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ある転生王の一代記  作者: アレグリア
第4章 二つの継承

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第66話

朝食の途中、気づけば手を止めて窓の外を見ていた。ゾフィーが俺の皿に目をやる。


「もうおしまいですか。まだパンが残っていますよ」


「いや、まだ食べるよ」


そう答えたものの、さっきから林檎の煮たものばかり口に運んでいた。焼いた卵にはまだ手をつけていない。別に食欲がないわけじゃない。窓の外が明るくなるたびに、厩舎の運動場が気になってしまうだけだ。


「厩舎へ行くのが、そんなに楽しみですか」


「うん。今日はエアリアルをほかの馬と走らせるところが見られるからね。前に走るところは見たけど、競走へ出すならそれだけじゃ分からないし」


「では、卵が冷める前に食べた方がよいと思います」


もっともだ。俺は卵を切り分けた。


エルツハイムから最初の処理報告が届いて、まだ数日しか経っていない。仕事は片付いていないが、今日の午前は厩舎へ行けるように予定を空けていた。帰国後にエアリアルの様子を聞いたとき、騎乗する者と馬の調子を確かめてから競走の時期を考えようと言われた。その続きだ。


「マティルデも来るの?」


「ええ。今朝、私のところへ知らせがありました。兄上が途中でお仕事に呼び戻されないか、心配していましたよ」


「あいつまでそんなことを言うのか」


「だって、一緒に馬を見に行ったときも、最後は政務室へ急いでいらしたでしょう」


「それはそうだけど」


ゾフィーは自分の皿からパンを小さくちぎった。


「私は午後に来客がありますから、お昼までには戻るつもりです。見に行くことはできますよね?」


「もちろん。ずっと運動場にいるわけじゃないよ」


言った途端、向かいの席から視線が返ってきた。


「本当ですか?」


「……できるだけ」


ゾフィーはそれ以上追及せず、蜂蜜を入れた茶を飲んだ。笑いをこらえている気もしたが、どうせ何か言えば余計にからかわれる。


食事を終えるころ、ルーカスが今日の予定を持って入ってきた。朝のうちに決裁が必要な書類はすでに執務室へ運ばれているという。


「運動場の用意は?」


「厩舎へ確認してございます。陛下がおいでになる時刻には、騎乗する者も準備を終えているとのことです。ただし、今朝の馬の様子を見て内容を決めたいそうで」


「それでいい。無理に走らせるつもりはないよ」


「承知いたしました」


ルーカスは予定を閉じた。俺が何時に戻るか、念を押されるかと思ったが、そこは口にしない。長年そばにいる分、言っても仕方がないと分かっているのかもしれない。


朝の決裁を終えると、俺はゾフィーとともに厩舎へ向かった。




王宮厩舎の外にある運動場では、すでに馬が動いていた。


端では厩務員が馬具を外して鞍の下を確かめ、別の者が曳き馬の脚を見ている。ここでは俺が来ても、仕事が全部止まるわけではない。近くの者が礼をしたあと、それぞれの持ち場へ戻っていった。


マティルデは先に来ていた。厩舎の男と何か話していたらしく、俺たちに気づくとすぐ歩み寄ってくる。


「兄上。今日は本当に見られるのね」


「そのつもりで来たよ」


「よかった。私も午後には戻らないといけないの。馬が出てくるまでずっと待つことになったら困るところだったわ」


「お前も忙しいんだな」


「もちろんよ」


何があるのか聞こうとしたところへ、厩舎を預かる男が近づいてきた。


「陛下、エアリアル・ケイデンスは今朝も変わりありません。まず少し歩かせてから、走りをご覧いただけるかと存じます」


「よろしく頼む。今日はあの馬をよく知っている人が乗るんだよね」


「はい。留守中も何度か騎乗している者です。馬の癖は承知しております」


厩舎の奥からエアリアルが引き出された。鹿毛の細い脚が乾いた地面を踏み、厩務員の横で首を動かす。以前ここで初めて見たときも、ほかの馬に比べて少し地味に見えたものだ。走らせたら、そんなことはどうでもよくなったけど。


俺を見つけたかどうかは分からない。ただ、近くで別の馬が鼻を鳴らすと、エアリアルの耳はすぐそちらへ向いた。


「落ち着いているわね」


ゾフィーが言った。


「今のところはね。前に馬が出ると変わると思う」


「この前、兄上がずっと話していたのはそれね」


マティルデが口を挟む。


「前の馬を追いかけるのが好きだって。でも、今日は自分が前を走るところも見るのでしょう?」


「そう。騎乗する人の言うことを聞いて、そこで走れるかが気になるんだ」


男は頷いた。


「最初から速く走らせるより、まずは馬の様子を見ます。後ろから追わせると行きたがることは分かっておりますが、前へ出てからも同じように走ろうとするとは限りませんので」


