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ある転生王の一代記  作者: アレグリア
第1章 二度目の少年時代

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第04話

4歳になってから、できることはずいぶん増えた。


自分の足で歩ける距離は長くなったし、言いたいこともだいたい口にできる。


本はまだ好きなようには読めない。魔法についても、結局よく分からないままだった。


そんな中で、別の楽しみができた。


父上と、ゾンネンフェルトの王室牧場へ行く。


その話を聞いた日から、俺は何度も同じことを考えていた。


馬だ。


前世でも馬は好きだった。競馬場へ行くこともあったし、走る馬を何時間も眺め、血統や過去の成績を調べるのも好きだった。


今世でも、馬車を引く馬なら見ている。けれど、幼い俺が勝手に近づけるものではない。まして牧場で飼われている馬をゆっくり見るのは初めてだった。


「レオン、またその話?」


母上が笑った。


「だって、あしただよ」


「ええ。昨日もそう言っていたわね」


最近の母上は、立ったり座ったりする動作が前よりゆっくりしている。服の上からでも腹が大きくなっているのが分かった。


そこに赤ん坊がいる。


俺の弟か妹になる子だ。


「母上もいく?」


「今回は父上と行っていらっしゃい。帰ってきたら、どんな馬がいたか教えてちょうだい」


「いっぱいはなす」


「楽しみにしているわ」


俺はうなずいた。


翌朝は、いつもより早く目が覚めた。


着替えも朝食も急いだ。急いだところで出発が早くなるわけではない。それくらい分かっている。


それでも急いだ。


父上が来るまで、何度も窓を見た。


空は晴れている。


馬車に乗って牧場へ行く。馬を見る。近くで見る。触らせてもらえるかもしれない。


どんな馬がいるのだろう。


考え始めると止まらなかった。


やがて扉が開いた。


「父上!」


駆け寄りかけて、俺は止まった。


父上は出かける格好をしていなかった。


「レオン。話がある」


嫌な予感がした。


「きょう、いかないの?」


父上が一度だけ目を閉じた。


「すまない。今日は行けなくなった」


胸の奥が急に重くなった。


「なんで?」


「今日中に決めなくてはいけない仕事ができた。私がいないと進められない」


意味は分かった。


父上は王だ。父上にしか決められないことが今日中にあるなら、牧場へ出かけている場合ではない。遊びたくなくなったわけでも、約束を忘れたわけでもない。


それでも、


「やだ」


口から出た。


父上は黙って俺を見ていた。何か言おうとしたように口が動いたが、すぐには声が出なかった。


「きょういく」


「きょうっていった」


俺が嫌だと言ったところで仕事は消えないし、今日行けるようにもならない。


頭では分かっている。でも、心が年齢に引っ張られる。


昨日からずっと楽しみにしていた。朝も早く起きた。もう行くつもりだった。


「ぼく、ずっとまってた」


喉が詰まった。


目が熱くなり、涙が出た。


父上が悪くないのに、目の前に父上がいるから腹が立った。


父上は俺の前にしゃがんだ。困ったように眉を寄せたまま、少しだけ声を落とす。


「ごめん」


「おしごとでしょ」


「ああ」


「じゃあ、しかたないでしょ」


父上はすぐには答えなかった。


「でも、やだ」


「うん」


それだけ言って、父上は待った。


「きょう、うま、みたかった。さわりたかった」


「そうだな」


父上の手が俺の頭へ伸びてきた。今は触られたくなくて顔をそむけると、その手は追ってこなかった。


でも、少しくらい困ってほしかった。父上を見ると、十分困っているようにも見えた。


俺は横を向いた。


「つぎは?」


しばらくして聞いた。


「今度は、できるだけ大丈夫な日にしよう」


「また、いけなくなる?」


父上はすぐには答えなかった。俺の顔を見たまま、少し考えてから口を開く。


