第06話
魔法を使えるかどうか、という疑問は、長いこと答えが出ないままだった。正確には、使える人間がいることは知っている。王宮では珍しくもない。灯りへ火をつけたり、湯を温めたりするように、魔法が使われている場面も何度も見てきた。けれど、それと自分が使えるかどうかは別の話だ。前世の知識は何の役にも立たない。
人間の体がどう動くかなら、ある程度は知っている。火が燃える理由も、水が凍る理由も知っている。だが、魔力がどこにあって、どういう人間なら多いのかなんて、前世には存在しなかった。この体にどれだけ魔力があるのか。それだけは、生まれ直してからずっと、自分では答えを出せなかった。
「レオン、そんなに見ても何も始まらないぞ」
父上に言われ、机の上から顔を上げた。
「見てないです」
「見ていただろう」
「ちょっとだけです」
父上が笑う。向かいに座る母上も口元を緩めていた。俺はもう1度、机の上を見た。だから、見てしまうのは仕方がない。
今日のために用意された器具が、そこに並んでいる。見たことのないものばかりだった。手のひらより少し大きい透明な板。銀色の細い枠に収められた、淡く曇った球。小さな針が何本も立った盤。どれも装飾品にしては妙で、かといって前世の測定器のような目盛りや数字が並んでいるわけでもない。何に使うのか分からない。それが余計に気になった。
部屋には、俺たち3人のほかに検査を担当する魔術師がいる。年は父上より上に見えた。机の端で器具を1つずつ確かめながら、俺が落ち着くのを待っているらしい。今日は、正式な魔法能力検査を受ける日だ。少し前から、もうすぐだとは聞いていた。5歳くらいになれば、まず魔法を扱える素質がどの程度あるのか調べ、その後で安全な扱い方を教わる。俺だけに特別な話ではなく、魔法を学ぶ子供なら最初に通るものらしい。
それでも、俺にとっては今日までずいぶん長かった。
「緊張している?」
母上が聞いた。
「してないです」
そう答えたら、父上がまた笑った。今度は母上まで笑った。
「なんですか」
「いや。していないなら、それでいい」
「父上、ぜったい信じてないです」
「信じているとも」
信じている顔ではなかった。俺は椅子の上で座り直した。緊張しているかと聞かれれば、たぶん、している。怖いわけではない。
痛いことをすると聞いているわけでもないし、目の前の器具にも刃や針を刺すようなものはない。失敗したら叱られるとも言われていない。ただ、今日分かるのだ。自分の中に、どれくらい魔法を使うための力があるのか。
期待していないふりをするには、もう遅かった。
魔術師がこちらを見た。
「では、殿下。始めてもよろしいでしょうか」
「はい」
返事が少し早くなった。父上の目が細くなった気がしたが、見ないことにする。魔術師は俺の前に透明な板を置いた。近くで見ると、完全な板ではないらしい。厚みの中に、ごく細い筋が何本も走っている。傷のようにも見えたが、規則的すぎる。
「最初は、殿下の魔力が器具にどのように反応するかを見ます。難しいことはいたしません」
「魔力を出すんですか?」
「無理に出そうとはなさらなくて結構です。まだ、そのやり方を習っておられませんから」
なるほど。そこは少し安心した。今日が初めてなのに、いきなり魔力を出せと言われても困る。魔術師は板の中央を指した。
「まず、こちらに手を置いてください」
右手を乗せる。冷たい。石ともガラスとも違う感触だった。
「そのまま、手の下に何かがあると思ってみてください。温かくしようとか、光らせようとか、そういうことは考えなくて大丈夫です。ただ、ご自分の手と、その下の板を意識してください」
言われた通りにする。手がある。板がある。それだけだ。
何も起きない。数秒待った。やはり何も起きない。これでいいのか、と顔を上げかけたところで、手のひらの下にごく淡い光がにじんだ。
「……あ」
思わず声が出た。透明な板の中を走っていた細い筋が、薄く明るくなっている。自分で光らせようとはしていない。それなのに、光った。
胸の奥が一気に騒がしくなった。
「そのままでお願いします」
