第39話
300人を超える騎兵が一度に並ぶと、さすがに景色が違った。
馬だけでも同じ数がいる。
いや、正確にはもっと多い。
今日ここから出る馬だけならそうだが、途中の交換地点には別の馬が待っている。さらに、そこで役目を終えた馬を休ませる人間と飼料が要る。水もいる。馬具の予備もいる。
兵だけを見ていると数百人だが、それを速く動かすために後ろへ並んでいるものまで数えれば、ずっと大きな仕組みだった。
「増えたな」
思わず口にすると、横にいたコンラートがこちらを見た。
「今さらですか」
「並んでいるのを見ると違う」
18歳の時にやった本格試験は120人だった。
約82キロを約11時間。
通常なら2日に分ける距離をその日のうちに走り、到着後に模擬戦をして、翌朝もう一度動いた。
あれからも軍は訓練を続けている。
俺が参加しない日も増えた。
小隊を預かる人間も増えた。
交換馬も、長距離向きの馬を記録から選ぶだけではなく、どの地点へ何頭置けば足りるかまで考えるようになった。
その結果が、今目の前にいる300数十人だった。
もちろん、3倍に増やしただけではない。
今回確かめるのは、むしろそこだった。
同じ道を全員で走り、同じ場所へ着けばいいなら、人数を増やすだけでも何とかなるかもしれない。
戦争ならそうはいかない。
道は分かれる。
命令は遅れる。
前にいる敵も、横にいる味方も動く。
それでも、同じ目的へ向かって複数の隊を動かせるか。
今日の試験は、そのためのものだった。
全体を指揮する隊長が地図の前に立った。
以前の訓練と同じ隊長ではない。
あの時の隊長も今の訓練には関わっているが、毎回同じ人間で成功しても意味がないということで、指揮官も交代させている。
俺はその判断に賛成した。
「目標地点はここです」
隊長の指が、川を渡る橋の印を叩いた。
そこから少し北に街道の分岐がある。
橋と分岐。
どちらも、軍を動かすなら無視しにくい場所だ。
「敵役はすでに西側から接近を始めています。歩兵に加え、砲兵役を伴います」
実際の砲弾を撃つわけではない。
それでも大砲そのものは使う。
車輪の付いた重い砲と弾薬車を、馬で引いて動かす。
あれが道を塞ぎ、撃てる場所へ据えられたという条件になれば、攻める側にとって面倒になる。
逆に言えば、据えられる前ならただの重い荷物でもある。
「こちらは3隊に分かれます。各隊の出発地点は異なります」
地図に3本の線が引かれていた。
最初から完全に別の道ではない。
途中までは近い。
だが、川へ近づくにつれて間隔が広がる。
連絡騎が走っても、その場で声が届く距離ではなくなる。
1隊ごとに100人を少し超える。
俺は中央を進む隊に加わる。
コンラートは東側。
西側は別の士官が預かる。
ただし、俺は中央隊の指揮官ではない。
国王が参加しているから命令系統が2つになる、という一番馬鹿な状態は避けたかった。
今回の俺は、試験に参加しながら見る側だ。
必要なら戦う。
必要なら意見も言う。
だが、その場の指揮は軍人がする。
「成功条件を確認します」
隊長が続けた。
「全隊が同時に到着する必要はありません」
何人かの視線が地図へ落ちた。
「重要なのは、橋と街道分岐を敵役が十分に使用できる状態へ入る前に、こちらの作戦に使える形で確保することです。敵役の撃破数を競う試験ではありません」
そこは大事だった。
速く走る試験を続けていると、つい時間そのものを数字で競いたくなる。以前より早くと。
気持ちは分かる。
俺だって、記録が縮めば楽しい。
でも、この兵を作っている目的は競走ではない。
1時間早く着いても、その1時間を何に使うか分からないなら意味がない。
