指サック
その日僕はいつものように人を上手に殴る
練習を済ませると、シャワーを浴びてから
組事務所に向かった。
事務所に入ると知らないヤクザ達が
僕を睨みつけてきた、こういう人達は目が
とても怖いので正直困る。
逸らした方が負けだ、だけど僕は負けるのが
大嫌いだ、だから逸らしたくは無いけど
それで手が出た時には…。
彼らの手加減のハードルは高く
洒落にならないのだ。
ヤクザ同士ならこういう時仁義を切れば
済むのだろうけど、僕はヤクザじゃない。
困っていると奥でケンちゃんが
こっちへ来いって手招きをしてくれたから、
ヤクザ達の視線からは開放された。
どしたの? とケンちゃんに尋ねると、
ケンちゃんは目を輝かせながら
誰にも言うなよと言って、
べらべらと大体の事をすっかり喋ってくれた。
なんでも系列の組からの依頼で、
対立する組にこの組から
ヒットマンを出すのだとか。
睨んできた彼らはその系列の組員で
打合せに来ているらしい。
そしてそのヒットマン
(要は鉄砲玉なんだけど)という
重責を言いつかったのが何を隠そう
俺で(ケンちゃんで)
そのお目付け役に
(つまり一人じゃ心配だから)
寺田さんが付くのだそうだ。
ケンちゃんはこれでしばらくシャバとも
おさらばだけど、戻ってきたら格も
上がってるって言って随分興奮気味だった。
自分の意思とは関係のない言わば
誰かの罪で自らの手を汚す、
そして刑務所に入る。
そんな馬鹿らしい事に
ケンちゃんは興奮していた。
ヤクザにはなりたくないなって、
この時はそう思ったんだ。
でも正直なところ僕は、
刑務所に入るケンちゃんの事や
馬鹿なヤクザのモラルなんかどうでもよくて、
寺田さんの事や、明日からの
おしぼりのセールスがどうなるのか、
そっちの事が知りたかった。
「心配いらないよ、寺田さんはただ事が
うまく運んだか見るのが役目だし、
寺田さんには代わりに自首する
人間もちゃんと用意されてんだ」
とケンちゃんは教えてくれた。
それでも当面(たぶん1、2週間位は)は連絡が
あるまで組には近づかない方がいいとも言われた。
その時になっても僕は組員でも寺田さんの
舎弟でもなんでもなかったから、
組の行事とかなんかは全部、ケンちゃんか
寺田さんが教えてくれていた。
盃を交わさないのはたぶん、
寺田さんがプロボクサーの僕に
気を使っていたからなんだけど、
その頃の僕に盃なんて言われても
正直困ったと思う。
兎に角その日はそのまま(寺田さんと
顔も会わさないまま)アパートに戻ったんだ。
次の日、僕は朝から晩までみっちり
ボクシングに汗を流した。
することが無いと実際に人と殴り合わない
単調でつまらない練習でさえ集中する
事が出来たし、お陰で頭もスッキリとし始めていた。
そしてまた次の日の朝、
いつものように歯ブラシを
口に突っ込んだままテレビの電源を
入れると、ニュース画面の右上に
いつも見慣れたはずの怖い顔の寺田さんが
まるで別人のようにポツンと写っていた。
歯磨き粉混じりの涎が顎を伝う。
『暴力団同士の対立抗争か!
3人死亡1人重体、
容疑者 寺田 一馬(40)自首』
画面の中央では白いワンボックスに
フラッシュが集中していた。
画面がスローモーションになって、
白く輝く車内で真っ直ぐに正面を
睨みつけている寺田さんが
あまりにも堂々と写っていた。
僕はスクーターに跨ると信号を全部無視して
組事務所に向かった。
組の前にはテレビカメラが何台か来ていて
記者とか警官とか、なんかいつもと違って
空気が張り詰めていた。
僕のような少年が事務所に入ろうとするのを
その辺の人間が変なものでも見るみたいに見てた。
あと少しそこに居たら、僕はカメラマンだとか
記者だとかに取り囲まれていたかもしれない。
だけど事務所の重い鉄の扉が
内側からスッと開いて、
中から若頭が僕を引っ張り込んでくれたから
そんな事にはならなくて済んだ。
「面倒な事になってな、
ケンの野郎がしくじって護衛の奴に
逆に刺されたんだ。それで寺田が
その二人を殺って、元々のターゲットも
ブスり。ケンの野郎は一命を取り留めたんだが、
寺田の野郎は三人も殺っちまった訳だし、
でまぁ身代わりを立てる訳にもいかんし…。」
「組長はしばらく消えろって言ったんだけどな
寺田の馬鹿『三人の手前格好の悪い事は出来ない』
とかなんとか吐かしやがって…」
寺田さんはやっぱりずっとヤクザで、
最後までヤクザを演じてた。
彼のルールの中で、彼が愛するモラルに則って
暴力と行動を躊躇いを隠して振り下ろす。
だから寺田さんの通った後はまるで
一本の道で、その道は気持ちのいい程に
真っ直ぐ伸びているのだろう、
僕はいつか読んだ高村光太郎の
『僕の前に道はない、僕の後ろに道は出来る』
その言葉を思い出しながら、彼の通ったその道に
何が見えるのか立ってみたいとさえ思ったんだ。
お陰でバラバラに組みあがっていた
それまでの僕の毎日が、
今日のようになんだか
筋が通っているように見えたりして…。
そんな事をふと思い返していると、
後ろでケンちゃんの声がした。
「もう其れ位にしといてやれよ」
ゆっくりと低い声で偉そうに僕を制す。
鼻が折れて完全にのびてしまった少年、
横でじっと全てを見ていた少年の友人。
どちらかと言えば、少年の友人の方が
のびてしまった少年より、
僕の事を怖いと思っただろう。
友人はのびている少年や別の友人達に
事の流れを風潮して回るだろう、
そしてそれは彼らが超えてはならない一線が
何処にあるのか、はっきりと示すはずだ。
「お前はやり過ぎる、高々ガキのおふざけに。」
朝焼けの飲み屋街、カラスがゴミ箱に群がる。
半年経った今も右足を引きずりながら
ケンちゃんは僕にそう言った。
「ケンちゃんは中途半端なんだよ。」
僕はクスクス笑いながら
ケンちゃんの小指の指サックを引き抜いて
カラス達に向かって投げ捨てた。
「テメェナニすんだよ! 殺すぞ!」
ケンちゃんは凄んでみせた。
「いいじゃん、右手のもあるんだし」
ケンちゃんの小指は両方とも無くなっていた、
『大事なモノは二つある…』
つまり小指は大事ではなかったという事か。
ボロボロのケンちゃんを見ながら
僕は子供みたいにケタケタと笑った。
カラス達がやる気の無い気怠い様子で
一羽また一羽と飛び去っていった。
入院してから1ヶ月位でケンちゃんは
退院してきたのだけど、退院したその日に
両方の小指を自分で切り落とした。
一本は組長に、もう一本は寺田さんにって。
因みにケンちゃんは拘置所にいる寺田さんに
右手の小指と手紙の入った封筒を送ったんだ、
だけど封筒は検閲で引っ掛かって、
中の手紙もそのまま送り返されてきた。
しかも、返って来た頃には少々指が痛んでて
そりゃあ酷い臭いがしたんだ。
ケンちゃんはアホだし格好悪い、
寺田さんもアホだけど格好はいい、
なんだかヤクザをもう少し
僕は見ていたいなってその時思った。
だから、僕はさっき少年の背中を
手を抜かずに思いっきり蹴っていたんだ。
ほんと長い話しなんだけどね。