魔術師の声で、手を動かしかけていたことに気づく。慌てて戻した。光は消えない。むしろ、最初より少し広がっているように見えた。1本だけだった筋が2本、3本と明るくなり、手のひらの下から外へ細く伸びていく。
父上も母上も何も言わない。見たくなったが、今は動かない方がいい。じっと板を見る。しばらくして、魔術師が「もう結構です」と言った。
手を上げる。光はすぐには消えず、少しずつ弱くなっていった。
「どうでした?」
聞かずにはいられなかった。魔術師は板の縁を持ち上げ、角度を変えて眺めた。それから、今度は俺の顔を見る。
「きちんと反応しております。今のところ、問題ありません」
「多いですか?」
「殿下」
母上の声が飛んできた。叱るほどではない。けれど、少し急ぎすぎたらしい。
「だって、知りたいです」
「それは分かりますけれど、まだ始まったばかりでしょう」
「はい……」
魔術師は少しだけ笑った。
「王妃陛下のおっしゃる通り、今ので分かることは一部だけです。いくつか見てからお話しいたします」
「わかりました」
待つしかない。分かっている。それでも、さっきの光が頭から離れなかった。俺が手を置いたら、器具が反応した。
魔法そのものを使ったわけではない。けれど、自分の中に魔力があることだけは、もう疑わなくてよさそうだった。
次に出てきたのは、銀色の枠に収まった曇った球だった。魔術師がそれを俺の前へ置く。
「今度は、こちらに両手を添えてください。握らなくても構いません」
言われた通りに、左右からそっと触れる。球はさっきの板より冷たくなかった。
「今度も、何かを起こそうとしなくて大丈夫です。先ほどより少し長く触れていただきます。気分が悪くなったり、手が重くなったりしたら、すぐに言ってください」
「痛くなることもありますか?」
「通常はありません。ただ、疲れ方には個人差がありますので」
そこで父上が口を挟んだ。
「無理はさせないな?」
「もちろんです、陛下。本日は能力を見るための検査であって、限界まで試すものではございません」
父上はそれ以上何も言わなかった。けれど、さっきまで背もたれに預けていた体を少し起こしている。俺は球へ視線を戻した。
「始めます」
魔術師が言う。今度は何が起きるのか。待っていると、球の曇りがゆっくり薄くなった。中に明かりが灯ったわけではない。
白く曇っていたものが透け、その奥に細い影が見えてくる。さらに見ていると、その影がわずかに揺れた。
「手はそのままで」
動かしていない。息をする。何かを出している感覚は、やはりなかった。ただ、さっきより妙な感じがする。
手のひらが温かいわけではない。腕が痛いわけでもない。それなのに、ずっと同じ姿勢で物を持っている時のような重さが、少しずつ肩の近くに溜まってくる。これが魔力を使っている感覚なのだろうか。分からない。まだ自分で動かしているわけではないと言われたばかりだ。
球の奥の影が、また揺れた。魔術師は球だけでなく、俺の手や顔を交互に見ている。
「苦しくはありませんか」
「だいじょうぶです」
「手がしびれる感じは?」
「ないです。ちょっと、ここが重いです」
片手を離しかけて、肩を示そうとした。
「そのままで結構です。場所だけ教えてください」
「肩のところです」
「左右とも?」
「はい」
魔術師が頷いた。その横で母上が俺の方へ少し身を寄せた。
「我慢しているのではないでしょうね?」
「してないです」
「本当に?」
「本当です」
今度は本当に、ほとんど我慢していない。重いといっても、腕を下ろしたいほどではない。ただ、何もしていないのに体の一部が疲れていくのは不思議だった。それからもう少し待ち、魔術師が手を離すように言った。
両手を膝へ戻す。肩の重さは、すぐには消えなかった。
「少し休みましょう」
「まだできます」
「できます、ではなく、休むところまで検査です」
即答された。父上が笑う。
「専門家の言うことは聞いておけ、レオン」
「父上は結果を知りたくないんですか?」
「知りたいとも。だからこそ、急がせて間違った結果を聞きたくはない」
それを言われると反論できない。
「……はい」
