第27話
冬に入ってから、父上が朝の政務に遅れることが増えた。
最初に気になったのは、ある朝、カスパルが俺の部屋へ直接来たときだった。
俺はちょうど朝食を終えたところで、ルーカスが机の上を片づけている。窓にはまだ薄く霜が残っていた。
「殿下。陛下から、本日の財務報告はこちらで受けてほしいとのことです」
「父上は?」
「今朝、居室から執務室へ向かわれる途中で、一度お休みになりました。息切れがなかなか収まらなかったため、医師が今日は遅らせるようにと」
俺は立ち上がりかけた。
「今は?」
「落ち着いておられます」
それなら、走っていく必要はない。とはいえ、そのまま仕事を始める気にもならなかった。
「先に父上のところへ行く。財務はそのあとで」
「承知しました」
父上の居室へ行くと、母上もいた。父上は寝てはいなかった。窓際の長椅子に腰掛け、膝に毛布を掛けている。
俺を見るなり、少し眉を上げた。
「カスパルめ。もう知らせたか」
「知らせますよ。途中で座り込んだ王様を黙っておく方が無理でしょう」
「座り込んではいない。椅子に座っただけだ」
母上が横から言った。
「廊下に置いてある椅子へ、普段使わない人が座れば十分です」
「ほら」
俺が言うと、父上は俺と母上を交互に見た。
「最近、味方が減ったな」
軽口を返せるくらいには元気らしい。そのことには少し安心した。ただ、顔色は良くなかった。声も普通に聞こえるのに、何文か続けて話すと一度口を閉じて呼吸を整える。以前にはなかった。
「今日は休んでください」
「午前はな」
「午後もでしょう」
「それは午後に決める」
母上が何か言いかけたので、俺は先に聞いた。
「財務は俺が受けます。ほかは?」
父上は少し考えた。
「昼の謁見はそのまま。午後の商務報告はカスパルに一度整理させろ。急ぐものがあれば持ってこい」
「分かりました」
「お前も全部抱えるなよ」
「父上に言われたくありません」
今度は父上が鼻で笑った。途中で咳が一つ混じり、母上の目がすぐにそちらへ動く。父上は気づかないふりをしている。俺も何も言わなかった。
その日の財務報告には、冬の道路補修についての案件が含まれていた。
雪そのものより厄介なのは、凍ったり溶けたりを繰り返した道だった。王都近郊でも轍が深くなった区間があり、春まで放置すると荷車が通りにくくなるという。担当官は3か所の補修を予定していたが、人手と砕石を同時に回せるのは2か所までだった。
「この道は市場へ入る荷車が多いんだよね」
「はい。もう一方は王領の穀倉地帯へつながっています」
「3つ目は?」
「利用は少なめです。ただ、放置すれば春先にかなり傷むかと」
俺は地図を見た。どれも直した方がいい。それは分かっている。
「先にこの2本。3つ目は応急で穴だけ埋めて、春の予算が動いたら本修繕に回してください」
「承知しました」
担当官が書類を閉じる。それで終わった。次は薪の備蓄、その次は地方役所の欠員補充だった。
夕方になって父上の様子を見に行くと、結局、昼の謁見には出たらしい。
「休んでくださいと言いましたよね」
「午前は休んだ」
「そういう問題ですか」
「そういう問題だ」
母上に聞かれたら、また怒られるぞ。そう思ったが、口には出さなかった。
翌日も、その次の日も、父上は朝から執務室にいた。あの朝だけなら、俺も深く考えなかったと思う。だが、その冬は同じようなことが何度か続いた。
朝の会議を欠席する。昼前には切り上げる。一日働いた翌日に長く休む。何日か元気に動いたと思えば、次の日には廊下を歩いただけで息を切らす。医師は休息を増やすよう言った。父上は分かったと言い、その翌週には予定を増やそうとして母上に止められた。
俺のところへ来る仕事も少しずつ増えた。
ある日、カスパルがいつもより厚い束を置いた。
「これは?」
「本日分です」
「多くない?」
「陛下へお持ちしていた分の一部も入っています」
めくってみると、道路工事の実施確認、地方官から上がった裁可申請、既に予算が付いている倉庫改修、役人の欠員補充、去年決めた灌漑工事の資材変更と、見たことのある種類ばかりだった。
