第07話
部屋へ入って最初に目に入ったのは、机の上に置かれた水差しだった。
銀でも宝石でもない、ごく普通の陶器の水差しだ。隣には小さな器と、指2本ぶんほどの太さの木片がいくつか並んでいる。
魔法の授業と聞いていたから、もっと変わった道具があるのかと思っていた。
「本日は、まず殿下ご自身の魔力を動かすところから始めます」
そう言ったヘレーネ先生も、魔法使いらしい派手な格好ではなかった。王宮の職員としてきちんと整えられた服は、袖も裾も作業の邪魔にならなそうで、髪も後ろでまとめられている。俺が机の上を見ているあいだにも、先生の目は道具よりこちらを見ていた。
「その前に確認させてください。殿下は今、魔法について何をご存じですか」
早くやりたい。椅子に座ったばかりなのに、もう手を机へ出していた俺は、少しだけ引っ込めた。
「人が使ってるのは見ました。火をつけたり、お湯をあったかくしたり」
「はい」
「それから、この前の検査で、ぼくは魔力が多いって聞きました。出す力も強いって。でも、細かく動かすのとか、長く使えるかは別だって」
ヘレーネ先生はうなずいた。
「ご自分で魔力を出したことは?」
「ないです。1人でやらないように言われたから」
「結構です」
褒められた、という感じではなかった。確認して、問題がなかったから次へ進む。そういう言い方だった。
「では、今日はそこからです。殿下は魔力量が多いと聞いておられますが、最初に覚えていただきたいのは、大きく出すことではありません。出すこと、止めること、必要な量に抑えることです」
「少なく出すんですか」
「はい。多く出せる方ほど、少なく出す練習は大切です」
先生は机の上の水差しを手に取った。
「水がたくさん入った水差しでも、器へ少し注ぎたいときに全部ひっくり返しては困りますね」
「こぼれます」
「魔法も、最初はそれに近いと思ってください。たくさん持っていることと、欲しい分だけ扱えることは別です」
なるほど。検査では多いと言われたことが嬉しかった。多ければ、それだけたくさん魔法を使えるのだと思っていたところもある。
もちろん、制御は別だとも聞いていた。だが、それを自分の問題として考えるのは今が初めてだった。
「まず、両手を楽にしてください。机へ置いても構いません」
言われたとおりにする。
「目は閉じても、開けたままでも結構です。今は何かを起こそうとしないでください。火も、光も、水も考えなくていい。ご自分の身体の内側へ意識を向けます」
それだけなら簡単そうに聞こえる。目を閉じた。
呼吸。胸が動く。椅子に触れている腿。机に置いた手のひら。指先。
それから先が分からない。
血が流れている感覚を探せと言われても、普段は脈くらいしか分からない。それと同じで、魔力があると知っていても、どれが魔力なのか印がついているわけではなかった。
「分かりません」
しばらくして言うと、先生はすぐに答えた。
「最初はそれで普通です。見つけようとして力まないでください。先日の検査では、器具が殿下の魔力に反応しましたが、殿下ご自身が動かしたわけではありません。今日は、その違いを覚えます」
先生は俺の右手へ視線を落とした。
「まず右手に意識を向けてください。机に触れている感じや脈を探すのではなく、内側で何か変わる感じがないか。こちらでも見ています」
もう一度、手のひらへ意識を向ける。
何もないと思っていると、かえって分からなくなる。呼吸をして肩の力を抜き、机に触れている手のひら、指先、手首と順に意識を向けていく。
しばらくすると、手首から先に、触覚とは違う何かがある気がした。温かい、というのとも違う。痺れているわけでもない。ただ、普段なら意識しない場所に、意識を向ける先がもう一つ増えたような感じだった。
「……これ?」
「そのまま。動かそうとせず、少し待ってください」
ヘレーネ先生の声が低くなる。
俺は言われたとおり待った。