「そうならないようにする。でも、絶対とは言えない」


「……わかった」


俺はそう言ったが、悲しいのは残った。


父上はしばらく俺と同じ高さにしゃがんでいた。俺がもう何も言わなくなってから、ようやく立ち上がった。


「レオン。すまなかった」


さっきより小さな声だった。


俺は返事をしなかった。


扉が閉じた。


朝から楽しみにしていた時間が、そのままなくなった。


本を眺めることも、庭へ出ることもできた。けれど何もしたくなかった。


今日は馬を見に行く日だったのだ。


しばらくして母上が来た。


俺の隣へ座った。


「残念だったわね」


「うん」


「楽しみにしていたものね」


「うん」


母上も、父上の仕事なら仕方がないとは言わなかった。


それは、もう分かっている。


俺は母上の腕に少し寄りかかった。


涙は止まっていたが、悲しいのは昼になっても残った。


夕方、父上が顔を見せた時も、俺はまだ少し不機嫌だった。


父上は部屋へ入るなり俺を見たが、朝のことにはすぐ触れなかった。


「仕事、おわった?」


「ああ。今日の分は終わった」


「ぼくといくより、ながかった?」


「たぶん、牧場へ行くより長かったな」


それは少し気の毒だった。


俺は考えてから、父上のそばに近づいた。


「つぎ、ちゃんといってね」


父上の顔が少し緩んだ。


「ああ。今度こそ行こう」


父上が差し出した手を、今度は握った。


次の日になっても、牧場へ行けなかったことを思い出せばまだ残念だった。ただ、父上を見ても腹は立たなくなっていた。


それから何日かして、父上が新しい日を教えてくれた。


「今度は行けそうだ」


父上は前より少し慎重な言い方をした。


俺はすぐ椅子から立ち上がった。


「ほんと? いつ?」


父上が笑って、日を教えてくれた。


今度は前ほど数えないようにしようと思った。


そう思っただけだった。


翌日から毎朝数えた。


そして、その日はちゃんと来た。


父上は朝から出かける格好をしていた。


「父上、いく?」


「行く」


「いま?」


「朝食を食べてからだ」


「もうたべた」


「私はまだだ」


それは待つしかない。


前回と違って、待った先に牧場がある。


出発前、母上が見送りに来た。


「気をつけて行ってらっしゃい。馬に近づく時は、父上や牧場の人の言うことを聞くのよ」


「わかってる」


「帰ったら話を聞かせてね」


「うん。母上と、あかちゃんにいっぱいはなす」


母上は自分の腹へ手を添えて笑った。


俺は父上と馬車に乗った。


王都を離れるにつれ、建物が減り、畑や草地が増えていった。


俺は何度も窓の外を見ていた。


「まだ?」


「まだだ」


しばらくして、また聞いた。


「まだ?」


「まだだ」


三度目には父上が先に言った。


「まだだぞ」


「まだきいてない」


「顔に書いてある」


俺は窓に映った自分の顔を見た。


「ないよ」


「そういう意味じゃない」


父上が笑った。


俺も笑った。


やがて、遠くに囲いが見えた。


その中で何かが動いていた。


近づくにつれて形が分かった。


馬だった。


一頭ではない。


何頭もいる。


「父上、いっぱいいる!」


父上は窓の外を見て笑った。


「ああ。やっと着いたな」


当たり前だった。それでも声に出したかった。


馬車が止まると、すぐ降りようとして父上に肩を押さえられた。


「待て。足元を見ろ」


「うん」


今度はちゃんと待った。


地面へ降りると、最初に匂いが来た。


草と土、乾いた藁、それから馬の匂い。厩舎の方からは糞の匂いもした。


きれいな匂いではない。


でも嫌ではなかった。


馬がいる場所の匂いだった。


牧場の者たちが父上に挨拶し、俺にも頭を下げた。


「殿下、本日はようこそお越しくださいました」


「うん」


返事をしながら、その向こうの馬を見た。


父上が肩へ軽く手を置いた。


「レオン、まず挨拶だ」


言われて、ようやく牧場の者の方をきちんと向いた。


夢中になりすぎていた。