「橋を取った後、敵役が東から回れば?」
誰かが聞いた。
隊長はすぐ答えた。
「現地指揮官が判断します。橋を守ることが目的なら守る。分岐を押さえた方が橋を守れるなら、そちらへ兵を回す。目の前の敵を追うことが目的ではありません」
いい。
俺は地図を見ながら頷いた。
こういうところは、俺が口を挟まない方がいい。
最終的な政治目的や、軍に何をしてほしいかを決めるのは国王の仕事だ。
だが、そのために現地でどの丘へ兵を置くかまで俺が全部決め始めたら、たぶん軍は弱くなる。
出発の合図が出た。
馬上へ上がる。
今回もトラウムライゼだった。
春先の毛が生え替わる時期で、首筋を撫でると少し毛が手につく。
「頼むぞ」
声をかけても、こちらを見もしない。
代わりに地面を一度蹴った。
早く行け、ということらしい。
3隊が別々に動き始めた。
最初の数時間は、以前の試験と大差がなかった。
速度を上げすぎない。
馬の呼吸を見る。
道が悪ければ間隔を開ける。
水を取る場所では、全員が同時に集まらない。
交換地点では、着いた順に馬を替える。
違うのは人数だった。
100人を少し超える1隊が動くだけなら、今の訓練兵にはもう珍しくない。
だが、その横で別の2隊も同じことをしている。
こちらが交換馬を使えば、別の地点でも同じだけ馬が必要になる。
こちらが飼料を食わせれば、向こうも食わせる。
速く動く兵を増やすということは、馬と飼料と水も一緒に増やすということだった。
第1の交換地点へ入る。
俺はトラウムから降りた。
今回はここで替える。
前の試験では、この馬自身の長距離性能も見たかったから最後まで乗った。
もうその必要はない。
トラウムが長距離に向いていることは何度も記録に出ている。
むしろ今日は、俺だけ特別に1頭を乗り通した方が試験から外れる。
馬丁が手綱を取った。
トラウムは一度こちらを見たあと、おとなしく連れていかれた。
昔なら知らない相手が急に手綱を取れば首を振っていたのに、こういう交代にも慣れた。
……少し寂しい気もする。
次の馬へ乗る。
名前は記録で見たことがある。
長距離成績も悪くない。
ただ、乗ったのは初めてだった。
最初の数分は歩幅が合わない。
トラウムより少し背が高い。
首の位置も違う。
これも必要なことだ。
高速機動部隊を作るのに、全員へ自分専用の名馬を用意するわけにはいかない。
馬が替わっても走れる兵でなければ意味がない。
再び道へ出た。
午後に入る頃、最初の連絡騎が追いついてきた。
東隊からだった。
馬を寄せ、中央隊の指揮官へ紙を渡す。
内容を横から覗くことはしない。
指揮官が読んだあと、こちらへ見せた。
東側の道で泥の深い区間があり、予定より遅れている。
ただし迂回するほどではない。
そのまま進行。
これだけだった。
「どのくらい遅れそうです?」
俺が聞く。
「今のところ半刻までは行かないでしょう」
「なら、こちらは変えなくてよさそうですね」
「はい」
それで終わった。
昔の俺なら、ここで地図を開き直していたかもしれない。
東が遅れる。
なら中央を少し落とすべきか。
西を待つべきか。
連絡を増やすべきか。
でも今回は、同時到着が目的ではない。
東が少し遅れたからといって、中央まで遅くする理由はない。
そこまで確認して、後は指揮官へ任せた。
さらに進む。
川へ近づくにつれて、道沿いの土地が低くなった。
春の水を含んだ地面は柔らかい。
街道そのものは通れるが、脇へ外れると馬の脚が沈む場所がある。
ここで重い砲を引けば、かなり速度が落ちるだろう。
こちらが軽いから速い。
その当たり前のことを、実際の道を見るとよく分かる。