「これも俺が?」
「陛下から、殿下に回してよいと」
「分かった」
それでもカスパルは帰らなかった。
「まだ何か?」
「1件だけ。西部から来る使節との面会ですが、陛下は殿下に任せるとのことです」
「何の話?」
「既存の通行許可の確認です。新しい要求は来ておりません」
「なら会います」
「昼食後の早い時間で組みます」
カスパルはそこでようやく出ていった。
俺は机の束を見る。王太子になってから仕事は増え続けていた。それでも以前は、父上の仕事の横で自分の担当を持っている感覚が強かった。
最近は少し違う。父上がやるはずだった仕事が、普通の顔をして俺の机に混じっている。役人もいちいち説明しなくなったし、俺も、いつからそうなったのか正確には覚えていない。
冬の終わり頃、父上が乗馬へ出なくなった。
父上は昔から馬に乗るのが好きだった。政務の合間でも時間が取れれば外へ出る。俺が子どもの頃には、何度か一緒に王領まで行ったこともある。
最初に予定を取りやめた日は雪が残っていたので、天候のせいだと思った。その次は晴れていた。
厩舎の前を通ったとき、父上の馬がいつもの場所にいた。
「あれ。父上、今日は乗らないの?」
俺が厩務の者に聞くと、相手は少し困った顔をした。
「本日はお休みになると伺っております」
それからしばらくしても、父上が騎乗したという話を聞かなかった。
夕食の席では、ハインリヒがその変化を一番気にしていないように見えた。
「父上、食べないならそれください」
皿に残っていた焼いた林檎を指差している。
「お前は今食べただろう」
「まだ入ります」
「見れば分かる」
父上は自分の皿をハインリヒへ押した。母上が呆れた顔をする。
「甘やかさないでください」
「残すよりいい」
「そういう話ではありません」
ハインリヒは話を聞かずに林檎を食べている。マティルデが横から手を伸ばした。
「あ、一口」
「もうないよ」
「全部食べたの?」
「早い者勝ち」
「今のは父上のだったでしょう」
「もらったから僕の」
食卓の向こうで父上が笑った。その直後、少し咳き込み、笑い声が止まる。父上は手を上げた。
「大丈夫だ」
誰もすぐには返事をしなかった。
「本当に?」
ハインリヒが聞く。
「本当にだ。食べろ」
ハインリヒはしばらく父上を見てから、残っていたパンを口へ運んだ。
その夜は食事のあとに盤上遊びを始めたが、父上は途中で椅子の背へ深く身体を預けた。
「今日はここまでにするか」
ハインリヒが盤を見た。
「今やめるの?」
「続きはまたできる」
「明日?」
「明日は分からん」
「じゃあ駒そのままにしておいていい?」
母上が答えた。
「食卓なので駄目です」
「じゃあ写す」
ハインリヒは紙を持ってこさせ、駒の位置を書き始めた。父上はそれを少し眺めてから立った。
立ち上がる動作が前よりゆっくりだった。俺は手を貸そうか迷ったが、父上は自分で歩き出したので、そのまま見送った。
父上の体調について、俺は何度か医師から説明を聞いた。しかし、前世の知識があるからといって役に立つわけではない。
胸が悪いのか、肺なのか、別の何かなのか。俺は社会科教師であって医者ではない。ましてこちらには、前世の病院にあった検査機械も薬もない。
無理をさせない。疲れたら休ませる。食事と睡眠を取らせる。熱や咳が増えたらすぐ知らせる。医師から言われることを聞いていると、俺ができるのは結局その程度だった。
春になれば少しは良くなるのではないか。そんな期待は、雪と一緒には消えてくれなかった。暖かい日が増えても、父上の執務時間は元には戻らなかった。
ある日の昼前、俺は父上の執務室へ呼ばれた。カスパルもいる。机の上には数枚の書類が置かれていた。
父上は俺が座るのを待ってから言った。
「仕事の流れを変える」
俺は書類を取った。これまで父上のところへ一度集めてから俺へ回していた案件の一部を、最初から俺の決裁へ送る内容だった。
「今もほとんどそうなってません?」
