㉖亀裂
「ん〜!歌った歌った!」
受付に伝票を返しに行った後、外に出ると詠子はグーっと腕を上に挙げて伸びをした。
「ちょっと御手洗行って来るね」
歌いすぎてちょっと枯れた声でそう言い詠子は建物の奥にあるトイレへと向かった。
日陰で待っとこうかな...
空のペットボトルを手首でクルクル回していると前方のカラオケの個室ルームの奥に自販機らしき赤の機体の後ろ姿が見えた。
ゴミ箱もあるだろうしついでに飲み物追加しとくか、とそれに近づく。
空のペットボトルを捨て財布を取り出し、炭酸のボタンを押す。
「あれ?」
その瞬間、ふと背後からそんな声が聞こえた。
若い女の声だ。
声だけでは誰なのか判断が出来ず、嫌な予感がしつつ振り返る。
そこには
「やっほー」
軽い口調でそう言うショートカットの少女を僕は知っていた。
「こんなとこで奇遇だねっ」
「甲斐さんこそ」
僕と那須が出会うきっかけとなった3組美化委員の甲斐さんだ。下の名前はたしかハル。
甲斐さんはニコニコニコニコと愛想の良い笑みを浮かべている。
「押川くんもカラオケ?」
「うん」
「へぇー」と甲斐さんはぴょこぴょこ落ち着きなく跳ねながら僕の全身に視線をよこす。
「えと...何?」
「いやぁ、誰と来てんのかなーってさ。...あ、もしや、巷で噂の1人カラオケというやつですかな?」
ニマニマしながら甲斐さんはわざとらしく手を口に当てた。
「ちが......」
違う、と言いかけて口を紡ぐ。
もし、ここで否定をすれば「じゃあ誰と来てるんだ」ってことに絶対なる。
ただでさえ学年で僕と詠子の妙な噂も広まっているようだし、完全にほとぼりが冷める前の今の時期に噂を再熱、または確定させるようなことになる訳にはいかないよな。
「えーっと...実は...」
どうにか誤魔化そうとし、そう言うとキュッと突然背後から『何者か』に腕を絡め取られた。
突然のことにビクリと体が跳ね、その犯人の方へバッと首を曲げる。
そこには―――
「うわぁ...」
甲斐さんが先程までの高いテンションはどこへやら、何やら気まずそうに視線を泳がせた。
腕を絡ませたままの僕ともう1人を交互に見て甲斐さんは頬を掻く。
「あの、ごめんね?デート中ならそう言ってくれれば良かったのに」
変な誤解をされた。
「いや...」
このまま勘違いされたままだとまたもやあらぬ噂を立てられてしまうと思い、腕を引き抜こうとしたがさらにギュッと力を入れられる。
...って、なにやら、腕に、柔らかい、感触が、するような...っ!?
「ちょっ...」
振り払おうにも下手に動かすと感触が一層腕に伝わってくる。
「『彼女さん』もほんとごめんね?...じゃ、あたし友達待たせてるから」
そう言い甲斐さんは手をヒラヒラ振って小走りで去っていった。
甲斐さんが去り、2人が残されたところでようやく『犯人』に向き直る。
「...とりあえず腕を離してもらっても?」
そう言うとスルッと腕の拘束が解ける。だが、その代わりキュッと服の裾を掴まれた。
「ごめん、今何も見えなくて。透、大丈夫だった?」
詠子 (ストレートロング、メガネなしバージョン)は表情を変えず淡々と言った。
「いや、大丈夫も何も、さっきのはどういう...それにその格好も......」
トイレに行く前はいつも通り1つ結んだ髪とメガネだったのに。
「え?さっきの逆ナンってやつじゃないの?」
詠子も詠子で何やら大きな勘違いをしていたらしい。
「違うよ。さっきのは僕らと同じ学校、学年の甲斐さん」
ピンと来ていないのか詠子キョトンと首を傾げていた。
やっぱり同級生なの知らなかったのか。
「だとしたらごめん。私、勘違いしてたんだね。逆ナンなら『彼女がいるフリ』をすれば撃退できると思ってやったんだけど」
勘違いだったとはいえ助けようとしてくれたのか。嬉しいけど、今回の場合はな...
「あ、じゃあその格好は?」
「あ〜...それは」
詠子はキョロキョロと所在なさげに視線を逸らした。
「言いにくいことなら良いけど」
「そうじゃなくて。...えーと、透は知ってるか分からないけど、今学校で私と透が......」
「え...?」
詠子がそう口を開いたとき背後でそんな声がし、咄嗟に振り向くと
「な...」
那須!?
どうしてここに!?
この前とは違い膝上丈の短いスカート姿の那須は4人の友達らしき女子に囲まれ、立っていた。一瞬驚いたように目が見開かれるがすぐに元に戻る。唇を引き結び、表情を変えないようにしているようだった。
よく見るとグループの中には甲斐さんの姿もあり、那須の斜め後ろで笑みを浮かべてヒラヒラ手を振っている。
ついさっき僕達と会った時は気まづそうに去ったはずなのにどういうことだ?
「うっわ。超美人!」
声を抑えつつ、1人がそう言う。
「あれ押川くんの彼女らしいよ〜」
コソコソと話す甲斐さんの声が漏れる。
僕のこともそこにいるメンバー全員に知られているようだった。
「あれ?でも押川くんってなが......」
「そうそう...あ、じゃあ......やっぱり......」
コソコソと話していて会話の内容が全ては所々しか聞こえないが何やらよからぬ事を話しているということだけは分かる。
「ちょっと待って。何か勘違いしているかもしれないけど僕達は...」
「こんにちは!」
弁解しようとするも途中で1人が近づいて来て僕の後ろに隠れる詠子を覗き込む。
ビクッと詠子は身をすくめ、ギュッと裾を強く掴んだ。グイッと後ろから引っ張られ首が服で締められる。
「あちゃ〜、怖がられちったかな?」
ケタケタ笑いながらその女子は元の場所に戻る。
露骨に見ると他の人に気づかれる可能性があるためコソッと那須を伺い見るも俯いてキュッと引き結んだままの口元しか見えない。
何か様子がおかしい、ということは明白だった。
今すぐ近寄りたい、声をかけたい、問題があるなら解消してあげたい。
...でも、今の僕にはそれが出来ない。
那須の他の3人は当然、詠子にさえも那須との関係は全く話していないのだから。
気まずい雰囲気のまま時間は流れ
「ねえ、もう行かない?邪魔しちゃ悪いって!」
那須がそう口を開いた。
僕と話す時とは違う、僕は聞き慣れない、学校での擬態バージョンの話し方だと、前に本人から聞いた。
「そうだねっ」と他3人が同意し「じゃあね」とこちらに手を振って僕らとは反対方向に向けて歩いていく。
すれ違う間際那須と視線が合うもその瞳は何故か悲しげに揺れていた。




