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復讐の精霊使いマフユ  作者: ミチバケ
異形事件黒幕編
93/133

第93話:市長の俯瞰

 市庁舎内に設けられている自身の執務室から、ケガン・ジュウザブロウは都市の街並みを見下ろしていた。

 テラスへ続く大窓の前に立ち、昼日中の賑わいを静かに眺める。その面差しは穏やかで、細められた目の下、口元に刻まれているのは小さな笑み。

 十分に年老いているが、だからこそ染み出る円熟の清々しさ、温かみのある顔だった。


「――以上が、昨夜の異形襲撃に於ける犠牲者となります」


 黒と金糸で編み上げられた上等なローブの背へ、執務机の方から声が掛かる。

 部屋の中程には、クリップボードを手にした若い秘書官が立っていた。

 彼がファイルを捲りながら行った報告に、ケガン市長は背を向けたままで応じる。


「防衛要員の被害は無視できぬレベルか」

「はい。人員の補充を進めたいところですが、どこも人手が足りていないのが実情でして」


 いつの間にか先刻までの笑みを消し、ケガン市長は鋭い眼光を双眸に宿す。

 隙のない、厳格な為政者の顔が窓に映っていた。


「都市治安部隊はまだなんとか都合もつきますが、退魔組織の側はいかんともし難く」

「元来が稀有な才能保持者で成り立っているものだからな。訓練すれば誰でも間に合うという役でもない」


 老市長は窓の外へ視線を注いだまま、やや重い息を短く吐く。


「市民への直接的被害が大幅に減ったことが、不幸中の幸いでしょうか」

「敵は今、こちらの戦力を削ぎ落すことへ注力しておる。この段で叩いておきたいところだが、そう簡単にはいかんな」

「異形との戦闘による単純な死傷者のみならず、一定数の行方不明者も出ております。彼らは戦いの混乱で黒幕に捕われたものと推察され、新たな尖兵に変えられてしまう可能性が高く。こちらの戦力は減り続け、逆に敵側は拡充していく。悪循環ですね」

「一夜のみ武威とはいえ、一般人ですら攻勢に特化した怪物に変えるのだ。戦の心得を持つ勇士となれば兇悪な魔性に転じるは道理。新たなに現れた竜骨鬼(りゅうこつき)は、まさに彼らの成れの果てであろう」


 ケガン市長の静かな声に、秘書官は全身へ緊張を帯びた。

 口の中が急速に乾き、冷や汗が頬を伝う。

 それまで確認されてきた異形群ですら難敵であるのに、それをも上回る怪魔の存在は恐怖でしかない。


「敵は神出鬼没にこちらの戦力拠点を襲撃しています。やはり邪魔になるものを優先して潰す狙いでしょうか」

「抵抗する余力を奪いきっておかねば、無辜の民を制圧しようとする度に妨害が入るからな。思いがけない横槍によって腹を突かれないよう、着実に一つずつ要点をとす心算とみえる。慎重にして的確、本能のまま暴れる魔物とは違う厄介さだ」


 言い送った直後、ケガン市長は窓の外にギラつく強眼を射込んだ。

 老いて尚衰えぬ生命力と不屈の気概が両瞳に燃える。


「だが、これは好機でもある。向こうの狙いが読めている分、迎撃を展開しやすい。今までは無秩序に起こる市民被害へ対応するため、戦力を遊撃性重視で散開配置していた。突発的に発生する現場への早期到着を企図した機動力偏重の布陣。速度にこそ秀でるが守りは薄い。しかし狙いがこちらにあると絞れているなら」

「自由機動を捨てて守備前提に再編する、ですね。昨夜までは敵動が掴み切れず遅れを取りましたが、攻撃の指向性が明確と断定できるなら即応専心も可能となります」

「そういうことだ。人員を小規模単位で散らしていることが、各個撃破の憂き目を導いた。戦力を集中させ防衛陣の強化に当てることで、反撃能力の大幅な底上げが図れる。何処に居るかも知れない敵を追うのではなく、襲い来るものを迎え撃つ構えとせよ。優先度の低い拠点は敢えて放棄し、その分の人員を特定地に集中させ防備を厚くしていくがよい」

「かしこまりました」


 秘書官は姿勢を正し、市長の背へ生真面目な声を送った。

 先の動揺は既に治まり、有能な補佐役としての顔を取り戻している。


「要地の選定並びに編成概要は任せる。資金と物資は『8人委員会』が供出する旨、退魔組織各派へ伝えておきたまえ。本来ならば代表者間で協議すべき案件だが、緊急性をかんがみ我々が決定権を行使させてもらう。せめても彼等の負担を減らし、フットワークを軽くさせねばな」

逼迫ひっぱくした状況であることは皆一様に理解しているでしょう。いたずらな損耗を抑えることの重要さは共通認識かと」

「この期に及んで派閥争いや足の引っ張り合いはしたくないものだ。まずは守りに徹し時間を稼ぐ。この間に大勝負を見越し、調整をしていかねばならん。敵側にれるという感性があるかは知れんが、多少なりとも精彩を欠いてくれれば尚やりやすい」

「武装教会派の要人スメラギ・フオウ氏より提供された黒幕の情報。『終わり』に関しての対策も必要になります」


 新たなファイルを捲り、秘書官は報告書の羅列を目で追った。

 ケガン市長は後ろ手を組み、窓の前に立ったまま耳を傾けている。


「そちらに関しては既に手を打ってある。充分な成果も見込めるだろう」

「この短時間でそのような? 流石です閣下」

「スメラギ神父からの情報は決定的な一押しになった。彼の善戦と生還がなければ対抗策を詰め切れなかったろう。……今の敵が既知戦力以外を標的にするかは怪しいが、念のため病院の警備も抜かりなくな」

「心得ております」

「最後の準備が整い次第、マカベ・マフユ君に対『終わり』戦術を開示する。今事件の解決には精霊使いの力が不可欠だ。これは私の領分。そちらのことは任せたぞ」

「はっ、直ちに取り掛かります!」


 踵を打ち鳴らし、90度角に礼を決め、秘書官は即座に踵を返した。

 その後は足早に絨毯の上を進み、執務室と内外を隔てる扉へ到達。振り返って再度一礼してから、扉を開けて退出していく。

 秘書官が去り、部屋にはケガン市長が独り残された。

 彼は老いた顔を窓の外へ向けたまま、そっと息を吐き出す。


「短期間で、か。違うな。私は150年も前から対抗策を探し、練ってきた」


 高所から望む都市の遠景は、老人の心に不変の熱意を滾らせていた。

 鋭利な両瞳には叡智と覚意が冷煌を放ち、懐古の情が濃厚なくゆりを抱く。


「『終わり』……奴が戻ってきたぞ。ナツメよ、これで私達の借りを返してやれそうだ。お前の血筋が幕を引くかもしれんとは、これも因縁よな」


 此処ではない何処か、今ではない何時か、そこには居ない誰かへと、ケガン市長は独語を送った。

 芯の通るその声はしわがれてこそいるが、並々ならぬ覇気と闘志に満ち溢れている。

 退く事を知らぬ男の強靭な意志は、聞く者なき空に融けていく。

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