第45話
朝食の途中で、ルーカスが今日の予定を読み上げた。
午前は通常の政務。国外から届いた報告の確認が1件、軍務から訓練計画の承認が1件。その後に細かな署名がいくつかある。
午後の欄だけ、少し毛色が違った。
「王宮厩舎にて、ウェストリアから到着した馬の確認」
そこまで読んだところで、向かいに座っていたゾフィーが顔を上げた。
「馬を見に行くのですか?」
「ああ。何頭か売りに来てるらしい」
パンをちぎりながら答える。
王宮で使う馬を買う話そのものは珍しくない。俺が毎回見に行くわけでもない。
今回は、厩舎側から「陛下がお好きそうな馬が1頭います」と聞いた。
それだけだ。
「買うのですか?」
「いや。見るだけだよ」
「そうですか」
ゾフィーはそれ以上聞かなかった。
ただ、少し笑ったように見えた。
何だ。
まだ何も買ってない。
朝食を終える頃には、ハインリヒが書類を抱えて先に席を立った。今日はカスパルのところで、王領から届いた修繕報告を読むらしい。
少し前までなら、俺の横で何が足りない情報なのか一緒に考えていた。
今は最初に自分で読んでから、分からないところを持ってくる。
「兄上、夕方に少しよろしいですか」
「馬を見終わって戻ってたらな」
「分かりました」
ハインリヒはそのまま出ていった。
ゾフィーが俺を見る。
「やはり、長くなる予定なのですね」
「馬を見るだけだぞ」
「ええ。聞きました」
何だ、その言い方は。
***
午前最初の報告はケラーだった。
机に置かれた紙は、以前のレシア共和国の件の続報だ。
最初の頃は、商人によって「関税が上がった」「荷を止められた」「余計な金を取られた」と言い方がばらばらだった。
その後に集めた報告では、中央政府が全国一律の新しい関税を定めた事実は今も確認されていない。
「問題が出ているのは、引き続きこの経路周辺です」
ケラーが地図の一点を指した。
「別経路では?」
「同じ種類の追加負担が広がったという報告はありません。商務側には、問題経路を使う場合の遅延と追加費用を共有済みです。公館には、現地の検査と倉庫利用の根拠になっている規則を引き続き確認してもらっています」
「恒常措置かどうかは?」
「まだ確定していません。ただ、直近の報告を見る限り、少なくとも共和国全域へ広がっているとは考えにくいです」
ケラーは、そこで次の紙を出した。
「現時点では、国家間の抗議へ進める必要はないと考えます。別経路へ同様の動きが出るか、商人側の負担がさらに増えるかを継続して見ます」
以前なら、ここから俺とカスパルで、次にどこへ何を聞くかをもう一度組み直していた。
今回は、もう書いてある。
「商人から新しい申立てが来た場合は?」
「場所、日付、徴収相手、名目、金額を分けて出してもらいます。前回と同じ形式です」
「分かった。そのまま続けてくれ」
「承知しました」
ケラーは資料をまとめ、頭を下げた。
次に入ってきた軍務側の報告も似たようなものだった。
高速機動部隊の交換馬を置く地点について、以前の訓練で1か所へ集めすぎると飼料と水、それに世話をする人間が足りなくなることが分かっていた。
次回は交換地点を2か所へ分ける。
そこまでは前に聞いている。
今日上がってきた計画では、それぞれに置く馬の数、飼料、水、管理人員、各隊が使う経路まで書かれていた。
俺は頁をめくった。
「西側を使う隊が遅れたら、こっちの馬が余らないか?」
担当の士官が、すぐ別紙を開いた。
「一定時間以上遅れた場合は、第2隊へ回します。伝令はこの分岐から出します」
地図上に細い線が引かれている。
「その場合、第2隊の方で馬が多すぎないか?」
「一時的には余ります。ただ、同じ地点へ全頭集めるより飼料に余裕があります。翌日の再行動まで含めても、こちらの方が負担は小さいと見ています」
「なら、この形で一度やってみてくれ」
「はい」
終わりだった。
別に問題がなくなったわけではない。
レシアでは、今も何の規則で余計な負担が出ているのか全部は分からない。
軍でも、交換地点を2つに分ければ別の不便が出るかもしれない。