「はい。今、殿下が意識を向けているところで合っています。こちらでも流れが少し変わったのを確認できました」
目を開けた。
「先生には分かるんですか」
「意識を向ければ、ある程度は。魔力そのものが目に見えているわけではありません。慣れた者は、流れや強弱を感じ取れるのです」
「ぼくにもできるようになりますか」
「訓練すれば、ご自分の魔力についてはずっと分かりやすくなります。他人の状態を読むのは、また別の練習です」
今は自分のほうだ。先生は俺の手元を見た。
「次に、その感覚を右手へほんの少しだけ寄せるつもりで動かしてみてください。何かの形を作る必要はありません。身体の中で、右手のほうへ寄せるだけです」
水を流すように、と考えかけてやめた。実際に水が流れているかは知らない。
さっき見つけた感覚へ意識を向けて、右手へ。
すると、思ったより簡単に反応した。
身体の奥にあったものが、腕の内側を通って手へ押し寄せたような感覚がした。
「そこで止めてください」
先生の声が飛んだ。
止める。
止めようとした。
だが、動き出したものがすぐには止まらない。
手のひらに集まる感じが強くなる。何かが外へ抜けそうになって、反射的に指へ力を入れた。
「握らなくて大丈夫です。力を抜いて。出す方向をやめます。押し戻そうとしないでください」
押し戻さない。
出すのをやめる。
その違いがすぐには分からなかったが、とにかく前へ押すような意識だけを消した。
数呼吸ぶん遅れて、手に集まっていた感覚が弱まった。
「はい。今、止まりました」
息を吐く。
「多かったですか」
「かなり」
先生はあっさり答えた。
「今の指示は、右手へほんの少し寄せることでした。殿下は一度に大きく動かしました」
「でも、そんなにやったつもりは……」
「そこが今の課題です。殿下にとっての『少し』と、実際に動いた量がまだ合っていません」
検査で魔力が多いと聞いたときは、長所しか見えていなかった。今のは、たしかに扱いづらい。
「もう一度できますか」
「できます。ただし、先ほどより小さくです。今度は動かす前に、止めるところまで一緒に考えてください」
先生は水差しから器へほんの少し水を注いだ。細い水が落ち、底を濡らしたところでぴたりと止まる。
「これくらいです」
「分かりました」
再び手へ意識を向ける。
今度は、右手へ全部向けるのではなく、ほんの少しだけ。
そう思った瞬間、また思った以上に動いた。
「強いです。半分に」
半分。
「まだ強いです。さらに半分」
そんなにか。
自分では、最初のときよりずっと弱くしているつもりだった。
「そこで維持してください」
今度は止めず、同じくらいに保つ。これが難しい。
弱くしようとすると消えそうになり、戻そうとすると急に強くなる。手の上に小さな器を載せて、その中の水面を揺らさないよう歩いているような気分だった。
「少し上がりました。戻して」
「はい」
「今度は下がりすぎです。急いで戻さなくて結構です」
先生の指示に合わせるたび、魔力の感覚が大きくなったり小さくなったりした。
「では、止めます」
今度こそ。
前へ出している感じを消す。
さっきより早く弱くなった。
「はい。止まりました。今の停止は先ほどより良いです」
嬉しい。大きく光ったわけでも、火を出したわけでもない。外から見れば何も起きていない。それでも、自分で動かして、自分で止めた。
本当に魔法を使っている。
「次は外へ出します」
思わず背筋が伸びた。
先生の口元がほんの少し緩んだように見えたが、すぐ手元へ視線が戻る。
「ただし、現象は起こしません。今の感覚を手の外まで出して、すぐ止めます。殿下が大きく出そうとしたら、こちらから止めます」
「はい」
右手を机の上へ出す。
「先ほど維持した量より、さらに少なく」
自分の中の魔力を右手へ寄せる。
小さく。
もっと小さく。
そこから、手のひらの外へ。
