第96話:VS竜骨鬼③
「ハッハァッ、そぉイ!」
続け様、竜骨鬼の野太い左脚が地を離れ、勢い良くマフユの腹部を蹴り上げる。
骨格の下に犇く筋肉が膨張を遂げ、攻める為に凶暴化を果たした結果、先の尾撃以上の破壊力を獲得していた。この蹴撃が正確に白衣の中心を捉え、圧倒的な力と底無しの悪意、おぞましい殺意と融け合い打ち据える。
想像を絶する重圧と脚力が装束を凹ませ、内側に収められた人体さえも手酷い衝撃で侵す。蹴り込まれた少女は脚動に逆らうことが出来ず浮き上がり、地と足とが距離を取った。
人一人分の重量を無視し、霧中へ白と緋色を舞わせる。
「げほッ――」
「まさか、これで終わりだなどと言ってくれるなよ!」
激号の一喝が迸り、強風が霧を縦に裂く。大鉈を握った怪物の腕だ。
マフユを蹴り飛ばしながら、その傍らで最大の高みまで振り上げられた腕が、鈍く光る刃を一直線に叩き落す。その軌道上に存在するのは、巫女装束の少女。
尋常ならざる脚力によって空中に投げ出されたマフユを、必殺の呼気と共に怒涛の打ち下ろしが襲う。
蹴撃のダメージが多分に残る彼女は、自身へ迫る凶刃を察しても回避行動には移れない。出来た事といえば、精々が身を捩る程度だ。
「抗え抗え、命を絞って足掻いてみせろォ! ゲハハハハハ」
マフユのささやかな抵抗を嘲笑うように竜骨鬼の顎が開かれ、黒々とした深奥からけたたましい叫声が解き放たれる。
大気を盛大に揺さぶる豪笑へ、硬質な物体同士の激突音が重なった。
全速を以って繰り出された分厚い大鉈が、マフユの左肩へ命中する。編み込まれた霊子力が結びついて衣の断裂を防ぎ、人体への直接的な裂傷は阻んだ。しかしなめた鉈がそのまま下部防域を重々しく叩いて、打ち据えた後に走り抜ける。
半端ではありえない斬撃を受け、マフユの体は再び大地へと引き落とされた。背面から草原へと叩き付けられ、大きく一度だけバウンドする。そして重低音を伴い仰向けに倒れ伏した。
竜骨鬼の斬撃を浴びせ掛けられて尚、巫女装束は原型を保っている。並々ならぬ防御力で着用者を護り、その役割を果たしてみせたが、圧し掛かる衝撃の全てを絶えさせることはできなかった。超過分の威力は少女へと達してしまう。
「あちこちで異形を屠ってきた猛者ならば、もう少し愉しませてくれると思ったがなぁ。ちと期待しすぎたか」
伏して動かないマフユを見下ろし、竜骨鬼は牙を磨り合わせる。
暗色の眼窩を静止する少女へ定め、嘆かわしげに吐き捨てた。口腔から漏れ出る嘆息の中には、相対者へ対する落胆の色が強く浮かぶ。
そんな怪物は、今も剛剣を握ったまま放さないでいるマフユの左手、固く閉ざされた細指を見て一転。愉快げに口の端を吊り上げた。
「ゲハハハハ、これだけされて得物を手放さんとは! その闘志、戦意は見事見事。前言は一部撤回するとしよう」
武骨不作法な笑い声を吐き連ねつつ、竜骨鬼の右腕が伸ばされる。
怪物は大鉈を握ってまだ余裕のある手を繰って、倒れたマフユの頭を掴んだ。そのまま簡単に腕を持ち上げ、少女の身を引き摺り立たす。
異形の手によって強引に引き起こされても、マフユは何の反応も見せなかった。左手は固まったように剛剣を握っていたが、左右共にだらしなく垂らされている。連続した猛撃に晒され意識を失っているのか、微かにさえ動かない。その姿は生気のない人形のよう。
「昏倒しても体は戦いを諦めんか、その意気やよし。惜しむらくは俺様が強過ぎ、オマエが今一歩及ばなかったことよ」
物足りなさげにマフユの全身へ視線を這わせた後、竜骨鬼が左腕を引く。
左の大鉈を水平に構え、薄汚れた切っ先を顔の正面へ向けた。
突きを繰り出す姿勢で左腕を止めると、つまらさそうに溜息を吐く。もっとも、その吐息には熱狂的な興奮の残滓が、淡く含まれていたが。
「今夜一晩限りの命なのでな、再戦を期待してオマエを逃がすという選択肢もない。これで終わりだ」
尚も無反応な敵者へ鼻白みつつ、怪物はいよいよ左腕を押し出した。
骨指に握られた大鉈が真っ直ぐに標的へ走り、最後の一撃を加える。
その瞬前、一陣の突風が吹いた。意図された局所の風は猛烈な勢いで荒れ、これと同時にマフユの影から10本の触手が生え出す。
触手群はうねくりながら竜骨鬼の左腕に巻き付いて、それ以上の腕動を押し止めた。
真空の牙と思える程に鋭く雄々しく、それでいて流麗な舞い風。不可視の風刃が竜骨鬼の全身を苛み、たちどころに複数の裂傷を刻ませていく。
更に風が火の粉を運び、生まれた炎が燃える螺旋となって怪物を取り囲んだ。紅蓮の大火が風に巻かれて激しく噴き立ち、人外の魔を包んで焼く。容赦のない熱量に炙られ、たまらず怪物の首が振られた。
「うおおお、精霊どもの邪魔だてか!」
触手に攻め手を阻まれ、風と炎の乱撃が繰り返される中、新たな衝撃が竜骨鬼とマフユの合間を走り抜けた。
すると少女の体が自重に引かれて落ち、ブーツの足裏が大地を踏んで、自らの脚で支え立つ。そのまま白の袂を振って右手が動き、顔に掴まる赤茶けた手首を払い落とした。
鉈を握った怪物の手が、得物の重量に従って青草の上へと落下する。手首より先は竜骨鬼の腕へ繋がっていない。恐ろしく綺麗な断面から、黒い体液が滲み出るばかり。
「むおッ!? 俺様の右手が」
触手と炎風を振りほどきながら、異形の巨体は一歩後退る。竜骨鬼が自身に起きた異変へ気付いた時、既に右腕は先端を失っていた。
骨の内で張り詰めた筋肉が震え、切断箇所から流液がしとどに零れ落ちる。
握ったままついぞ放さなかったマフユの剛剣が、精霊の助力で生まれた間隙を衝いて奔った結果だ。




