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ある転生王の一代記  作者: アレグリア
第4章 二つの継承

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第54話

~アマーリエside~


最初の知らせが届いたとき、私は皇帝選挙に関する文書を読んでいた。


ヴィーネンの宮廷では、父が亡くなってからも帝国の役所が仕事を続けている。皇帝が空位だからといって、使節が帰るわけでも、裁判がすべて止まるわけでもない。私に届けられるものの中には、ヴァルデンハイムの君主として答えるべき文書と、次の皇帝を決める選挙のために目を通しておきたい報告が混ざっていた。


廊下で足音が止まった。扉の外で何か短い言葉が交わされ、近侍が入ってくる。


「グライフェンから緊急の信号が入りました」


差し出された紙には、発信地と中継の確認、それから定められた符号の意味が記されていた。国境での武力侵入。私はその行を読み直した。


「いつの知らせですか」


「現地での発信時刻がこちらです。受信の確認は先ほど済みました」


窓の外にはまだ明るさが残っていた。ヴァイスブルクでいつ、どんな命令が出されたのか、私は知らない。ただ、数日前から増えていた荷車と兵の動きが、今は別のものになっている。


「軍務担当者を呼んでください。国内担当と法務担当にも、待機してもらえますか」


「承知いたしました」


近侍が出ていった後、私は机の上からグライフェンの地図を取り出した。昨日までの警戒報告には、主要な橋と街道、倉庫、信号所の状態を調べさせた結果が付いている。北部からの追加兵力要請は2件。どちらも、今の配置ではすべての場所へ兵を置けないという内容だった。


あの時点では、何を削ってどこへ回すか、現地からの案を待っていた。今はその判断を、戦闘が始まった後に行うことになる。


軍務担当者はほどなく到着した。入室した時から、手に持った文書の端を強く押さえている。


「越境した部隊の規模は分かりますか」


「まだ分かっておりません。現在確認できるのは、グライフェン北部の国境監視線から、武装部隊の侵入が報告されたことです。別の発信所でも警戒符号が出ておりますが、兵数や進路を示すものではございません」


「現地の守備隊は?」


「先日お命じになった警戒が継続しております。主要拠点には、すでに既定の防御行動へ移る権限がございます」


「現地には既定の権限で対応を続けさせてください。被害と必要な支援について、分かったところから報告をお願いします」


軍務担当者がうなずいた。


「南部で出発準備に入れる部隊と、その補給を確認してください。北部から出ていた追加兵力要請も、現地の配置案と照らして見せてください」


彼が机へ置いた一覧には、南側から動かせる可能性のある部隊と、グライフェン内の配置を調整する案が分けてあった。移動を命じれば即座に使える兵と、出発まで準備を要する兵も別になっている。