机の上には水が用意されていた。母上が杯をこちらへ寄せてくれる。受け取って飲む。喉は渇いていないと思っていたのに、意外と飲めた。
「どう?」
母上が聞く。
「肩がちょっと重いです。でも、痛くないです」
「気持ち悪くは?」
「ないです」
「そう」
母上の手が俺の髪に触れ、ひと撫でして離れた。
「なら、焦らず受けなさい」
「はい」
焦るなと言われても、難しい。魔術師はその間、器具を確かめていた。曇った球は、俺が手を離してから元の白さへ戻りつつある。彼はそれを灯りに透かし、横から見て、今度は台の下へ置かれていた薄い板のようなものと見比べていた。数字はどこにもない。
前世なら、測定と聞けば何かしらの値が出るものを想像する。体温なら何度、重さなら何キロ、血液なら何かの濃度。けれど、この検査はそうではないらしい。器具の反応を見て、人間が判断する。だったら、なおさら聞きたい。
「先生」
呼びかけると、魔術師が顔を上げた。
「はい、殿下」
「今のは、何を見てるんですか?」
母上が何か言う前に、今度は検査のことを聞く。魔術師は少し考えてから、俺にも分かる言葉を選ぶように口を開いた。
「大まかには、殿下の中にある魔力が、どの程度しっかり器具へ反応するかを見ています。先ほどの板では反応の広がりを、今の球では、反応が続いた時にどのように変化するかを見ました」
「それで、魔力が多いか分かる?」
「それだけで全部は分かりません。ですが、いくつかの器具の反応と、殿下ご自身のお疲れ具合を合わせれば、同じくらいのお年の方と比べて、どのような傾向にあるかは判断できます」
全部は分からないのか。
「今日、分からないこともあるんですか?」
「ございます。たとえば、細かく魔力を動かすのがどれほど上手か、長く使い続けるとどうなるか、どの魔法を早く覚えられるか。そういったことは、今日だけで決められません」
「じゃあ、今日は?」
「まずは、これから安全に学び始められるか。そのために、今どの程度の魔力があり、どのくらいの反応を示すかを確認する日だとお考えください」
分かったような、まだ足りないような気もする。でも、今日だけで将来の全部が分かるわけではない、ということは分かった。当然といえば当然だ。前世でも、子供の身体測定1回で将来の運動能力が全部決まるわけではなかった。
「休めましたか?」
「はい」
肩を回してみる。さっきの重さはほとんどない。
「では、次へ進みましょう」
3つ目の器具は、細い針が並んだ盤だった。これが一番、何をするのか分からない。針といっても刺すためのものではなく、盤の上に立っているだけだ。長さも向きも少しずつ違う。
「今度は、中央の針には触れません」
魔術師はそう言って、盤を俺の前に置いた。
「両手を、こちらの印の上に置いてください」
盤の左右には、手を置けるだけの平らな場所がある。そこへ手を乗せる。
「先ほどと同じように、ご自分の手と器具を意識してください。ただし今度は、手の間にある針の方も見ていてください」
見る。何も起きない。やがて、一番近い針が小さく震えた。次に、その隣。
3本目。板の光ほど分かりやすくない。それでも、自分が触れてから動いたのは確かだった。
「もう少しだけ、そのままで」
魔術師の声が低くなる。針が1本、ゆっくり傾いた。それにつられるように、別の針も動く。全部が同じ方向へ倒れるわけではない。あるものは俺の方へ、あるものは横へ、ほとんど動かないものもある。
何を意味するのかまったく分からない。だから、魔術師の顔を見たくなった。今度は首を動かさず、目だけを上げる。彼は笑っていなかった。
驚いているようにも見えない。けれど、最初より盤へ顔を近づけている。右端の針を見てから、俺の左手を見て、また中央へ戻った。父上もそれに気づいたらしい。
「何かあるか?」
「確認しております」
短く答えて、魔術師は俺へ向き直った。
「殿下。もう1度だけ、同じことをしていただけますか」
「今のを?」
「はい。1度手を離して、楽にしてください」
言われた通りにする。今度は肩より、手首のあたりが少しだるい。
「疲れましたか?」
「少しだけ」
「では、そのままちょっとだけ休みましょう。急ぎません」
