㉜祈り
昨日に終業式を終え今日から2週間の短い冬休み。
なのだが、この日も僕はいつも通りの時間に起きて制服を着込み自転車を走らせていた。
通り道の寂れた商店街の隅に小さなクリスマスツリーが飾られているのを見つけため息をつく。
幼い頃からの刷り込みで『クリスマスは楽しいもの』というイメージがついているからかなんでこんな日に学校に行かないといけないのかとテンションは普段の3割増でだだ下がりだ。
そもそもうちの学校はシステムがおかしいんだ。
なんで終業式を終わらせた後に強制参加の補講が入る。
補講後に終業式が入る方がまだマシだ。
本来なら2週間と設定されている冬休みも補講が全て終わる頃にはあと1週間。
それだったら初めから1週間だと言われる方がマシな気がする、と思うのは別に僕だけではないだろう。
12月に入ってからクラスでもチラホラクリスマスの話題が出ていたが24日25日は補講がある。
補講は1、2年は午前中まで、3年は夕方までとなっていて僕らは午前中で解放されるのだが、そうはいっても「世間一般クリスマスモードなのに学校かよ」と不満が溢れている。
補講期間中は国語、数学、英語が主になっていて1日に同じ科目が2つ連続で入ることも珍しくない。
実際、事前に配られた補講期間時間割は「休み前に生徒の心を折るつもりなの?」と言いたくなる程ハードモードだった。
夏休み前にも補講は経験しているが1年2学期で内容も1学期と比べてだいぶ難しくなって来ているし前回に比べて相当苦戦することが窺える。
ちなみに今日の授業は数学、国語、英語、数学の4時間。
「はよーす」
寒さで体を縮こませながら教室に入り、予想通り机で死んでいる友に声をかけるがピクリと身体を震わせただけだった。
朝っぱらからHPレッドの瀕死状態と思われる。
最後の抵抗なのか、現実から目を背けたいのか、あと5分程で授業が始まるというのに机には数学の教科書ではなく国語の教科書が乗っている。
ガラッと大きい教師用のものさしを肩に担いで大迫が入ってきた。
ビクンッと一際大きく直樹の体が跳ねる。
その後ろ姿に『ご愁傷さま』と心の中で手を合わせ急いで自席に向かった。
※
普通授業ではなく補講だからか、いつものガッツリした授業ではなくほんの少しレクリエーションを混ぜたり、小テストを無くしたりなどのささやかな配慮がなされた授業を全て終え帰りのHRを迎える。
教卓で担任教師が連絡事項を読み上げている様子を疲れた頭でぼんやり眺める。ふと黒板右端の日付が目に入った。
補講は4日間。今日は12月22日。
まともに那須と話さなくなってから1ヶ月以上経過していた。
いつも連絡をする時はほとんど、いや、多分全ての連絡を那須が初めにしていて僕から連絡したことが無い。
元々僕はただの相談役なのだからこちらから連絡すると無理に聞き出そうとしているように見えるのではないかという不安があった。
1度そんな風に思うと那須とのメーセージ欄に自分から何かを書き込もうという気を思い留まらせる。
この1ヶ月、何度も書いては消し、書いては消しを繰り返しているが、どんな事を書けばいいのか、そもそも連絡してもいいのか、那須は迷惑なのではないかと次々に不安な事が浮かんで結局送れていない。
曖昧な心のまま、嫌なことから逃げて、何かしようとしてもひよって何も出来ない。自分に嫌気がさす。
来るものを拒み、去るものを追えず。
最悪だ。
※
放課後になり一気にテンションの上がったクラスメイト達が騒ぎ出す。部活動生は午後の練習に備えて弁当を広げだし、用のない生徒はさっさと荷物をまとめて教室を出ていく。
空虚な気持ちのまま僕も他の人に倣い、帰り支度をして外に出た。
駐輪場に停めた自転車の傍でポケットから鍵を取り出し、それを差し込もうとしたところで、ふと無意識に那須の家の方角を見た。
―――て、これじゃストーカーみたいじゃないか!
ブンブン頭を振って余計な思考を払おうとするも、効果はない。
このまままっすぐ帰る気にもなれず自転車を押して正面ではなくすぐ側の裏門から学外に出た。
マフラーに顔をうずめながら自転車に跨り、ペダルに足を掛けて、ふとここからでも見える九重神社が目に入った。
※
自転車を神社の階段下に停め、急階段を登り境内に近づく。
苔の生えた狛犬の間を抜けると今更ながら鼓動が早鐘を打った。
もし、那須がいたら...
