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売られた仔牛

寺田さんがヤクザの事務所でどういう

ポジションにあったのか僕は知らない、

ただ組の人からは、そう寺田さんよりも

歳が上の人からも、一目置かれているような

そんな存在だったと思う。


寺田さんはいつも黒っぽいスーツに

黒っぽいシャツに黒っぽい靴を履いてた。

背は僕よりもほんの少し低かったけど

どういう訳か僕より大きく見えた。


ヤクザのイメージを損なっちゃあ

いけないとか言って、

いつも怖い顔をしていたし、

低い声でしか喋らなかった。


寺田さんはヤクザであり、

いつもヤクザを演じていたんだ。

そういう寺田さんに僕は初めから

何やら惹きつけられていたのかもしれない。


寺田さんはケンちゃんの件で僕を

ボッコボコにした後、何も言わずに

僕を寿司屋に連れて行ってくれた。


因みに言っておくと、僕は喧嘩に負けた事など

それまでただの一度も無かったんだ、

だけど寺田さんには勝てる気さえしなかった、

寺田さん曰くそういうのが「戦わずして勝つ」

という事らしい。


僕の口の中はズタズタに切れており、

瞼も5倍位に腫れ上がっていたけれど、

戦わずに勝ったと寺田さんは言っていた。


「君は今回のことを『とんだ災難だ』

なんて思っているのかもしれない、

だけどヤクザは舐められたまま

引き下がってはいられない、

そういうものだから悪く思うな」

その言葉は「ハイそうですね」と言える程の

説得力を持っていなかった、だけど

寺田さんがスッと呑む日本酒の

風情に、なんかそういうものなのかなって

理屈とかじゃなくてそう思ったんだ。

だから僕は黙ってトロを食べてやった、

それで手打ちにしてやろうと。


それからの僕は、寺田さんと

ケンちゃんに付いて、

街をぶらぶらするのが日課になった。


ケンちゃんはなんか煮え切らないものを

僕に抱いているようだったけど、

寺田さんの手前、僕に手出しをする事はなかった。

あの一件でケンちゃんの玉は一個減ったけど、

大事なモノは二つあるって小学校の先生が

言っていたからたぶん大丈夫なんだと思う。


寺田さん達と街をぶらつくと、スナックや風俗店

パチンコ屋なんかがおしぼりをとても高い値段で

レンタルしてくれるのだそうだ、つまり僕らは

おしぼりのセールスマンという事だ。


おしぼりのセールスマンは、店で暴れたり、

いちゃもんをつけて帰らない客なんかが

いる時にも呼び出されて、

ケンちゃんが暴力によって仲介に入り、

寺田さんが後ろから怖い顔で

事の流れをただ眺めてる。


そういう事に僕も付き合っていたんだけど、

僕は暴力には参加しなかったし、

寺田さんの子分みたいな事も

何一つしていなかった、ただ二人に

付いていただけなんだけど、寺田さんは

僕が立っている事で、場の雰囲気が

それっぽくなるからと言って

何やら僕を連れ回してくれた。


しばらくして僕は寺田さんの紹介で

ボクシングを始める事になった。


その日、僕はヤクザの事務所で寺田さんに

借りた本(寺田さんはヤクザの割に

よく本を読む、それも妙に難しい本ばかり)

を読んでいた。

おしぼりのセールスに行くには

随分早い時間に付いて来いと言われて

付いていったのが、駅の裏にある

ボクシングジムだった。


ジムに入ると数人のボクサーがちらっと

僕達を睨んだ、寺田さんはそんな事には

意も介せずに僕だけをそこに残して、

ジムの奥にあるガラス張りの部屋に

入って行った。


しばらくして、寺田さんと会長が出てきて

僕を遠巻きに眺めてた、値踏みでもするみたいに

ジロジロと。


僕はその日から売られた仔牛みたいに

毎日をボクシングに捧げた。


寺田さん曰く。僕に足らないものは

大体がボクシングで補える。

そういう事らしく、言われるがままに

昼はボクシング、夜はおしぼりの

セールスマンという暮らしを2年ほど続けた。


そして気が付けば、僕は19歳で無学で

読書家で6回戦ボーイでチンピラになっていた。


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