㊼水族館
チケットを購入しゲートを抜けると薄暗い空間が僕らを出迎えた。
とりあえず順路に従って歩いて行く。
薄暗い空間、コポコポという水槽の音、ライトに照らされた水槽。
「わぁ...」
普段クールな詠子だがテンションが上がった様子で水槽を覗く。
そのどこか子供っぽい雰囲気が微笑ましい。
「へー...トドって繁殖期は春から夏で1頭のオスと多数のメスでハーレムという群れを作ります...か。人間みたいだな」
「まあ、元はどの生物も全部同じだからね。そこから進化した結果変化していっただけで」
水槽の説明文を読んでいちいち関心していると詠子がさらに詳しく情報を付け加えてくれる。ちょっとした勉強会みたいだ。
「トドってアシカの仲間なのか。見た目とか見分けがつかん」
「えー、そう?興味ないからじゃない?」
「いやいや、漢字の『荻』と『萩』くらいややこしいって」
ときに冗談を言いながら、相手にツッコミながら1つずつ水槽を移動していく。
詠子は興味がハッキリしているようで興味があるものは少し眺めて移動し、気になるものは他より長く眺めていた。
そして『その水槽』に着いたとき、ピタリと他より長く足が止まる。
四方から注ぐ淡い光に照らされてプカプカとクラゲが漂う。
「クラゲ、好きなんだな」
そう言えばクラゲのストラップを付けていたっけ。
詠子と出会ってすぐの頃、雨の日にストラップを探したことがあった。
「うん」
と詠子は水槽を見たまま答える。
「昔、家族で行ったときに買ってもらったの。姉に」
「へぇ、詠子ってお姉さんいたんだな」
そう言って水槽から詠子に視線を向ける。
その顔は悲しげに見えた。
「うん。もう、会えないんだけどね...」
聞いてはいけないことだったんだとすぐに察した。
でももう遅い。
謝るべきかと思ったが、結局何も言えずにそのまま数分経つ。
詠子はずっとぼんやりと水槽を眺めた後
「行こうか」
といつも通りの笑みを浮かべて歩き出した。
※
「人やばいな」
昼食を中の飲食スペースで買って食べイルカショーが始まるという情報を見つけ来たのだがそこは既に人で溢れている。さすが休日というべきか。
元々狭いイルカの水槽の周りは隙間なく人がいて、それが何層にもなっている。割って入るのは無理そうだ。
「残念だけど近くで見るのは無理そうだね」
そう言って詠子が残念そうにため息をつく。
「だな。さすがにあの中に入ったら見ている間に人にプレスされそう」
げんなりしながらそう言うと何が面白かったのかクスクスと詠子が笑った。
「階段の方、行こうか」
詠子が指さしたのはすぐ側にある階段だった。
結構な高さがあり上からでも見えそうだが同じことを考える人が多いのか既にそこにも人が隙間なく座っている。
「下に比べればまだマシだけど...。まあ、1番上ならまだ隙間あるし見えるか」
人の間を抜け階段を上る。
階段の下の方では子供を肩車している人やシャッターチャンスを狙い、スマホや一眼レフカメラを構える人が多くいた。
どうにか2人分の場所を確保したが座れる場所はなく立ち見になりそうだ。
ほどなくして時間となりイルカショーが始まる。
「おお!見て見て!ジャンプした!」
隣ではテンションの上がった詠子が小さいながらも興奮した声を上げている。
3匹のイルカは綺麗に並び順番にジャンプを決めた。
飛んだイルカが水に着水すると水しぶきが派手に上がった。すぐ側で見ていた観客はその水しぶきの餌食になっている。
「うわぁ。ここで見ることになってある意味良かったかも...」
詠子もそれに同意し
「確かに。レインコート着ているのにずぶ濡れだね」
「行きますよぉ!皆さん!ちゃぁんと見ててくださいね!!」
仕事だからだろうがやたらハイテンションで進行のお姉さんがマイクで叫び合図を出すと一斉にイルカが3匹連続で高く飛んだ。
おお、すげえ。
「さあ!皆さん!!水しぶき飛ばしていきますよぉ!!」
イルカは後ろ向きでしっぽを器用に上下に振る。それに合わせて水しぶきが広範囲に飛び跳ねていた。
一見嫌がらせに見えるそれだが、水がかかった人達は皆笑みを浮かべていて楽しそうだ。
「残念ながらお別れの時間が来てしまいましたー。皆さん、楽しんでいただけましたかー!アクアリュームに来た際にはまたイルカ達に会いに来てくださいね!イルカ達もまた皆様に会える日を楽しみにお待ちしております!それではまた!!」
30分ほど経ち、そう挨拶があってショーは幕を閉じた。
人々は楽しかったと言いながら一斉に去っていく。
「どうする?」
人の流れが減ってから移動しようということになり待っている間にそう聞くと詠子は館内マップを広げて唸った。
「んー...。とりあえず下に行く?イルカの水槽下まで続いているみたいだし」
それに同意し人が減るのをしばらく待ってから階段を降りた。
イルカショーの余韻に浸っているのかイルカの水槽前は人が多い。
その流れに沿って歩いた。
「イルカやクジラの仲間は自分が出した音が跳ね返ってくるのを利用して物体の位置や形とかを知る仕組みを持っているんだよ」
そう得意げに詠子が言う。
へー...
「さすが詠子。物知りだな」
すると詠子は微笑んだまま壁を指さす。
「ううん。ここに書いてるよ」
「じゃあなんで得意げに言った!?」
「こういうのは1秒でも早く知った方が勝ちなんだよ」
詠子は楽しげに笑った。
ここまでテンションが高い詠子は本当に珍しい。
そんな姿を見れただけでも今日は来て良かったかなと思う。
「でも、すごいよね。イルカって」
少し落ちついた表情になり詠子は水槽を眺める。
「声を使って仲間とコミュニケーションも取れるんだって。...人間はもっと知能が発達していて、文明も持っているのにイルカよりも言葉をたくさん持っているのになんで―――」
その先を言葉にせず詠子は口を噤む。
言いたいことはなんとなく分かる。
言葉はいっぱいあるのに上手く操れないし伝わらない。憶測ばかりして、幻想を、期待を押し付けて。
「魚は気楽だなー」
「だね」と詠子は返す。
所詮ただの雑談だ。意味なんてない。
「あっ、見てよ、透。あっちの水槽―――」
あっという間に気分を切り変えた詠子が早足で次の水槽に向かう。
それを追いかけるために1歩足を踏み出したときには既にただの雑談を深く考えようとしていた思考はどこかへ飛んで行った。




