第59話
翌朝、司令部の机には、南方から戻った兵の名簿が3種類置かれていた。
前進地点にいた隊、後方防御線で受け入れた隊、そしてハーゲンフェルトの医官が預かっている負傷者の一覧だ。人数を足してみると、最初に出した警戒部隊より多くなる。兵が戦っている間に増えたのならありがたい話だが、そんなはずはない。
「これは、同じ兵を数えていませんか」
軍務担当の将校は、右端の名簿を引き寄せた。
「負傷して後送された者が、先の隊の帰隊者にも入っております。それから、中央予備から先に派遣した隊の一部を、南方の指揮官が現在の配置に加えています。こちらの帳面ではまだ中央所属のままでした」
「兵が帰ってきたのはよかったですが、別の場所にもいることにはできませんね。所属の記録を直してください。今朝すぐ動かせる人数と、治療や装備の補充が済めば戻れる人数も分けてほしい」
「承知いたしました。未帰隊者については、各隊からの照合がまだ続いております」
「それは急いで確定しなくていいです。戦死者と決めて家族へ知らせたあとに、生きて戻ってくるようなことにはしたくありません」
将校はうなずいた。名簿の端に付いていた紙片を剥がし、書記に別の帳面を持ってくるよう指示する。壁際には、夜のうちに集まった盾や槍の修理依頼も積まれていた。
昨日、防御線で見た鞍を思い出した。持ち主が分からないまま置かれていた、泥の付いた鞍だ。
「弓や槍が残っていても、使う者がいなければ数に入れられません。逆に、兵だけ戻って武具が足りない隊もあるでしょう」
「はい。歩兵は持ち帰った武器を融通できますが、騎兵は馬の損失がございます。砲についても、動かせる状態かどうかを確認いたします」
俺は報告書の一番下を見た。敵の位置は、昨日と大きく変わっていないらしい。ただし、それは敵が動かなかったという意味ではなく、こちらが確認できた範囲で大きな北上を見ていないということだった。
南方の将校たちからは、失った前進地点を奪い返すための意見も届いていた。街道上に敵が置いている警戒部隊が、まだ厚くないかもしれない。今のうちに騎兵を先へ出せば、補給地点の建物を取り戻せる可能性があるという。
気持ちは分かる。俺だって、あそこに敵の印が残っているのは嫌だ。
けれど、敵の兵は5000人を超えたと見積もられている。どこに砲を置き、次に何人を前へ出せるのかも分かっていない。こちらは後退した兵の装備すら数え終わっていないのだ。
「斥候は出し続けてください。ただ、前進地点へ攻め返す命令は出しません。いま兵を集めるなら、南の後方防御線で受け止められるようにする方が先です」
作戦担当の将校が地図を見ながら答えた。
「現在の位置は市の南約15~20kmにございます。街道を守るだけなら今の配置で足りますが、敵が歩兵と砲を揃えて押してきた場合、左右の警戒隊との連絡が遅れる懸念がございます。防御線の全域へ兵を均等に置くこともできません」
「守る場所を絞った案を出してください。警戒隊には後ろへ退く手順を持たせます。敵の前衛を追って前進しないことも伝えておいてください」
「南方指揮官へ、持ち場ごとの案を求めます。今ある部隊だけで守れる範囲から見積もらせます」
地図を囲んでいた将校たちが、南の印を移し始めた。そのうち1人が、北から入ってくる補給車の予定表を開いた。
「飼料を先に送りたいとの要望がございますが、後送する負傷者の荷車と入れ替わりになります。南方の受入れ地点では、車列を同時に通すだけの余地がまだありません」
「負傷者を戻す便を先に通してください。空になった車を折り返して南へ物資を送ればいい。足りない分は、何がいつまでに必要なのか、現地の医官と補給担当で合わせてもらいます」
作戦担当の将校は、こちらを見て少し黙った。
「陛下。前進地点を失ったままですと、敵は同じ街道からまた接近してまいります」
「ええ。だからこの位置に兵と物資を集めるんです。次も同じように散り散りに退くわけにはいきません」
窓の下から、荷車の車輪が石畳を打つ音が聞こえた。まだ市の門を通る順番を待っているらしい。荷物の載せ替えに使う人足の声も、朝から途切れない。
俺は机にあった水を飲んだ。ぬるかったが、昨日ほど喉が渇いているわけではなかった。
翌々日、西部の指揮官から封書が届いた。