ありもしない妄想で変に緊張し、一方でちょっと期待しながら裏を覗く。
だが、そこには誰もいなかった。
変な緊張感から解放され息が漏れる。
『人生そう上手い話はない』とフゥーと再度息を吐いた。
少し前のことなのにここで那須と会っていたのがだいぶ昔のことのように思える。
以前那須が座っていた場所に腰を下ろしリュックサックを隣に置いた。
冬のピンと張った空気の中でリー、リーと虫の鳴き声が割り込んでいる。
時々車やバイクの高いエンジン音や大声の話し声がするもののそれより近くで鳴く虫の音の方がまだ大きいんじゃないかと思うほどこの場所は孤立している。
斜めに座って足を投げ出す。
自然の音に耳を澄ませ、目を瞑っていると余計な願いも思考もどこかへ霧散していくようだった。
寒さも相まってどんどん思考がクリアになっていく気がする。
ザッ。
静謐な空気に明らかな人口音が混じり目を開ける。
「え...」
ドギマギしつつその声の方に顔を向けた。
「え...」
その少女と同じを反応今度は僕がした。
投げ出した足を引っ込めて片方を立てた状態のまま視線を交差させる。
夢だと思った。
だってその方が説得力がある。
人生そう思い通りにいくわけないのだし。
『妄想が具現化することなんてありえない』。
「あ、やっぱり」
驚いていた表情はすぐに引っ込めマフラーと手袋も嵌め完全防寒をした那須はどこか嬉しそうに顔を綻ばせた。
『やっぱり』、なんてまるで僕がここにいるのを知っていたかのような口ぶりだ。
「下に見覚えのある自転車が停まっていたのでもしかしたらと思って」
「......」
那須はそう言って微笑むが僕はそれに対し何も反応出来ないでいた。
近づくほどその存在に吸い込まれそうで、想いが溢れ出てしまいそうで後ずさるも数センチ下がったところで壁に行く手を阻まれる。
那須は僕から少し距離を開けてストンと地べたに腰を下ろした。
「ずっと、会えなかったから、お話したかったです」
「...学校では何度かすれ違っただろ」
ぶっきらぼうな言い方になってしまい、腕で膝を抱え込んで顔を那須とは反対方向に背ける。
恥ずかしいやら情けないやら嬉しいやらの様々な感情で思考は完全にショートしていた。
「それでも。こうして2人でいるのは久しぶりなので」
優しい声色が耳を撫でビリビリと何やらよく分からない感覚が全身を走った。
「最近、大丈夫か?無理、してないか?」
「おかげさまで」
「......」
「......」
会話が途切れ落ち着かない気分になる。
何か話題、話題...あー、くそ。
何も思いつかない。なんでこういう時引き出しが少ないんだよ、僕は。
「私...」
顔を逸らしたままでいると那須が口を開いた。
「押川さんに謝らないといけないことがあります」
先程とはトーンの違う那須の声にようやく顔が上がる。姿勢を正してこちらに体を向けじっと那須は僕の瞳を捉えている。
まともにその視線を見ていられなくて思わず視線を逸らしてしまった。
「1ヶ月程前...カラオケ店で会った時、変な態度を取ってしまってすみませんでした」
「...は?」
どうして謝られたのか、分からなかった。
那須は何も悪いことをしていない。
あの時だってクラスメイトの前で那須は当然の反応をしたのだ。
那須が学校では口調も態度も今と全然違うということは前々から理解していたし今更そんなことを言われなくても分かってる。
「あの時...押川さんがあの女の子とデ、デートしている所を見て―――」
「ちょ、ちょっと待って!」
全く予想していなかったワードが飛び出し慌てて言葉を遮る。
「デートって?」
「え?あの方押川さんの彼女なのでは...」
この1ヶ月那須にそんな勘違いをされていたのだと気づき地味にショックだった。
「違う違う。あの子は友達で、カラオケに行ってみたいって言うから連れていっただけで!全然そんな関係じゃないから」
「え!?」と那須が珍しく慌てた声を出す。
「本当ですか?」
その言葉に頷くと今度は「あれ、じゃああの噂は...」とつぶやく声が聞こえた。
噂と聞いて思い当たる事は1つしかない。
「先に言っとくけどえい...永田との噂も間違いだぞ。ただ縁あって勉強を教えて貰ってるだけで付き合ってるなんてことは断じてない。友達なんだ」