「ごめんなさい。よろしくおねがいします」


そう言ってから、もう一度馬の方を見た。


「ちかくでみたい」


「では、まず大人しい馬からにいたしましょう」


柵の近くへ行くと、遠くに見えていた馬が急に大きくなった。


分かっていたはずなのに、足が止まる。


大きい。


目の前に胴があり、長い脚があり、首がある。頭だけでも俺にはずいぶん大きく見えた。


馬が鼻を鳴らした。


「こわいか?」


父上が聞いた。


「ちょっと」


「怖いなら、無理に近づかなくてもいいぞ」


笑われるかと思ったが、父上は笑わなかった。


「でも、さわりたい」


牧場の者が馬のそばにつき、近づき方を教えてくれた。


馬の後ろには回らない。急に手を出さない。


言われた通りに近づくと、馬の耳が動いた。


大きな目が俺を見ていた。


鼻先が寄ってきた。


ふ、と息が手に当たる。


温かい。


「さわっていい?」


「はい。ゆっくりと」


首へ手を当てた。


毛は柔らかいだけではなかった。短い毛の下に、しっかりした体がある。


そして温かい。


生きている。


当たり前のことだった。


だが、触るとその当たり前が急に大きくなった。


馬が一歩動いた。


俺は反射的に手を引いた。


蹄が土を踏む音がした。たった一歩なのに重い。


「びっくりした」


父上は馬と俺を見比べた。


「向こうもレオンを見ているぞ。知らない子が来たから気になるんだろう」


俺はもう一度馬を見た。


馬もこちらを見ていた。


次の馬も見た。


同じように見えて、顔つきも体つきも違う。すぐこちらを見る馬もいれば、あまり興味を示さない馬もいる。


一頭が走り出すと、別の馬もつられて動いた。


地面を叩く音が連なった。


俺は柵へ近づきすぎて、父上に服の後ろをつかまれた。


「そこまで」


「もっと、ちかくにいく」


だが、抵抗むなしく引き戻された。


厩舎では、人が馬の体をブラシでこすっていた。別のところでは汚れた藁を運び、水や餌を確かめ、馬具を手入れしていた。


「まいにち、これするの?」


「毎日です、殿下」


「まいにち?」


「はい。食べますし、飲みますし、汚しますから」


その言い方が少しおかしくて、俺は笑った。


父上も笑った。


「馬が勝手にきれいなままでいてくれると思ったか?」


「おもってない」


前世でも厩務の仕事は知識として知っていた。


だが、一頭の馬がここで暮らすために、毎日これだけ人の手が必要になることを、目の前で見るのは違った。


寝る場所を整え、食べさせ、水を飲ませ、体を見て、蹄も確かめる。


走っている時間の外側にあるものが、ここには全部あった。


「やってみたいか?」


父上が、ブラシを見ている俺に聞いた。


「いいの?」


大人しい馬なら、と牧場の者が言った。


父上とその人がすぐそばにつき、俺は教えられた通りにブラシを動かした。


一度。


もう一度。


腕がすぐ疲れる。


「たいへん」


「さっき毎日だと聞いただろう」


「きいた」


「じゃあ、明日からここで働くか?」


「まいにちはいや」


即答すると、父上が声を上げて笑った。


俺も笑った。


それから外へ戻り、若い馬のいる方へ案内された。


さっきまでの馬より落ち着かないものが多かった。


近づく俺たちを見て首を上げ、離れ、また寄ってくる馬もいた。


その中に、少し小さく見える一頭がいた。


特に目立つ馬ではない。ただ、俺たちから少し離れたところで、耳をこちらへ向けたまま様子を見ていた。


「この子は?」


「ゴルデネ・ライゼです」


牧場の者が答えた。


「ゴルデネ・ライゼ」


俺は名前を繰り返した。


「ちいさい?」


「今のところは少し。ただ、丈夫ですよ。賢い反面、少々気難しい馬です」


気難しい。


言われてみれば、こちらへ興味はありそうなのに、素直には近づいてこない。


「さわれる?」


「急がない方がよろしいでしょう」


俺は止まった。


牧場の者が先に様子を見た。


ゴルデネ・ライゼは少し首を振ったが、逃げはしなかった。


