㊻待ち合わせ
約束の土曜日。
その日僕はいつもの休日より早く起きた。
昨夜はなかなか寝付けなかったが目覚ましより早く目が覚めたのだ。
恐らく休日に誰かと出かけることが珍しいからだと思う。思えば僕は遠足や大会前は興奮で寝付けないタイプだったし。
詠子との待ち合わせは11時に2駅隣の水族館前。
まだ3時間以上ある。
ベッドの上で布団を足にかけたまましばらくボーッとしてから布団を剥いで足を下ろす。もう春の気配が目前に来ているというのに床がひんやりと冷たくて下ろした足が寒いを通り越して痛い。
タンスを引き、1番上にあった靴下を履いて音を立てないように扉を開けて顔を出す。
物音1つしない薄暗い空気が僕を迎えた。人の気配もない。
そのまま廊下に出て閉ざされたリビングの扉の前に行く。ミシミシとした床を踏む音がやけに大きく感じた。
扉の前で1呼吸置いて耳を澄ましたがやはり何も聞こえない。
扉を開けてもそれは同じだった。
改めて壁の時計を見て「そりゃそうか」と思う。
土曜日とはいえ母は仕事、莉愛は学校か、図書館か、塾か。
お気楽にのんびり起きられるのは僕くらいだ。
もうこの時間も慣れたものだ。
何かが変わったように思えても、何も変わっていない。
テレビを付けると平日の朝ニュース見ているチャンネルは旅番組をやっている。
とりあえず顔洗って朝飯でも食べるか、とあくびをしながら洗面所に向かった。
※
少し早めに家を出て自転車を走らせ駅に向かう。
平日でも休日でも相変わらず閑散としていた。
駐輪場に自転車を停めて切符を購入すると程なくしてホームに電車が入ってきた。
この辺りは電車の数が馬鹿みたいに少ない。バスも然り。
1時間に2本も来ればいい方だ。故に県民は車移動を選ぶのだが車どころか免許を持たない高校生にはその手段がそもそもない。2駅とはいえ自転車で行くにはかなりの覚悟と根気がいるからそもそも自転車で行くという選択肢はない。
せっかく早く来たのにこの電車を逃せば遅刻だ。
こういうとき田舎は不便だ。ただ暮らす分にはのんびりしていていいのだが...
イヤホンを片耳に突っ込んで適当なプレイリストを流す。2両編成なのに席はガラ空きだ。
ガタンゴトンと列車に揺られると雑な録音の女の人の声が僕の目的地の駅の名を読み上げる。
イヤホンを外しコードを纏めてスマホと共に鞄に仕舞う。
完全に揺れが止まるのを待ってから立ち上がり電車を降りるとグッと冷え込んだ風が頬を撫でた。
2駅離れて県庁所在地に少し近づいても田舎の風景はまるで変わらない。
色あせたベンチ。塗装が剥げた自動販売機、錆びたゴミ箱。
それらを横目に見ながら階段を上り駅員が常駐する一世代前の改札を抜けるとそのまま外に出た。
売店なんて気の利いたものもないただ駅だけのための建物と駅前。
割と最近出来た、そして今日の目的地でもある水族館があるからかバスは少し数が多い。と言っても1時間に3、4本程度だが。
時刻表を確認し1番早く来たバスに揺られること15分。大通りに面した場所にそれはあった。
ここまで来るのに移動時間だけで考えれば1時間近く。ちょっとした旅行気分だった。
駅は閑散としていたもののさすが最近出来た施設と言うべきか水族館はそこそこの賑わいだ。まだ午前中だというのに駐車場に向かう車は列を作っていて警備員が忙しなく棒を振る。
右も左も分からないまま人の流れについて行くと正面入口らしき場所の下の階段前に辿り着いた。
脇にある大きな卵型のオブジェクトの前では小さい子供の兄弟がカメラを構える父親らしき人の前で元気にポーズを決めている。
人の邪魔にならないように端に移動しスマホで時間を確認すると集合時間の15分前だった。少し待ちがあるがひとまず遅れなかったからいいか。
することなくボーッとする。
家族連れ、カップル、友人同士、留学生...
様々な年代、国籍の人が一様にワクワクした楽しげな表情を浮かべ階段を登って入場ゲートに向かって行く。
そういえば最後に水族館に来たのはいつだったっけ。
そんな記憶を辿っても思い出せないほどずっとずっと昔なのは確かだ。
しばらくそうしていると人混みの中で詠子の姿を見つけた。
コートを着てしっかり防寒している。髪はやはり下ろしたままだ。
そんな詠子に人々が視線を向ける。私服だからか制服のときよりもどこか大人びて見えた。
視線を向けられ詠子は居心地悪そうにしたまま小走りで来た。
ついでに視線も詠子に合わせてついて行く。
そして詠子が僕の傍に来たとき、つまりその相手が僕だとわかったとき、明らかに釣り合わない僕らに向かう人の視線は別の感情を帯びていく。
「ごめん、少し、遅れた」
息を少し乱しながら詠子がフーっと息を吐いた。
「いや、いいよ。遅れたって言っても時間前だし」
詠子はキョロキョロと辺りを見て
「ね、ねぇ...私、変...?」
視線を気にしながら詠子がそう言う。
先程よりは減ったがまだチラチラと詠子に目を奪われた人の視線が向いていた。
その視線は値踏みするように僕にも向けられる。
この姿ではない髪を結んで眼鏡をかけた詠子はどちらかと言えば目立たない方だった。それが少し出で立ちを変えただけでどこに行っても視線の的。慣れている人ならともかく詠子にはキツいだろう。
だから僕は
「変じゃない。かわ、いいと思うぞ」
友達とはいえ異性に可愛いと言うのに抵抗があったが言葉を詰まらせながらそう言う。
「あ...うん...」
マフラーに顔を埋もらせて詠子は小さく返した。
どんな姿であれ詠子は詠子だ。
友達の僕がすることは肩を並べ、寄り添うこと。上からとか下からとかじゃなくて正面から手を伸ばすことだ。
周りの視線がなんだ。釣り合っていないだとかそんな勝手な優劣関係なんて放っておけ。僕達は友人なんだから。
周りの視線に怖気付いて、目の前のことから目を逸らせば近くにあったものでもあっという間に遠ざかる。
今1番不安に思っているのは誰だ?
「行こう」
そう促し強引に手を取ると詠子は驚いた顔をするも離そうとはせず付いてくる。
周りの視線はもう気にならなかった。




