㊴期待
弁当を食べないまま昼休みが終わりいつも通り10分の掃除の後再び全学年グラウンドに集まる。
ここからはクラス別の競技だ。
放送部のアナウンスに従って出場選手がグラウンド中央に駆けていく。
出場者以外はグラウンドのコースの外にはけた。
その中で生徒から少し離れた場所に腰かける。
どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう――
昼休みからずっとそればかりを考えていた。
そもそも走れるのだろうか。
いつも夜自主的に走るのとは訳が違う。
観衆の声援、期待の目、クラスごとのギプスやタスキ。
そのどれもが避けたいものだ。
否が応でも、その懐かしい道具たちが嫌な記憶を引きずり出す。
最近こんなのばっかりだ。
知り合いが増えて、少しづつ楽しいことが増えて来て、いいなって思える人も出来て―――
やっと過去を葬り去って前を向けるかもしれないと思って来たところで。
「不幸だ...」
誰にも聞こえないくらい小さな声が漏れた。
木の影に隠れ膝をギュッと抱える。
膝を掴んだ腕は小刻みに震えていた。
怖い。
クラスメイトたちの期待が、「頑張れ」という声が。
善意なのは分かっているけどその一つ一つがナイフみたいに僕に傷を付けていく。
ちゃんと、走れるだろうか。
そもそもスタートラインに立てるだろうか。
......
よーし、一旦落ち着こう。
逆に考えろ。
好意的に考えればこれは『あの日』のやり直し。
あの日出来なかったことをやり遂げる。勝つことは出来なくても少なくともいつも通り走れるように。
そう考えれば少し気が楽になった気がした。
木に寄りかかりながら立ち上がる。今日はほぼ1日中外にいるからか少しフラッとよろめいた。
800メートルが終わったようで次の競技の準備が行われている最中のようだ。
遠目にスタート位置で準備運動する直樹が見え、心の中で『頑張れよ』とエールを送った。
※
パンッ、パンッ、とスターターの音が鳴る。
いよいよおおずめだ。
次のクラス対抗リレーが最後のプログラムとなっている。
男女混合のクラス対抗リレーは全員で6人。奇数番号の走順が女子、偶数が男子だ。
しかも、運が悪いことに僕はアンカーを走ることになっていた。
元々走る予定だった嶋田の走順にそのまま組み入れられたのだ。
体育委員の3年生が「リレーに出場する人はスタート位置に移動してください」とアナウンスする。
既に心臓はバクバクだった。
勝手に震える体を周りにだけは気づかれないように右腕で左腕を掴んで押さえつける。
カチカチと鳴りそうになる歯は奥歯を噛んで抑えた。
ゆっくりとストレッチをしたのに緊張で体がガチガチだ。
自分を落ち着けるための深呼吸も意味がなく、上手く息を吸い込めない。
おちつけ、おちつけ。
そう自分に言い聞かせる。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
胸に手を当てて少しの間目を閉じた。大会前いつもやっていた通りに。
でも...
変だな。
いつもはこれで良かったのに。
「位置についてー」
陸上部の人がスターターを構える。よく見れば簗場さんだった。
「よーい!」
ああ、始まってしまう。
パンッ。
その音で一斉に1年の6クラス全部の第1走者が走り出す。
1組はスタートから大いに出遅れた。
そのまま第2走者にバトンが渡されるも差が縮まることは無い。遂にはバトンパスでミスをしてさらに差が広がった。
ダントツのビリだ。
応援しているクラスメイト達があからさまにガッカリしたような顔をしている。
だがむしろこれでいい。
これだけ差が空けば本気を出さずに済む。
1人グラウンドを2周走ることになっていてバトンはいよいよ第4走者から5走者へ。
他のクラスは既にアンカーにバトンが手渡されて行っている。他のアンカーに遅れて僕もスタート位置に着いた。
「ッ!?」
瞬間バクンと一際大きく心臓が鳴る。
目の前がチカチカして呼吸がどんどん浅く、早くなっていく。
まだ走ってもいないのに額には汗が滲んで体が震えた。
まるであの時みたいだった。
フラッシュバックのようにあの日の記憶が過ぎる。
ゴールラインを越えた後のチームメイトや母の顔を思い出してしま―――
「ハッ...!!」
息が上手く吐き出せない。
まるで呼吸の仕方そのものを忘れてしまったかのように。
近くで見ていた観衆が僕の異変に気づいたのかざわめく。
「大丈夫か」と呼びかけてくれる人もいた。
だがその声もどこか遠い。
水の中にいるみたいだ。
だんだんと周囲の音が消えていく。
呼吸が苦しくなる。
『どうしてあんたはいつもいつも大事なところで何も出来ないの!?過程なんてどうでもいいの!結果が出なければ意味ないんだから!!だからあんたは―――』
大会の日、家に帰ると母は髪を振り乱して叫んだ。
『不良品のままなのよ!!』
バトンが僕に繋がれる前に視界は真っ暗に染まった。