それは確かに気になる。競走の途中で前へ出た途端、後ろの馬を気にして余計に力んだり、逆に気を抜いたりする馬だっている。前世の競馬を見ていた頃にも、速さだけで勝てるものじゃないと何度も思った。


「今日はそこを見せてもらえれば十分だよ」


「かしこまりました」


男は騎乗する者の方へ戻っていった。エアリアルの背には軽い鞍が置かれ、鐙が調整される。騎乗者が手綱を取る間も、馬はときおり運動場の方を見ていた。


「乗りたい?」


マティルデが横から聞いてきた。


「乗りたいけど、今日は見る方がいい。自分で乗っていたら、外からどんな走りをしているか分からないから」


「兄上なら、乗りながらも色々分かりそうだけど」


「そうでもないよ。あいつはトラウムと反応が違うしね」


「また始まった」


「まだ何も話してないだろ」


ゾフィーが、ふっと小さく息を漏らした。


やがて騎乗者が鞍へ上がり、エアリアルは歩き出した。俺たちは柵の内側に入らず、見通しのよい場所へ移った。




エアリアルは最初、歩く速度を変えながら運動場を回った。騎乗者が軽く脚を使うと前へ出て、手綱の合図で歩幅を縮める。周囲で別の馬が動くたびにそちらを見たが、進む方向は変えない。


しばらくして、別の馬が入ってきた。先ほどまで運動していた馬より胸が厚く、騎乗者を乗せても落ち着いて歩いている。厩舎側が用意してくれた相手だ。


まず、その馬が前へ出た。エアリアルは少し後ろを進む。


歩いている間は何ということもなかった。ところが、前の馬が駈け始めた途端、鹿毛の頭がぐっと上がる。騎乗者が姿勢を整えたのとほとんど同時に、エアリアルも足を速めた。


「ほら」


思わず声が出た。


「まだ追いかけていないわよ」


ゾフィーが言う。


「そうなんだよ。前の馬が動いた時点で、もう行きたがってる」


最初から一気に追いつかせるわけではない。騎乗者は少し抑えて走らせた。エアリアルの首は前を向き、足取りは軽い。前の馬との間隔が縮まりそうになるたびに、騎乗者は手綱を細かく使った。


ああ、もどかしい。


もっと行かせてくれればいいのに、と一瞬思う。今すぐ追いつけるのは分かっている。だが、それを見に来たんじゃなかった。


馬が曲がり角へ差しかかると、前の馬がわずかに速度を落とした。エアリアルはそのまま前へ詰めかけたが、騎乗者が身体を起こして合図すると、少しだけ首を戻した。


「止まった?」


マティルデが言った。


「完全には止まってない。でも、行きたいのを抑えたね」


「嫌がっているようには見えないけど」


「うん。もっと走りたいんだと思う」


ちょうどそのとき、エアリアルの鼻先が前の馬の尻に近づいた。騎乗者が進路を外へ取り、2頭が横に並ぶ。


俺は柵に手をかけた。


ここからだ。


並んだ途端、エアリアルの脚が大きく伸びた。騎乗者が急に追い立てたわけではない。横に相手がいるだけで、前へ出ようとする。何歩かで鹿毛の鼻先が先に出た。


「抜くわ」


マティルデの声とほぼ同時に、エアリアルが半身ほど前へ出た。


行け。もっと行け。


そう思ったところで、騎乗者が馬を追うのをやめた。背を少し起こし、手綱を使う。エアリアルはもう数歩進んだが、やがて速度を落とした。隣の馬は無理に追わず、少し後ろを走っている。


「何で止めたの?」


つい、厩舎の男へ尋ねていた。


「前へ出てからの反応を確かめているのだと思います。あのまま走らせれば、今日は速さを見て終わりですので」


「そうだった」


さっき自分で頼んだことを忘れていた。恥ずかしい。


「兄上、今、もっと走らせてほしい顔をしていたわ」


「そりゃ、あそこまで行けば見たいだろう」


「エアリアルより兄上の方が我慢してないんじゃない?」


反論できない。ゾフィーが隣で笑っている。


運動場では2頭がいったん歩いて間隔を取り直し、再び走り始めた。今度はエアリアルが先だ。追いかける相手が目の前からいなくなると、さっきほど首を伸ばさない。速度は落ちていないように見えるが、耳が後ろを向くことが増えた。


後ろの馬が近づく。エアリアルの耳がまた動いた。騎乗者が何か合図を送ると、鹿毛の牝馬は進む線を保ったまま少し前へ出る。それでも、後ろの気配が気になるのか、ときおり首を傾けかけた。


