㊿正反対
苦しい。
喉はとうに乾ききっていて視界がクラクラする。
この感覚は久しぶりだった。
それでも足は止めない。
もつれそうになっても、気持ちが負けて動かしたくなくなっても前へ前へと歩を進める。
首を左に向けるとサッカーの試合をしている小中学生くらいの姿が見えた。すれ違う犬の散歩中のおじいさんには会釈をする。
1年近く間をあけ、再びジョギングを初めてから約3ヶ月。
その間はずっと夜、暗くなってから走っていたが今はまだ2時くらいだった。
短い春休みもあと少し。
課題や休み明けのテストに向けた勉強をし、それ以外はほとんど自室で本を読んだりゲームをして過ごす穏やかな日々だったが今日からは少し事情が変わってくる。
昨日、無事第1志望校に合格を果たした妹の莉愛が高校の学生寮へと引っ越して行った。
家から高校まではどの交通手段を使っても2時間はかかるため通うことが出来ないからだ。
莉愛と最後のを交わし、莉愛は母の運転する車で旅立って行った。
目標を叶え、人々に祝福されながら。
だが、僕にとってはそれは少々まずいことになっていた。
もちろん莉愛に非はない。
僕らは元々母、莉愛、僕の3人で暮らしていた。
ということは、莉愛がいなくなった今、あの家にはこの先、僕と母親の2人だけになるわけで。
この先に起こることを色々と考えて気が滅入り、こうして外に走りに来たのだ。
普段は夜、日が暮れてから走りに出ているから走ることを再開してから太陽が高く昇る時間に走るのは実は初めてだったりする。
こんなに後先考えずスピードを上げて走ることも。
でも今は頭が疲れと酸素不足でボーッとするのも足が重くなる感覚もどこか心地いい。
いつものルートから外れて川沿いを走って行くと横目に学校が見える。僕が通っていた隣の校区の中学校だ。古びた校舎に体育館。グラウンドには練習をしているらしい運動部の姿が見える。その姿に懐かしさとチクリと胸を刺す痛みを感じながら通り過ぎた。
※
中学校からさらに10分程走り、目前にあった市役所を折り返し地点として決めた。
市役所とは言っても裏の入口なので人通りはほとんどない。
一応邪魔にならないように傍の小さな公園に入って足を止める。
立ち止まるとぶわっと汗が吹き出す。
「つっかれたー...」
昔に比べてだいぶ体力落ちてんな...
1年近くサボってた自分が悪いんだけどさ...
顎を伝う汗を袖で拭い顔を上げる。
公園とはいっても隅に古びてペンキの剥げたベンチが申し訳程度に1つおいているだけ。遊具は1つもない。
春休みだというのに人っ子一人いなかった。
だが今は好都合だった。
人目を気にしなくていいし気が楽で。
息が整うのを待って木の影になっている所までいって体をゆっくり伸ばす。
ピンと張った筋肉をゆっくり伸ばすと酷使したからか、日頃のストレッチをサボっていたからか肌が裂けるような痛みが走り身悶えた。
ストレッチをやめてベンチに腰を下ろす。
「......」
そこでやっと人影に気づいた。
明るい髪色のポニーテールが風に揺れてたなびく。
トレーニングウェアに身を包んだその人は公園の入口で真っ直ぐ僕を見つめていた。
どうしよう。
咄嗟にサッと反対方向を見て他に出入口がないか確認。
だがどうやら入口はその人に既に塞がれている所1つしかないようだ。
公園の周りは背の低い塀で囲まれていてその気になれば乗り越えることは可能。
思わずそんな脱出ルートを詮索してしまう。
気まずい空気が流れる中、とりあえず視線をあさっての方向に向け全力で気がついてませんよーアピールをしたが、そうこうしているうちに相手が1歩1歩確実に近づいて来た。
「...おはよ」
「お、おう」
声をかけられたら無視する訳にもいかない。
「他の人に話しかけてるかと思った!」って感じに無視を決め込もうにもここにいるのは僕と彼女だけだ。
「なんでここに来てしまったんだろう」と心の中で後悔しながら諦めて目の前の彼女―――簗場明空に向き直る。
前に話したのはマラソン大会の時。
その時は何やら一方的にうんざりすることを言われた上、中学の時の情報をクラスに流出。
その後とんでもない迷惑を蒙った。
最終的にはクラスの人には責められず、妹の莉愛と仲直りするきっかけにはなったもののどうしても苦手意識は拭えない。
そもそもこの簗場は中学の時の僕を知っているんだ。
あの消し去りたい過去を。
その時の僕を知る人が近づいてくるだけでもうんざりする。
「自主練か?」
何か言われる前にとそう言うと
「うん...」
簗場は学校とは少し雰囲気が違うように見えた。といっても深く関わったことはないからあまり知らんけど。
簗場は先程から視線が泳ぎ口を開けたり閉じたりしながら言葉を選んでいるように見えた。
その間沈黙の時間が流れる。
超絶気まずい。
こちらから話を振ろうにもそもそも僕は簗場明空について何も知らない。
知っていることと言えば名前とクラス、あと陸上部に入っているということくらい。話の引き出しなんてある訳ない。
「あの、さ」
頭を悩ませていると歯切れ悪く簗場がそう切り出した。
「やっぱ走るの、辞めてなかったんだ」
「いや、辞めてなかったっていうか...。1度は辞めてたけどまた、最近始めただけというか」
「ふーん」と簗場は小さく返し
「でも、全然追いつけなかった。やっぱさすがだね、押川くんは」
は?