高速機動部隊へ普通の野戦砲をそのまま付ければ、たぶんこの速さは消える。
何でも持っていける部隊にはできない。
できないからこそ、何を先にやるのか決める必要がある。
前方から、別の連絡騎が来た。
今度は演習全体の監督側だった。
中央隊の指揮官が紙を受け取る。
顔が少し変わった。
「敵役砲兵が橋へ向かっています」
地図を開く。
予定より早い。
俺たちが先に橋へ着く想定は変わっていないが、余裕が減った。
西隊からの連絡はまだない。
東隊は少し遅れている。
中央だけなら、橋へ向かうのが一番早い。
指揮官は少し考えたあと、
「このまま橋へ進みます」
と言った。
俺は頷いた。
速度が少し上がる。
無理に走らせるほどではない。
最後に馬を潰して着けばいい試験でもない。
前の兵が間隔を広げ、街道上の流れが速くなった。
川が見えたのは、それからしばらくしてだった。
まだ橋は遠い。
その手前で、魔力の動きが見えた。
敵役の前衛だ。
「来ます!」
声が飛ぶ。
俺も身体を少し低くした。
訓練用とはいえ、攻撃魔法はまともに受けたくない。
前方でこちらの兵が散る。
1発。
2発。
土手と街路樹を使いながら距離を詰める。
馬上のまま撃ち合う者もいるが、全員がそうするわけではない。
俺たちの目的はここで敵役を倒すことではない。
前衛へ釣られて時間を使えば、その間に砲兵役が橋へ入る。
中央隊の指揮官も同じ判断だった。
「前へ出るのは2組だけ! 残りは橋へ!」
号令が続く。
上位の命令を、それぞれの組を率いる者が自分の兵へ流していく。
俺も橋へ向かう側に残った。
横目で、2組が敵役へ向きを変えるのを見る。
あれで十分だ。
前衛役がこちらを追えば、その2組が受ける。
追わなければ、こちらはそのまま橋へ行く。
橋まで残り数キロ。
向こうの道にも土煙が見えた。
砲兵役だ。
大砲を引く馬がいる。
こちらよりずっと遅い。
それでも、もう近い。
「先頭、下馬準備!」
指示が飛んだ。
橋の近くへ一番に入った組が馬から降りる。
馬は後ろへ下げる。
橋の周りで馬ごと固まれば、撃たれた時に面倒になる。
俺も降りた。
交換馬で来た脚はまだ残っている。
それでも長時間馬に乗った後なので、地面へ足を着いた瞬間だけ膝が重い。
身体強化を薄く使う。
走れる。
橋のこちら側には低い石積みがあった。
そこへ数人が入る。
別の兵が橋の入口へ出る。
遠くから魔法が飛んできた。
石積みに当たり、散る。
こちらも撃ち返す。
距離がある。
当てることより、相手を自由に動かさないための射撃だ。
「右!」
声に反応して身体を沈める。
別方向から来た1発が頭上を抜けた。
防御へ魔力を回す前に、石積みの陰へ入る。
遮蔽物があるなら使えばいい。
何でも魔法で受ける必要はない。
すぐ横で、中央隊の指揮官が地図を広げた。
「砲兵はこの道です。橋へ入る前に止められます」
そこへ連絡騎が飛び込んできた。
東隊から。
紙を読む。
指揮官の眉が上がる。
「東隊、街道分岐へ向かっています」
「橋じゃなく?」
思わず聞いた。
「はい」
理由も書いてある。
東隊は途中で、敵役の小部隊と砲兵護衛らしい動きを確認した。
そのまま橋へ寄れば、橋のこちら側で中央隊と重なる。
それより北の分岐を押さえれば、砲兵役が別路から橋へ回り込む道と、敵の増援経路の両方を切れる。
判断したのはコンラートだった。
俺は地図を見た。
確かに、その方がいい。
少なくとも今の状況なら。
「命令変更は出していませんよね」
「出していません」
中央隊の指揮官が答えた。
俺は少し笑った。
やるな。
橋へ来い、と最初から固定されていたわけではない。