一瞬、境目がなくなるような感覚がした。
同時に、何かが抜けた。
「止めて」
先生の声に反応して止める。
だが、1拍遅れた。
「今のは出す量が大きいです。停止も遅れました。もう一度」
「はい」
今度は小さくしすぎたのか、手の中までは来たのに外へ出た感じがしない。
「今は出ていません。そこからほんの少しだけ前へ」
少し。
「あ、今です。止めて」
止める。
「良いです」
それを何度か繰り返した。
出す。止める。
小さく出す。止める。
一定にしようとして揺れる。止める。
一つ一つは短いのに、だんだん集中しづらくなってきた。
最初ははっきりしていた手の感覚が、ぼやける。先生に「少し強い」と言われて直そうとしても、どれくらい動かしたか自分で掴みにくい。
もう一度ならできると思った。
「次、やります」
右手へ意識を向けたところで、先生が手を上げた。
「休憩にしましょう」
「まだできます」
「魔力は残っています。ですが、休憩です」
即答だった。
「なくなってないんですよね?」
「はい。殿下の魔力はまだ十分あります」
それなら続けられるのではないかと思って、先生を見る。
ヘレーネ先生は椅子を勧め、自分も向かいに座った。
「魔力が残っていることと、安全に使い続けられることは同じではありません。今は魔力より先に、使っている殿下のほうが疲れています」
「ぼくのほう?」
「はい。身体も、集中する力も、魔力を細かく動かす感覚もです。重い物を持てる人でも、一度持てたからといって何度でも休まず持ち上げられるわけではないでしょう」
それは分かる。腕の力が全部なくなる前に、持ち上げる動作のほうが崩れてくる。
今の感じも近かった。魔力そのものが空になった感覚はないのに、細く出すのが難しくなっている。
「これが、前に聞いた長く使えるかどうか、ですか」
「その一部です。どれくらい魔法を使い続けられるかは、魔力量とは分けて見ます。大量の水を貯めた桶があっても、それを一日中ひしゃくで正確に汲み続けられるとは限りません」
俺は机の水差しを見た。
「ぼくは魔力が多いから、たくさん使えるわけじゃない?」
「少なくとも、魔力量だけでは決まりません」
先生は迷わず答えた。
「一度にどれほど出せるか。必要な量へ抑えられるか。狙ったところへ作用させられるか。どれくらい続けられるか。使ったあと、どれほど休めば戻るか。そうしたものを合わせて、実際に何ができるかが決まります」
「練習したら増えますか」
「伸びるものはあります。制御や慣れは練習の影響が大きいですし、魔力量や長く使える力も、成長や訓練で変わることがあります。ただし、誰でも同じように伸びるわけではありません。どこまで伸びるかを先に正確に知ることもできません」
「魔法も、少しきついところまでやったほうが伸びるんですか」
前世の筋トレでも、負荷をかけなければ伸びない。だからといって、動きが崩れるまで毎回続けるわけでもなかった。魔法はどこまで同じなのだろう。
先生は首を横に振った。
「適切な負荷は必要です。ですが、無理な限界超過を訓練にはしません」
はっきりした声だった。
「動きが崩れ、止める操作まで遅くなっているのに続けるのは別です。階段を上る練習をするからといって、足がもつれている子に走って上らせはしないでしょう」
「……はい」
今の俺は、足がもつれ始めたところだったらしい。悔しいが、言われてみれば先生が止めた理由は分かる。
水をひと口飲む。
冷たいというほどではない水が喉を通った。魔力が戻った感じはしない。ただ、何も操作しなくていいだけで頭が少し楽になる。
机の木片へ目をやる。
「先生。魔法って、火とか水とか、そういうのに分かれてるんですか」
火をつける人と湯を温める人を見ている。前世の物語なら、属性という言葉で分けるのが定番だった。
「呼び方として分けることはありますが、人を『火だけ使える』『水だけ使える』というふうに分けるのが基本ではありません」