「だから決めておく。私が出たり休んだりするたびに、役所が送り先を変えるのは面倒だ」
カスパルが口を挟む。
「確認を1つよろしいでしょうか」
「言え」
「地方官の任期が切れる場合です。短期間の継続任用は殿下の決裁、新任は陛下へ、でよろしいですか」
父上は少し考えた。
「それでいい。ただし長期延長は新任と同じ扱いにしろ」
「承知しました」
カスパルが書き込む。
「外国使節については?」
「今ある約束の確認や実施ならレオン。新しい条約を結ぶ話になれば私だ」
俺は紙をめくった。
「税も?」
「今ある税を徴収する方法の細かな変更まで私に持ってくるな。新しく取るなら持ってこい」
「兵は?」
「訓練日程を変える程度で私を呼ぶな」
「徴兵を増やすなら?」
「呼べ」
病気の相談をしているようには見えない勢いで答えていく。ただ、以前ならこういう話を長く続けても平気だった父上が、途中で一度水を飲んだ。
「ほかはカスパルと詰めろ」
父上が言った。
「迷うものだけ持ってこい。何でも私に聞くな」
「元からそのつもりです」
「最近はそうでもないだろう」
思い当たる節はあった。父上が休むようになってから、逆に俺は境目の案件を前より持っていくようになっていた。自分で決めて後から問題になるくらいなら、と考えた結果だ。
「……気をつけます」
「よろしい」
父上はそこで書類を閉じた。
「今日は終わりだ」
カスパルが立つ。俺も席を立ったが、父上はまだ座ったままだった。
「父上は?」
「少し休んでから戻る」
「母上には?」
「言うな」
扉の近くにいた侍従が視線を逸らした。
「もう伝わると思いますよ」
俺が言うと、父上は嫌そうな顔をした。
廊下へ出ると、カスパルが小さく息を吐いた。
「どうしたの?」
「いえ。陛下も殿下も、王妃陛下には勝てませんな」
「そこは俺を巻き込まないでください」
春の間、仕事はその形で回った。
朝一番に届く報告の量は増えたが、全部が難しいわけではない。むしろ大半は、決めてあることを進めるための判断だった。
雨で工事開始を1週間遅らせる。倉庫の屋根材が足りないので別の王領から回す。地方役所で病欠が出たので代理を置く。使節から確認された去年の協定内容に返答する。
1件ずつ見れば小さいが、放っておけば確実に止まる。
前世の授業では、こんな仕事を扱った記憶はほとんどない。教科書の年表からはきれいに消えるような仕事ばかりだが、毎日やってみると、それが国の大部分なのだと分かる。
もちろん、分かったからといって面白くなるわけではない。午後になると普通に疲れるし、署名が続けば手もだるい。同じ形式の報告書が3枚続くと、4枚目を読む気が一気に失せる。
ある日、俺が机の上で首を回していると、ルーカスが茶を置いた。
「少し休まれますか」
「あと2件」
「先ほどもそうおっしゃっていました」
「そのときは3件あった」
「減っておりますので、進歩ですね」
「うるさいな」
茶を飲む。少し冷めていた。
俺が仕事をする時間が増える一方で、父上が家族と過ごす時間も妙な形で増えた。
仕事を減らした分だけ元気になる、という単純な話ではない。夕方には疲れて部屋へ戻っている日も多い。それでも昼間に休めた日は、夕食には来る。
母上は父上が予定を増やそうとするたびに削った。
ある日、父上が日程表を眺めながら言った。
「午後に空白が3つもある」
「休む時間です」
母上が答える。
「こんなに?」
「必要です」
「2つでいい」
「3つです」
「せめて真ん中だけ――」
「3つです」
父上が俺を見た。助けを求めているらしい。
俺は皿に視線を落とした。関わらない方がいい。
「レオン」
「聞こえてません」
マティルデが吹き出した。
父上が「役に立たんな」と呟く。
その程度のやり取りができる日は、俺も少し気が楽だった。
春も半ばを過ぎた頃、母上から「今夜、少し残って」と言われた。
夕食のあと、父上と母上、それに俺だけが残った。何の話かと思っていると、母上がリューネンベルク家の名前を出した。
