第16話
王室牧場の記録を追ってから、数か月たった。
その間にも何度か記録を見に行ったが、やっぱり不便だった。
どうにかできないものか。
机の上に、前に取った3枚の控えを並べる。
1枚目には父馬と母馬、出生の時期、性別、毛色。2枚目には育成中の体調や怪我、飼い方を変えた時期、馴致で何があったか。3枚目には、どこへ移されたか。
本当は3枚では足りない。
王宮厩舎へ行ったあとのことまで追おうとすれば、向こうの記録も必要になる。今ここにあるのは、王室牧場で見せてもらった帳簿から、自分で必要そうなところを控えただけのものだ。
それでも、考えるには十分だった。
同じ馬について書かれているものを、1か所へ集める。
そうすれば見やすい。
単純な話だ。
新しい紙に、まず父馬と母馬を書く。その下に出生時期、性別、毛色と目立つ特徴。さらに育成中の体調、怪我、飼料を変えた時期、馴致を始めた時期、そのときの様子を書き込む欄を作った。
少し考えて、移動先を書く場所も足す。
これなら、1枚を見れば1頭のことが分かる。
分かる、はずだった。
書き始めるまでは。
「……多いな」
まだ実際の記録を全部写したわけでもないのに、すでに欄が足りなくなりかけている。
怪我だけでも1度とは限らない。体調だって同じだ。飼い方を変えるたびに書くなら、理由も欲しくなる。馴致も、始めた日だけでは意味がない。どう進んだのかも見たい。
見たい。
そこが問題だった。
俺が見たいものを全部入れようとすると、いくらでも増える。
同じ父馬から生まれた馬を並べてみたい。母馬が同じならどう違うのかも見たい。若い頃に扱いづらかった馬が、その後どうなったのかも気になる。王宮へ行った馬がどんな仕事に回ったかまで簡単に追えたら、かなり面白い。
いや、絶対に面白い。
今までだって記録はある。探せば分かることは多い。
ただ、ゴルデネや近い血統の馬を追ったときは、繁殖台帳を見て、育成の日誌を見て、引渡しの記録を見て、それから王宮側の記録を探した。
1頭だけならまだいい。
10頭、20頭と比べたくなったら、俺は何回同じ帳面を行ったり来たりするんだ。
前世なら、こういうときは電子化された記録から必要なものを検索して、見たい項目だけ並べれば済んだ。表の列を増やしすぎれば見づらくはなったが、紙を何冊も抱えて行ったり来たりする必要まではない。
もちろん、今はそんなものはない。
紙だ。
紙の上で、前世の便利さをそのまま再現しようとしている。
無理がある。
そう思いながらも、紙は捨てなかった。
まず、飼料を細かく書く欄を消した。次に、体調の変化を全部書く欄を消す。怪我も大きなものだけなら残したい気はしたが、どこからが大きいのかを決め始めると、それだけで話が増える。
そこも消した。
紙はかなりすっきりした。
けれど、これでいいのかはまだ分からない。
俺1人で使うだけなら、好きに作ればいい。使いにくければまた書き直せば済む。
牧場の仕事へ入れるなら、そうはいかない。
実際に帳簿を書く人がどう使うのかを見た方が早い。
翌日、ルーカスに王室牧場へ行ける日を聞いた。
「急ぎでなければ、3日後でしたら時間を取れます」
「3日後でいい。帳簿を見せてもらいたいんだ」
「前回と同じように、先方へ伝えておきます」
「ありがとう」
3日ある。
その間に、もう少しましな形にしておこうと思った。
ところが、ましにしようとするとまた欄が増えた。
馬名。父馬。母馬。出生時期。性別。毛色。見分ける特徴。今いる場所。以前いた場所。怪我。病気。飼養の変更。馴致。調教。扱いやすさ。
最後の方は、自分でも欲張っているのが分かった。
扱いやすさなんて、誰が書くんだ。
何をもって扱いやすいとする。成長すれば変わるかもしれない。
消す。
調教は日誌にある。
消す。
怪我と病気も日誌でいい。
消す。
それでも、紙の上だけだと判断が甘くなる。
自分で1頭分を書くだけなら、大した手間には見えないからだ。
問題は、これを何頭分も、普段の仕事をしながら使うことだった。
3日後、ゾンネンフェルト王室牧場で書記のところへ行き、持ってきた紙を見せた。
「1頭ずつ、こういう形でまとめたら見やすいと思ったんです。実際の帳簿と並べて試してみてもいいですか」
書記は紙へ目を通した。
「育成中の出来事も、こちらへ転記されるお考えでしょうか」
「最初はそのつもりでした。でも、全部入れると多すぎました。どこまで残せばいいのか、実際に1頭分やってみたいです」
正式な帳簿を作るわけではない。
今ある記録を使って、俺の紙へ試し書きするだけだ。
1頭を選び、繁殖台帳を開いてもらう。
父馬、母馬、出生の時期、性別、毛色。それから見分けるための特徴。