目的は橋と街道分岐をこちらの作戦に使える状態で押さえること。
なら、東から来た隊が分岐へ行くのは間違っていない。
むしろ、全員が同じ橋へ集まるよりいい。
敵役の砲兵がさらに近づいた。
訓練監督から合図が上がる。
砲兵役が一定の位置まで入れば、「展開開始」と判定される。
その前にこちらが有効な射撃位置へ入れるか。
橋の横にある小さな高みへ兵が走る。
俺もついていこうとしたところで、中央隊の指揮官が先に別の組へ指示を出した。
一瞬、足が止まった。
……俺が行く必要ないな。
別の組がもう動いている。
俺は石積み側に残った。
数年前なら、自分が一番先に行きたかったと思う。
今でも行きたくないわけではない。
正直、行きたい。
ただ、国王が毎回一番危ない位置へ行くのは間違いなく正しくない。その観点でいえば、前線にいる時点でもう間違ってはいるのだが。とはいえ、俺が始めた部隊でもあるし、あくまでも訓練ということで、多少無理を言って参加させてもらっている。
高みへ入った兵から攻撃魔法が飛ぶ。
砲兵役の前方にいた敵兵が防御へ回った。
その瞬間、橋正面から別の射撃が重なる。
演習監督の旗が上がる。
砲1門が「戦闘不能」の扱いになった。
残る砲は方向を変えようとする。
重い。
馬を外し、砲を据え、向きを変える。
そこへこちらの兵がさらに距離を詰める。
砲兵役には護衛がいる。
当然、簡単には近づけない。
魔法射撃が飛び交う。
防御。
遮蔽物。
短い突進。
止まって撃つ。
また動く。
俺も1発撃った。
相手が防御した。
その間に別の兵が前へ出る。
さらに右側から味方が重ねる。
1人の強い魔法で全部を壊す戦いではない。
相手がこちらを見る。
別の方向から撃つ。
相手が防御へ回る。
その間に位置を変える。
それを繰り返す。
やがて、2門目の砲にも戦闘不能判定の旗が上がった。
その時、北側から別の旗が見えた。
分岐側。
東隊だ。
そこでも戦闘が始まっている。
距離があるので細かい動きは見えない。
ただ、こちらへ来ようとしていた敵役の一部が、北へ向きを変えたのは分かった。
コンラートの隊が分岐を取ったことで、相手も無視できなくなった。
橋と分岐。
2か所を見る必要が出た。
中央隊だけで橋を守るより、ずっと楽になる。
「西隊から連絡!」
今度は西側。
予定より少し遅れたが、こちらも近い。
隊長の指示を受け、橋の西側へ回るという。
全隊が同時ではない。
最初から完全に連絡が取れていたわけでもない。
それでも、3つの隊が1か所へ重なって渋滞することなく、それぞれ使える場所へ入った。
演習の終了を告げる角笛が鳴ったのは、日がかなり傾いてからだった。
俺はその場へ座り込みたい衝動を少しだけ我慢した。
国王だからではない。
泥の上へ直接座ると、後で服が面倒だからだ。
結局、石積みに腰を下ろした。
同じようなものだ。
息を整える。
腕が重い。
脚も重い。
だが、以前より身体は少し楽だった。
単純に俺自身が成長したのもあるだろう。
それ以上に、今回は走り方が違う。
全部を自分でやらなかった。
交換馬を使った。
必要以上に戦わなかった。
部隊が分担した。
兵だけではなく、人の使い方も前より良くなっている。
「陛下」
声に顔を上げる。
コンラートが歩いてきた。
服の裾に泥がついている。
俺よりひどい。
それだけで少し気分がいい。
「分岐へ行ったな」
「橋へ行っても混むと思いましたから」
「敵が見えてたんだろ」
「見えてました」
「追わなかった?」
コンラートが少しだけ笑った。
「追ったら、昔みたいに怒られますよ」
