63 勝負
休み時間のうちに事情を聞きつけた矢野と直樹と共にグラウンドへ出ると
「なんだこりゃ」
うちの高校はグラウンドが狭い割にそこで練習する部活は多い。だが今いるのは明らかに部活動生じゃない生徒ばかりだろう。
普段ならこの時間には所定の位置で練習している部も今日はまだ集まっておらず練習着を着た陸上部がトラック整備をしていた。
「ギャラリー多いな!」
テンションが上がった矢野が叫ぶ。
「お前もその1人だけどな。バスケ部はいいのか?」
いつも放課後になると速攻で練習に向かう矢野はまだ制服姿だ。
「これが終わったらすぐ行くって」
「不真面目め」
ケラケラ笑う矢野は僕の言葉なんか聞いちゃいない。
「まあ、こいつも心配で見に来たんだろ」
隣で練習着に着替えた直樹が援護する。
「それより透、大丈夫か?」
「大丈夫って?」
何となく言いたいことはわかるが敢えてそう惚けた。
大丈夫にせよ、大丈夫じゃないにせよ今更どう答えたところでやらなければわならないことに変わりはない。
経験上直樹に嘘を言えば速攻でバレる。
だからこそ知られたくないことは言わないが吉だ。
正直言えばすぐにでもこの場を離れたいがそう言っていられない。
人混みの中心に向かって人を掻き分け進んでいくとその中心にストレッチする富永がいた。すぐ側には簗場の姿も見える。
「よう。逃げずに来たな」
挑発するように富永が不機嫌そうな顔で鼻を鳴らす。
冨永はやる気MAXといった様子で既に練習着とランニングシューズを身につけ瞳をギラギラと闘志に燃やしている。
僕の格好を上から下まで眺め、富永は眉を顰める。
「んだよ。体育の授業じゃねぇんだぞ」
僕は午前中で使った体操服と授業で使う運動靴を履いていた。
そんなことを言われても困る。
勝負を提案されたのは今日の昼休みだし事前準備なんかちっとも出来ていない。
練習量も装備も雲泥の差だ。
「ちょっと待ってろ」
富永はそう言ってどこかへと消えていった。
※
数分後。
「んだあいつ。わざわざ着替えてきたのか」
姿を見せた富永は僕と同じ体育の授業時の格好をして来た。
ギャラリーがそれにツッこむと
「うるせぇ!後で服だ、靴だのせいにされちゃうぜぇからだよ!これなら正々堂々だろ!!」
変なとこ真面目な奴だな。
こういうのとこ生徒会役員っぽいかも。
ギャラリーの中に祈と詠子が並んでこちらを見ているのを確認する。
知っている顔を見て安心すると同時に勝つことを期待されているのではないかと勝手な想像をしなんとも言えない気分になった。
その顔が『あの時』の母親とチームメイトの顔とダブる。
「何やってんだ、透」
頭をブンブン振る僕を直樹が怪訝そうな顔で覗いてきた。
それに「はいはーい」と返し僕もストレッチを始める。
いつも夜、走る前にしているときと同じ順番でゆっくり体を伸ばしていく。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
心の中でそう唱えながら。
一通り済ませるととっくに富永は準備を済ませていてスタートラインに並んでいた。
もう一度深く呼吸し1歩、1歩と前へ進む。
こんなに多くのギャラリーが見守る中走るのはマラソン大会以来だ。
あの時の事がまず脳裏を過った。
好奇の視線。うるさいくらいの歓声。風で舞う砂埃。
そして記憶は遡り中学の時の記憶がなだれ込む。
せっかく整えたのに呼吸が乱れる。
目の前がチカチカして一瞬真っ白に染まる。
やらなきゃ、勝たなきゃ、僕がやらなきゃ救えない。
そう思うほど、いつの間にか周囲の音が消えていく。
走らないと、いけないのに...!!