ここまでは早かった。
俺の紙にも、そのまま写せる。
「次は育成の日誌をお願いします」
別の帳簿が出てきた。
該当する馬の記述を探し、1つ見つける。
俺はその内容を書こうとして、手を止めた。
「これをこっちにも書いたら、同じことが2か所に残りますよね」
書記は日誌と俺の紙を見比べた。
「この紙にも育成中の出来事を残すのであれば、そうなります。以後も両方へ記すことになります」
やっぱりそうだ。
分かっていたつもりでも、実物を横に置くと嫌なところがはっきりする。
日々の記録には日誌がある。
日々のことを残すために書いているのに、俺が1頭ずつ見たいという理由で、同じことをもう一度書かせることになる。
しかも、書くのは俺ではない。
「じゃあ、ここは要らないですね。体調も、怪我も、細かい馴致も日誌に残す。こっちには写さない」
欄に線を引いた。
書記はうなずき、日誌の頁を押さえたまま待っている。
俺はもう一度、日誌に出てくる馬の記述を見た。
馬名だけで分かることもある。けれど別の帳簿へ移ると、父母や毛色、出生の時期まで見比べた方が確実だった。
前にもそれを何度かやった。
1枚に全部まとめるのが駄目なら、別のやり方がいる。
今の記録は、名前や父母や毛色を組み合わせて「同じ馬だ」と確かめている。
だったら、最初から同じ馬だと分かるものを付ければいい。
紙を裏返し、一番上に「001」と書いた。
前世なら、こういうのはID番号だ。
1度その馬に振った番号を、どの帳簿でも同じように使う。
それならいい。
「馬ごとに、ずっと変わらない識別番号を付けるのはどうでしょう」
俺は001を指した。
「繁殖台帳でも、育成の日誌でも、引渡し簿でも、同じ馬には同じ番号を書くんです。番号が同じなら、毎回父馬や毛色まで見比べなくても同じ馬だと分かります」
書記は繁殖台帳と日誌へ目を落とした。
「これから記すものへ番号を添えるのであれば、記入自体はできます」
その返事で、もう1つ足りないものに気づいた。
番号だけあっても、001がどの馬なのか分からなければ意味がない。
番号と馬を結びつける場所が必要だ。
「それなら、識別番号を管理する基本台帳も作ります」
新しい紙へ、必要なものだけを書き始めた。
識別番号。馬名。性別。出生時期。毛色と見分ける特徴。父馬と母馬。現在の所属。それから、大きく移されたときの履歴。
「本当に使うなら、1頭ごとに紙をばらばらにするより、1冊の台帳にして1頭1頁くらいでいいと思います」
書記は紙を見ながら聞いた。
「日々の体調や馴致は、こちらには記さないのですね」
「はい。それは今までどおり日誌です。基本台帳は、この番号がどの馬なのか分かればいい。詳しいことを見たければ、同じ番号を日誌や引渡し簿で探します」
やっと整理できた。
基本台帳は、馬のことを全部書く帳簿ではない。
識別番号と、その馬を見分ける最低限の情報を置く場所だ。
詳しい記録は今までの帳簿へ残す。
その間を、同じ識別番号でつなぐ。
これなら、父が同じ馬を何頭か追うときも楽になる。母が同じ馬でもいい。育成中に何があった馬が、その後どこへ移されたのかも探しやすい。
面白い。
かなり面白い。
「もう1頭、この形で試し書きしてもいいですか」
別の馬を選んだ。
繁殖台帳から基本情報を拾い、基本台帳の試作へ書く。
育成日誌は内容を写さない。該当する記述を見つけ、そこに同じ識別番号が付いていたらどうなるかだけを見る。
たしかに追いやすい。
ただ、別の問題もすぐ見えた。
書記が古い日誌を手にしたまま尋ねた。
「過去の帳簿にも、この番号を書き加えるのでしょうか」
「・・・全部は無理ですね」
答えながら、俺も日誌の厚みを見た。
昔の馬まで遡って識別番号を振り、古い日誌を全部確認して書き足す。
考えただけで嫌になる。
役に立つかどうかも分からない段階でやる量ではない。
全馬へ番号を付け、王宮厩舎でも軍でも同じ番号を使えたら理想ではある。
でも、最初からそこまで広げる必要はない。
「育成中の1厩舎だけにします。そこに今いる馬だけ、まず識別番号と基本台帳を作る」
話しながら、試す範囲も見えてきた。
「その馬たちは、出生情報を基本台帳へ入れるために繁殖台帳の当該行を確認します。そこには同じ識別番号を付ける。でも昔の育成日誌までは書き直さない。試行を始めた後、新しく日誌や引渡し簿へ書くときから同じ番号を使う」
書記はしばらく考えてから答えた。
「その範囲でしたら、今までの帳簿を全部直す必要はありません。ただ、実際に始めるなら、番号をどこへ記すかと、基本台帳を誰が更新するかは決めておく必要があります」
