第85話:宵闇の襲撃者③
「他者を支配し嗾けるだけでは、俺を倒すこと叶わんぞ」
遮るもののなくなった進路を踏み拉き、フオウは駆ける最中に光剣を水平へ構え直した。
脚力から体重から全身の全てを突進力へ上乗せし、岩塊をも粉微塵に粉砕する最大威力の吶喊攻を撃ち放つ。
逃がしはしない。完全な命中路の邁進だ。
轟然とした疾駆が今、漆闇の外套へ一撃を見舞う。同時に掻き散る衝撃。
破魔の光剣は輝く切っ先を、外套の中心目掛けて確かに打ち込んでいた。
けれど貫く筈の刃は敵の体へ届く直前で唐突に消え失せ、一切の手傷を負わせてはいない。
フオウは微塵も力を抜いていないのに、インパクトの瞬間全てが失われていた。激しい突撃は威力を完全に殺され、事実としての空振りで終わっている。
「なんだ?」
フオウが目を瞠る前で、外套者は一歩を踏み出し肉薄してきた。
神父の周囲には依然として鉄壁の防御陣が法円を描いているが、宵闇色の外套は易々と素通りしてくる。
そして彼の右腕へ触れ、波動めいた不可視の力で弾き飛ばした。
あまりに自然で流れるような所作。認識から思考、反応へ至る僅かな間で挙動は行われ、咄嗟に応じる事が出来ない。
フオウが異変への危機感に歯噛みした時、彼は眼前の外套から強制的に離され、礼拝堂の床を転がされていた。
我が身へ掛かる回転運動により幾つもの長椅子を破壊し、度重なる衝撃に襲われながら床を滑っていく。最終的には説教台の直下へ激突したことで、ようやく動きが止まった。
渾身の突き込みを繰り出した筈が、攻撃は相手に届かず、逆に自分が吹き飛ばされている。その事実に神父は愕然とした。
「攻撃のみならず、防御陣すらすり抜けてくるだと」
全身に疼く痛みの中で、フオウは低く唸る。
外からのみならず内側から響く不自然なダメージは、外套者が放った得体の知れない攻撃の余韻だろうか。
随所に滲む痛打を気力で振り払い、神父は体を起こし立ち上がった。だがそこで違和感に気付く。
右腕がない。
肩から肘までは確かに存在している。しかし、肘から先が失われていた。
肘の断面はレーザーで焼き切ったかのように綺麗なもの。そこからは血も何も零れ落ちてはいない。更におかしいのは、痛みをまったく感じないのだ。
自分の目で腕の喪失を確認するまで、気付かなかったのだから。
「あの短瞬、触れ合い様にやったのか」
フオウは自身の異常に驚くより先、不審から眉を寄せる。
次いで視線を前方へ転じた時、疑問の正体を見て取った。
佇む闇黒の外套者が、失われた肘から下を持っている。
そして奪われた右腕は、彼が見ている前で灰へと形質を変え、崩れて床に落ち散らばった。
「まるで滅びという結果を操るかのように。ますます捨てては置けん」
把握できる情報から事態を推測しつつ、フオウは敵を睨んだ。
数多の怪異と渡り合い、命の奪い合いをしてきた手前、この程度で狼狽えるような軟弱さは持ち合わせていない。戦意も未だ健在。
片腕が無くなったのは確かに問題である。だからといって攻め手を封じられたわけでもなし。
底知れぬ巨悪に躊躇を踏むより、他者への被害を断つため打倒へ挑むが彼のスタンス。
懊悩は今すべきでなく、やるべきは死力を尽くして戦うのみ。
「我が力の一端を身に受け、尚臆さぬとは。大した気概」
「妹分も片腕を失くしながら戦ったのだ。この程度で俺が怯むわけにもいかんさ」
「見上げたものだが所詮は無意味。己が宿命からは何人も逃れられん。終わりという真理からは」
零下の凍湖さながらに冷え切った感情なき声。女性のものという以外に特徴のない響きが、痛烈に空気を掻く。
伝播する音の流れへ合わせ、漆黒の外套は悠然と踏み出した。
その一歩は不自然なまでに軽やか。決定的に人の歩みとは違う。
長衣の揺れが認められる中、外套者の全身が音も無く床上を滑ってきた。足音はない。両脚の動きもない。
地を蹴らずして空を駆け、開かれた両者の合間を直ちに埋める。
「それを決めるのは貴様ではない!」
フオウは左腕を懐に突き込み、それと同時に大きく後ろへ跳んだ。
右腕が喪失した所為でバランスを欠いたが、それも一瞬。すぐに体勢を立て直し、接近してくる外套との距離を開ける。
弧を描いて跳び退りつ、左手に聖釘を掴んで取り出す。そのまま狙いを付け、全力で投げ放った。
鍛えられた腕力に押されて猛進する釘は、直線状に標的へと飛び掛かる。これを迎え撃つ外套に避ける素振りはない。
一気に差し迫った鋭突は、路を違えず闇黒の胸部へと達した。
が、その身へと沈み込むことなく、釘自体が灰塊と化し砕け散ってしまう。
「やはり攻撃が通用しない。奴に近付くだけで消滅させられる」
投擲物の末路を見届けて、フオウの表情が苦った。
先の光剣が失われたことと今回の聖釘により、彼は敵の特殊性に思い至る。
漆黒の外套者が有する力は、異形を生み出し放つだけではない。己へ接するあらゆる物理的・霊子的存在を抹消してしまうのだ。
向けられた力と同等の力をぶつけて相殺するのではなく、器物や宿っている力そのものを一方的に解体し、指向性からまとめて掻き消してしまう。強固な護りを誇る防御陣が機能しないのも、結界を越えて教会に侵入してきたのも、これがため。
フオウの右腕を奪ったのも等しい原理で、人体の連続性を接触点で断ち割った。
どちらに於いても共通しているのは完全な無力化。攻撃も防御も通用しないという事になる。




