って上げれない。
何を応えたって、僕は詠子の気持ちに応えてあげることが出来ないのだから。
「...分かった。また、明日、な」
詠子に背を向け、元来た道を引き返す。
「バイバイ」
背中越しに小さな声が響き、振り返る。
既に僕は2年2組の教室横にいて、1組の中はさすがに見えない。
僕は再び前を向いて歩き出した。
胸には鋭い痛みが走り、唇を噛む。
もしかしたら、もしかしなくても僕は手にしていた確かなものを失った。
「また明日」なんて言っても、もう元の関係にはきっと戻れない。
どうしようもなかったことだ。
こればかりは同時に手に入れることは出来ない。
片方をどうしても受け入れることが出来ない。
好きだった。
詠子のこと。
でも、それは恋愛感情じゃなくて。
男女で友情は成立しない。
そんなことをよく聞いた。
でも、そんなことないって思っていた。
性別なんて関係ない。
男女であっても友情は成立するって。
今は、そうでもないかもしれないな、と思う。
この胸を締め付ける苦しみは、友情で成立するだけの僕らの関係だったら、感じることがなかったものだから。




