第88話:宵闇の襲撃者⑥
「はぁ、はぁ……これで仕留め切れていれば御の字だが、さてどうか。大量の生命力と教会一つを費やしたのだ、勝敗が決するほどの痛手を負っていてくれねば、割に合わん」
フオウは片膝をつき、荒い呼吸を繰り返す。
その間にも咳き込み、血の塊を二度三度と吐き出した。肉体への反動は並々ならず、もはや立ち上がる力も残っていない。
朦朧とする頭を苦労して振り、霞み始めた目で懸命に教会の内を観察する。動くものの姿があるか否かを。
「土壇場の閃きとしては上々。だが決死の覚悟が今一歩足りなかったな。心残りでもあったのか、最後の最後で生きようとしたのだろう。生命を尽くさなかった。そのため威力が十全に至らず、我を消すにも不足した」
冷めて平坦な声が夜気を歪ませた。
崩れた教会の中で、宵闇色の外套が揺れる。
これを認めたフオウは眉間に深い縦皺を刻み、悔し気に奥歯を噛み締めた。
「ダメ、だったか」
焼け焦げた建材の向こう側に外套者は立っている。
しかし衣も、その下の体も左半分が大きく失われ、右側だけで佇んでいる状態だった。
半分だけ残った外套が覆い肉体の断面は覗いていない。
だとしても普通の人間が生きていられる損壊具合ではなかった。ましてや平然と立ち、言葉を発するなどありえない。
その姿だけで尋常の存在でないことが知れる。
一方でダメージの程度から後幾許か攻め込めていれば撃滅が叶った可能性は高い。これがフオウの苦渋を深めていた。
本当なら余さず生命力を使い切る腹積もりだったが、死に隣接した瞬前、淡い願いが芽生えてしまう。
幼かった頃のように屈託なく笑うマフユの笑顔をもう一度見たい。復讐の念から解放され、なに背負うこともなく個人の幸せを得て、安穏とした日常に生きる姿と共に。
それは外套者の指摘する通り心残りとなり、無意識に生命力の全放出へセーブをかけてしまった。
妹の行く道を見守るため生きていたい。自らの甘い未練こそが、敵を倒しきれなかった原因だ。
「貴様はさぞや使いでのある手駒になろうよ」
口惜しさへ暮れるフオウを余所に、欠けた外套から淡々と声が紡がれた。
するとその足下に留まる影が急速に拡大していく。瞬く間に広く増長した闇が神父の真下まで届き、支配域へと変えてしまう。
人間攫う魔手を目の当たりにするが、既にフオウは逃げるだけの力がない。
立ち上がることもできず、足が影の闇へと沈み始めた。
「スメラギ神父!」
名を呼ぶ背後からの声。振り向けないフオウの体へ光る糸が何本も巻き付き、全身を後ろ側へ引っ張った。
霊子力で編まれた縛糸によって動かされ、神父の足が影から抜ける。そのまま拡大した攫いの領域から逃れ、更に外へと強引ながら滑っていった。
「ご無事ですか、神父!?」
「サユキ、なぜ……」
光る糸を巻き取って、フオウの体を引き寄せたのはヤマトネ・サユキだ。
全速力で走ってきたのだろう、顔中に汗の粒が滴っている。
激しく呼吸しながらフオウを見詰め、白髪や血汚れた服、右腕や脇腹の欠損を知り、痛ましげに顔が歪む。
そして壊れた教会と、半身の外套者を見て、息を呑んだ。
「逃げましょう!」
サユキは大慌てでしゃがみ、霊子力の糸も使ってフオウを背負った。
生命力を使い切った所為か、体躯のわりに異様なほど軽くなっている。その事実にギョッとしながら、彼を縛糸で自分自身に括り付け立ち上がった。
あとはもう振り返らず、細かいことは捨て置き駆け出していく。
敵が追ってくるかもしれない恐怖を感じつつも、減速しないよう前だけ見て夜を走った。
とにかくに距離を取り、安全圏まで逃れるため、遮二無二足を動かし続ける。
「なんだか凄く胸騒ぎがして、居ても立っても居られず、神父の教会に向かってみたんです。そしたら、途中で教会の方から光の柱が見えて、タダゴトじゃないって!」
「虫の知らせ……ヤマト血族の直感か」
「神父、しっかりしてください! 大丈夫、逃げ切ってみせますからね!」
目を瞑り、囁くように言い終えて、フオウは意識を失った。
背負う者の状態が分からないながらも、サユキは必死に声掛けを行う。
行き場のなかった自分を拾い、数多くの指導を施したくれた恩人。マフユとの出会いもフオウの提言から始まった。世話になるばかりの神父を是が非でも助けるべく、サユキは体力と気力を注ぎ込んで全速疾走に臨んだ。
「この期に及んで新手の介入。今宵はここまでが潮時」
走り去っていく二人の後ろ姿を、半欠の外套者はただ眺める。
損耗が嵩んでいるのも確か。敢えて追撃はしない。
広げていた影が一挙に収縮し、再び自身の足元だけに戻された。
そこから外套を翻し、すると唐突に姿が消えてしまう。
あとには破壊された教会だけが残される。




