㊲ごまかし
土と肥料、草の匂いが混ざった車1台通るのがやっとの細い道。
ここ最近お馴染みになった6キロの道を僕は1人で走った。
今日は学校行事だからか部活が全面禁止らしく、普段放課後の部活のために体力を温存している直樹も今日ばかりは温存する必要が無い。そのため「部活ないしトレーニングがてら本気出すわ」とスタート前にキメ顔で直樹はスタスタと走って行ってしまった。
僕は授業と同じくらいのペースで全体の後ろの方を走る。
最近は夜にランニングをしているからか息切れもしない。
一定のリズムで呼吸しながら夕方に近所のおっちゃんがジョギングしてるくらいの緩やかなスピードで足を動かす。
途中、中間地点に立った体育教師と会ったがあからさまに手を抜いているのが見え見えなのに特に何も言われない。
いつもこんな調子だから運動が苦手な奴だと思われているのかもしれない。一応しんどそうな顔しとくか。
田んぼで作業しているおじちゃん、おばちゃんを眺め道路に沿って走って行くうちに校舎が段々と見えて来る。
ゴールは目前まで迫っていた。
校門からゴール地点までの50メートル程の距離には女子と既にゴールした男子が花道を作っている。...って、うわ。なにこれ。久しぶりでチョー恥ずい。
見知った顔なんてほとんどいないのにみんな普段と違うイベント特有の空気に当てられているのか「がんばれー」という言葉を口々に投げかけてくる。
その空気から一刻も早く離脱したくて顔を下げ、俯きがちのままスピードを上げた。
足元に引かれた白いラインを跨ぎスピードを緩める。脇に置かれた機械でタイムを見るといつもとほとんど変わらなかった。
固まって応援してる者、少し離れて談笑している者、遊んでいる者。それぞれが思い思いに過ごしている中、僕は1人その喧騒から離れる。
喉が乾いた。
まだ後ろに何人か残っていたから午前の部終了が告げられるまで少し時間があるはずだ。なんならこのまま教室に戻ってしまおう。
体育館脇の陰に置かれたクラス別のダンボール箱から自分の水筒を抜き取りすぐ側の武道場の陰に行く。壁に背を預け、水筒の蓋をカポッと開けて喉を潤した。
屋根や木で遮られた空をボーッと眺める。
火照った体が冷え水筒と共に持ってきていたジャージを上だけ羽織った。
「おっ」
そんな空間にふと新たな声が響く。
立ち入り禁止な訳では無いから誰が来てもおかしくはない。
そんなこと考えなくていいのに『なんか先に場所占領しちゃってなんかすんませんねぇ』と心の中で思いながら声の主を見ると
「おつかれー、押川くん」
「お、おう」
口どもりながらそう返した。
今朝、満晴に明空と呼ばれた少女だ。
「そんなとこで何してんの?」
それはこっちが聞きたい。
「あー...、いや休憩?」
「なんで疑問形だし」
何がおかしいのかくすくすと笑われた。
「そっちは?」
「そっち?そっちってどっち?」
具体的な固有名詞を使わなかったからかそう小首を傾げられた。
この場合、なんて言うのが正解なんだろう。
向こうは僕の名前を知っていて、僕は知らない。なら知らないフリで通すのは悪いような気がする。でも下の名前で呼ぶのもなー。そもそも今朝まで知らない人だったし馴れ馴れしいよな...
そう悩んでいると僕の態度に何かを感じ取ったのか「あー」と何かを思いついたように明空さんは声を上げた。
「もしかしてあたしの名前わかんない?」
ご名答。
「え!?いや!...わかんないというか、ちょーっと...ねぇ...」
心の中で自分にツッコんだ。何が「ねぇ」だ、何が。
「え、マジ?」
『名前が分からない』と言ったのは冗談だったのか眉をひそめられた。やっばっ。嵌められた。
「あ、やっ...ちがくて...」
どうしたものかと口ごもっていると明空さんはわざとらしくため息を吐き、だがすぐニコッと笑った。
「ま、話したことないもんね。中学も違ったし当たり前かー。あたしが一方的に知ってただけだったし」
ああ、やっぱり話したことないんだ。
「って、あたしなんかストーカーっぽい?」と不味そうに呟く明空さんに僕は「いやいや」と手を振って否定する。
「じゃ、改めて自己紹介。あたし簗場明空。1年2組。中学から陸上部」
簗場明空。フルネームを聞いてもやはりこの少女のことは分からなかった。
「押川透。1組」
「知ってるよ。だって押川くん有名人だし」
「えっ」と声が漏れた。
前に満晴たちとも似たようなやり取りをした時のことを思い起こしていると
「あ、正確には有名『だった』、かな」
ああ。『そっち』か。
「まあ、過去のことはいいや」
自分から言っておきながら簗場さんはそう言った。
「んで、なんで押川くんはあんなに手を抜くの?」
ニコニコしているのにその声色には少しの憤りが混じっている。
「ん?」
とりあえずとぼけてみた。
そりゃブランクがあるとはいえ中学のときバリバリの陸上部で大会でバンバン1位を取りまくっていたやつが学内のマラソン大会とはいえチンタラ走ってたらそう見えるよな。
中学の時の僕を知っているなら尚更。
「陸上部にも入ってないし。走るの辞めたの?」
明空さん改め、簗場さんは中学のときの『アレ』を知っているのだろうか。
知っているとしたら、そしてよく考えればそれが踏み込んではならないラインだということに気づいてくれただろうが。
あるいは知らないのであれば、今更どういうつもりでそんなことを言ってきているのだろう。
「そんなとこ」
素っ気なく返すとカチーンと来たような顔になった。
僕はそれに気づかないフリをして
「高校入ってからもやるほど本気になれなかった、みたいな?」
「それは違うじゃん」
何が。
「押川くん。中学の時すごいキラキラした顔で走ってた。どんなにギリギリの勝負でも、不利でも、負けそうでも。才能もあってみんなそれが羨ましくて、妬ましくて、でも才能があっても押川くんは誰よりも努力してた。だからそんな押川くんにみんな憧れてた。...もちろん、あたしも」
違うよ。
そんな良いもんじゃない。
周りから外れたくなくて、期待に応えたくて、無理に見栄張ってただけで。
「まあ、過去は過去だしなー。せっかく高校生になったことだし、他のこともやってみたいなーっさ」
軽い口調でそういうが、それは嘘だ。
何もかも、諦めただけ。
陸上も。頑張ることも。
でも、そんなことわざわざ人に話すことではないし、納得はして貰えないと思う。
「簗場さんは今も陸上部なんだっけ?」
ちょうどいい所に昼休みを告げるチャイムが鳴った。
「大変だろうけど頑張ってね」
そうやって無理矢理話を切り背を向ける。
「ちょっと!」と制止する声を振り切り石段を飛び越え体育館前の階段で靴を脱ぐとそれを持って靴箱に向かった。
追いかけて来ていたら怖いので振り返りはしなかったが大丈夫そうだ。
多分、悪い人じゃなさそうだけどこれからは出来る限り避けよう。
僕の平穏のために。