「そこも必要ですね」
基本台帳を作っても、所属が変わったのに誰も直さなければ、すぐ使えなくなる。
「毎日のことは今までの帳簿。基本台帳を直すのは、所属が変わったときみたいな大きな変更だけ。その担当は、試すなら牧場側で決めてもらう」
そこまで言ってから、俺は紙へ書き足した。
今日はここまででいい。
正式に仕事を変える許可は、俺にはない。
「実際に始める前に、父上へ申請します。今日は、これで仕事として無理がありそうかを見たかったんです」
書記はうなずいた。
「承知しました。試行されることになりましたら、記入位置と担当を決める必要があります」
牧場を出る前に、修正した紙を見直した。
仕組みは3つだけになった。
1つ目。馬ごとに、生涯変えない識別番号を付ける。
2つ目。その番号と馬を結びつける基本台帳を作る。
3つ目。繁殖台帳、育成日誌、引渡し簿は今までどおり使い、試行開始後の記録には同じ識別番号を添える。
ようやく、自分でも何を作ろうとしているのか分かりやすくなった。
王宮へ戻ると、申請用の紙へ書き直した。
対象は、王室牧場の育成中の1厩舎。
そこに現在いる馬だけ。
対象馬には識別番号を付け、基本台帳へ最低限の情報を記す。出生情報とのつながりを残すため、繁殖台帳の当該行にも同じ番号を添える。
昔の育成日誌までは遡って書き直さない。
試行開始後に新しく記す育成日誌や引渡し簿から、同じ識別番号を使う。
細かな体調や馴致は、これまでどおり育成日誌へ残す。基本台帳には重ねて書かない。
基本台帳は馬の入口。
詳しい情報は既存の帳簿。
識別番号が、その2つをつなぐ。
あとは、やった結果を見る必要がある。
試行開始後に記録が増えたとき、1頭を追う手間がどのくらい減るか。同じ馬だと確かめるために父母や毛色を何度も照らし合わせる必要が減るか。
その代わり、識別番号と基本台帳を増やしたことで、書く仕事がどのくらい増えるかも見る。
便利になった気がする、だけでは駄目だ。
俺は便利になると思っている。
かなり思っている。
というか、これで近縁馬を追いかけるのが楽になったら嬉しい。
そこは否定しない。
でも、俺が嬉しいのと、牧場の仕事として使えるのは別だ。
父上に見せる前に、もう一度読み返した。
王宮厩舎でも同じ識別番号を使えば、移されたあとまで追いやすい。
軍でも使えば、その先までつながる。
書きたい。
ものすごく書きたい。
でも、今回は書かなかった。
今頼みたいのは、1厩舎だけだ。
まずそこで使えるかを見たい。
父上へ面会を願い出ると、数日後に時間が取られた。
案を持って部屋へ入る。
父上は申請書を受け取り、最初から目を通した。
読み終えるまで、俺は黙って待つ。
「牧場では、もう始めたのか」
最初の質問はそこだった。
「いいえ。今ある帳簿を横に置いて、試し書きをしただけです。仕事として変えるのは父上の許可をもらってからです」
父上はうなずき、紙へ目を戻した。
「最初の案とは違うようだな」
「最初は、1頭ごとに全部の情報を集めようとしていました。でも、それだと育成日誌と同じことを2度書くことになります」
「だから基本台帳から日々の記録を外した」
「はい。基本台帳には、識別番号と最低限の情報だけです。詳しいことは今までの帳簿に残します」
父上の指が、試行範囲を書いたところで止まった。
「1厩舎だけにした理由は」
「全部に広げて役に立たなかったら、無駄が大きすぎます。昔の日誌まで全部直すつもりもありません。まず今いる馬だけで試したいです」
「基本台帳は誰が更新する」
「そこは牧場で担当を決めてもらう必要があります。ぼくが人を決めることではないので、申請には担当を決める必要がある、とだけ書きました」
父上はその先を読む。
「何を見て、使えると判断する」
「試行を始めて新しい記録が増えたあと、1頭を追う手間が減るかです。同じ馬か確かめるために、父母や毛色を何度も照らし合わせる手間も減ると思います」
「増える仕事は」
「識別番号を書くことと、基本台帳を作って更新することです。追う手間が減っても、そっちが増えすぎるなら意味がありません」
「なるほど」
父上はそれ以上すぐには何も言わず、もう一度申請書を最初から見た。
自分では、最初の案よりずっと良くなったと思っている。
でも、まだ実際には動いていない。
使えると思うのと、本当に使えるのは別だ。
父上は最後まで読み終えると、紙を揃えた。
「申請は預かる」
「はい」
申請書は父上の机の上へ置かれた。
さっきまで何度も書き直していた紙が、俺の手元からなくなる。
もう、思いついたところをその場で消して書き足せる段階ではなかった。