以前の試験で、こいつは側面へ回る判断自体は良かったのに、後ろの2騎を離して指摘された。
俺も隣の組を見るのが遅いと怒られた。
覚えているらしい。
「それだけ?」
「砲兵が橋へ向かっているなら、護衛の前衛を追うより、その砲が通る道を取った方が早いでしょう」
さらっと言う。
こういうところだ。
俺も地図を見れば分かる。
説明されれば納得できる。
でも、馬で走りながら敵役を見つけた瞬間に、その場で迷わず選ぶなら、やっぱりこいつの方が速い。
少し腹が立つ。
「いい判断だった」
後ろから低い声がした。
ゲオルク・ブレンナーだった。
若い頃からほとんど変わらないように見えていたが、もう50を越えている。
近くで見れば、髪にも年齢が表れていた。
それでも立ち方は崩れていない。
「ただし」
ほら来た。
コンラートの表情が少し固くなる。
「分岐へ向かうと決めた後、後続への伝達が一度遅れています。先頭だけ向きを変え、後ろが元の道へ入りかけた」
「……はい」
「判断が正しくても、伝わらなければ部隊は2つに割れます」
「分かりました」
俺は黙って聞いた。
笑うのはやめておく。
たぶん俺にも何か来る。
ゲオルクの視線がこちらへ移った。
「陛下」
やっぱり来た。
「はい」
「橋へ着いた後、高みへ御自身で行こうとされましたな」
見られていた。
「途中でやめました」
「やめられました」
そこは認めてもらえたらしい。
「陛下御自身が強いことと、陛下が行く必要があることは別です」
「分かっています」
「分かっていて身体が先に動くうちは、まだ行動まで徹底できているとは言えません」
言い返せない。
コンラートが横で黙っている。
絶対に少し面白がっている。
見ると目を逸らした。
後で覚えてろ。
講評はその場では終わらなかった。
各隊の指揮者が集まり、時刻と位置、受けた連絡、出した命令を順に確認する。
誰が何人倒したかはほとんど話題にならない。
どこで馬を替えたか。
どの道で遅れたか。
東隊への連絡が何分遅れたか。
西隊が橋の西へ回った時、中央隊との合図が重ならなかったか。
砲兵役が展開を始める前に、どこまで近づけたか。
橋を確保した後、もし本物の敵がさらに1000人来たらどうするか。
最後の問いに、1人が答えた。
「保持できる時間を見て後退します」
「何のために?」
「主力が来るまでの時間を稼ぐためです」
隊長が頷く。
そうだ。
この数百人だけで戦争を終わらせるわけではない。
要塞を正面から落とせる部隊でもない。
重い砲を大量に持っているわけでもない。
食料を何週間分も運んでいるわけでもない。
できることは限られている。
だから速い。
先に着く。
橋を取る。
道を押さえる。
敵の砲が据えられる前に場所を奪う。
その後は、本隊が来なければ困る。
夜営場所へ移る頃には、空が暗くなり始めていた。
荷物は少ない。
兵1人が持つものも、普通の長距離行軍より絞ってある。
今日中に必要な食料。
水。
防寒になる最低限の装具。
武器と手入れ道具。
それ以外の荷物は、別に遅れて来る。
何でも一緒に速く運ぼうとしない。
これも何年かかけて覚えたことだった。
兵が夕食を取るより先に、馬へ飼料が出された。
鞍を外し、脚を見る。
汗を拭く。
水を与える。
飼料を出す。
交換地点に置いてきた馬についても、担当から記録が回ってくる。
馬を大量に使えば、その分だけ食う。
当たり前なのだが、数字にすると笑えない。
人間よりずっと食う。
俺は給養担当から渡された記録を見た。
「こっちは兵の分?」
「はい」
別の紙には、人間側の食事が書かれている。
この部隊では、ここしばらく、訓練量に合わせて食事量も見直していた。
