第89話:見舞いと対抗策①
窓の外にある景色は、何処までも広がる青空だった。
遠く疎らに雲が見えるものの、それ以外には何もない。時折に鳥たちが横切っていく程度。
ベッドから離れられない身では窓に近付く事は出来ないため、視界に入るのは雄大な蒼穹に限られる。陽が傾いて茜色、更に沈んで夜の闇、これらの訪れが唯一の変化だ。
なにに急き立てられることもなく、煩わされることもない、平和な時間がそこにある。やることが無さすぎて退屈なほど。
「……」
フオウは窓から視線を外し、両の瞼をゆっくり閉じた。
自ら闇の領域を作り出し、意識を奥深くに埋没させて瞑想する。彼はそうして時間を過ごす。
預かっていた教会を異形事件の黒幕に襲撃され、返り討ちにし損ねた夜から3日が経っていた。
自爆に等しい大技でも決めきれず、半死半生の窮地を駆け付けたサユキに救われている。少年によって退魔組織と繋がりの深い病院へ運ばれ、なんとか一命は取り留めた。
ただし黒幕に奪われた右腕と脇腹は手の施しようがなく、その部位は喪失した状態のままだ。生命力も絞り切ったしまったので髪は白く、全身の筋肉も落ち、痩せ衰えて以前の姿は見る影もない。
辛うじて生きているだけ、そうとしか言えないような有り様である。
「フオウ、まだ死んでないわよね?」
瞑目してから数分後、病室の扉を開けて入ってきた気配と声に反応して、フオウは瞼を持ち上げた。
再び光と景色を取り戻した視界には、紺地のブレザーとスカートという見慣れた格好のマフユが映る。
彼女はベッドの脇に椅子を引き寄せ、いつも通りの感情知れぬ顔で腰掛けた。
「見ての通りだ。今や満足に動くこともできんが、取り合えず生きている」
「そう」
「心配をかけたか?」
「私よりサユキくんの方が取り乱してたわよ。集中治療室に入って面会できないのに、何度も病院に通ってたらしいから」
「そうか。彼には感謝している。お陰で命を拾った」
「自分で言えばいい。フオウが今朝目覚めたことは伝えてあるから、じきに来るでしょ」
「ああ」
「私には無茶するな、そう言っておいて自分がコレ?」
「面目もない話だ。事件の首謀者と一戦交えたが、討ち切れずな。恐ろしい相手だった」
「フオウがそんな姿になったぐらいだから、段違いの化け物なんでしょうね」
「あの夜から三日過ぎていると聞いた。外の状況は?」
浅く頷いたあと息を吐き、フオウは若干表情を引き締めた。
意識なく治療されていた期間に異形事件がどう推移したか、懸念事項を率直に問う。
マフユは特に顔色を変えず、普段と同じ調子で抑揚薄く語り始めた。
「まずフオウが襲われた夜、市内にあった武装教会派の拠点が一斉に襲われていた。何体もの異形が同時多発的に教会施設を強襲したの」
「まさか全てに黒幕が姿を現したのか?」
「いいえ、それはフオウの所だけ。一番強力な退魔神父に、親玉がぶつかってきたみたいね。武装教会派の実働部隊も異形の群れに集中攻撃されてほぼ壊滅」
「むぅ、なんと。明らかに狙いを定めて攻勢に出てきていたか」
「ええ。あれ以降、夜のたびに退魔組織の関連施設や人員の詰め所が襲撃を受けてる。それに竜骨鬼と呼ばれる特殊な異形も現れるようになった」
「別個に名を与えられるとは、より危険な怪魔ということだな」
「そうみたいね。私はまだ戦ったことがないけど。武器を使う怪物という話よ。そいつが暴れるたび、かなりの犠牲者がでている。代わりに無軌道な散発発生はしなくなったけど」
「ふむ、計画的な攻撃に切り替わったわけだ。これは寧ろ最初から計算づくの動きだった可能性が高いな」
「そうかしら。始めは関連もないデタラメな暴れっぷりだった」
「それで我々の対応力や反応速度、練度や全体の動き、想定戦力を計っていたと考えてみろ。必要な情報が揃い、いよいよ本格的な侵攻に移ってきたとしたら。それが証拠に要衝を的確に襲い、これまで以上の戦力を投入し、こちらの連携を乱しつつ、戦力を削いできている」
「まるで軍隊ね」
「奴等の首魁は知性を持ち、確固とした目的に向け動いている。そして俺達の命や人生や営みをなんとも思っていない。嫉妬や憎悪もなく、善悪の判断すらない。肝要だと定めれば、どんな手段も使うだろう」
「黒幕は何者? サユキくんはチラ見して逃げたから何も知らない。フオウだけが肉薄し、生きて戻った。タダでやられるタマじゃないでしょ」
真っ直ぐに届けられるマフユの視線。それに一度の頷きを返し、フオウは瞼を閉じた。
瞳の上の闇の中に、対峙した漆黒の外套者が浮かび上がる。
常識外の権能を揮う姿を伴って。
「奴は『終わり』という概念そのものが形を得た存在だ。あらゆる循環を強制的に破却させて無に還し、世界を蝕む浸食災厄。本来ありえべかざる異質の敵」
「目的は都市の破壊? それとも混乱を招くこと?」
「全てを磨り潰して、何もない虚無的な状態へ立ち戻すことのようだ。なんにせよ俺達とは精神構造が違いすぎて真意のほどは読み切れん」
「とてつもなくタチの悪い手合いということね」
「友好的な付き合いも無理だな。奴との戦いではっきりした能力は二つ。一つは既に知れている人間を捕らえ異形化して支配する力だ。もう一つは奴自身の特性である『終わり』の力。これは攻撃も防御も一切を無力化する。なにせこちらの攻撃は通用せず、敵からの攻撃はこちらの護りを素通りしてくる」
「なに、その反則ものは」
フオウから与えられる敵の情報に、マフユは腕を組んで嘆息した。
母の一番弟子だった男をして苦敗に追い込む相手である。
一筋縄ではいかないだろうと考えていたが、想像以上の難物ぶりに呆れが勝る。