エルツハイムの門を受け取った部隊と、周辺街道を守っている部隊の状況を分けた報告だった。市内では、武装解除した守備兵の名簿と、負傷者の診療費を誰が支払うかという問題が残っている。市当局は、工房へ通う職人が門で毎朝足止めされていることにも不満を示していた。
さらに、市の外で活動している敵の騎兵や小部隊は、まだ所在がはっきりしない。西部の指揮官は、今の配置から大きく兵を引き抜けば、都市の警備か街道護衛のどちらかを薄くするほかないと述べていた。
「西部の軍は、もともと約1万人で進みましたね」
俺が尋ねると、軍務担当の将校はうなずいた。
「はい。ただし、砲兵や輸送の護衛も含む当初の編成です。その後の負傷者と、各所へ分けた警備兵を差し引けば、同じ人数を動かせるわけではございません」
「現地の指揮官は、戻せる人数について何と言っていますか」
「まず補給車列の護衛を固定し、エルツハイムの警備を交替できるようにしてからなら、一部を中央へ戻せるとのことです。ですが、どの隊を先に抜くかは、西部に残る部隊の入れ替え次第でございます」
「なら、順番は任せます。南が危ないからといって、向こうの判断を無視して全部戻せとは言えません」
「承知いたしました。現地の見積もりに従って、出発できる部隊から移動を始めさせます」
これで南の兵が増える、と言いたいところだが、まだ誰も到着していない。エルツハイムからここまでは約120kmある。歩兵だけなら進めても、砲や荷車を連れる隊は遅い。途中の警備兵を引き抜くなら、その交替も要る。
「中央へ向かわせる隊には、現在の西部街道を通らせてください。敵の動きが分からない道へ近道を探しに出す必要はありません。それと、到着した日から使える兵と、休養や補給の必要な兵は別に報告を」
将校が書き付けている間、別の封書が机へ置かれた。エルツハイム市当局からのものだった。
製錬所と工房へ向かう資材が、門で検査を受けて止まっている。許可証を持つ商人もいるが、守備隊の引渡し前に発行された証書を新しい警備兵が認めず、荷を戻されたという。
「通すなと命じた覚えはないんですが」
「市外で敵兵が動いておりますので、出入りを厳しく調べているのかと。現地の指揮官も、検査をやめるとは申しておりません」
「やめなくていいです。市の役人と一緒に、これまで使われていた証書が有効か確認させてください。偽造が疑われるものは別にして、問題のない商人を毎朝止める必要はありません」
市の仕事を動かしたいし、敵の兵が武器や情報を運び込むのも防ぎたい。両方を一度に完璧にやれと言われても困るだろう。
返信を書きながら、ふと思った。西の鉱山から金属が出ても、道が止まれば運べない。守備隊を置いて町を取っただけでは、その町から得られるものも止まる。
書き終えたところで、補給担当が入ってきた。南方へ送る荷の一覧を持っている。
「陛下。中央に集めた荷車のうち、次の便を南へ回したいのですが、西部行きの輸送にも割当てが残っております。西部から戻す部隊を迎えるため、中央へ置いておくべき車があるか確認したく存じます」
「移動する歩兵を迎えに、車を全部送り込む必要はありません。必要な負傷者の輸送と、途中で欠かせない飼料の分を現地指揮官に確認してください。西部へ出す車も止めないでください」
「はい。帰りの空車をどこで受け取るか、街道警備の担当と調整いたします」
「その順番は、補給担当同士で決めてくれて構いません。兵が増えるからといって、食料を運ぶ車まで減らしたくはないですから」
男はようやく持っていた一覧を閉じた。次の車列が出るまで、もう時間がないらしい。礼を取ると、足早に廊下へ戻っていった。
俺も封書を片づけ、次に届いていた北部からの報告を開いた。
レーデンブリュックの橋では、通行する軍の荷車と、通常の商人の荷を調整しているという。警備兵を大きく減らす余裕はまだない。ゲオルクからも、橋と周辺街道の守備を維持するよう改めて意見が届いていた。
やっぱり先生は譲らない。俺が南で兵を欲しがっているのを分かったうえで、橋の警備は減らせないと書いている。
「北部からは引き抜きません」
俺が先に告げると、将校は地図から顔を上げた。
「承知いたしました。南方の補充は、中央予備の残りと西部からの転用で調整いたします」
将校は帳面を閉じ、次の報告へ手を伸ばした。
軍務の帳面から顔を上げたのは、ヴィーネンからの封書が届いたと知らせを受けたときだった。