「ゾフィー嬢とのことを、そろそろ家同士の話に進めたいと思っています」
心の準備がなかったわけではない。むしろ、いつか来ると思っていた話だ。それでも実際に言われると、少し座り直した。父上がそれを見ている。
「15の頃には、まだ早いと言ったな」
「早いとは言ってません。もう少し本人を知りたいと言っただけです」
「同じようなものだ」
「違います」
母上が口元を押さえた。
父上は続ける。
「それから何年か手紙をやり取りした。今でも同じか?」
俺はすぐには答えなかった。
ゾフィーとは、これまで何度か実際に会って話している。最初の頃は互いにまだ子どもだったし、王族同士の顔合わせという空気も強かったが、手紙のやり取りを続けるうちに、会ったときの話し方や表情まで思い浮かぶようになった。
ゾフィーから来た手紙を思い出す。馬の話、兄の話、母親と出かけた町で、思ったより菓子が甘かったというどうでもいい話。俺が書いた王都の冬の話に対して、こちらより北ではもっとひどいと返されたこともあった。
恋文ではない。だから続いたのかもしれない。
「話を始めることには賛成です」
母上がうなずく。
「ゾフィー嬢本人にも、改めて意思を確認します」
「お願いします」
「そこは言われなくてもしますよ」
「念のためです」
父上がこちらを見る。
「家同士の都合だけなら嫌か」
「嫌というか……」
少し考える。
前世なら、家と家で結婚の話を始める時点で相当な違和感があったはずだ。だが、今の俺は王太子で、相手も選帝侯家の娘だ。そこだけ前世の感覚を持ち出しても仕方がない。
そのうえで、ゾフィー本人をどう思うかと聞かれれば答えはある。
「ゾフィーだから、話を進めてもいいと思っています」
口にしてから、妙に気恥ずかしくなった。
母上は普通にうなずいた。父上だけが少し面白そうな顔をした。
「何ですか」
「いや」
「その顔で『いや』は無理でしょう」
「成長したものだと思ってな」
「やめてください」
母上が父上を止めた。
「からかわないでください」
助かった。
数週間後、リューネンベルク家から返事が来た。ゾフィー本人も、正式な話を始めることに同意しているという。
婚約が決まったわけではないし、条件の話もこれからだ。ただ、次に届いたゾフィーの手紙を開くとき、いつもより少しだけ手が止まった。
文面は普段どおりだった。そのことに安心したような、少し残念なような。自分でもよく分からない。
春の終わりに、俺は19歳になった。
誕生日の夕食では、ハインリヒが「19って大人なの?」と聞いた。
「大人だろう」
父上が答える。
「じゃあ兄上はもう何でも自分で決めるの?」
「それは別だ」
「大人なのに?」
「大人でも勝手に決められないことはある」
ハインリヒは納得していない顔をした。
「面倒だね」
「その通りだ」
俺が言うと、父上が笑った。
初夏に入る頃、帝国内のある領邦との通商協定が更新時期を迎えた。
更新だけなら例年どおりで済む。ところが今回は、相手側から条件変更が付いてきた。
いくつかの品目について互いに関税を引き下げ、継続して取引している商人については保証の一部を軽くする。国境で行っている荷の確認も簡略化するという。
こちらだけが譲る話ではなく、相手も同じ条件を出している。最初に説明を聞いたとき、俺は悪くないと思った。
交易量が増えれば、関税率を下げても収入が大きく減らない可能性がある。商人の手間が減れば取引もしやすい。ただ、そのまま返事をするには気になることが多かった。
「対象になっている品目、国内では誰が作っています?」
俺が聞くと、商務担当の官吏が資料を探した。
「織物の一部と金属製品、それから加工革です」
「相手から入ってくる量は?」
「現在はこちらから出す方が多いですが、品目によります」
「関税を下げたら?」
「増える可能性はあります」
「増えた場合、国内ではどこに影響が出る?」
担当者が少し考えてから、該当する生産地と商人の名を挙げ始めた。
