第86話:宵闇の襲撃者④
「攻防両面で無敵か。本当にそうなら手勢を使う必要などなく、全てを己一身でどうとでもやれる筈だ。そうしないということは、付け入る隙がある」
後方へ着地を決め、フオウは左手に霊子力を集約する。
敵の恐るべき特性を見抜いたとて、その絶対さに恐れはしない。どれほど強大で、どれほど異様な存在だろうと、必ず突破口はある。それが彼の自論だ。
ここで諦め無力感に苛まれるつもりは毛頭ない。
何者が相手であれ、どんなに不利な状況だろうと、懸命に足掻き、闘い続ける。それが師であるミハルの教えだった。
敵を破る為の方策は、実戦の渦中で見出すもの。それが長年の経験で骨身に染み付いている神父は、左手に集めた霊子力を研ぎ澄まし、再度輝き放つ光剣を作り出した。
両手で振るったものより小振りだが、それでも威力に遜色はない。
この間にも闇黒の外套は滑り行き、フオウの体前へと迫りつつあった。焦点を定めた時には最接近を遂げ、間近まで暗色のフードが来る。
「俺は負けられん。妹分を貴様のような化け物と戦わせられんからな」
気合い一閃、フオウが光剣ごと左腕を払う。
強固に集結した霊子力の太刀は燦然たる軌跡を描き、敵の首を断ち斬る進路に激しく疾った。
しかし手応えはない。必中の横薙ぎだったというのに煌く刃は目標を逸し、何も無い空を掻いたのみ。
問題の外套者は光剣が振られた瞬間に全身をブレさせ、それまで存在していた場所より姿を消す。去ったかと思えばフオウの真後ろに突如として出現していた。
漆黒の内から細い指が伸び、それは神父の左脇腹を、僧衣の上から素早く撫でる。と、外套者のなぞりに合わせて、腹肉がこそぎ取られる形で綺麗に削られた。
痛みはない。出血もない。ただ脇腹の一点だけが冗談のように切り抜かれる。
予期せぬ部位の喪失にバランスを失い、フオウは前のめりに転げ倒れた。その横で奪い取られた腹肉は、敵の手中で灰と化し崩れ落ちていく。
「言った筈だ、無意味だと。何者も勝てん。我を滅するなど不可能なこと」
床に倒れた伏したフオウを見下ろし、フードの内から声が降った。
感情のない酷く平板な声調は、聞く者の意識に氷塊を押し付けるような錯覚さえ与える。
「何故だ。何故こんな事をする? 罪なき者達を異形に仕立て上げ、多くの災いを何故招く? 何が望みだ」
片腕と片脇腹を失い、倒れながらも上体を起こすフオウ。依然として闘志の滾る眼で、闇黒い外套者を睨み見た。
残された左腕で体を支え、怒りと疑念の混在した問いを投げる。
「ならば逆に問おう。貴様は、貴様等は、何の為に生きる?」
黒き覆いの声は冷めたまま、質問へ質問を返してきた。
「生命は肉体を失い朽ち果て消える。物体は形を耗して衰え潰える。全ての命、全ての物質、此の世の何もかもが、いずれは消えてなくなるのだ。必ず訪れる終わりが見えているのに、何故、今を在ろうとする」
生気が感じられず、振幅もない言葉。異様なほどの虚無感を含んだ、奈落の深淵に等しい昏さ。
それが見下ろす神父に答えを求める。
「生命が生まれた時、それは死へ向かい進み出すということ。何かが作られた時、それは壊れ失われる最期を確定されるということ。全ては流れ、遠からず無へと帰す。それは決して違えられぬ理」
重々しい空気。言い知れぬ恐怖。抗いきれぬ威圧感。漆黒の外套に包まれた存在が、有するそれは何なのか。
生きとし生ける者達に反し、どうあっても相容れない対極の波。絶対的な敵対者。そう本能が訴える。
「人も、獣も、街も、世界も、意識も、願いも、心も、力も、何もかもが例外なく終局を迎える。そこに価値はない。意義もない。全てはいずれ至るのだ、優劣の果てた完全なる平等へ。差異なく融け合い、永劫なる不偏に抱かれた姿。究極の幸福。その状態こそが真実であり、本当の結果だ」
「俺達の存在は無価値だと?」
「どれほど尊く生きようと、死は全てを失わせる。意味などあるまい。悉く終わり、逃れえぬ破滅に還る。何もかも今を在る必要がない。存在し続けることの無意味さ。それは揺らがぬ。貴様等は、何故生きたがる? 何故、継続にこだわる? どれほど足掻いても、必ず終わるというのに」
フオウは見た。
外套者の影が、蛇とも龍とも百足ともつかない、異容に変じている様を。
どこまでも巨大で、おぞましく、拒絶と嫌悪感を耐えず刺激する。それは常識を度外視した、絶対悪の体現そのもの。
「此の世の全て、一切合切、何もかも、必ず消える。ならば今、終末を迎えようと変わりはしまい。存在に理由はなく、在り続ける必要もないのだ。なればこそ終わればいい。それこそが真理、それこそが本質。それこそが運命」
「貴様は、なんだ」
僅かにたじろぎ、フオウは絞り出した。
我知らず、外套者から逃れようと体は動く。生命の根源が、対峙することを拒むのだ。
「何かが存在する時、対となる終わりもまた同時に確立される。我はその『いずれ訪れる終わり』だ。生命が、物質が、精神が、世界が、ありとあらゆるものが、何時か必ず至る最後の状態。絶対の終局。それが我というモノ」
瞬間、フオウは慄然とした。
敵の正体を垣間見た故に。