「南部へ命令が届いても、兵そのものが北部に着くには時間がかかります」


「承知しております。まず出発できる条件を整えます。ただ、東方国境の兵を今すぐこちらへ回すことは考えない方がよろしいかと」


「ええ。ヴェリスラヴの動きは止まっていません」


「ザルヴァ川正面では、今朝までに大規模な渡河開始は確認しておりません。しかし、対岸の集結は続いております」


地図を畳まずに、東の報告も手元へ寄せた。ヴェリスラヴがまだ川を越えていないことと、越えないと約束したことは違う。


「東方の警戒は維持してください。その上で、グライフェンへ向けられる既存の予備を洗い直します。使う予定の兵だけでなく、食料、馬、荷車を含めてください」


「かしこまりました」


彼は次の命令書へ手を伸ばしかけたが、そこで止まった。


「現地の指揮官に、北部要衝を最後まで守るよう、改めて命じますか」


私は広げた地図を見た。レーデンブリュック。そこを失えば、川と街道の利用は難しくなる。けれど、都市を守ることと、そこにいる野戦部隊を残すことは同じではない。


「守備を続けることと、部隊を失うまで留まることを一緒にしないでください。現地で判断するために必要な権限は、すでにあるのでしょう」


「はい」


「ならば、判断した理由と結果を報告させてください。私は、そこから先の支援を決めます」


軍務担当者は書類の順番を入れ替えた。防御継続を確認する文書の下に、部隊の状態と退路に関する照会が入る。


まだ、誰がどこで傷ついたのかも分からない。けれど、兵たちは私がその報告を読むより前に、もう戦っている。




その夜、私はいつもより遅い食事を取った。


運ばれてきた皿は温かかったのに、手を付けるまでしばらくかかった。近侍が一度、何か言いかけた。私が顔を上げると、食卓の隅に置かれた小さな籠を示す。


「先ほど、お召し替えの際に外した髪飾りでございます。こちらへお戻ししてよろしいでしょうか」


「ああ。お願いします。そんなところに置いたままだったのね」


「お部屋の方へ戻しておきます」


その声がいつも通りだったので、少しだけほっとした。今日、私を見た人間の何人かは、言葉を選んでいた。何かを尋ねる前に、私の顔を見る。私が怒っているのを、皆が知っているからかもしれない。


昼の信号には、まだ戦死者の数も、町の名前もなかった。定められた短い符号がいくつか届いただけだ。報告が少ないのは、何も起きていないからではない。詳しいことを書いた文書は、馬に乗った人間が運ばなければならない。


「何か届いたら、夜でも知らせてください」


近侍は少し迷ったようだった。


「承知いたしました。お休みになってからも、お起こししてよろしいのですね」


「緊急のものだけで構いません。通常の報告は朝にします」


「はい」


食事を終えた頃、別の信号が入った。北部の複数の地点で警戒が続いていること、主要な街道の一部で軍の通行が制限されたこと。それ以上の細部はない。


私は受信記録を確認してから紙を戻した。明日には、もう少し分かるだろう。そう考えたところで、明日になれば必ず分かるわけではないと思い直した。伝令が通れるかどうかさえ、戦場では分からない。




翌日、法務担当者は先日作った文案を持ってきた。


「追加の防衛命令に添える文案は、軍務側との照合が終わりました」


「では、すぐ発令できる分から見せてください」


書面には、防衛への協力を継承請求や地域の権利の放棄とは扱わないと書かれていた。前に作らせた文案と意味は変わっていない。法務担当者が示した別紙には、既存の軍役として履行を求められる分と、地域側の承認が必要な追加負担が、それぞれ記されている。


「北部への輸送を増やす場合、今日の命令で進められるものと、協議が必要なものを確認したいのです」


「従来の義務に含まれる人員と輸送については、それぞれの定めに従って命じられます。新たな馬や荷車の無償提供は別です。地域側に条件を示し、必要な承認を受けねばなりません」