「...くん...おるくん...透くん!!」
突然腕をグイッと力強く引かれ我に返る。
目の前には『いつの間にか』祈が立っていてその手は僕の手を握っていた。
いつの間にか周囲の声は止んでいる。
「やめましょう」
祈は小さな声でそう言った。
「でも...それじゃ...」
「いいんです。透くん。マラソン大会のときに倒れた時と同じ顔してます。...また...無理するつもりですか...!」
ポロリと祈の目から涙が零れるのを見て何も言えなくなる。
祈は腕を掴む手を少し強めて
「矢野さんになんで勝負することになったのか、聞いたんです。私はもういいんです。自分のことは...自分でどうにか出来ますから...だからもう......」
その先は涙に濡れて言葉にならない。
涙を流す祈から視線を外し、俯いた顔をゆっくり上げる。
直樹、矢野、詠子。
他にも知っている顔が何人か見えた。
皆不安げにこちらの様子を見守っている。
ずっと怖かった。
期待に応えることが出来ない事が。
失望されてしまうのが。
嫌われ、離れていってしまうのが。
高校からはずっと自分を偽って『何事にも手を抜いて来た』。
初めから期待なんてされないように。
それでも完全に隠し通すことは不可能でマラソン大会で大役を任されて、失敗した。
なのに、クラスメイト達は怒らなかった。変わらず付き合ってくれた。
中学の時までとは違う。
視線を祈に戻す。
初めて、僕に『好き』を教えてくれた人。
思い出せ。
僕は何故今ここにいる?
過去になんて負けてられない。
守らなきゃ...いや、違う。義務感からそう思ってるんじゃない。
僕がこの人を守りたい。
僕は掴まれていない方の手を祈の手の上に重ねる。
「もう大丈夫」
「嘘です」
「嘘じゃない」
それでも祈の不安げな表情は変わらない。
「じゃあちゃんと見てて」
祈の手をゆっくり持ち上げ離す。
至近距離で祈と目が合った。
「見てて」
もう一度言うと
「無理は...しませんか?」
「しない」
「本当に...?」
「本当に」
何度も念を押した事で祈も渋々といった具合に1歩下がる。
「見てます」
「うん」
「透くんのこと、ちゃんと見てますから」
泣きそうな顔で祈は笑った。
※
突然の僕と祈のただならぬ距離感にギャラリーが騒然となっている。
だが今はそれどころじゃない。
なんたって、今、これ以上ないくらいやる気に満ちているんだから。
誰かと走りで競うことにここまで前向きになったのはしばらくぶりだ。
先程の緊張や不安とは反対の気持ちで感情が昂り、胸がトクトクと脈打つ。
ようやくスタートラインに立つと既にスタンバっていた富永が舌打ちをして肩を回す。
富永は前を向いたまま話しかけてくる。
「いいか押川。手ぇ抜いたら許さねぇからな」
「抜かないよ。お前こそ後からイチャモン付けるなよ」
「付けるかっ」
そんなやり取りが行われた後、ホイッスルを手に持った陸上部員が手を挙げた。
「それじゃいいですかー?」
僕と富永が頷く。
大丈夫。集中出来てる。
周りの応援の声もしっかり耳に届く。
「位置について」
クラウチングスタートの姿勢で目を閉じる。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
「よーい」
ピッ。
笛の音が鳴った瞬間一気に飛び出す。
いつもの夜のランニングなんか目じゃないくらい全力で駆ける。
距離は200メートル。スタートダッシュは悪くなかったが僅かに富永がリードしている。
耳には周りの歓声が届く。僕の名も時折叫ぶ声もする。
大丈夫だ。ちゃんと走れてる。
なら後は『いつも通り』。
ライバルに勝つというよりとにかく自分のベストを尽くす。
大会で走る時にずっとそうして来たように自分の進む道の先だけ見て進むだけ。
フォームなんて気にするな。
とにかく前に、前に、前に、前にーーー!!
そして長くも感じた僅か数秒の時間が過ぎーー
ゴールラインを抜けた。
「え...」
ギャラリーの中からそんな戸惑った声が上がる。
先にゴールラインを抜けたのは『僅差』で―――
富永だった。