また休みだ。仕方なく手を膝へ置く。父上と母上が顔を見合わせた。何か話すかと思ったが、2人とも黙っている。
その沈黙が気になった。
「父上」
「なんだ?」
「今の、悪かったですか?」
父上の眉が上がった。
「なぜそう思う」
「もう1回って言ったから」
父上は魔術師の方を見た。魔術師が先に答えた。
「悪いからではありません、殿下。反応がはっきり出ましたので、同じ条件でもう1度見たいのです」
「はっきり?」
「はい」
「それは、いいってこと?」
「少なくとも、悪いという意味ではございません」
そこまで言ってから、魔術師は少し笑った。
「ただし、まだ結果のお話は後です」
先回りされた。
「……はい」
母上が顔を伏せた。肩が小さく揺れている。
「母上、笑ってます?」
「少しだけ」
「なんでですか」
「あなたが、さっきから結果を聞こうとしてばかりいるからです」
「だって今日ずっと、それを知りたかったんです」
「今日だけではないでしょう」
それはそうだ。ずっと知りたかった。魔法を見つけるたびに、自分でもできるのかと思った。誰かの手元に灯りが生まれれば、どうやっているのか見たくなった。説明を聞いても、自分では試せないのがもどかしかった。まだ危ないから。
教わっていないから。検査が先だから。言われていることは全部分かる。だから勝手に試すこともしなかった。
その一番最初の「検査」が、ようやく今日来たのだ。待てと言われて簡単に待てるほど、どうでもいいことではない。父上が腕を組んだ。
「レオン」
「はい」
「今ここで答えを急いでも、魔力が増えたり減ったりするわけではないぞ」
「それも分かってます」
「ならよし」
「父上だって気になってるでしょう?」
「もちろんだ」
あっさり認めた。
「お前がどんな顔をするかも含めてな」
「ぼくの顔は関係ないです」
「検査には関係なくても、父親には関係がある」
何を言えばいいのか分からず、口を閉じる。母上がまた笑った。今度は隠さなかった。
「そろそろよろしいでしょう」
魔術師に言われ、助かった気がして盤へ向き直った。2回目は、1回目より慎重に手を置いた。同じことをする。手と盤を意識する。
針を見る。1本目が動く。2本目。その後も、さっきと似た順番でいくつかが震えた。
完全に同じではない。けれど、魔術師には十分だったらしい。
「はい。ありがとうございます」
今度は早めに止められた。手を離す。魔術師は盤を持ち上げ、先ほどと同じように細かく確認した。それから、机の上の3つの器具を順番に見た。
部屋が静かになる。窓の外から、遠くで鳥の声が聞こえた。父上が何も言わない。母上も黙っている。
俺も聞かなかった。ここまで来たなら、もう少し待てる。たぶん。魔術師は、自分の手元に置いていた紙へ何か書きつけた。
俺には読めない。正式に文字を習っていないのが、こういう時だけひどく不便に感じる。覗いても意味がないので我慢する。
やがて、魔術師が紙を置いた。
「検査として必要な反応は確認できました。殿下のお身体の具合も問題ありませんので、本日はこれで終了して結構です」
終わった。
「結果は?」
今度は母上にも止められなかった。魔術師は真面目な顔のままだったが、声は少し柔らかかった。
「はい。ご説明いたします」
俺は背筋を伸ばした。父上も腕を解く。母上は椅子を少しだけこちらへ寄せた。魔術師は最初の透明な板に手を添えた。
「まず、殿下の魔力量についてですが、同じ年頃のお子様と比べて、明らかに多い傾向が出ています」
一瞬、意味は分かったのに、返事が出なかった。多い。
「……ほんとですか?」
「はい」
「どのくらい?」
「具体的な数値で表すことは難しいですが、数倍はあると思われます」
胸の奥が熱くなった。さっき器具に触れていた時とは違う。これはただ嬉しい。
「また、こちらの反応も合わせると、総じて出せる魔力の強さも良好です。基礎教育を始めるうえで、資質が足りないという心配はありません。むしろ、十分以上に恵まれていると申し上げてよいかと存じます」
十分以上。
その言葉が、頭の中で繰り返された。俺にも魔力がある。それも、同じ年の子供より多い。魔法を学べる。