封印にはファルケンマルクの常設公館の印があった。戦争が始まってからも、公館は帝国の政治と法廷の動きを追い、必要な文書を送ってきている。
中身は、皇帝選挙の実施日程と、各選帝侯が代理を立てる場合の手続を確認した報告だった。使節が本人の署名と封印のある委任状を持ち、投票前に帝国側の資格確認を受ける。公館にいるだけで代理人になれるわけではないが、こちらの公館には、帝国の政務を継続して扱っている人間がいる。
「間に合う見込みはあるんですか」
俺が公館の報告を渡すと、ケラーは日程の記された箇所を確かめた。エルツハイムの攻略が続いていた頃、王都からこちらへ呼んでいた。軍務と公館の報告を、同じ時点で照合してもらうためだ。
「国家優先の急使を使えば、今から委任状を送っても、投票前の受理には間に合うと見込んでおります。北へ戻り、ヴァイスブルクの公用路からヴィーネンへ進ませる予定です。ただ、途中の遅延を考えれば、もう長くは置けません」
「公館へは、候補の名を知らせるだけでは駄目なんですね」
「正式な投票には委任状の原本が要ります。短い信号で支持の意向を知らせても、その代わりにはなりません。使節の資格確認も、投票前に済ませる必要がございます」
俺は封書を机に置いた。
マクシミリアンが亡くなってから、帝国の選挙が動いていることは何度も報告を受けていた。ルートヴィヒ・フォン・アルンベルクの使節がヴァイスブルクへ来たときには、本人名義で支持を求められた。帝国内の通行権や諸侯の権利を尊重し、皇帝になったからといって無期限の新しい軍事負担を当然には求めない。その方針も聞いている。
一方、ヴォルフガング・フォン・エルレンシュタインは、長く帝冠を戴いてきたヴァルデンハイム王朝の男系の傍系だ。あちらが選ばれれば、アマーリエの国にとっては帝国政治上の支えになるだろう。
「ルートヴィヒを支持します」
口に出してから、ケラーの顔を見た。
「帝国外の戦争に皇帝を引きずり込まないという、以前の使節の説明が守られるとは限りません。ですが、ヴォルフガングが帝冠を継ぐ場合よりは、今のところ帝国全体がこの戦争を支える危険を抑えられると判断します」
ケラーはすぐには答えなかった。机の端に置かれた南方の地図にも、視線を向けている。
「陛下。ルートヴィヒ殿が皇帝となった後、グライフェンの件で仲介を申し出る可能性はございます。帝国としての正当性を示すためにも、こちらの求める条件をそのまま認めるとは限りません」
「それは承知しています。こちらの戦争のために皇帝になってもらうわけではありません。選帝侯として、今の帝国には、というよりかは、ファルケンマルクにとっては、ルートヴィヒの方がいいと判断したということです」
「承知いたしました。委任状の作成は外交担当へ依頼いたします。ヴィーネンの公館へは、受理までの見込みと候補者への意思表示を別々に伝えます」
「ああ。それから、リューネンベルクへの連絡は、こちらの投票先を決めたことだけでいいです。あちらに同じ票を投じるよう求める必要はありません」
ゾフィーの父であるフリードリヒは、俺にとって義父でもある。けれど、その家の選帝票は俺の持ち物ではない。
ケラーはうなずいた。
「先方の判断を尊重する旨を、外交担当へ伝えます。現在の報告では、リューネンベルクはヴォルフガング殿への支持を強めております」
「そうでしょうね。これで家族の手紙まで気まずくなるのは嫌ですが、投票は別です」
言ってみたものの、気まずくならずに済むかどうかは向こう次第だ。ゾフィーには、こんな話を俺の署名だけで知ってほしくない。とはいえ、彼女の父にどちらへ投票するか尋ねてから自分の票を決めるのも違う。
外交担当の書記が委任状の文面を整えている間に、俺は公館の報告をもう一度読んだ。
やがて委任状が運ばれてきた。アルテンフェルスの選帝侯として、ルートヴィヒへ投票する意思と、代理人に委ねる権限が記されている。候補者の名と文言を読み直し、署名した。
封印を押したあとで、書記が乾きを確かめる。急使へ渡す原本が封筒に収められ、別に報告用の控えが作られた。
「国家優先便を使ってください。無理な速度を毎日続けろとは言いませんが、通常の文書と一緒にはしないでください」
「はい。宿駅での交換馬と、受渡し先を確認しております。到着の見込みが変われば、知らせを送らせます」
