㊶あの日の光
これは過去の記憶。
最後に光を感じたのはいつだっただろう。
6畳の部屋はカーテンがきちんと閉ざされている。隙間から日が漏れてくるから今は朝か、昼か。
中学最後の大会が行われたのは3日、いや、4日前か。学校は冬休みに突入して休み。まだ数分しか経っていないような、それとも長時間経ったかのような曖昧にボヤけた時間の中を僕は暗がりの中1人ベッドに寝転がっていた。
心にはぽっかり空いた空洞。そして頭では大会の日の出来事がリフレインしている。
ずっとこんな調子だった。
あの日、あの後、チームメイトとは一言も交わさず、車で来ていた母すら置いて荷物を肩に掛けて1人帰った。
スマホは連絡が来るのが怖くて電源を切って鞄に突っ込んだ。
いつも綺麗に片付いていたはずの部屋の中は物が散乱している。床には物が散らばり中には壊れてしまっている物もあった。大事にしていた物なのに壊れてしまっている所を見ても何も感じなかった。
あんなことの後でも、母から見放された後でも、涙の一滴もこぼれ落ちては来なかった。
悔しい、恥ずかしい、みっともない、情けない、なんで、なんで、なんで、なんで、なんで―――
なんでこんなことになったのだろう。
これが夢だと言われる方が100倍説得力がある。
辛くて、辛くて、―――感情に蓋をした。考えているうちに疲れて、何も考えられなくなった。まだ大事な受験があるのに。
母に勧められて目指している名門、青島高校。
担任も合格間違いなしだと太鼓判を押してくれた。歴代稀に見る優秀な生徒だとさえ言われ続けてきた。
だけど既に勉強は手付かず。
勉強もスポーツも一日にしてならず。少し休むだけでも感覚は離れていく。
やらなきゃいけないのに「頑張ろう」「今までのように努力し続ければ出来る」と思うほど体が震えて立てなくなる。
体を起こしてベッドの縁に腰掛ける。
自分の息遣いがやけに大きく響く。
カチコチと動く床に落ちた置き時計の秒針の音がこうしている間にも時間が進んでいることを残酷にも教えてきた。
僕は...
その時、カチャカチャとドアの鍵が外から回される音がした。
「ッ...!?」
体をビクリと強ばらせつつ顔を上げ扉に視線を向けると
光が真っ暗な部屋に入り込んだ。
久しぶりの明るさに思わず目を閉じ腕で顔を覆う。
「おはよう...ってもう夕方だけど」
母親でも妹でもない、でも小さい頃からよく見知った女性が部屋の中に侵入してきた。
その人は扉を背中越しに閉めそのまま扉に寄りかかる。
「...なんで」
しばらく声を出していなかったから上手く声が出ずにしゃがれた声になった。
「なんだって、気になったからだけど」
「......」
この人は昔から人の懐に気付かぬうちに入り込む。ズケズケと、土足で。
「帰ってよ...」
顔を下に向けたままそう言うとあろう事か更に近づいて隣に座られる。
「あたしは、過去の話をしにきたんじゃないよ」
そうキッパリ言われた。
遠回しな言い方だが、『あの日』については何も聞かないと言うことなのだろう。
「『未来』の話をしにきたの」
「未来なんて...」
何だか無性に悲しくなった。
心の空洞が「もうここにあったものは戻ってこないんだ」って疼いた。
その未来を僕は自分のせいでなくしてしまったんだ。
気がつけば彼女に頭を胸に抱えられた。
心が死んでいるのか、何も感じなかった。
驚くこともなく、動く気力もなくてされるがままになる。
「他人色に染まるなよ」
どこまでも優しい声色で彼女はそう言った。
「人に合わせるために無理する必要はないよ。1人が怖い?」
「...怖いよ」
みんなの視線が刺さるんだ。嘲笑が聞こえると心に切り傷を作っていく。
「なら、考え方を変えればいい。どこまでも自分を貫くんだ。一人一人考え方なんて違うに決まってる。自分が本当に付き合いたいやつを見極めろ。ヘラヘラ笑って自分が合わせないと付き合ってくれないような奴らは透が必要だと思う時に助けてくれる奴でもなければ、1人になった時に無償で駆け寄ってくれる仲間じゃない。自分を削る努力はやめな」
そっと頭が撫でられた。
「よく考えて。ちゃんと透を大事に思ってくれている人はいるはずだから。もちろん、これから先もたくさん出会う。だから、諦めるな」
カツンと額同士をぶつけられる。
相手に息が届くほど近い。
彼女はそっと僕の頬に手を当て涙を拭ってくれた。
「でも...!でもぉ......」
あんなに出なかったのに涙が溢れ出て来る。
フラッシュバックのように楽しかった思い出から大会の日のことまでが頭をよぎった。
「なにも中学で、高校で、更にその先で、未来が途絶えることは無いさ。回り道を散々して、結局はその人が本当に行き着く場所へと連れていく。これは回り道、なんだよ。透。諦めない限り、先は続く。線路だって、分岐点はあれど急に途中で道が切れる事はないだろ?工事でもしてない限りは」
「止まってんじゃん」
ズビッと鼻が鳴る。
でも、そうやって言い返すことが出来た。
「工事っていうのはさらに道を続けさせたり綺麗に、通りやすくするためのものだよ。なにも工事現場の人だって悪巧みして道をなくしてやろうなんてことは思ってないはずだ」
クスリと彼女が笑った。僕もつられて笑う。
「今は『最低限の努力』でいいんだ。あまり気負うな。自分がやったことはいつか実を結ぶ。そのいつか、が来るまでは『最低ラインの結果』さえ出せればそれでいい」
努力して、無理して、頑張って。
今までずっとそれの繰り返しだった。
皆の期待する最高の結果を出すために、それに報いなければならないと自分を鼓舞し続けていた。
いきなり来て、無茶苦茶なことを言って、ズケズケと無遠慮に人の心を踏み荒らして、そして無駄に生えた棘さえ踏みつけて折っていく。
彼女はもう一度僕の頭をゆっくり撫でて、抱きしめた。
「疲れたら休んでいいんだ。あたしもずっと近くにいるから」
まるで、その人の名前のように、心に花が咲いて、彩りを与えてくれたように、心がスーと凪いだ。
そして『お姉さん』はカーテンを開け、部屋を片付けてから出て行った。