でも、次に何を見るかまで含めた紙が上がってくる。
その後、倉の小修繕、王領からの人員交代、宮廷側の支出承認に署名した。
最後の紙を戻したところで、ルーカスが机の端へ手を伸ばした。
「午前の予定は以上です」
「もう?」
「はい」
窓を見る。
まだ午後の予定へ移るには少し余裕がある。
最近は、こういう日が増えた。
何か起きれば当然長引くし、予定外の使者が来ることもある。
それでも、朝に書かれていた予定が、そのまま予定どおり終わる。
「馬は?」
「予定どおりご覧になれます」
「行こう」
返事が早かったらしい。
ルーカスが一瞬だけこちらを見た。
何だ。
見るだけだ。
***
王宮厩舎の外側にある運動場へ着くと、見慣れない馬が何頭か並んでいた。
ウェストリアから連れてこられた馬を扱う商人が、王都までまとめて持ってきたらしい。
大柄な馬が2頭。胸の厚い牡馬が1頭。
その少し離れたところに、鹿毛の牝馬がいた。
最初に目が行ったのは、その馬ではなかった。
むしろ隣の大柄な牡馬の方が、いかにも高そうに見える。首が太く、立っているだけでも見栄えがする。
鹿毛の牝馬は、それより細い。
小さいというほどではないが、王侯が人前で乗るために選ぶなら、隣の馬を好む者も多そうだった。
「こちらが?」
俺が聞くと、厩舎を預かる男が頷いた。
「エアリアル・ケイデンスです。5歳の牝馬。ウェストリアから来た馬の中では、速力について最も高く評価しております」
エアリアル・ケイデンス。
馬商も横から頭を下げた。
「提示は1400ターラーです」
「高いな」
口から出た。
馬商は否定しなかった。
厩舎側の男も、普通に頷いた。
「王家としては購入を見送る判断です」
「理由は?」
「速い馬ではあります。ただ、同じ額を出すなら、軍でも長く使え、扱う騎手を選びにくい馬を優先できます。儀礼用としても、より大きく見栄えのする馬がございます」
もっともだった。
俺が王家の勘定で馬を買う側でも、同じことを考える。
「走るところは見られる?」
「もちろんです」
運動場の端にいた騎手が別の馬へ乗った。
先にその馬を走らせるらしい。
しばらくして、エアリアルにも別の騎手が跨がった。
「前を追わせた方が、よく走ります」
厩舎の男が言った。
先の馬が出る。
数呼吸置いて、エアリアルが出た。
最初の数歩で、俺は少し前へ身を乗り出した。
速い。
いや、最高速度がどうというより、速度が乗るまでが早い。
先行した馬はもう走っている。それでも、2頭の間は少しずつ縮んでいった。
エアリアルの首が前へ伸びる。
脚が地面を蹴るたび、間が消える。
並んだ。
そのまま抜いた。
「もう一度」
言ってから、周りがこちらを見た。
「今度は、最初の間を少し詰めてくれ」
「承知しました」
2回目。
今度は差が小さい。
エアリアルは前の馬が見えると、さっきより早く前へ出た。
追いつくまでの時間も短い。
「前に馬がいない時は?」
「単独でも走ります。ただ、前へ馬を置いた方が行きたがります」
「別の馬でも同じ?」
「試した限りでは変わりません」
「今日は何頭と併せた?」
厩舎の男が答える前に、ルーカスが少し後ろで息を吐いた気がした。
聞こえないふりをした。
「乗れるか?」
「陛下ご自身が、ですか」
「そのつもりで来た」
見るだけとは言ったが、こういうときもある。しょうがない。
***
鞍を替え、鐙の長さを合わせる。
近くで見ると、エアリアルはやはり細身だった。
鹿毛の首筋に手を当てると、耳がこちらへ向いた。嫌がって避けるわけではない。
ただ、周囲で馬が動くたびに耳がそちらへ向く。
敏感だ。
俺は鞍へ上がった。
歩かせる。
止める。
また歩かせる。
ここまでは普通だった。
軽く脚を使う。
思っていたより早く、身体が前へ出た。
「おっと」
声が漏れた。
暴れたわけじゃない。
俺の合図に対して、返ってくる答えが早い。
一度速度を落とす。
今度は、さっきより弱く脚を使った。
それでも出る。
もう一度。
少しだけ強く。
今度はそれに合わせて、さらに前へ伸びた。
面白い。
トラウムなら、何をすればどのくらい返ってくるか、もう身体で分かっている。