使いの者が原本を持って部屋を出た。
俺は机に戻った。まだ南方からの報告が残っている。皇帝が誰になるか決めるための文書は出したが、俺の兵が今日食べるものは、別に送らなければならない。
その後の数日は、南方の防御線に回す資材と、西部から移動する隊の報告を見ながら過ぎた。
南の指揮官は、前進してきた敵にすべての場所で向き合うのではなく、街道から離れた警戒位置で敵を見た隊が後方へ知らせ、必要なら定めた位置まで退くよう配置を変えていた。新しい物資の受入れ場所では、負傷者を乗せて戻る車と、南へ向かう弾薬の荷車を分けて通すようになっていた。
一度、補給担当の将校に誘われて、市の南門まで出た。
門の外では、兵が荷札を読み上げている。大きな荷車の横で、御者が馬をなだめながら前の車の通過を待っていた。隣の車には使われていない包帯と医療用の布が積まれている。新しい車輪を載せた荷もある。
「南へ出す物資が増えましたか」
「南へ送り出す総量が増えたとは、まだ申し上げられません。必要なものを選んで送れるようにはなりましたが、車の数は増えておりません。前進地点向けの荷を止め、後方防御線の受入れ先をまとめたことで、余計な往復を減らせております」
「負傷者を戻す車は足りていますか」
「治療を受けてから動かす者は、医官の判断を待っております。早く後送できる者の分には、戻り便を充てております。空車を取りに行かせるためだけに馬を使わずに済みます」
俺は荷台の中をのぞいた。布の束の奥に、細長い木箱が並んでいる。修理した装備を入れたものだという。
門の外を、腕を吊った兵が歩いて通り過ぎた。片手で持つ水筒が揺れるたび、隣の兵が少し歩幅を緩める。見張りの兵は敬礼しようとして、こちらが手を下げると元の姿勢に戻った。
市内へ向かう荷車も止まっていた。積まれているのは穀物らしい。売り物なのか、徴発されたものなのか、一見しただけでは分からない。
「この車は?」
「市の市場へ入る予定の荷でございます。荷主の書類を確かめております。軍用の車とは通行の順を分けました」
「止めすぎると市民の食べ物が届かなくなりますね」
「はい。検査の人員が足りず、しばらく時間を要しておりました。市の役人にも確認を頼むようになってから、多少は早くなっております」
多少、か。俺が見ている間にも、次の荷車が列の後ろに並んだ。
門を守るだけなら兵を立たせれば済む。だが、軍が門を握ることで市の仕事まで止めたら、守っている意味がない。
兵を減らすのは簡単だ。書類上、別の場所へ回せばいい。そうした翌日に市場が開かなくなったら、誰が責任を取るのか。
「今の検査を続けられる人数は残してください。南へ出す部隊の護衛も、予定を変えていないか確認してください」
「承知しました」
荷車が動き出した。車輪の隙間に挟まっていた小石が、石畳を転がっていく。
司令部へ戻る途中、市の病院へ向かう人足の一団とすれ違った。担架を担ぐ2人の後ろで、短い光を掌に灯した医療補助の者が戸口を照らしている。曇った廊下の奥へ、その光だけが先に入っていった。
市内には軍の制服を着ていない人間も大勢いる。俺たちが占領する前から、この街で暮らしていた人たちだ。
病院の前にいた女が、こちらの兵を見るなり身を固くした。抱えていた布包みを胸元へ寄せ、道を空ける。
俺は護衛へ、通りを塞がないようにと告げた。
西部から最初の転用部隊が到着したのは、出発を命じてから何日も経った頃だった。
報告ではすでに市を出たと分かっていた隊だが、途中で荷車の通過を待ち、敵の斥候が見つかった区間では護衛を揃え直したという。予定より遅れてハーゲンフェルトへ着いた兵は、門の近くで水を求めていた。馬を連れた隊は、厩舎と飼料の受入れ先を確かめている。
俺は到着を確認しに行った。先頭の士官は、帽子を脱いで報告した。
「陛下。西部から命を受けました部隊でございます。道中、敵の小部隊を警戒して行軍いたしましたが、隊列を保って到着しております。負傷者は別便で後送を始めております」
「ご苦労でした。すぐ南へ出せますか」
士官は、背後の兵を振り返った。
「歩兵の一部は行軍できる状態でございます。ただ、長く街道警備を続けていた者には休養を取らせたく存じます。馬と輸送車の点検も必要です。南へ向かう出発日は、補給を受けてから決めていただければと」
