第94話:VS竜骨鬼①
「オオオオオォォォッ!」
腹に響く壮絶な咆声を轟かせ、醜悪な怪物が駆ける。
大木のように太い脚は土を割って泥を蹴り、草地に深い足跡を残した。一歩一歩が地鳴りを生み、世界の全てを揺らすが如くに躍り跳ねさす。
骨格の剥き出る巨体は瞬く間に押し迫り、構えを作るマフユへ詰め寄ってくる。
得物が及ぶ間合いへの最後の一歩が踏まれた時、赤茶の双腕は天を仰いで振り翳された。
左右に握られる大鉈が霧を裂き、幾多の水滴を帯びるや。竜骨鬼の怪腕が恐るべき速度で振り下ろされる。
「ハァッ!」
臆さずに敵者の動きを捉えていたマフユは、これに合わせて両腕を右方へと薙ぎ払った。
十指に掴まれた複合精霊の剛剣が、腕運の軌道をそのままなぞる。
風を断つ分厚い閃光は、必殺の意志と共に降り注ぐ兇刃へ挑みかかり、両勢の中間距離で激突の時を迎えた。
無骨ながら勇壮な強刃と荒ぶる双鉈が、一切引かずに衝突を見せる。垂直に落ちる鉈へ、横合いから飛び込んだ剛剣。互いの持ち主が全力を込める重撃に、交打の瞬間、鮮やかな火花と烈波が生まれる。
衝撃で霧が吹き散らされ、草地が月光の下へ姿を晒した。同時に、マフユと竜骨鬼の軸脚真下へ皹が入る。
次いで大地が砕け、割れた地盤が迫り上がり、両者の足が幾らか地中へ沈み込んだ。
「フンッ!」
接触の間は単瞬。強大な烈波を発生させた剣合の後、精霊剛剣は本来の軌道を走って振り抜かれる。
対する大鉈二刃はマフユの攻勢力に押し負け、上方へと弾き返されていた。
その一撃で竜骨鬼は一歩後退る。
「ゲハハハハハ、ナリは小娘だが噂の精霊使い、想像以上にやりやがるなァ!」
感嘆と愉悦が綯い交ぜになった激号の果て、竜骨鬼の眼窩で赤熱する輝きが爆ぜた。
会心の一声が大気を震わせる折、素早く動いた巨腕が袈裟懸けに太刀を振り下ろす。勢いと進路を合わせた二刀が猛速で駆け、容赦なくマフユを襲う。
白と緋の巫女装束に身を包む少女は、怪物の正面に立ったまま回避行動を取らない。
袖の下で腕に、袴の下では脚に力を込め、タクティカルブーツで地を踏み締める。
血流に乗って注がれる力が筋肉を引き絞り、神経伝達が義手を軋ませ、振り抜いた剛剣に急制動を掛けた。霧を掃いながら走っていた剣は、マフユの体横で停止する。
半瞬後、今度は来た道を逆走し始める厚刃。長い袂を翻しつ再び横薙ぎに走り、握る剛剣を大振りに動かす。巨大さに反して翔ぶような速度で渡る剣が、マフユの正面を越えて真横へ流れていく。
「何度でも、打ち破る」
次に起こったのは二度目の激突。異なる色の刃同士がぶつかり、どちらも押し切ろうと吶喊力を削り合う。
硬質な物体が擦れる高音を響かせて、舞い飛ぶ火花が赤華を散らす。霧が掻き晴れた其処では、剛剣と双鉈が一進一退の攻防を繰り広げていた。
だがそれとて続いたのは一秒弱。両者が備える威力の大きさ故に、並々ならぬ反発力が得物同士を弾き飛ばす。
衝突点で風が逆巻き、分厚い剣刃と灰暗の鉈刃が進行路へ押し戻された。力と技量が互角である証か、一方の我は通されない。
マフユの腕が胸前を過ぎり、両足は大地表層を抉りながらじりじりと退がる。
対して竜骨鬼も反動に腕を流され、立ち位置を若干後方へ移した。
しかしそこまで。少女も怪物も反衝を即座に殺し、それ以上の後退、姿勢の乱れを許さなかった。
「その細腕と痩身で俺様と互角の力とはな! 面白いぞ、精霊使い!」
歓喜を含んだ咆哮が霧を揺する。
二本脚で地を踏み締め、堂々とした有り様で屹立する竜骨鬼の巨躯。
その体は赤茶けた骨格ででき、骨の内側から筋肉が張り出していた。内肉の中に骨格のある人間とは真逆の構成だ。
眼窩は巨大に膨れ、鼻頭が前方に長く突出する。口腔は両端に大きく裂け、人間の倍は広い。唇はなく、ナイフのように鋭利な牙が隙間なく並んでいた。
顔全体も骨格が剥き出しの状態で、生物と呼ぶにも抵抗がある。臀部から生えた太い尾骨も加えると、その姿は直立した竜のようだった。
マフユと比べて二倍ほども上背のある異形は、頑健な骨格と張り詰めた筋肉からなる両腕に、殺意の凝結にも等しい鉈型の刃物を握る。
それ以外に着衣や武装の類はない。ただ全身から放たれる猛烈な瘴気が、怪物のおぞましさを禍々しく引き立てていた。
月下の大地を霞ませる夜霧が震え、再行動へ転じた竜骨鬼の右腕が唸る。
大きく薙ぎ払われた骨肉の異腕は、握り込む大鉈を水平に走らせた。目標は対面に在るマフユの首だ。桃色の髪と藍瞳を持つ頭部に襲い、根元から斬り飛ばすべく打ち放たれた一撃。
これを見る少女は瞬時に右膝を折って、速やかに全身を沈み落す。低められた体は敵勢の襲撃路より逃れ、紙一重の差で大鉈が頭上を抜けた。
正確に首を狙っていた鉈は、標的の的確な反射・回避運動により躱されてしまう。寸での所で目標のやや上方を抜け、目的を遂げられぬまま空を滑った。