「前にいる方が、落ち着かないのね」


今度はゾフィーがそう言った。


「どうだろう。後ろの馬が気になってるのかもしれない」


「追いかけるのは好きなのに、追いかけられると気にするのですね」


「馬にも色々あるんだろうね。だから面白いんだけど」


先頭を走るところをもう少し見たかったが、騎乗者はそのまま2頭を離し、エアリアルをゆっくり歩かせ始めた。今日の速い運動はここまでらしい。


「もう終わり?」


「今朝の分はな」


自分で言いながら惜しくなる。


エアリアルが柵の向こうを通り過ぎた。息は上がっているが、騎乗者の指示に従って歩いている。いつの間にか、俺の手には柵の木の粉が少しついていた。




馬が十分に歩いて息を整えるまで、俺たちは運動場の脇で待った。その間にマティルデは、自分が以前乗った馬が横から近づかれたときの話を始めた。思った方向へ行ってくれず、馬術の教師に何度もやり直しをさせられたらしい。


「それで、その馬を嫌いになった?」


「まさか。次はうまくやってみせると思ったわ」


「やっぱり、似てるよな」


「誰と?」


「俺と」


「兄上ほど何度も見たいとは言わないわよ」


どうだろう。今の話を聞く限り、そう変わらない気がする。


やがて騎乗者がエアリアルから下り、厩務員に手綱を渡した。鞍を外して背を拭く作業が始まると、騎乗者と厩舎の男がこちらへ来た。


「今日はありがとう。あいつ、前へ出たあとの方が難しそうだったね」


「後ろの馬を確かめようとするところはございました。ただ、合図をまるで聞かないというほどではありません。今朝は戻すことができました」


「競走に出したら、同じように走れると思う?」


騎乗者は、少し考えてから答えた。


「ほかの馬がもっと近くにいても落ち着いていられるかは、まだ分かりません。今日のように間を取れるとは限りませんので。ですが、前へ出ようとする気持ちは強い馬です」


それは俺も見た。あんなふうに脚が伸びたら、どうしても次を期待してしまう。


「今度は、ほかの馬との間をもう少し変えてもいいのかな」


「馬の調子を見ながらであれば、少しずつ試せるかと存じます」


「じゃあ、しばらくはその方針でお願いする。あと、今ある競走で、エアリアルが参加できそうなものを調べてほしい。いつ頃で、どんな馬が出て、騎乗する人をどう決めるのか。まずは分かる範囲でいいよ」


厩舎の男が答えた。


「承知いたしました。こちらで把握している催しと、参加の条件を確かめてご報告いたします」


「頼む。どうせなら、あいつが本気で走るところを見たい」


言ってから、自分でも少し笑った。さっき走っていたのだって十分速かったのに、もうその先が見たいのだから始末が悪い。


ゾフィーが運動場の向こうを眺めていた。


「私は、走り始める前の様子が面白かったです。前の馬が動くと、エアリアルもすぐ分かるのですね」


「うん。俺も前の馬が動いたところから目が離せなくなった」


そのあと3人で厩舎へ戻った。エアリアルは水桶に口をつけていて、顔を上げると鼻先からしずくを落とした。


戻る時刻になり、ゾフィーが侍女へ声をかけた。マティルデも自分の予定へ戻るという。厩舎の男には次の運動の様子をいつもの経路で知らせてもらうことにして、俺たちは王宮へ戻った。




午後、執務室で1通の手紙を書き始めた。


宛先はフリードリヒ・フォン・リューネンベルク。ゾフィーの父で、俺にとっては義父にあたる。帰国したら知らせたいと話していたのに、日々の仕事に追われて、まだ書いていなかった。


何から書くか少し迷い、まずヴィーネンから無事に帰ったことを記した。講和後の仕事はまだ続いているが、王宮では普段の暮らしを取り戻しつつある。ゾフィーも元気で、今日も一緒に馬を見に行った。そこまで書いて、思い出したことを1つ付け足す。


皇帝選挙では、フリードリヒが支持した候補と、俺が票を投じた候補は違った。別の選択をしたことは互いに知っているし、今さら長々と弁解しても仕方ない。これからも親族として変わらず行き来したい、その気持ちを伝えればよいだろう。


書き終えて読み返すと、馬を見に行ったという部分が妙に楽しそうだった。戦争の報告ばかりになるよりはいいか。ゾフィーに見せたら、きっとその部分を指さす気がする。


封をしているところへ、ルーカスが入ってきた。


「リューネンベルクへの手紙ですか」


「うん。今日の便に間に合う?」


「はい。まだ受け付けております。お預かりいたします」


「お願いする。返事を急かすようなものじゃないから、普通の便でいいよ」


「承知いたしました」


手紙を受け取ったルーカスが扉へ向かった。俺は机の上の書類を引き寄せたが、すぐまた顔を上げた。


「ああ、ルーカス」


扉に手をかけたところで振り返った彼に、つい尋ねる。


「厩舎から、競走の予定が分かるのはいつ頃になりそうかな」


「先ほどお頼みになったばかりでございますが」


「分かってる。聞いてみただけだ」


ルーカスは一礼して扉を閉めた。


その後、夕方の便で書簡が発送されたことを報告に来たときも、厩舎からの知らせはまだなかった。


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