先生はそう答えてから、木片を1本取った。
「魔法でできることは、もっと広いのです。たとえば、物を押す力を加える。熱を与える。光を生じさせる。水や空気へ働きかける。自分の身体の動きを助ける。どれも使われます」
先生の指先が木片から少し離れた。次の瞬間、木片が机の上をすっと滑った。
俺は思わず身を乗り出した。触っていない。
見えない何かに押されたように、ほんの少し動いただけだ。それなのに、自分で魔力を外へ出した直後だと見え方が違った。
「今のも?」
「はい。力を加えただけです。難しいことはしていません」
俺には十分すごい。
「身体を助けるって、力が強くなるんですか」
「強くできます。ただし、元の身体の限界までなくなるわけではありません」
先生は木片を置いた。
「身体を動かす力や姿勢を支える助けを加えても、身体まで壊れなくなるわけではありません。重い物を持ち上げる力だけ増やして、身体がそれに耐えられなければ怪我をします」
「魔法があっても?」
「魔法があっても、です。身体強化は便利ですが、身体をなくして魔力だけで動いているわけではありませんから」
力を足すだけなら、むしろ危ない場合もあるのか。
前世で重いものを持ち上げたときも、腕だけ強ければいいわけではなかった。脚も背中も、姿勢も要る。魔法で出せる力だけ増やせば、受ける身体のほうが先に悲鳴を上げることはありそうだ。
「じゃあ、魔法が上手なら、何でもできますか」
「いいえ」
先生はまた即答した。
「魔法は便利ですが、万能ではありません。何もないところから欲しい物を好きなだけ作れるわけではありませんし、知らないことを何でも教えてくれるものでもありません」
「でも、王宮では仕事に使ってますよね」
「ええ。むしろ、その使い方のほうが多いでしょう」
先生は水差しへ視線を向けた。
「料理人なら、火を起こしたり鍋の温度を細かく調整したりします。鍛冶師なら炉や金属の一部へ熱を加える。石工なら重い石の位置を合わせるときに力を補う。船では綱や荷を扱う助けにもなりますし、医療では止血を助けたり、痛みを和らげたりする使い方があります」
「魔法だけでやるんじゃないんですね」
「そうです。包丁を使えるから料理人になれるわけではないのと同じです。魔法は仕事の技の一部です。鍛冶での細かな使い方なら、私より鍛冶師のほうが詳しいことも珍しくありません」
専門の魔術師なのに、全部の魔法で一番というわけではないらしい。それも面白かった。
魔法という別の仕事があるのではなく、既にある仕事の中へ入り込んでいる。火を起こす、温度を調整する、押す、支える、痛みを和らげる。別々の不思議な術としてではなく、何へどう働きかけているかで考えれば、前世で知っていた物理の言葉とも少しずつつながりそうだった。
もちろん、そのまま同じだと決めるのは早い。それでも、何が起きているかを分けて考えられるなら、組み合わせ方はいくらでもありそうに思える。
そこで、もっと基本的な疑問が出てきた。
「先生」
「はい」
「魔力って、何なんですか」
ヘレーネ先生は少しもったいぶることなく答えた。
「根本的には、分かっていません」
思っていなかった答えに、瞬きをする。
「分からない?」
「ええ。使い方はたくさん分かっています。どうすれば感じやすいか、どう動かすか、どんな作用を起こせるか、どうすると危険か。長いあいだに積み重ねられた知識も経験もあります。ですが、魔力そのものが根源的に何なのかという問いには、まだ確かな答えがありません」
「ずっと使ってるのに?」
「ずっと使っていても、分からないものはあります」
先生はそこで言葉を切った。
「殿下も今、ご自分の魔力を動かしましたね。動かしたことは分かる。止めたことも分かる。けれど、あの感覚の正体が何で、なぜ人に備わっているのかまで、ご自分で説明できますか」
