第98話:VS竜骨鬼⑤
「ゲハハハハ! たまらんよなァ精霊使い。見直した、大いに見直したぞ。オマエは間違いなく強い!」
唾液と髄液が入り混じり、黒く濁った液体を撒き散らしながら、竜骨鬼の大口が開く。
口奥に斬傷を刻まれながらも苦悶は表さず、逆に嬉々として声高に吼え立てる。
口を抜けて首まで貫通した傷は極度に深いが、淀みなく動いていく巨躯からは、痛みの有無を感じられない。
負傷した事で一層に高揚したとも思える意識を荒声に乗せ、怪物は上体を捻った。尾骨が大地へ叩き付けられ、体重を掛けられると、二脚と合わせて身体の支えとした。この間で腰を基軸に上半身を捩り、全身のバネ撓めて力を溜める。
「強くなるために戦ってきたんだから、そうじゃないと困る」
正面ではマフユもまた次撃体勢を整えていた。右脚を踏み出して、左脚を退き置く。
前後に開いた脚の間で腰を落とすと、右腕一本で肩を引き、手首を捻り止める。握られた剛剣が半回転状に動かされ、今まで上方を向いていた刀身面が下に回った。
竜骨鬼と精霊使いは正対したまま異なる構えを取り、しかし視線だけは交え合う。
互いに負傷部からは諸々の液体を滴らせるが、揃って意に介した風もない。
動きを止め、微かにも変化を見せず、完全な静止状態を作る。
けれど違和感があった。
平原全体を包み、多くをひた隠す霧が、二者の周りにだけ存在しない。怪物と少女を円形に避けた一定範囲が、綺麗に全てを覗かせている。
赤と暗色の放射物に、頭から汚された草々。その彩りは複雑且つ奇妙な物で、闘者達の足元を異界の如くに演出した。
鮮やかというには毒々しい色合いまでも、余す事無く確認出来る。乳白色の散霧が無いからこその光景だ。漂う霧の蔽いは、怪物と少女の闘気に押されて退いたのか。
天から降る月光は、遮るものなき平原に落ちている。相対して睨み合う両者を、月明かりが静々と照らした。
対峙する者達から四方へ及ぶ空間に、全てを押し潰そうとする重苦しい圧迫感が満ちる。
一帯を占める緊張は極限まで張り詰め、身を切るまでの鋭さを秘めていた。二者が立つのは何の変哲もない草野なのに、漂う雰囲気は地獄の只中に等しい。
「勝負ッ!」
裂帛を以って吐き出された竜骨鬼の一言が、新たな動きの火蓋を切った。
下半身はそのままに、捻り上げていた上半身を引き戻す。限界まで絞られていた体が動き、左腕にある大鉈は前方空間へと一気に押し出されていく。
上体の移動に伴って、竜顔の眼窩で燻る焔が虚空に火線を引いた。大口からはけたたましい咆哮が昇り、大気と大地を揺り動かす。
「私は、勝つッ!」
怪物の一喝は、マフユにも攻撃行動を促す合図となった。
白衣が腰部を逆方向へ回し、今まで掛けていた力を余す事無く解き放つ。軽やかな衣は着用者の体動に合わせて恙無く進み、右腕が弾かれたように正面へと繰り出される。
藍瞳が真っ直ぐに見据える場所、迫り来る竜骨鬼の左腕と大鉈へ、剛剣は向かい飛んだ。
対面から突っ込んでくる骨と刃物を、小さな齟齬さえなく正確に捉え、直走る複合精霊の武装。両勢の接近は一拍の後、次には鉈と剣刃の先端が触れ合い、赤い粒子を瞬かせた。
爆ぜて散り落ちる鉄火が、夜闇に浮いて鮮烈な煌きを放つ。
空中で交わされた武器のかち合い、突き合いは、一呼吸分だけ拮抗を保った。が、すぐに崩壊の時は訪れる。
「ゲハハ、これは!」
マフユが用いる剛剣の進み、その威力こそが接敵を打ち負かす。
大刃は操者の運びに導かれ、程無く前進運動を再開した。
一方の大鉈は切っ先を砕かれ、刃先を砕かれ、剣身内部までも随時砕き壊されていく。加減無く突進する剛剣が大鉈を破り、刀身を中央から粉砕しながら柄本まで掘り進む。
破壊された刃は、大小無数の破片を空気中に拡散させた。それらは月光を反射して輝き、星に似た明滅を繰り返す。刃片の光が相互に絡まり、角度によっては虹色に見えた。
力負けした刃物は一瞬で破壊され、突き込まれる剛剣は続け様に柄をも打ち壊す。
更に止まらぬ剣動竜骨鬼がの手へと達し、赤茶けた掌に潜り込んだ。巨大な刀身が怪物の腕骨を斬り裂いて、内部筋肉を拉げさせつつ進み続けた。
「グオォォォ!?」
暗色の体液が外へ溢れ、叩き壊された筋肉の断片と骨の欠片が飛び散る。
液体と固体の混成物は方々へ舞い、マフユの着込む巫女装束へぶつかっては付着した。
穢れた粘液と赤茶の骨粉に、満遍なく汚される白衣の前面。少女はそれにも構わず右腕義手を動かし、全力を込めた一太刀で突き込み続ける。
「押し通す!」
生体組織の炸裂片が数を増す毎に、剛剣の行く先は奥へ移っていった。
怪物の左腕までもを食い破る刺突撃は、一向に速度を落とさない。当初の勢いそのままに前進を繰り返し、赤茶けた骨格と膨張した筋肉を揃って撃滅する。
原形留めず叩き壊された骨、線維と細胞を片端から刻まれる内肉、それらが宙空に極彩色の血華を咲かせ、えもいわれる臭気を交え噴く。
白い袖に覆われたマフユの義手が限界まで伸びきると、精霊集う剣は鋭利に過ぎる先端部を風の中へ届かせた。
何処までも突き刺す一撃が敵の肩を粉砕し、骨片と細肉と黒液を、一際大きく散り飛ばす。
竜骨鬼の腕は完全に失われ、後にはその痕跡だけが残されるのみ。