私は別紙の該当欄へ印を付けた。


「すぐに出せる命令は、今日のうちに進めてください。追加負担については、国内担当と相手先ごとの通知を整えます」


「かしこまりました」


少し遅れて、国内担当者がやってきた。彼はすでに文案を見ていたらしい。


「ヴィーネンに滞在中の地方側の代理人から、面会の求めがございます。防衛協力の命令が、先日の承認手続にどう影響するか確認したいとのことです」


「私が直接会います。今日は時間を取れますか」


「午後の予定を1件移せば可能です」


「では、そうしてください。移した相手には理由を伝えて、お詫びも」


彼は少しだけ笑みを浮かべた。


「その方が、後の調整も容易かと存じます」




午後、面会に来た代理人は、深く礼をした後、すぐには席に着かなかった。私は勧めてから、彼が持っている紙を見た。地方側から提出済みの権利確認の写しだった。


「グライフェンで軍が動いていることは、こちらでも承知しております」


代理人が言った。


「このような折に、軍への協力を拒むつもりはございません。しかし、先日から進めております承認の条件を、今ここで無かったことにするお約束もできません」


「そのように求めるつもりはありません」


「軍へ輸送手段を差し出せば、殿下のすべてのご請求を承認した扱いになる、と解する者が出ないとも限りません」


彼は私を見てから、視線を落とした。後ろに立つ同行の書記は、筆を持ったまま動かない。


「何を出せて、何を出せないか、まず教えてください」


「既存の軍役に含まれる人員と、従来の条件で出せる輸送については、応じられます。ただ、新たな負担となる馬と荷車を無償で差し出す約束は、私の権限ではできません」


「無償でなければ、協力できますか」


「補償の条件が整い、こちらの定められた承認が得られるなら、検討できる範囲はございます。ですが、今ここで台数までお答えすることはできません」


私はうなずいた。追加の分については、こちらから補償の条件を示す必要がある。


「既存の義務の分は、すぐに準備を進めてください。追加の分は、こちらの財務担当から条件案を出します。その後、必要な承認を取っていただければ構いません」


「その間、提出済みの権利確認は審理を続けていただけますか」


「続けます。防衛への協力は、あなた方が主張する権利を放棄した証拠にはしません。こちらが出す命令にも、そのことを書き添えます」


代理人はすぐに答えなかった。今度は同行の書記を振り返り、何かを小声で確かめた。私は待った。


「命令書に明記していただけるなら、私どもも、その条件でまず動きます」


彼が立ち上がった時、最初より肩の力が抜けていたように見えた。けれど、帰り際に彼はもう一度こちらを向いた。


「殿下。必要な物を急がれることは、分かっております。ですが、この先さらに大きな負担を求められるなら、今回の返答をそのまま次の同意とみなさないでいただきたいのです」


「ええ。その時には、その時の協議をします」


「ありがとうございます」


退出した後、国内担当者は代理人の返答を整理した紙を置いた。


「これで、先方の既存義務に関する準備は進みます。ただ、追加負担の同意はまだです」


「その通りに記録してください」


紙に残る空欄は多かった。それでも、少なくとも動かせるものが一つ増えた。




ファルケンマルクからの正式回答を受け取ったのは、それから少し後のことだった。


軍からの短い信号は何度か入っていた。北部で戦闘が続き、交通に支障が出ている。しかし、レオンが何と答えたのかは、まだ書面では届いていなかった。


正式な封書が運ばれてくると、私は受領の記録を確かめさせた。ヴァイスブルクから来た文書は、私が出した具体的な対案に答えるものだった。


通行と関税、資源供給、限定的な国境調整。レオンは、それらが利益を持つことを否定していなかった。それでも、今回求めた地域の主権を得るという目的には足りない。交渉を続けず、軍事行動に移ることを選んだと書かれている。


私は最後まで読み、外交担当者へ渡した。


「受領日を付けてください。こちらの対案が拒否されたことも、記録に残します」


「承知いたしました。正式な抗議文の草案は、すでに用意を始めております」


「こちらが対案を示したことと、武力侵入が始まったことは、それぞれの経緯が分かるように記してください。受領した返書の文言は、こちらで確かめます」


外交担当者は私を見たが、何も言わなかった。


外交担当者が受領の記録を書き込む間、私は机上の抗議文の草案へ目を戻した。


「他国へ伝える文書についても、同じ事実関係を使ってください。相手国ごとに違う説明をしないように」


「ウェストリアの常駐代表にも、まずは現地で事実関係を説明いたしますか」


「はい。ただし、援助を約束させるために、その場で答えを急がせないでください。あの国にも、本国で決めるべきことがあります」


「承知いたしました」


「それと、レオンから私宛ての別封はありませんでしたね」


「公的な回答のみでございます」


「分かりました」


私はそれ以上尋ねなかった。自分が送った手紙への返答を待っていないわけではない。けれど、返事がないことから何を読み取ればいいのか、今の私には分からなかった。


窓のそばに置いた花瓶には、数日前と違う花が挿してあった。替えられたことにさえ気づいていなかった。私はそのまま机へ戻り、抗議文の最初の1頁を読んだ。




数日たつと、机へ運ばれてくる軍務報告の形が変わった。


最初は短い符号ばかりだった。今は、現地の将校が書いた封書や、倉庫の受払を記した帳面の写しが混ざる。届いた順と、現地で書かれた順は必ずしも一致しない。書記が時刻と発信元を調べ、同じ出来事についての報告が重なっているものを並べてくれた。


