第97話:VS竜骨鬼④
「ゲハ、ゲハハハハハハ! そうきたか、精霊使い! いいぞ、あれで決着がついてしまっては拍子抜けだからなァ!」
手首から先を失った自分の右腕、戦意を損なわず立ちはだかるマフユの姿。双方を順繰りに見やってから、竜骨鬼は快笑を迸らせた。
巨口を限界まで開き、烈牙を勢いよく上下させ、呵々大笑する。
度重なる猛撃に襲われながらも、マフユの意識は失われていなかった。
巫女装束が宿す豊かな防衛力に加え、下着の代わりに着用しているレオタード型の霊衣も大きな助けとなったためである。
サユキがマフユのために調達してきた高性能な守りの衣、この重ね着が蹴りや斬撃の致命的痛手を抑えてくれた。
明確な自我を保ったまま、彼女は戦闘不能を偽って無防備をさらしている。相手の防御を掻い潜り、確実に手傷を負わせられる瞬間へ備えて。
今までの言動から竜骨鬼が戦いに興奮と愉悦を感じていることは明白。好敵手として期待する相手が倒れたならば、その性分が故に勿体ぶったトドメの刺し方をするだろうと読み、息を殺してチャンスを待ったのだ。
それは獣が獲物を狩るため、決定的な好機が訪れるまで、じっと身を潜めているのと同じ。狩りを成功させるべく、必殺の機会を辛抱強く待つ行為に他ならない。
マフユは意識消失を模して牙を隠し、来るべき時を待ち続けた。そして遂に敵は懐へ自身を招き入れ、自ら攻防の要である一手を封じてくれる。片腕が使えなければ脅威は半減し、攻め手も対応が容易な形を取った。
精霊達の攻勢によって注意を逸らさせ、完全な認識の虚を作り、そこへ逆襲をかける。即座に振るわれた剛剣はマフユを捕えた事で塞がれる怪物の右手首を襲い、真横から綺麗に寸断した。
「勝つためなら手段は無用」
手首の離反によって自由を獲得したマフユは、正面から敵の姿を睨みつける。
次撃での撃破を決定事項として認識していたことで、突然の反撃により竜骨鬼は致命的な隙を生じさせていた。
左腕は硬直し、大鉈も空中で停止している。それは殆ど瞬間的なものでしかなかったが、マフユは千載一遇の好機を見逃したりはしない。
相手が動き出す刹那、真っ直ぐ伸ばした右手甲に分厚い刃を乗せ添え、左手を正面へと突き出す。義手が滑走路のように作用し、繰り出された剛刃を正確に走らせる。霧を貫き、空気を断ち、風を穿って突き進む一剣は、開かれていた怪物の口内へと滑り込んでいった。
「存分に喰らわしてやる」
巨大な刃が牙の群を越え、然したる抵抗もなく、暗黒色の洞穴へ沈んでいく。
腕力によって押し出される精霊剣は咽喉内へ届くと、骨壁を砕いて切っ先を進ませ、最奥にまで到達する。それでも活動停止を迎えず、更に先へと潜り続け、縦に連なる頚椎を突き崩した。
頭支骨の破壊によって、切断部からゲル状の髄液が溢れ出す。口腔の奥部で弾けた流液の漏れは、滂沱の川となって随所へ染み出していく。その最中を駆け抜ける剛剣が、最後の骨壁を食い破って、頭後より突き出てきた。
怪物の口を文字通り串刺しにして、精刃の切っ先が外気を打つ。
「ぞうでなぐでばな! ゲバ、ゲバ、ゲバ」
口内に剛剣を突き込まれ、深く貫通させられていながら、竜骨鬼は濁った声で笑い上げる。
異物の妨害によって聞き取り辛く、まともな言語化を果たさない。それでも底知れぬ愉悦に内心から震えている事だけは知れた。
苦痛や怯えは何処にもなく、単純な喜びこそが怪物から放たれる。
「ごごがらが、ぼんどうの、おだのじみだぁ! ゲババババババ!」
高らかな咆声に合わせ、上下に開いていた顎が閉ざされた。口内の牙列が精霊の刃を噛み、これを力尽くで押さえ込んだ。
閉口により剣を咥え、押すも引くも封じた後、竜骨鬼は左腕を再度動かす。
一度引いて肘を折り、骨下の筋肉が硬化するほど力を込め、即座に真っ直ぐ突き出してきた。骨指が握る大鉈は腕運のまま直進し、剛剣を動かそうと試みるマフユへ急接近する。
両腕に力を込め、腰を落として刃を引き戻そうとする少女。その左肩、先ほど攻撃された部位の中点へ鉈の鋭先が飛び込んできた。
限界まで高められた怪物の筋力は、得物の硬さと重さ、速度を加味した威力と相まって、霊衣の護りを突破する。
全力での突撃が大鉈を白衣へ減り込ませ、前撃を数倍する加圧によって引き裂いた。
鈍色の凶刃は衣の下にあった皮膚を裂き、脂肪を貫いて、肉を抉り、神経系と血管を断裂させ、骨までも圧壊させてしまう。
「ぐぅッ!」
竜骨鬼の口と同様、マフユの左肩後方からも鉈の切っ先が突き出した。
傷口からは鮮血が溢れ出て、直下の白を伝い流れ赤く染めていく。
マフユと怪物は互いを剣刃で刺し通したまま対峙し、藍色の瞳と暗い眼窩を空中で交差させた。
「だのじいなァ。ごれだ、おれざまがぼじがっだのば、ごれだ!」
「知ったことじゃない」
くぐもった重声を捻り出し、竜骨鬼が口角を吊る。
対するマフユは痛みを堪え、厳しい声調で言い捨てた。
それが合図ででもあったように、双方は全く同じタイミングで動く。
骨までが損壊した所為で使い物にならなくなった左腕を垂らし、マフユは右手で握り直した剛剣を引く。上下から押さえ込んでくる牙の合間を、厚刃は眩い火花爆ぜさせ逆進した。
一方で竜骨鬼の腕も大鉈を抜き戻し、吶喊部から赤血の糸を引かせていく。相手の攻撃力を奪う致命打が肩を離れ、破貫させた白衣から遠退いていった。
損傷箇所を塞ぐ鉈が失われた事で、少女の左肩からは粘ついた血液が一気に吹き出し始める。飛沫を上げて飛び散る血潮は、大地へ生える草々に降り注いで、諸々を赤く汚した。