無理をしていない人間の顔ではない。兵たちは整列しているが、泥の乾いた靴に重心をかけ直す者がいる。街道で休んでいる間にも、周囲を警戒していたのだろう。
「分かりました。今夜の宿営と食事を優先してください。南へは、使える人数と装備の確認が済んでから回します。移動の途中で負傷した者も、医官に診せてください」
「ありがとうございます」
士官は礼を取り、部隊の列へ戻っていった。隊の最後尾には、脚を傷めた馬が1頭いた。引いている兵が、後続の車から離れないよう何度も手綱を持ち直している。
南では兵が欲しい。それは今も変わらない。だが、この隊を今日到着したからといって今日中にもう15km、20kmと歩かせてしまえば、着いた先で何を守れるのか。
少し離れたところに補給担当の士官が待っていた。
「南方への移動は、明日の報告を受けて決めます。食料と飼料は、いまある中央の分を使ってください。北部からの次の便が来る前提で、今日の分を全部渡すわけにはいきません」
「承知いたしました。中央にいる隊との配分を確認いたします」
「向こうから、補給を削ってまで急いでほしいという要求があれば、私のところへ回してください」
士官が持つ帳面には、到着した部隊を受け入れるための空き宿営地が書かれていた。普段は市の倉庫に荷を運ぶ人足も、軍の車列が重なると作業の順を変えなければならないという。
「市の倉庫を軍で使う場合、いま保管している品はどうなりますか」
「移動させるものについては、市の役人と照合しております。民間の荷がございますので、勝手に場所を空けることはいたしません」
「そのままでお願いします。兵が来たからといって、持ち主の分からない荷を外へ積み出しては困ります」
俺が話している間にも、到着した兵は水を受け取り、歩ける者から割り当てられた場所へ進み始めた。何人かは、何も言わずに門の近くへ腰を下ろしていた。
その日の夕方、西部からまた報告が届いた。市外に残る敵の騎兵が、郊外の荷車を狙って姿を見せたという。警備兵が近づくと離れたが、翌日も同じ場所に現れる保証はない。エルツハイムの指揮官は、追加の転用が可能になるまで待ってほしいと記していた。
「これ以上は戻せない、と」
軍務担当者が言った。
「今のところは、そう判断します」
俺は封書を折り直した。西へ向かう街道の上には、まだ警戒の印が並んでいる。
「現地には、急いで兵を出してくれたことへの礼を伝えてください。ただし、エルツハイムを守るために必要な兵は残して構いません。追加を求めるときは、こちらから事情を添えて相談します」
返書を託したあと、俺は南方の指揮官へ、到着部隊のうち使える者をいつ配置できるか確認させた。戦力に算入できるのは、実際に南へ着いたあとのことだ。
夜になると、南の防御線から届いた報告が机へ運ばれてきた。
敵は失った前進地点の周辺に兵を置き続けている。騎兵による接近が何度かあり、こちらの警戒隊も射撃を受けた。大規模な攻撃が始まったわけではないが、前方では砲を運ぶような車列の動きも見られたらしい。
「砲かどうかは、確かめられていますか」
「車の形と、護衛の人数からそう推定しているとのことです。夜間のため、砲の数までは報告できておりません」
「断定はしないでください。ですが、砲があるものとして警戒する必要はあります。次に敵が動いたときは、先に見た隊がすぐ知らせられるようにしてください」
「南の指揮官へ伝えます」
俺は手元の防御線の図を見た。敵が集中した位置は、まだ分からない。最初に砲を見た場所へ予備を集めれば、別の場所から攻められたとき困る。
報告書を置いたとき、扉の外から湯を運ぶ音が聞こえた。遅い食事の支度らしい。俺の分も残っているか尋ねようとして、手を止めた。
先に、見張りの交替時刻を確かめておきたかった。
ヴィーネンからの最初の知らせは、詳しい文書ではなかった。
帝国で新皇帝が選出されたという、短い緊急信号だった。首都から各地へ中継される公的な速報の写しが、ハーゲンフェルトにも伝わってきた。
「候補の名と票数まで分かっていますか」
「いいえ、陛下。届いた定型の速報は選出の成立までです。公館からの正式文書は、まだでございます」
「そうですか」
俺は地図へ目を戻した。