「追いつけなかった?」
「あー、えっと...いつものコース走ってたら前の方に押川くん見つけて...って!なんかあたしストーカーっぽい!?」
今更のように簗場は「うわー」と頭を抱えた。
「と、とにかく!ブランクあったとしても現役陸上部のあたしが全然追いつけないくらい押川くんが凄いってことが言いたいの!!分かった!!」
「お、おう...」
何故か逆ギレされる。
「この前、っていっても2ヶ月以上前だけど。対抗リレーで倒れた押川くん見てさ、他の学校の陸上部の友達に聞いたの。中学の時の押川くんのこと」
急にトーンを落として簗場は言う。
バクん、と心臓が跳ねた。
「あたし、何も知らなかった。なのに、この前はあたしの都合で言いたいこと色々言って、ごめん」
簗場はそう言い深く、深く頭を下げた。
「...頭、上げて。別に僕は気にしてない」
別に謝られることじゃない。
簗場は何も知らずに話しかけてきただけだしリレー選抜に選ばれたのは、まあ、原因の一端ではあるけど簗場が悪意を持って関与した訳では無いのは分かっているし。
簗場は顔を伏せたまま
「...ごめん。それでも謝りたい。自己満足なのは分かってる。でも、嫌な話題引っ張り出しちゃったことすごく後悔してるんだ。もう何も、誰にも、話さない」
こうも謝られると逆に僕の方がもうしわけないようないたたまれない気持ちになる。
「分かったって。過ぎたことは気にしないよ。まあ、中学の話はもうして欲しくないけどさ」
出来るだけ明るい口調でなんでもない風に言い
「簗場はいつもこの時間に走ってんの?」
とにかく空気を一新するため話題を変えた。
「う、ううん。今日は部活休みだからたまたま。押川くんは?」
戸惑いながらも簗場は乗ってくれる。
「あー、いつもは夜走ってるんだけどこの時間は初めて」
「へー、あ、じゃああたしと一緒か。でも会ったことないよね?いつもはどこ走ってるの?」
なんというべきか、細かい地名言っても分かんないだろうし。
頭を悩ませながらだいたいの場所を伝えると「あっ、あたしのコースとギリギリのところで被らないくらいのとこか!」と学校でのテンションで返してくれた。
「......」
「......」
またすぐに話題が途切れてしまった。
そりゃそうだ。
接点がなさすぎる。
それに今では簗場は2組の中心にいる陽キャで僕とは対極にいるような人だ。
そんな僕らの会話が成り立つのは100%簗場のコミュニケーション能力がなせる技。本来気兼ねなく話せるような人物では無い。
「...じゃあ、僕はもう行くよ」
空気に耐えられずそう言って立ち上がる。
ここは逃げるが勝ち。
簗場もそれに応え
「うん、分かった。いきなり話しかけてごめんね!また学校で!」
その声に頷き簗場から離れ歩を進める。最初はゆっくり、そして徐々にペースを上げていく。
公園を出て5分程走ってから歩を弛め後ろを振り返るがもうとっくに簗場は見えなかった。
息を吐き出しやっと筋肉の強ばりが解ける。
足首を回したり軽くストレッチをしながら簗場のことを考える。
やっぱり緊張はするしタイプが違うから長い間一緒にいたいとは思えないけど思ったより良い人かもな。
謝りなんかせずに知らん顔をすることも出来たのに。
ひとしきり体を解して次に歩を進める頃には少し、ほんの少しだけ、心が軽くなったような気がした。