ずっと見ているだけだったものを、自分でも使えるかもしれない。
「レオン」
母上に呼ばれて、そちらを見る。母上は笑っていた。いつもの笑い方より、目元が少し緩んでいる。
「よかったわね」
「はい!」
今度は声が大きくなった。父上を見る。父上も笑っている。
「父上、聞きました?」
「同じ部屋にいるんだ。聞いている」
「ぼく、多いそうです」
「それも聞いた」
「かなり上だって」
「レオン」
父上がとうとう声を立てて笑った。
「分かった。分かったから、少し落ち着け」
「だって」
言いかけて、何を続ければいいのか分からなくなった。
嬉しい。
それだけだった。
何年も待っていた答えが、ちゃんと欲しかった方へ転んだ。前世の記憶があることも、王子であることも、この体の才能を保証してくれるわけではない。勝手に期待しすぎないようにしてきた分、余計に嬉しかった。父上の手が頭の上に乗った。乱暴ではないが、少し強めに撫でられる。
「よかったな」
「はい」
「ただし」
その二文字で、何を言われるか少し分かった。
「先生のお話は最後まで聞け」
「……はい」
魔術師もこちらを待っていた。俺は椅子へ座り直す。嬉しくなったせいで、いつの間にか少し前へ乗り出していたらしい。
「失礼しました」
「いえ。喜んでいただける結果をお伝えできたことは、私も嬉しく思います」
魔術師はそう言ってから、器具へ視線を戻した。
「ただ、先ほども申し上げました通り、本日分かったことだけで、殿下の魔法能力のすべてが決まるわけではございません」
「はい」
今度はちゃんと聞く。
「魔力量は多く、全体として出力も高い反応でした。しかし、魔力をどれほど細かく扱えるか、必要な量だけを出せるか、長く使った時にどの程度疲れるか。そういったことは、これから実際に基礎を学びながら確かめていくことになります」
「多くても、うまく使えるとは限らない?」
「その通りです。大きな瓶に水がたくさんあったからといって、その水を上手に使えるかは別なのです」
分かりやすい。水がたくさんあっても、必要な分だけきれいに注げるかは別だ。力が強くても、手先まで器用とは限らない。
「では、たくさん出せるのは、いいことじゃないんですか?」
「良い資質の一つです。使える魔力が多いことも、出せる力が大きいことも、学ぶ上で役に立つでしょう。ただし、大きな力ほど、最初は安全に扱うことを覚えなければなりません」
「危ないから?」
「はい」
そこだけは迷いのない返事だった。
「殿下はまだ、ご自分で魔力を動かす方法を教わっておられません。本日器具が反応したのも、殿下に何かの魔法を発動していただいたわけではありません。ですから、今日の結果を聞いたからといって、お一人で試そうとはなさらないでください」
「しません」
即答する。そこは最初から分かっている。分かっているのだが。
「いつから教えてもらえますか?」
魔術師が一瞬黙った。父上が額に手を当てた。母上は横を向いた。笑っている。
「なんですか」
「何でもない」
父上が言う。
「何でもない顔じゃないです」
「お前らしいと思っただけだ」
「ぼく、ちゃんと一人でやらないって言いました」
「ああ。そこは信じている」
「じゃあ、教えてもらうならいいでしょう?」
「誰も駄目とは言っていない」
それならいい。俺は魔術師を見る。
「いつですか?」
「殿下のお疲れが残っていないことを確認し、基礎教育の準備を整えてからとなります。本日の続きとして、今すぐ何かを発動することはいたしません」
「今日じゃない……」
思わず口から出た。魔術師の顔は変わらなかったが、父上ははっきり笑った。
「そこまで落ち込むほど待たされはしないだろう」
「でも、今日はもう終わりなんですよね」
「検査はな」
「せっかく分かったのに」
そこまで良い結果を聞いた直後に、今日は触るなと言われるのは、かなりつらい。頭では理由も分かっている。今までだって、検査を受けていないから勝手にやらなかった。検査が終わったからといって、操作方法を知らない事実は変わらない。
むしろ、出力が高いなら余計に勝手なことはしない方がいい。全部分かる。それでも、今すぐ自分の手で光を出してみたい。