普段の訓練なら肉や乳、豆も使う。だが今日は、翌朝まで野外で動く前提の演習だ。食わせたいものだけではなく、持ち運べて、途中で傷みにくいことも考えなければならない。
王領の倉で捨てる穀物が減り始めた分、こうした限定部隊へパンや穀物を十分に回す話は以前より組みやすくなっていた。豆も運びやすい。肉は保存の利くものを使う。
カブを牛や羊へ回す試みも進んでいるが、それが軍へ回せる肉の量にまでつながるには、まだ時間がかかる。
訓練量が多い日に食事まで軽くすれば、体重が落ちる。
前世なら当たり前の話だ。
筋肉をつけたいのに食わない、というのは意味がない。
だが、軍の食事となると、自分1人の筋トレほど簡単ではなかった。
1人なら食べる量を増やせばいい。
数百人なら、それを毎日集めて運ばなければならない。
今日はまさに、その条件も含めて試している。
そして馬はその横で別に大量の飼料を食う。
「今日の分は足りましたか」
「兵の分は予定内です」
給養担当が答えたあと、紙を1枚めくった。
「馬の方は、第2交換地点で少し余裕がありませんでした。これ以上頭数を増やすなら、同じ場所へ集めるのは難しいかと」
やっぱりそっちか。
人を増やす前に馬で詰まる。
「別の場所へ分ける?」
「それが一番簡単です。ただし、交換地点が増えれば管理する人員も増えます」
「飼料も分かれますね」
「はい」
どこまでもついてくる。
速さはただではない。
馬を余分に置く。
飼料を先に運ぶ。
水を確保する。
道を知る。
人を置く。
それを全部やって、初めて今日の速度になる。
だから、どこへでも突然80キロ走れる軍が出来たわけではない。
準備した場所ほど速い。
準備していない場所では、普通の軍に近づく。
むしろ、その限界ははっきりしていた方がいい。
「兵の食事の記録はどうです?」
「今のところ、訓練を続けながら体重を大きく落とす者は減っています」
それなりに食事改革も順調そうだ。
高い負荷をかけるなら、その分だけ食わせて休ませる。
「食事だけ別に記録しないでください」
俺は言った。
「訓練量と一緒に見たい。翌朝動けたか、体重が減っていないか、病気で抜けた日数、怪我で休んだ日数も」
「承知しました」
前世の知識があるからといって、ここで栄養学の講義をするつもりはない。
俺だって、必要な栄養素を何グラム取ればいいかなんて正確には知らない。そもそもこの世界では、その料理にどれくらいの栄養素が含まれているかなんてものも分からない。
分かるのはもっと大雑把なことだ。
身体を使う。
食う。
休む。
また使う。
それを続ける。
あとは、この世界で手に入る食料と保存方法と金の範囲で詰めていくしかない。
夕食を食べた。
訓練後なので腹が減っている。
豆の煮込みに塩漬けの肉、黒パン。
豪華ではない。
でも量はある。
隣に座ったコンラートは、俺より先に1皿空けていた。
「早いな」
「陛下が遅いんですよ」
「腹は減ってるんだけどな」
「それなら、書類仕事の前に食べれば良かったんじゃないですか?」
「それはそうなんだが、後回しにする気にもなれなくてな」
公の場なので、呼び方は陛下のままだ。
それでも口調は昔とあまり変わらない。
俺は残っていたパンをちぎった。
「お前、明日の朝動けなかったら笑うからな」
「陛下こそ」
「俺は動く」
「僕も動きます」
こんなところも昔と変わらない。
翌朝。
起きた瞬間、腿が重かった。
動けないほどではない。
立つ。
屈伸する。
肩を回す。
右肩も問題ない。
18歳の頃、疲れると最後の射撃で肩が上がるとゲオルクに指摘された。
あれからも直してきた。