腹帯を締める時に腹を膨らませることも、嫌な道だと耳の向きが変わることも、長く走った後にどのくらい休ませればいいかも。
エアリアルは違う。
こっちが探りながら乗る必要がある。
でも、合えばすぐ返ってくる。
少し広く取られたところまで行き、向きを変えた。
前に1頭出してもらう。
追わせてみる。
さっき地上から見た時より分かりやすかった。
前の馬へ意識が向いた瞬間、身体の下から力が出る。
こちらが無理に押している感じではない。
行きたい。
その意思がある。
手綱で抑えれば戻る。
もう一度許せば前へ行く。
「もう1回」
俺が言うと、厩舎の男が少し困った顔をした。
「陛下、まずは一度お戻りください」
「まだ走れるだろ?」
「馬は走れます」
「なら――」
「ただ、まだ陛下の馬ではございません」
それはそうだった。
俺は少しだけ黙った。
「分かった」
戻る。
降りてから脚を確認する。
特におかしなところはない。
呼吸は上がっているが、さっきまでの走りを考えれば当然の範囲に見えた。
「長い距離は?」
俺が聞く。
「悪くはありません。ただ、王宮で長距離用に残している馬と比べて特別という評価ではありません」
「回復は?」
「今のところ普通です」
それなら、やっぱり違う。
1日80キロ近く走って、その翌日もまた動けと言われれば、俺はトラウムを選ぶ。
道が悪い。
途中で止まれない。
荷物もある。
そういう時もトラウムだ。
でも、今ここから向こうの柵までどちらが先に着くか。
それだけなら。
俺はエアリアルを見た。
鹿毛の牝馬は、今度は隣の馬の方を見ていた。
やっぱり、欲しい。
……いや。
待て。
1400ターラーだぞ。
普通に高い。
「価格は1400だったな?」
馬商がすぐ答えた。
「はい。陛下がお見えになる前から、その額で提示しております」
厩舎側を見る。
「王家としての判断は変わらない?」
「変わりません。良い馬です。しかし、王家としてこの馬を優先して買う理由は薄いと考えます」
「俺もそう思う」
言ってから、もう一度エアリアルを見る。
王家の勘定なら買わない。
でも。
俺の金なら?
***
私産管理人に来てもらう間、馬商には少し待ってもらった。
王宮厩舎の仕事として買うなら、そのまま王家側の会計へ回る。
今回は違う。
私産管理人は、俺が金額を言うと少しだけ眉を動かした。
「1400ターラーですか」
「ああ。今、俺個人の勘定から出して問題はあるか?」
持ってきた帳面を開く。
「支払いそのものには問題ございません。現在の通常支出を止める必要もありません」
「運用の方は?」
「新しく回せる現金が、その分減ります。既に分けてある支払いまで崩す必要はありませんが、今後の候補へ使える余力は小さくなります」
「分かった」
帳面を閉じてもらう。
1400ターラー。
払える。
ただし、払えば減る。
当たり前だ。
国王だから財布が無限になるわけじゃない。
少し前に、自分の財産をまとめて見た時にも同じことを思った。
自分で好きなことをするなら、自分の財布から出す。
だったら、あとは本当に欲しいかどうかだ。
エアリアルは、少し離れたところで身体を拭かれていた。
もう一度、乗りたい。
それで十分だった。
「買う」
私産管理人が顔を上げた。
「私有として、でございますね」
「ああ。王家ではなく、俺個人で」
馬商のところへ戻る。
「1400ターラーで買う。最初に提示していた条件のままでいい」
馬商は深く頭を下げた。
「ありがとうございます、陛下」
王宮厩舎側には、飼養に掛かる分を俺の私産側へ付けてもらう。装蹄や、今後個人用に作る馬具も同じだ。
その確認が終わったところで、俺はエアリアルを見た。
「もう一度乗っていいか?」
厩舎の男が、今度は迷わなかった。
「今日はおやめください」
「買ったぞ?」
「所有者が変わっても、今日走った距離は減りません。無理をすべきではないかと」
「……それはそうだな」
正しい。
正しいが、少し残念だった。
「明日は?」
「明日の状態を見てからです」
「分かった」
たぶん、明日の朝も見に来る。