「レオン」
母上が呼ぶ。
「はい」
「残念なのは分かるけれど、今日ちゃんと検査を受けたから、次へ進めるのでしょう?」
「……はい」
「なら、今日はそれで十分ではなくて?」
母上の言う通りだった。今日は、次へ進むために必要なことをきちんと終えた。それでも、実際に使ってみたい気持ちまで消えるわけではない。
「わかりました」
答える。母上が頷いた。父上はまだ少し笑っていた。
「何ですか、父上」
「いや。納得はしたが、諦めてはいない顔だと思ってな」
「だって、使ってみたいです」
隠す理由もない。父上は魔術師へ視線を移した。
「だそうだ」
「学ぶ意欲がおありなのは、何よりでございます」
「先生も笑ってませんか?」
「いいえ」
少し笑っているように見えた。でも、これ以上言っても仕方がない。
魔術師は最後に、今日の検査後について父上と母上へいくつか確認していた。疲れが強く出ないかを見ること。普段通りに過ごして構わないこと。自分で魔力を動かそうとする練習はまだしないこと。俺にも聞こえるように話している。特に最後は、たぶん俺へ向けて言っている。ちゃんと聞いた。
勝手にはやらない。そこは約束できる。
やがて器具が片づけられ始めた。透明な板も、曇った球も、針の並んだ盤も、それぞれ布で包まれて箱へ戻されていく。さっきまであれほど気になっていたのに、今は器具そのものより、自分の手の方が気になった。右手を開く。
何もない。左手も同じだ。当然だ。手の形が変わったわけでも、触れば魔力が分かるようになったわけでもない。
試しに指を曲げてみる。いつもの指だ。
「何をしている?」
父上に聞かれた。
「なんでもないです」
「そうか」
父上の返事には、あまり信じていない響きがあった。俺は手を膝へ戻した。専門家から聞いた評価が、まだ自分のこととして少し馴染まない。それでも、器具は確かに反応し、専門家もそう判断した。
「レオン」
母上が立ち上がる。
「戻りましょうか」
「はい」
椅子から降りる。床へ足をつけた時、少しだけ体が重い気がした。検査で疲れたのかもしれない。そのことに気づくと、今すぐ次もやりたいと言ったのが少し恥ずかしくなった。
母上は気づいたらしく、こちらへ手を差し出した。
「疲れた?」
「少しだけです」
「では、ゆっくり戻りましょう」
手を取る。父上も立ち上がった。
「今日はよくやったな」
「触ってただけです」
「指示通りに触って、必要な時に休んで、自分の具合も話した。それで十分だ」
言われてみれば、検査なのだからそういうものか。もっと特別なことをするのかと思っていた。魔力を出せと言われて、何か大きなものが光ったり、風が起きたりするような。実際は、触れて、待って、少し疲れて、また触れた。
でも、その静かな時間で、自分について今まで知らなかったことが分かった。部屋を出る前に、机を振り返る。器具はほとんど箱の中へ戻っていた。最初の透明な板だけが、まだ布の上に置かれている。
あれは俺が触れた時、光った。自分で起こした魔法ではない。それでも、俺の魔力に反応した光だった。
廊下へ出る。王宮の中は、来た時と何も変わっていない。人が行き交い、少し離れたところではいつもの灯りが淡く光っている。今までも何度も見た光だった。
けれど今日は、目に入った瞬間に足が少し止まった。あれを、自分でも作れるようになるのだろうか。火も。熱も。
ほかの魔法も。今日の検査だけでは、そこまでは分からない。何を得意にするかも、どこまで扱えるかも、まだ何も決まっていない。ただ、最初の扉の前には立てた。
「レオン?」
母上が振り返る。立ち止まっていた俺を見る。
「どうしたの?」
「なんでもないです」
そう答えてから、灯りを見た。
「早く、教えてもらいたいなって思っただけです」
母上は俺の手を握ったまま、少し笑った。
「ええ」
父上が隣から言う。
「まずは今日の疲れを取れ」
「はい」
返事をして歩き出す。今はまだ、魔力をどう動かすのかも知らず、自分の手で小さな光さえ作れない。次に教わる時には、見るだけではない。そう思うと、足取りが自然に少し速くなった。