完全に消えたわけではないが、自分でも疲れた時に分かるようにはなった。
外へ出る。
兵も起き始めていた。
昨夜より動きが遅い者はいる。
足を引きずるほどではない。
馬の方では、担当が1頭ずつ脚を見ている。
今日使うのは、昨日最後に乗った馬だけではない。
交換地点から夜の間に移した馬もいる。
これも、人間より面倒だ。
兵が元気でも馬が使えなければ騎兵は動けない。
朝の再行動判定が始まった。
短い騎乗。
下馬。
射撃。
防御。
装備を持って移動。
昨日ほど長くはない。
目的は、全力を出させることではなく、今日また任務を与えられる状態かを見ることだ。
俺も参加する。
最初の射撃。
当たる。
次。
問題ない。
防御へ切り替える。
身体が少し遅い。
それでも間に合う。
脚へ身体強化を乗せて走る。
昨日より重い。
だが動く。
周囲を見る。
同じだ。
全員元気、ではない。
途中で外される者もいる。
昨日の移動で馬に当たった脚が腫れた者。
腰を痛めた者。
熱のある者。
それでも、大部分は動いている。
120人だった頃と違うのは、人数だけではなかった。
あの時は、1隊が翌朝もう一度動けた。
今は3つに分かれて動いた数百人が、それぞれ別の場所で戦い、夜を越して、また部隊として組み直せる。
角笛が鳴る。
判定終了。
全体指揮官の前へ報告が集まった。
数字を読み上げる。
再行動可能人数。
馬の状態。
交換地点での遅れ。
食料。
飼料。
連絡。
大きな故障はない。
完全でもない。
東隊は泥で遅れた。
分岐へ向きを変えた時、後続への伝達が遅れた。
第2交換地点は馬の飼料に余裕が少ない。
西隊は最後の連絡が遅れた。
中央隊も橋へ急ぐ途中で間隔が崩れた組がある。
直すところはいくらでもある。
それでも、全体指揮官は報告を読み終えると顔を上げた。
「実用にできます」
周囲が静かになった。
「複数隊へ分けても、共通の目的を与えて動かせる。到着後に戦える。翌日も大部分が再行動できる」
そこで一度、地図を見る。
「同じ速度を出すには、交換馬と飼料、水、それに通る道の準備が必要です」
「交換馬と飼料を置いた経路なら、数百人を先に送り込める。今日確かめたかったのはそこです。準備できる経路を増やしましょう」
俺は答えた。
隊長が頷き、続けた。
「もう一点。今日の結果は、この装備量だから出せたものです。砲と弾薬車を同じ隊列へ入れれば、同じ速度にはなりません」
「なら、砲は後から来ればいい。先に橋と街道を押さえる。そのために、この数百人を使います」
全体講評が終わったあと、しばらく訓練場に残った。
兵は撤収を始めている。
馬は順に引かれていく。
給養担当はもう次回の交換地点について話している。
指揮官たちは地図を囲み、東隊が分岐へ向きを変えた時の連絡方法を確認していた。
コンラートもその中にいる。
俺のところへ来る気配はない。
自分の隊の話をしている。
3年前に試験した時、俺がいなくても軍が続けられる形にしたいと思った。
今はもう、その段階も少し過ぎている。
俺がいなくても走れる、ではない。
俺が関与しなくても、軍の中だけで上手く回り始めている。
そっちの方が大きい。
俺が考えた通りに全員が動く軍ではない。
俺が何をしてほしいかを示せば、そのためのやり方を軍人が考えられる軍。
たぶん、必要なのはそっちだ。
……とはいえ。
地図を囲んでいるコンラートを見る。
今日の判断では、あいつの方が上だったと思うと、やっぱり少し悔しい。
今度、剣の訓練で勝とう。
国王としてはかなり小さい結論だが、俺個人としては重要だ。
そう思いながら立ち上がる。
脚が痛い。
明日にしよう。
今日はたぶん負ける。