政務の予定次第ではあるが。
いや、来る時間を作ろう。
そこまで考えてから、朝の自分の言葉を思い出した。
見るだけ。
まあ。
見るだけのつもりではあった。
***
夕食の席で、自分から馬の話はしなかった。
別に隠すつもりはない。
ただ、母上が教会側の催しについてゾフィーへ尋ね、マティルデがその話に加わり、ハインリヒは俺に見せるつもりらしい紙をまだ持っていた。
食卓でいきなり1400ターラーの馬を買った話を始める必要もない。
ハインリヒの紙を食後に見た。
朝に読んでいた修繕報告だ。
不足していた数字を担当へ確認し、余白へ書き足してある。
「これならどうでしょう」
「最初よりずっと分かる」
「では、直す必要はないですか?」
「ある」
ハインリヒの顔が少し曇る。
「ここ。修繕しない場合に何が起きるかがない」
「あ」
「でも、今日はもう担当を呼ばなくていい。明日聞け」
「はい」
今度は素直に引いた。
紙を返して、ゾフィーと一緒に部屋へ戻る。
扉が閉まって、ようやく彼女が口を開いた。
「それで、馬はどうでしたか?」
来た。
「良かった」
「そうですか」
「かなり」
ゾフィーがこちらを見る。
「朝は、見るだけだと言っていましたね」
「言ったな」
「買いましたか?」
少し間を置いた。
「買った」
ゾフィーが瞬いた。
「本当に?」
「ああ」
「いくらですか?」
「1400ターラー」
今度は、さっきより少し長く間が空いた。
別に怒っているようには見えない。
でも俺は、なぜか先に言いたくなった。
「私産から出してる。厩舎で掛かる分も、装蹄も、俺の方につけるようにした」
「そこを心配しているわけではありません」
「そうか」
「ええ」
ゾフィーは椅子に座った。
俺も向かいへ座る。
彼女は少しだけ首を傾げた。
「そんなに気に入ったの?」
「気に入った」
答えた瞬間、昼間の走りが頭に戻ってきた。
「というか、速いんだよ。本当に。最初に見た時は、正直そこまでとは思わなかった。鹿毛の牝馬で、トラウムより細いし、隣にもっと大きくて見栄えのする馬もいた。だから、これで1400ターラーかとは思った」
ゾフィーは黙って聞いている。
「でも走らせたら全然違った。最初に別の馬を前へ出したんだ。少し離してからエアリアルを出した。最初の何歩かでもう違う。前の馬がまだ速度を上げてる間に、あいつは先に走る形ができてる。そこから間が詰まるんだよ」
俺は手で2頭の位置を作った。
「最初はこれくらい離れてた。それが、こう詰まって、並んで、そのまま抜いた」
「よく覚えていますね」
言いながら、また手を動かす。
「しかも抜く時に、無理に押されて走ってる感じじゃないんだ。前に馬がいるから、自分から追ってる。1回目で気になったから、間を変えてもう一度やってもらった」
「その時には買うつもりだったのですか?」
「まだだよ」
たぶん。
ゾフィーの目が少し細くなった。
「本当に?」
「まだ乗ってないからな」
「では、乗ったら?」
「……かなり欲しくなった」
正直に言った。
「最初、いつものつもりで脚を使ったんだ。トラウムなら、これくらいでどのくらい前へ出るかは大体分かる。でもエアリアルは返ってくるのが早い。合図したら、思ってたよりすぐ前へ出た」
「危なくはなかったのですか?」
「暴れたわけじゃない。そこがいいんだよ。言うことを聞かないんじゃなくて、よく聞く。だから一度抑えて、今度はもっと弱くやった。それでもちゃんと前へ出る。少し強くすれば、その分だけ伸びる」
「それで何度も乗ったのですね」
「何度もってほどじゃない」
「何回ですか?」
「……細かく数えてない」
数えてないが、止められたくらいではある。
「最後にもう一度乗ろうとしたら止められた」
「買った後に?」
「ああ」
ゾフィーが口元を押さえた。
「何だよ」
「いえ」
「笑ってるだろ」
「少しだけ」
「別におかしくないだろ。もう俺の馬なんだから」
「厩舎の方は何と?」
「今日はもう走ったから駄目だって」
「正しいと思います」
「俺もそう思ったからやめた」
そこは重要だ。