その中に、私の目が止まる紙があった。同じ街道の分岐について、前進部隊と後方の連絡所が別々に記したものだった。前進部隊は、敵の主力が接近したため増援を求めている。後方の連絡所は、その増援が通るはずの分岐に敵騎兵が現れたと知らせていた。


「この2通は、同じ日の報告ですか」


軍務担当者は書記が添えた時刻を確かめた。


「はい。前の部隊が救援を求めた時点では、まだ後方の分岐を使えると見込んでおります。ですが、増援隊がそこへ向かった時には、すでに敵の小部隊が到着しておりました」


「敵の主力が、そこまで進んだのですか」


「いいえ。前方で確認された主力とは別です。騎兵を中心とする部隊が、先に動いたと見られます」


私は地図の上で、前進部隊から分岐まで指を動かした。守備側の将校は、兵を前へ集め、敵が来たところを受け止めるつもりだったのだろう。その兵を動かす道の方へ、敵が先に来ている。


「分岐にいた守備兵は、何をしていたのですか」


「無人ではございません。警備兵が抵抗し、近くの予備隊にも出動を求めています。ただ、敵は分岐に到着するなり馬を降りて通行路を押さえたとのことです。こちらの予備隊は、その部隊と交戦することになりました」


彼は2通目の紙を出した。増援隊が前線へ到着したという記録ではなかった。街道上で敵と接触し、進行を中止したという報告だった。


「……前の部隊には、間に合わなかったのですね」


「少なくとも、この便の増援は届けられておりません。別の経路から到達できた兵がいるか、現在確認中です」


守る側は越境を知らなかったわけではない。北部には前もって警戒を命じてあった。必要な時に兵を動かす準備もしていた。それなのに、前から迫る敵へ対処する間に、後ろへ通じる道を別の敵に塞がれている。報告の時刻を追うほど、胸の奥が冷えていった。


「ほかにも、同じような報告はありますか」


「街道の連絡が途切れた地点がございます。ただし、それらも同じ部隊の行動なのか、別の敵部隊によるものかはまだ分かりません。北部の街道では、後方へ動いている守備部隊も出ております」


軍務担当者は、地図の上へ細い紙を置いた。


「前に置いた守備部隊の一部が位置を下げております。命令によるものと、現地の判断によるものがございます。いずれも現在地をすべて確認できたわけではございません」


「レーデンブリュックは?」


「要塞側からは防御継続の報告が入っております。ただ、周辺すべての通行をこちらが押さえているとは申し上げられません」


「では、街を失ったとは書けませんね」


「はい。失われた前進拠点については報告がございますが、都市全体の状態はまだ確認中です」


私は文書を見た。前進拠点の名は記されている。そこにいた人間のうち、誰が退いたか、誰が残っているかは、欄が埋まっていない。敵騎兵に道を塞がれた増援隊が、今どこにいるのかも分からなかった。


「後退した部隊を、すぐ中央の戦力に数えられますか」


「現時点では難しいかと存じます。移動中の部隊もございますし、負傷者を抱えている可能性もあります。兵員がまとまっていても、食料や装備の再支給が必要になる場合がございます」


