62 現会計
会長と話したすぐあの後に2年4組に行ってみたがほとんど人が残っていなかった。
もう放課後になってだいぶ時間も立っている。
富永淳太。
1年以上同じ学校の同じフロアにいるはずなのに初めて聞いた名前だ。
こういう時、もっと以前から人間関係を広げておけば良かったと少しだけ、後悔する。
まあ、今更そんなこと言っても仕方ないけど。
富永への交渉は明日にしようと自分のクラスに鞄を取りに向かう。
2年3組の横を通り過ぎる際中を確認したが直樹はもう既に部活に行った後のようだ。
...いや、もしかしたらまた職員室でこってり絞られているのかもしれない。
5月下旬が目前まで迫り廊下に入り込む風は暖かいを通り越して蒸し暑い。
衣替えまだかなーなんて考えながらほとんど人の残っていない1組の教室から鞄を回収し帰路に着く。
まだ顔を合わせたこともない、いまさっき名前を知っただけの富永のことを考える。
今分かるのは名前とクラス、そして現生徒会会計で部活をしているという情報のみ。
全くの未知数だった。
話の分かるやつだといいけどな。
そう呑気に考えながらペダルを踏んだ。
※
翌日の昼休み。
僕は2年4組の教室前方の入口付近で胸ぐらを掴まれていた。
「おい、どの面下げて来てんだ、あ゛あ゛ん?」
どうしてこうなった。
昼休みになって直樹と矢野に結果と今後の方向性を伝えながら昼食を急いで済ませて2年4組へと赴いた。
そして近場にいた生徒に例の富永とやらを呼んでもらったのだ。
そしてドスドスと近づいてきた男子生徒に突然胸ぐらを掴み上げられて今に至る。
うん、回想してもまじ意味分からん。
怒りを買うようなことした覚えはないんだけど...
ブンブン掴まれまま揺さぶられる。
廊下も4組の教室も騒然としていた。
逃れようにもやたら力が強く簡単には手放してもらえない。
戸惑ったまま何とか手を外そうともがいていると
「はーい、そこまで」
シュッと男子生徒の手に手刀が降ろされた。
クリアなソプラノボイスと明るい色のポニーテール。
「んだよ、邪魔すんな、明空」
ずっと苦手だ苦手だと思っていた彼女、簗場明空さんが今は天使にすら思えた。
簗場さんはニコニコ顔のまま「はい離れた離れた」と間に入り
「淳太、押川くんビックリしてんじゃん。なに突然爆発して掴みかかってんのよ」
やはりこいつ富永淳太か。
生徒会に入っているのだからとお堅い人物像イメージをしていたがこいつはその真逆を行っている。
無造作にセットされた髪に縁の太い黒縁の眼鏡。
真面目そうな見た目なのにレンズの奥の双眸でこちらを睨みつけている。目付きも悪く人睨みしただけで騒いでいた周りが黙った。
「それで、何か淳太に用事があって来たんだよね?」
笑顔のまま簗場さんが顔を覗き込んでくる。
「あ、うん。富永に、生徒会長に立候補してもらえないかなって...」
「あアンッ?」
ごめんなさい!と土下座しそうになった。
めっちゃ怖い。何この人。マジ帰りたい。本当に生徒会の人?
「俺はてめぇを許さねぇ。『天才様』がちゃらんぽらんと手を抜きやがって見下してよぉ」
「は、はぁ?見下すって何が...」
意味が分からずそう返すと
「お前はっ!!」
「はいはい、落ち着いて。どーうどうどう」
まるで暴れ馬を窘めるように簗場さんが今にも僕に飛びかかってきそうな富永を止める。慣れているのかキレる富永に臆する様子はない。
「明空!お前だって押川のこと許せねぇだろ!中学ん時散々前走ってったこいつが!」
中学のとき。
その単語を聞いた瞬間世界から音が一瞬、消えたように思考が停止する。
『天才様』。そうさっき富永は言った。
「諦めたんだ!こいつは仕方ねぇって!テレビの向こうのスポーツ選手見たいに手の届かねぇ所にいるって!でもそんなこいつが...俺が唯一認めたこいつが高校で陸上やらねぇで毎日毎日毎日毎日!ダラダラ遊んでんのが許せねぇんだっ!!」
「なっ...!別に遊んでた訳じゃ...」
「うるせぇ!!」
はい、すみません!
言いがかりに文句言ってやろうと開いた口を紡ぐ。
ヤンキーかよ。こわぁ。
でも、頭に血が上っているからか何故一方的に恨まれているのか理由をペラペラ話してくれた。
出来れば、中学のことを掘り返す人なんて会いたくない類だけど。
「ごめんね、押川くん。こいつ君のこと大好き人間だからさ」
いや、大好きとか言われても今の彼の態度は『好き』のソレじゃないと思いますけど?
「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ!」と吠える富永を完全無視して簗場さんは続ける。
「んで、生徒会長だっけ。どうすんの?淳太」
「そんなことしてられっか!俺は今年は陸上に力入れんだ!こいつよりもっと高い場所に行くためにな」
ビシッと指を刺される。
「でも、せっかくのお誘いだよ?今も生徒会入ってるしそのまましちゃえばいいんじゃん」
「だからってこいつの言いなりに何かならねぇよ!!」
「ふぅーん...」
簗場さんは考え込む仕草をして
「よし、じゃあ、2人で勝負して決めれば?勝った方の言うことを聞くってことで」
「はァ?」
「いや、簗場さん...!」
嫌な予感しかしない。
慌てて止めるも簗場さんはどことなく吹く風で
「ほら、淳太もずっと直接対決したがってたじゃん。願ったり叶ったりなんじゃないの?」
「それは...」
初めて富永が言い淀む。
それをチャンスだと思ったのか簗場さんが一気にまくし立てる。
「ちゃんとした大会とかじゃないし、『お遊び』の延長戦って感じでさ」
チラリと簗場さんはこちらを見た。
簗場さんは僕がどうして走ることを辞めたのかを知っている。
だからこその配慮なのだろう。
「チッ」
一方的に仕切られて何か言いたげな様子の富永は舌打ちをし
「しゃーねぇ」
いや、しゃーなくないですよ?
少なくとも当事者の一方 (僕)は納得してないんですけど。
あとさっきまでの勢いはどうした。
「おい、押川。今日の放課後。着替えてグラウンドに来いや。そこで天才様の足を容赦なく折ってやる!」
「は?折る!?」
「バカか!物理的に折るわけねぇだろ!例えだ例え!」
永田はフンっと不機嫌に鼻を鳴らす。
ビックリした。ほんとに有言実行してきそうだもんこいつ。
―――って
「まだやると決めた訳じゃ...」
そんな僕の言葉を無視し富永は教室の奥へと引っ込む。
おい、話くらい聞けよ自己中かよ。
「いやー、大変な事になったねぇ」
隣で簗場さんが呑気にそう言った。
簗場さんのせいでこうなったのに。
「まあまあ、そう睨まないでよ〜。押川くんの事情は分かってるし、前にズケズケ踏み込んだことは謝った。押川くんが陸上辞めたのだって、納得はしてないけどまあ、仕方ないのかなって思ったりもした。でも...」
簗場さんは笑みを引っ込めて
「私だって君にどうしようもなく憧れてた。その気持ちも分かって欲しいな」
ニッコリ微笑んだまま冷たい声でそう言って簗場さんも教室の奥へと消えていく。
聞き耳を立てていたギャラリーはザワザワと勝手に盛り上がっている。
その中に1人取り残された僕はバクバクと激しく脈打つ心臓の上に手を置き―――
視線を上げた。