「ここからでいい?」


「はい。そのままで」


俺は手を出した。


まだ届かない。


しばらく待った。


別の馬の蹄音がした。


風が草を動かした。


腕が少し疲れたころ、ゴルデネ・ライゼが一歩だけ近づいた。


もう一歩。


鼻先が手に届いた。


息がかかった。


短くこちらを嗅ぐと、すぐに顔を引いた。


「いった」


一度手を嗅いで離れただけだ。嫌われたのかどうかなんて、まだ分からない。


しばらくすると、ゴルデネ・ライゼはまたこちらを見た。


今度は手を伸ばさずに待った。


牧場の者が大丈夫だと言ったので、少しだけ近づいた。


馬は逃げなかった。


俺は首の横へそっと触れた。


ほんの短い時間だった。


馬が動いたので、すぐに手を離す。


それで終わりだった。


それでも名前は覚えた。


ゴルデネ・ライゼ。


「また、あえる?」


俺が聞くと、父上が若馬の方を見た。


「この牧場にいる間なら、次に来た時も会えるだろう」


「つぎ、くる?」


「もう次に来る話か」


「まだみてないところある。うまも、もっとみたい」


父上は笑った。


俺はもう一度、若い馬たちを見た。


ゴルデネ・ライゼは少し離れ、別の馬の方へ向いている。


俺が触ったことなど、もう気にしていないようにも見えた。


俺の方は気になっている。


また見たい。


でも、あの馬だけではない。


他の馬も見たい。走るところも、世話をするところももっと見たい。


牧場そのものが面白かった。


帰ると言われると、やっぱり帰りたくなかった。


「もう?」


「もうだ」


「まだみたい」


「朝からずっと見ているのにか?」


「まだみる」


「……帰るのが遅くなると母上が心配するぞ」


俺は少し黙った。


「……かえる」


それでも馬車へ戻る途中、何度も振り返った。


父上が俺の服を見た。


「ずいぶん汚れたな」


「父上も」


父上は自分の袖を見て笑った。


「私はレオンほどではない」


俺は袖を鼻へ近づけた。


「においする」


「それはお互い様だ」


馬と藁の匂いがついていた。


少し嬉しかった。


帰りの馬車では、すぐ眠くなった。


「眠いなら寝ろ」


「ねむくない」


言った直後にあくびが出た。


父上が笑った。


「笑わないで」


「すまん」


全然すまなそうではなかった。


俺は父上の腕に寄りかかった。


窓の外をもう少し見ようと思っていたのに、気づいた時には王都へ戻っていた。


牧場で見たものは残っていた。


手に当たった息。


短い毛の下の温かさ。


蹄が土を踏む重い音。


ブラシを動かした時の腕の疲れ。


そして、少し離れたところからこちらを見ていたゴルデネ・ライゼ。


宮殿へ戻ると、母上が待っていた。


「おかえりなさい」


「母上!」


走りかけて、途中で速度を落とした。


母上の腹が大きいことを思い出したからだ。


近くまで行く。


「うま、いっぱいいた。おおきかった。あと、あったかい」


「触れたの?」


「うん。ブラシもした」


「まあ」


「でも、ずっとするのはたいへん」


父上が後ろから言った。


「明日から働くかと聞いたら断ったぞ」


「父上!」


母上が笑った。


俺はすぐ母上へ向き直った。


「ゴルデネ・ライゼっていうのもいた」


「それが一番気に入ったの?」


俺は少し考えた。


「きになる。でも、ほかのもすき」


「そう」


「またいきたい」


今度は父上を見た。


父上はすぐには約束せず、少し考えてからうなずいた。


「また行こう。すぐとは約束できないけどな」


「こんどは、いける日にしてね」


言うと、父上は少し困った顔で笑った。


「そうだな。今度はそうしたい」


前に行けなかった日のことも思い出した。でも今日は、ちゃんと父上と牧場へ行けた。


「またいこう、父上」


「ああ」


今日はもう眠かった。


服にはまだ少し、馬の匂いが残っていた。


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