「中央で受け入れる準備を先にしておきましょう。人数の確定を待ってから倉庫を開けば、到着した兵が待つことになります」


「はい。ただし、どの部隊がどこへ着くかまで定めるには、現地の確認が必要です」


「そこは現地に任せます。こちらは何が要るかを準備してください」


軍務担当者が下がった後、財務担当者が別の一覧を持ってきた。


「追加輸送について、費用の見込みが出ました」


欄には、通常の契約で使える荷車、借り入れる必要がある荷車、地域側の承認が必要なものが分かれていた。数が少ないから困るのだと思っていたが、担当者は別の行を指した。


「この分については、記録上は使用可能であっても、出発できる時期が合いません」


「どういうことですか」


「荷車そのものはございます。ただ、今は通常の穀物輸送に使われております。荷を降ろし、馬を休ませてからでなければ、軍の指定先へは向かえません」


「では、今日使える数には入りませんね」


「はい。こちらは契約だけ先に結んでも、動き出すのが遅れます」


隣の行は、すでに別の場所へ向かっている軍需品の運送だった。そこから荷車を引き抜けば、今度はその荷が遅れる。


「先に動かせる車を、必要な場所へ回してください。遅れても間に合う荷はありますか」


財務担当者は軍務側の一覧を重ねた。


「一部の予備資材は後にできます。しかし、軍馬の飼料を後回しにすると、兵だけが先に着いても動けません」


「その順番は、軍務側と一緒に決めてください」


「承知いたしました。それと、追加負担の補償について地方側から確認が来ております。国庫が支払う範囲と、後日精算する範囲を明らかにしてほしいとのことです」


「実際に出されたものが分かる記録は残せますか」


「現地の受領証と輸送記録を照合する形なら可能です。ただ、遠隔地では証書が届くまで時間がかかります」


「ならば、記録が届くより先に、何を証明しておけばよいか伝えてください。後から何も分からなくなる方が困ります」


彼は書類の端に印を付けた。


「地域側へ承認を求める追加負担には、対象となる輸送と数量、その輸送が終われば負担も終わることを記します。次の便にも協力を求めるなら、改めて条件を示して同意を得ます」


「お願いします。すでに出せる分と、まだ同意を得ていない分も、記録では分けておいてください」


財務担当者は、私が先ほど指した輸送の欄をもう一度確かめてから退出した。人がいなくなっても、机には紙が残る。何を頼んでも、紙の上ではすぐに線を引ける。そこから先に馬を付け、人を乗せ、道を通して運ぶのが難しい。


私は椅子から立ち、窓の下の庭を見た。歩いている人が何人かいる。ヴィーネンでは、少なくとも今のところ、皆がいつも通りに外を歩ける。グライフェンではどうだろう。前進拠点を退いた兵たちが通る道には、村も畑もある。


「国内担当者を呼んでください」


近侍に頼んでしばらくすると、国内担当者が入ってきた。私は先ほどの報告を示した。


「後退部隊のために倉庫を開く際、地域の役所から住民の食料まで一緒に出させることは避けたいです。現地で何を持っていて、どこまで軍へ回せるか、使える帳簿を確かめてください」


「戦時ですから、平時の在庫記録と変わっているところもあるはずです」


「ええ。古い帳簿の数字をそのまま使わないように。足りないなら、足りないと報告させてください」


国内担当者は承知したと答え、もう一度紙を見た。


「北部から避難してきた者への対応については、現地の役所から正式な要請が届いておりません」


「分かりました。まだどれほどの人が動いているかも分かりませんものね。問い合わせることはできますか」


「できます。ただし、返事がいつ届くかは分かりません」


「構いません。まず確かめてください」




ヴェリスラヴとの交渉は続いていた。ファルケンマルクとの戦争が始まっても、ザルヴァ川対岸の兵が減ったという知らせはない。


外交担当者が持ってきた文案では、軍事施設について以前より細かな条件が加えられていた。私はグライフェンの地図を横へ寄せ、ザルヴァ川の資料を開いた。


「この修正案は、使節団の権限で合意できるものですか」


「現時点では確認できておりません。どの部分まで使節団の判断で変更できるかは明らかにされておらず、本国へ照会するとの説明がございました」


「その回答を待ちましょう。航行と関税は、こちらで返せる部分を先に進めてください」


「ファルケンマルクの侵攻を受けて、こちらが早期妥結を望んでいることは先方も承知しているはずです」


「そうでしょうね」


外交担当者は少し考え、続けた。


「先方が、その事情を利用して条件を強めることも考えられます」


「ええ。だから、急いで何でも受け入れるわけにはいきません。今ここで譲れば、後で東の守備に困る条件もあります」


使節団が提示した軍事施設の条項へ目を戻した。条文の中身は、川のこちら側に暮らす人々にとって遠い話ではない。どこへ兵を置けるか、何を築けるかによって、次に緊張が高まった時の守り方が変わる。