俺だって馬を疲れさせたいわけじゃない。
「でも、トラウムとは全然違うんだ」
また話を戻す。
「トラウムの方がいいところも多い。長く走るなら俺はトラウムを選ぶ。1日80キロ近く動いて、次の日もまた乗るなら迷わない。脚が強いし、疲れも残りにくい。道が悪くても安心できる。軍で使うなら、あいつの方がずっと便利だ」
「では、エアリアルは?」
「速い」
自分でも即答だった。
ゾフィーの口元がまた動いた。
「そこへ戻るのですね」
「だって速いんだから仕方ないだろ。長く走るとか、翌日どうするとか、荷物をどうするとか、そういう条件を全部外して、向こうの柵までどっちが先に着くかってだけなら、たぶんエアリアルだ」
「トラウムと走らせるのですか?」
「やってみたい」
答えてから、少し考える。
「ただ、距離は変えたいな。今日くらいの短い距離だけじゃ分からない。少し伸ばしたらどうなるかも見たい。あと、前に置く馬も変えたい。今日の馬を追った時は明らかに行きたがってたから、もっと速い馬を前に置いたらどうなるかも見たいし、1頭だけで走らせた時との差も――」
そこで、ゾフィーが黙ってこちらを見ていることに気づいた。
「何だ?」
「本当に気に入ったのですね」
「最初からそう言ってる」
「ここまでとは思いませんでした」
まだ全部話してないんだが。
「それに、王家が買わないって判断は正しいんだ」
「まだ続くのですね」
「大事なところだぞ」
俺は少し身を乗り出した。
「1400ターラーあれば、もっと用途の広い馬が買える。軍で使えて、長く走れて、扱う騎手を選びにくい馬もいる。儀礼ならもっと大きくて見栄えのする馬もいる。エアリアルが悪いわけじゃない。むしろ良い馬だ。でも、王家があの値段を出して持つ理由は薄い」
「あなたもそう判断したのですか?」
「ああ。王家の勘定なら俺も買わない」
「でも、自分では買った」
「……そうなんだよ」
自分で言うと少し変だ。
でも答えは簡単だった。
「欲しかったからな」
ゾフィーは何も言わない。
「いや、1400が安いとは言ってない。高い。普通に高い。それは分かってる。私産管理人にも確認した。払えば、その分だけ今後運用へ回せる金は減る。でも払えない額じゃないし、他の支払いが止まるわけでもない」
「私は責めていませんよ」
「分かってる」
「さっきから、ずっと弁明しているように聞こえます」
「違う。説明してるんだ」
「何をですか?」
「エアリアルが1400ターラーでも欲しくなるくらい速かったってことを」
言ってから、結局またそこへ戻っていることに気づいた。
ゾフィーも気づいたらしい。
今度ははっきり笑った。
「そんなに笑うことか?」
「ごめんなさい。でも、朝は本当に見るだけだと思っていたので」
「俺もそう思ってたよ」
これは本当だ。
馬を見る。
少し乗る。
それで終わるはずだった。
それが走るところを見て、乗って、値段をもう一度聞いて、財布を確認して、買った。
「後悔していますか?」
ゾフィーが聞いた。
「してない」
考える必要もなかった。
「全然?」
「全然」
「1400ターラーでも?」
「それは高い」
「そこは認めるのですね」
「高いものは高い。でも、俺の金で買うんだから、国の役に立つかどうかだけで決めなくてもいいだろ。俺が乗りたい馬を買う。それでいいと思った」
言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。
大げさな話をしたかったわけではない。
ただ馬を買っただけだ。
でも、ゾフィーは笑わなかった。
「いいと思います」
短く、それだけ言った。
俺は少し楽になって、また昼間のことを思い出した。
「それで、最初に抜いた時なんだけど――」
「レオン」
「何だ」
「それはもう聞きました」
「いや、今度は抜いた後の話だ。前に出てからも、すぐ気を抜かなかったんだよ。だからもう少し距離があったら――」
ゾフィーがまた笑う。
「まだあるの?」
「ある」
今度は何も言わず、続きを待つようにこちらを見た。
だから俺は、もう一度エアリアル・ケイデンスの話を始めた。