委任状が無事に届いたかどうかは、公館からの先の報告で確認している。選帝使節が資格確認を受け、投票に臨める状態になったことも知らせが来ていた。少なくとも、こちらの票が無効になったという連絡はなかった。
だが、まだ誰が選ばれたのかは分からない。
「正式な結果が届いたら、すぐ知らせてください」
「承知いたしました」
そのあとは普段どおりの仕事へ戻った。
西部の街道では、荷車を守る隊と交替する兵の手配が続いている。南方では、到着した部隊を受け取って新しい守備位置を確かめたという報告が来た。北部の橋を通る軍需品と通常の荷物も、まだ待ち時間が長いらしい。
しばらくして、コンラートからも西部の報告が届いた。
敵の騎兵を追いすぎないようにしながら、護衛隊が通れる区間を順に確認しているという。馬は交替させているが、疲労したものを休ませる場所が足りなくなりかけている。手紙の最後には、自分の鞍ずれは治ったので馬の分だけ心配してほしい、と書いてあった。
あいつは、まだ根に持っているのか。
俺はその部分をもう一度読んでから、報告を別の束へ入れた。西部では兵を戻したあともコンラートたちが街道を警戒している。敵を追い散らしたという一度の報告で、あの道を安全と決めてしまうことはできない。
正式な選挙結果を記した封書が届いたのは、それからさらに日を置いてからだった。
公館の担当者は、帝国側で確認された票の内訳を写し、代理投票の受理についても記していた。
ルートヴィヒ・フォン・アルンベルク、5票。
ヴォルフガング・フォン・エルレンシュタイン、4票。
俺は思わず、椅子の背に身体を預けた。
「決まったんですね」
ケラーはうなずいた。
「はい。アルテンフェルス票は適法に受理され、ルートヴィヒ殿に投じられました。リューネンベルクはヴォルフガング殿を支持しております。中央河川圏の宗教選帝侯は、帝国法廷と諸侯の権利、帝国秩序を保つことなどについて条件を示したうえで、ルートヴィヒ殿へ投じたと報告されております」
「残る票も、最終的には分かれたわけですね」
「そのようでございます。正式な得票は記載のとおりです。ただ、個々の交渉がどの順序で決着したかは、まだ報告が揃っておりません」
「それでいいです。まず、正式な結果を確認できました」
ルートヴィヒが皇帝になる。
以前、ヴァイスブルクへ来た使節は、フロレーヌのフィリップ王に支持されていることを隠さなかった。その一方で、帝国内へフロレーヌ軍を入れて選挙を左右する考えはないとも述べていた。実際に皇帝となってから、どこまで独立した判断をするのかはこれからだろう。
「新皇帝への祝意は、正式に送ります。公館には、従来の通行権と帝国法廷の扱いについて、就任後も引き続き確認するよう伝えてください」
「承知いたしました。帝国内の継承と帝国外の戦争について、先方がどのように扱うかを見極めます」
「それから、リューネンベルクには、投票先が違ってもこれまでの関係を変えるつもりはないと伝えてください」
ケラーは礼を取り、書類を集めた。
公的な返書の文言を確かめてから署名した。ゾフィーには別に、父の票が違っていたと知っていること、それでも俺の方から関係を悪くするつもりはないことを書いた。戦場のことも知らせたかったが、詳しい損害を自分の言葉でまとめられるほど、こちらの記録はまだ揃っていない。今は無事に司令部にいる、とだけ記した。
書き終えると、窓から夕方の光が入っていた。
廊下の向こうで、兵が新しい地図を運んでいる。南方の指揮官から、後退線の警戒位置を調整した報告が届いたらしい。俺は署名した封書を渡し、地図の方を受け取った。
南の前進地点には、まだ敵の印があった。
「こちらの防御線まで、敵が大きく進んできたとの報告はありますか」
「現時点ではございません。ただ、前進地点の周辺で兵と車列が増えているとの報告が続いております。敵の主力の位置については、なお確認中です」
「警戒を続けてください。南へ来た転用兵は、現地の指揮官が使えると確認した隊だけ配置します。まだ中央にいる隊まで、そこへ置いたことにはしないでください」
「承知いたしました」
将校が地図を押さえ、実際に守っている位置と、次に退く場合の連絡先を示していく。別の兵が廊下を通り、北から到着した車列の荷札を読み上げていた。
俺はその声を聞きながら、南の警戒隊が残した小さな印に目を向けた。
明日もこの位置にいるかどうかは、まだ分からなかった。