「軍事施設については、本国から回答が来てから軍務側にも確認します。航行と関税の文案は、進められる部分を先に返してください」


「かしこまりました」


彼が退出してしばらくすると、ウェストリアの代表との接触について別の報告が来た。侵攻が始まったこと、こちらが広域割譲を拒否したことは伝えられている。相手は報告を本国へ送るという。商業や信用について話す余地を示しながら、国家としての新しい約束はまだ何もしていない。


私は報告を閉じた。本国から返事が来るまで、新しい約束については結論を出せない。




夜になり、宮廷の廊下が静かになってから、近侍が温かい飲み物を運んできた。私は礼を言って受け取り、湯気の向こうにある積み上がった文書を見た。


「少し休まれますか」


「あと1通だけ読んだら」


そう答えたのに、1通の後にもう1通手を伸ばしてしまった。近侍は何も言わず、飲み物の置き場所を空けてくれた。




北部の詳しい報告がまとまって届いたのは、開戦から何日もたってからだった。


届いた封書には、同じ街道を通った伝令が別々の時刻に書いた記録が添えられていた。ある部隊が後退を始めたという報告の後ろに、それより前の交戦を記した紙が混ざっている。軍務担当者は、それぞれの作成日と受領日を並べた一覧を用意していた。


「どこまで確認できていますか」


「北部の前進防御の一部は破られました。ファルケンマルク軍は主要な街道の一部を使用し、中央方面へ進んでおります。こちらの野戦部隊の一部は、敵の接近を受けて後退しました」


「先日、街道の分岐を塞いだ騎兵のことがありましたね。あれは、どこまで分かったのですか」


軍務担当者は一覧の途中を開いた。彼は普段、報告書の順序を確かめてから話す。今日は先に口を開き、すぐに紙へ視線を戻した。


「当日の守備側の記録が追加で届いております。敵の前衛との交戦を知った現地指揮官は、前線へ予備隊を送るよう命じていました。その兵が分岐を通過するより先に、警備隊から敵騎兵との接触報告が届いたのです」


「敵騎兵が、予備隊より先に?」


「はい。警備隊は持ち場を離れずに抗戦しております。予備隊も交戦しましたが、当初予定した前線への増援は果たせませんでした。敵騎兵の方も損害を出しており、分岐の周辺を無傷で通り抜けたわけではございません」


彼は別の紙を私の方へ向けた。警備隊が最初に寄越した報告には、敵は騎兵を主体とし、数は主力に比べて少ない、とある。次の報告には、道を塞がれた増援隊からの援助要請が続いていた。最後の紙には、前進部隊が、予定していた増援を受けられないまま守備位置を変えたと記されている。


「同じ分岐の話なのに、全部別の部隊から来ていますね」


「現地でも、初めは別々の出来事だと思われていたようです。前進部隊は敵の主力を警戒しておりました。後方では、主力がまだ来ていない場所に敵が現れた。各隊が自分の担当する場所で応戦するうちに、相互の連絡と増援の予定が崩れております」


「どうして、その騎兵だけ先に来られたのですか」


「詳細は不明です。ただ、現地の複数の記録には、長く休まず進んできた部隊には見えなかった、とございます。馬を替えている可能性を挙げた将校もいます。敵の補給手段まで確認したわけではございません」


あの部隊がどうやって来たのかは、まだ分からない。けれど、来た時にこちらが何を失ったかは分かる。


私は書類を机に置いた。前線の将校は侵攻を察知し、必要な兵を動かしている。警備隊も逃げてはいない。それでも、兵を前へ送りたい時に、その道へ先に敵がいた。私が最初の侵入信号を受けた日、まだ敵の主力の位置さえ分からなかった間に、このようなことが起きていたのだ。