「できません」
「私たちも、程度は違っても同じです。分かるところと、分からないところを分けて扱っています」
人間は、仕組みを説明できる前から現象を使ってきた。病気だって、原因が分からないまま効く対処だけが先に積み重なった時代がある。
魔法も、長く存在するからといって、すべて説明し終わっているとは限らない。
むしろ分からないなら、測り方や比べ方にも意味がある。
検査で見た反応を思い出す。
魔力量、出力、制御、持続。最初から一つの「魔法の強さ」にまとめず、別々に見ているのも、そのためなのかもしれない。
「殿下」
呼ばれて顔を上げる。
「休憩は終わりにしましょう。手の感覚はどうですか」
言われて、右手へ意識を向けた。
さっきより、探すのが早い。
「分かります」
「では、もう一度だけ基礎操作を確認します。今度は外へ出す量を小さくして、止めるところまで」
「はい」
椅子に座ったまま、右手を机の上へ出した。
魔力へ意識を向ける。
右手へ寄せる。
さっきはここで勢いよく集まりすぎた。
今度は、水差しを傾けるというより、底に溜まった水を細い匙ですくうくらいのつもりで動かす。
「そのくらいです」
先生の声がすぐに来た。
今度は、出してから止めるまで、先生から量を直す声が入らなかった。
そのまま外へ。
境目を越える感覚。
「維持」
揺れないようにする。
少し強くなった気がして、自分で弱める。
先生は何も言わない。
数呼吸ぶん保ったところで、声がした。
「止めて」
出す方向を消す。
今度は、ほとんど遅れなかった。
「はい。今のは良いです。最初より少ない量で、安定していました。停止も早い」
胸の奥が熱くなる。
「もう魔法、できてますか」
「基礎操作はできています」
先生はそう言ってから、机の上の器を少し脇へ寄せた。
「では、今日は最後に、目に見えるものもやってみましょう」
待っていた言葉だった。
「光ですか」
「光にしましょう。火より、今日の最初の練習には向いています」
先生が右手を机の上へ出す。
何も持っていない手のひらの少し上に、小さな光が生まれた。
蝋燭の炎より白く、丸いとも尖っているとも言いにくい。親指の爪ほどの小さな光が、揺れずにそこにある。
さっき木片が動いたときより、さらに目が離せなかった。
魔法で火をつけるところは見た。湯を温めるところも見た。けれど、何もないところに光そのものが出ている。
数秒して、光は消えた。
「今のように、大きくなくて結構です。まずは一瞬でも光れば成功です」
「どうやって光にするんですか」
「火をつけるのとは違って、何かを燃やす必要はありません。外へ出した魔力を、光として現れるように使います」
分かったような、分からないような説明だった。黙っていると、先生は続けた。
「言葉だけで完全に理解しようとしなくて大丈夫です。殿下は先ほど、ただ外へ魔力を出しましたね。今度は出すときに、『ここを明るくする』という目的を加えます。最初から形や色まで整えようとしないでください」
「明るくする」
「はい。まずはそれだけです。量は、先ほど安定したものより少なくて構いません」
右手を出す。
魔力を寄せる。
小さく。
外へ。
ここを明るくする。
何も起こらない。
「外へは出ています。少しだけ作用を強めて」
光。
明るく。
そう思った瞬間、指先の前で何かが白く弾けた。
「うわっ」
一瞬だった。
眩しいというほどではないが、予想より急に光って、反射的に手を引いた。
「止まっています。大丈夫です」
先生は落ち着いた声で言った。
俺は自分の指を見る。もう何もない。
「今、光りましたよね」
「光りました。ただし、一度に出しすぎました。手を引いたことで止まったのではなく、驚いて操作そのものを切ったので止まっています」
「もう1回」
「少し待ってください」
すぐに手を戻しかけたところで止められた。
「手の感覚は、さっきと同じように分かりますか」