「そのあたりの取引量も出してください。それから、相手側がこちらの商品に本当に同じ条件を出しているかも確認を」
「はい」
保証の軽減についても気になった。
「未払いが出たときはどうするんです?」
「現行より回収は難しくなります。ただ、継続取引のある商人に限るため――」
「大口でも?」
担当者が止まった。
「……大口については、別途保証を残した方が安全かと思われます」
「その案もください」
数日後、資料が揃った。
相手の提案をそのまま受けた場合、関税だけ受けた場合、保証条件を限定した場合、こちらから別の条件を返した場合。数字を追ってみると、全部を受ける必要はなかった。取引を増やせる余地は欲しいが、こちらだけが先に負担を抱える形にする理由もない。
俺は、対象を絞ったうえで受ける案に決めた。関税引下げは相手側も同じ扱いをする品目に限る。保証軽減は継続取引の実績がある商人だけ。大口取引には追加保証を残し、国境の手続き簡略化も双方同じ条件にする。
「この案で返答文を作ります」
商務担当が言った。
「文案は作ってください。でも送るのは待って」
相手が首をかしげる。俺はカスパルを見たが、カスパルは何も言わない。
「父上に持っていきます」
「承知しました」
それだけで話は終わった。
翌日、父上のところへ資料を持っていった。
以前ならそのまま執務室へ行けばよかったが、今は先に時間を確認する。長話は避けてほしいと言われたので、資料はかなり削った。父上の机へ全部積んだら、読む前に嫌な顔をされる量だったからだ。
「少ないな」
父上が最初に言った。
「別紙はあります」
「やはりな」
「読みます?」
「必要なら」
俺は相手側の提案から説明した。
父上は途中で口を挟まずに聞いている。
「こちらの案は、対象を絞って受けます。関税は相互に同じ条件になる品目だけ。保証軽減は継続取引のある商人に限り、大口には追加保証を残します」
「国内で反対するのは?」
すぐにそこを聞かれた。
「織物と革で一部あります。全面引下げなら影響が大きいですが、この案なら今の取引量では限定的です」
「今の取引量では、か」
「増えた場合は別です」
「増えたら?」
「半年ごとに輸入量を追わせます。急増するなら次の更新前に対応できます」
父上が紙を見る。
「関税収入は?」
「取引量が変わらなければ少し減ります」
「増える前提で穴を埋めてはいないな」
「していません」
「保証を軽くするのは?」
「小口と継続取引中心です。大口は残します」
父上はそこで水を飲んだ。以前より間が長い。俺は待った。
「相手が途中で条件を変えたら?」
「こちらも同じ条件から外れます。相互条件として文面に入れます」
父上はしばらく資料を見ていた。
「これで返せ」
俺はうなずいた。
「はい」
「ただし、交渉中に相互条件が崩れたら、その場で飲むな。戻せ」
「分かりました」
「最終文は見せろ」
「持ってきます」
父上は資料を閉じ、それから少し疲れたように背もたれへ身体を預けた。
「ほかにあるか」
「今日はありません」
「本当か?」
「本当です」
「なら助かる」
父上がそんなことを言うのは珍しかった。
俺は書類をまとめた。
「休んでください」
「言われなくても休む」
「最近、その言葉は信用してません」
「失礼な」
扉を出る直前、後ろから父上の咳が聞こえた。振り返ると、もう侍従が水を持っている。俺はそのまま廊下へ出た。
カスパルが待っていた。
「いかがでしたか」
「この案で進めます。相互条件が崩れたら戻す。最終文は父上へ」
「承知しました」
歩きながら伝えると、カスパルは手元の紙を一枚差し出した。
「では、こちらもお願いします。北部王領の橋材について、予定していた石材が足りないそうです」
「今日?」
「明朝でも間に合います」
俺は紙を受け取った。
「じゃあ今日やる」
「承知しました」
執務室へ戻ると、ルーカスが昼食を置くところだった。
「また食べながらですか」
「今日はちゃんと座る」
「それは結構です」
椅子を引き、橋の報告書は机の端へ置いた。
先に食べることにした。