「敵の小部隊が押さえた道を、主力がそのまま使ったのですか」


「一部では後続部隊が到着し、前進を続けたと確認しております。ただ、すべての分岐を確保したわけではなく、レーデンブリュック周辺ではこちらの抵抗も続いております。敵が安全に補給を通せる範囲は、まだ限られているはずです」


地図の上では、細い道の交わるところへ一つ印を付ければ済む。その印のために、前へ向かうはずだった兵が止まり、別の部隊は退くことになった。


「後退した部隊は、まとまっていますか」


「まとまって移動できている部隊もございます。ただし、中央で受け入れを確認した人数は、まだ全体ではございません。連絡の遅れている部隊もございます」


レーデンブリュックの防御は続いている。要塞そのものが落ちたという確認はなく、敵が周辺の道をどこまで自由に使えるかも判然としない。それでも、北部の前に出した守りが、以前の位置を維持できなくなったことは分かった。


軍務担当者は、私の前へもう一枚の紙を置いた。


「現地の指揮官から、後退の理由が届いております。現在位置のまま敵の主力を受け続ければ、中央方面との連絡を失う危険が高いと判断したとのことです。残す部隊と移す部隊を分け、野戦軍の一部を中央へ戻しております」


地図に記された線は短かった。数日前に見た時、そこには守備地点がいくつも書き込まれていた。今は後退先を示す印が増えている。


「命令に違反したという報告はありますか」


「今のところ、ございません。既定の権限の範囲で判断しております」


「ならば、現地の指揮官には理由を確認したことを伝えてください。兵を残す判断をしたなら、その兵に必要なものも確認します」


「はい。後退した部隊については、ハーゲンフェルト方面で受け入れ準備が進んでおります」


私は軍務担当者に財務担当者を呼ぶよう頼んだ。ほどなく担当者が輸送記録を持って入ってきた。


「先に動かした飼料と食料は、どこまで届いていますか」


「中央方面の既存倉庫へ到着を確認できた分がございます。全量ではありませんが、後退部隊の受け入れに必要な分から振り向けております。ただ、一部の荷車は予定より遅れております」


「理由は?」


「軍の移動と荷車の通行が重なった区間がございます。順序を調整しておりますが、今後も同じ問題は起こり得ます」


私は輸送記録にある、遅延した区間の名を追った。軍も、馬も、荷も、同じ街道を通っていた。出発したという記録だけでは、倉庫へ届いたことにはならなかった。


「到着した分と、まだ道にある分を分けてください。中央の指揮官へも、どちらなのか分かる形で伝えます」


「承知いたしました」


私は軍務担当者へ向き直った。


「負傷者については、どこまで把握していますか」


軍務担当者が別紙を出した。治療中と、搬送中と、まだ確認できていない者が分けて記されている。報告の時点も違う。私は少し時間をかけて読み、紙を戻した。


「確認できていない者を、戦死した者に数えないでください。家族へ何を伝えたかも記録を残すように」


「かしこまりました」


部屋の端で、書記が新しい命令文を整え始めた。私は、受け入れ済みの兵員の報告と、まだ途中にいる部隊の報告を並べた。


「中央で受け入れた部隊の報告は、人数だけでなく、使える装備と馬の状態も付けてください」


軍務担当者がうなずいた。


「南部からの増援については、出発が確認できた部隊と、まだ準備中の部隊を分けます。東方軍の大きな転用は、引き続き保留といたします」


「承知いたしました。現地の再編が進めば、中央で守れる範囲も改めてご報告いたします」


「お願いします」


書記が書き終えた文書を私の前へ置いた。私は内容を確認して署名し、封をするために渡した。書記は封を整え、急使への手配に向かった。


私は地図へ目を戻した。中央へ着いたと確認できていない部隊の欄は、まだ空いたままだった。


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