言われて意識を向ける。
分かる。
ただ、休憩のあとに基礎操作をやり直したときほど、すぐには掴めなかった。そこにあるのは分かるのに、輪郭が少しぼやけている。
「……さっきより分かりにくいです」
「それも疲れです。光らせるのは、外へ出すだけより一つすることが増えます。今日は初めてですから、なおさら疲れます」
魔力はまだある。
それでも、使うほうはもうさっきと同じではない。
「もうやめますか」
聞きたくない答えを先に聞くような気分で尋ねると、先生は俺の右手のあたりを見た。
「あと1回だけ試しましょう。今度は、先ほどの半分以下で。途中で細かく動かせなくなったら、光る前でも終わりです」
「はい」
魔力を寄せる。
さっきより少なく。
外へ。
明るくする。
今度は何も起きない。
「少なすぎますか」
「量は十分です。焦らず、そのまま」
十分なら増やさない。
同じ量を保つ。
光。
明るく。
何かを燃やす必要はない。熱くする必要もない。ただ、ここが見えるようにする。
さっきより集中するのに時間がかかった。
魔力を外へ出す量を保ちながら、光らせることも考える。どちらかへ意識を寄せると、もう片方が揺れる。呼吸まで邪魔に思えてきて、慌てて息を止めかけた。
「息は普通にしてください」
言われて息を吐く。
それだけで魔力が揺れた。
消えそうになる。
増やしたくなるのを我慢して、同じ量へ戻す。
何度か失敗しかけたあと、指先の少し先に淡い点が浮かんだ。
「……出た」
声にしただけで、また揺れる。
光は小さい。さっき先生が出したものよりずっと弱い。丸くもない。明るくなったり暗くなったりして、今にも消えそうだった。
それでも消えない。
俺の手の前に、俺が出した光がある。
嬉しい。
前世でも今世でも、こんなことは一度もなかった。
胸がどきどきして、笑いそうになる。いや、たぶんもう笑っていた。
けれど、嬉しいのとは別に、もうしんどかった。
右手へ魔力を寄せる感覚が、さっきまでより遠い。光を見ているのに、その形を保つことだけで頭の中がいっぱいになって、先生の顔を見る余裕もない。数呼吸しか経っていないはずなのに、もっと長く続けているように感じる。
光が一度、大きく揺れた。
「止めてください」
惜しい。
もっと見ていたい。
そう思ったのに、今度は反論する余裕もなかった。
出す方向を切る。
すぐに止めたつもりだったが、小さな光は一瞬だけちらついてから消えた。
俺は息を吐き、右手を膝の上へ下ろした。
力を入れていたつもりはないのに、そのまま少し動かしたくなかった。
「はい。成功です」
先生の声を聞いて顔を上げる。
嬉しい。
間違いなく嬉しい。
でも、最初に魔力を感じたときのように、すぐ「もう1回」とは言えなかった。
「……光った」
「ええ。光りました」
先生は笑ってはいなかったが、声が少し柔らかかった。
「よく頑張りましたね。ただ、まだまだ練習は必要です。次は、もっと楽に出して、もっと安定して止められるように練習します」
言われなくても、今なら分かる。
もう1度同じことをやれと言われても、さっきと同じようにできる自信はなかった。
たぶん魔力はまだ残っていると思う。
それでも、右手へ意識を向けて細く出し、明るさまで保つことを考えるだけで、少し面倒に感じる。それに身体も重く感じる
魔法ができた。
でも、身についたわけではない。
その差は、思っていたより大きそうだった。
「今日はここまでです」
今度は素直にうなずいた。
「わかりました」
椅子から降りる。
立っただけなのに、さっき部屋へ入ったときより身体がやけに重かった。大したことをしたようには見えないのに、5歳の俺にはこれでも十分な練習だったらしい。
それでも扉へ向かう前に、もう一度だけ右手を開いた。
何も光っていない。
当たり前なのに、それが少し惜しくて、指を閉じ、また開いた。