カラオケで一緒にいたのが詠子だと言うことはあえて隠しそう言うと
「そう...なんですか?」
那須は納得してくれたのかそう言い、「あれ?でも」と何やら背を向けてブツブツ呟いていた。
しばらくして
「...ごめんなさい。私、変な勘違いをしていたみたいですね」
ぺこりと那須は頭を下げた。
誤解が解けて良かったと内心安堵する。
「ところで、押川さん」
「ん?」
「永田さんとは友達、なんですよね?」
「うん?」
「私は『那須』なのに、永田さんは『詠子』って呼ぶんですねっ」
一瞬呼吸の仕方が分からなくなった。そのくらい動揺した。
その事に気づいて言い直したのに那須には察せられていたらしい。
「そ、それは...」
口ごもっていると那須はわざとなのか無意識なのかグッと距離を詰めて来た。
既に壁際に追い込まれているためこれ以上は逃げられない。那須の甘い香りが鼻腔をくすぐり頭がクラクラしてきた。
「私も、...永田さんと同じが、いいです」
「と、言いますと...?」
「うぅ...」と那須は赤い顔を俯いたり顔を上げたりする。
その可愛らしい様子が僕には毒だ。飛びそうになる理性を必死で留め手を痛いくらい握りしめる。
「私も、祈って、名前で呼んで欲しいん...です...けど...」
ばくんっと一際大きく心臓が跳ねる。全力疾走した後みたいに呼吸が苦しくなった。
那須は耳まで真っ赤に染め、落ち着きなく視線を彷徨わせ、瞳を伏せたまま覗き込むようにこちらをじっと見ている。
それは僕も同じだった。
先程までキンキンに冷えていた体が暑いくらい温まって掌にはじんわり汗が滲んでいる。
恥ずかしいのに、落ち着かないのに那須の瞳に吸い寄せられ目が離せない。
「だめ...でしょうか?」
不安げに揺れるその瞳に
「だめじゃ...ない」
乾いた喉からそう言葉を絞り出した。
「......」
那須は何も言わず『何か』を求めるようにこちらをじっと見たままだ。
何を求めているのかは、分かりきっていた。
「い...」
詠子を名前で初めて呼んだ時とは尋常ではないくらいの緊張感が僕を支配する。
喉がカラカラに乾いてゴクリと無意識に唾を飲み込んだ。
「......祈」
恥ずかしさで口元を手で覆い視線を逸らしながらそう言うと那須はパァァと表情を明るくさせた。
「ありがとうございます。...と、透さ...透くん」
ドクンと心臓が跳ねた。
不意打ちは...ずるいだろ...
「あ」
顔を覆って悶えそうになるのを必死に抑えていると那須が口を開いた。
そして手袋を外し上着のポケットからなにやら『白いもの』を取り出す。
「ちょ...っ」
いきなり那須が、いや、祈が僕の手を取った。
抵抗する間もなくその上に取り出した『カイロ』を乗せて握らせ、さらにその上を覆うように手を重ねられる。しっとりとした手の柔らかさで背筋が凍りつくようにピンと伸びた。
「手、真っ赤です。手袋持ってないんですか?」
「きょ、...去年なくしたみたいで...」
内側からカイロの温かさが、外側から祈の手の温かさが包み込む。思考が蕩けそうで、どうにかなりそうだ。
「...冷たくなるぞ」
「いいんです」
そう言って微笑む祈の思わせぶりな態度に本当に理性が飛びそうだった。今すぐこの手を引き寄せて抱きしめたくなる。
ブンブン小さく頭を振った。
ふと、頭に浮かんだそんな欲求は意味ないと分かっていてもそうでもしないと無くなりそうになかった。
「も、もう大丈夫だから」
そっと手を外す。
ふにゃっと笑う祈は返そうと差し出すカイロを受け取り、再び僕の手に握りこませてきた。
「私は手袋ありますし、家も近いのでよろしければ使ってください」
立ち上がり手袋を嵌めると祈は鞄を手に取る。
「誰かに見つかるかもしれないですし今日はお先に失礼しますね。...また、連絡。してもいいですか?」
「も、もちろん」
祈が去って行く足音が消えると僕は力なく壁に背を預けたまま足をズルズルとゆっくり伸ばす。
カイロを握りこんだままの両手を太ももの上に乗せたままで、風邪をひいたときみたいな思考がはっきりしない状態で動けずにいる。
顔の熱が引くまではまだだいぶ時間がかかりそうだった。




